ユグドー、誠意と渇望のはざま編

 異世界には、ジュラクダイと呼ばれる黄金の城があったという。どこかで聞いた噂話だ。


 今、ジェモーの歴史ある大霊殿は、ジュラクダイにも負けない黄金の城となった。


 ユグドーは、そのように感じている。しかし、困難を乗り切った達成感は、虚しさに変わっていった。


 黄金の大霊殿の前にいるのは、ディアークとユグドーのみである。都区長もノルベールもいない。


 肝心のマリエル夫人もいないのだ。喜んでくれると思うからこその労苦だった。


 完成した黄金の大霊殿は、日差しを反射して古都ジェモーを照らしている。ユグドーが想像した百倍は、輝いていて衆目を惹く美しさがある。


 まるで、太陽。ジェモーに太陽が、もうひとつ生まれたような錯覚を覚えるほどだ。


 それなのに……


「ユグドー? 浮かない顔だな。ベトフォン家は、大貴族だ。やることが多い。ベトフォン家にしかできないことがある。こんなものだぜ……」


 ディアークは、優しい口調で語りかけてくる。きっと、ユグドーを憐れむような表情をしているのだろう。


 ユグドーは、自問した。何をしたかったのだろう。どうなりたかったのか。様々な疑問が地面に浮かぶ。


 ディアークは、捕獲用の魔導具を片付けはじめた。箱の中には、蝦蟇の油が少し残っている。


 これは、売って旅の資金にしようというのだ。ベトフォン家の許可はもらっているらしい。


 ユグドーの役割は終わったのだ。あとは、ジェモーの都区長から報酬を受け取るだけである。


 マリエル夫人は、黄金の大霊殿の完成を知っているはずだ。見に来ると思う。いや、思っていた。


「ユグドー。俺は、先に帰る。報酬は受け取っておく。整理がついたら……。ユグドーの自宅で待ってる。俺はな。この街を出るべきだと思う……。太陽は遠くから眺めて価値のあるものさ……」


 ユグドーが成し遂げたことは、太陽にかかる雲の一部を取り去ったくらいのことなのだ。


 終わって報告を受けて、終了。報酬は支払われて、全てはなかったことになる。


 巫女姫リリアーヌを助けることができなかった。あのときの無力感が、また込み上げてくる。


 蝦蟇の油を古都ジェモーに持って帰ってきたときの町並みは、キラキラと輝いて見えた。


 今度こそ……と期待に浮き足立ったのだ。ユグドーは、顔をあげる。ジュラクダイとやらにも負けないはずの黄金の大霊殿。


 ジュラクダイを作った異界人は誰かのために、何かのために作ったのだろうか。


 今のユグドーと同じ気持ちになったのではないか。いるはずもない異世界のその人物に聞いてみたくなった。


「ユグドー……。俺は、先に行く。天空を飛ぶ巨鳥に、地べたを這いずる蟻の気持ちなんて分かるわけないのさ。まぁ、俺もその鳥の……。いや、小鳥くらいの存在だったんだけどな」


 ディアークは、ユグドーの肩に優しく手を置く「世界には、助けを求める人間なんて、腐るほどいるんだ」と消え入りそうな声とともに手が離れた。


 ユグドーの誰かを助けたい気持ちに答えてくれる人間は、他にもたくさんいる。


 ディアークは、そう言いたいのだろう。そして、きっと感謝の気持ちを受けてユグドーは……


「あぁ……そうか。そうなんだ。ディアーク……。僕は、やっと理解……」


 ユグドーは、自分のなかでわきあがった答えをディアークに言いたくなった。合っているのか、間違っているのかを聞きたかったのだ。


 振り向いた先に、見えたのは、ディアークとイストワール王国の騎士だった。


「ユグドー殿と……ディアーク卿ですね?」


 騎士は、少し自信なさげな口調でこちらの様子をうかがう。少し間があって、右の拳を左の肩に当てて、背筋を伸ばす。


「『元』ですよ。……ゴホンッ!! いかにも、わたくしは、ディアーク・ベッセマー……。いや、ディアークです。こちらが、ユグドーで間違いありません」


 ディアークは、仰々しいほど丁寧な口調で返して、騎士と同じように敬礼をする。


 ユグドーも続けて、遠慮気味にお辞儀をした。


 ディアークの態度は、ユグドーを制しているように思える。だから、口を挟まないように黙っていることにしたのだ。


「良かった。御二方に、ノルベール・ベトフォン大公より伝言です。働き見事であった。至急、ベトフォン別邸まで、用意した馬車にて、ご足労願う。です」


 騎士は、後ろを指し示した。その指先には、坂を登る馬車が小さく見える。


 ユグドーは、先ほどまでの虚無感が嘘のように消え去った。やはり、マリエル夫人は待っていてくれたのだ。


 言い知れぬ期待が、虚無を押しのけて心の中を満たしていく。足が、自然と前に出る。


「ユグドー……。あまり、期待はするなよ。あの方たちは、俺たちとは違う。お前の気持ちなんて……。いや、期待はな。その……裏切られるものなんだよ」


 ディアークは、ユグドーの耳元で声をひそめて言う。言いたいことは、理解できる。


 ユグドーの人生。まさにそれの連続であった。しかし、今度ばかりは違う、違うのだ。


 何故なら、目的は果たした。今までのように犠牲を払ったわけでも、失敗をしたわけでもない。


「分かってるよ。ディアーク。でも、呼ばれたんだ。そう、わざわざ馬車まで用意してくれたんだよ」


 ディアークは、鼻から息を吐いて頷いた。ユグドーの肩を何度か叩く「行こうか。いずれにしても、呼び出しを無視することは、できんからな」と、心底嫌そうな顔つきだ。


 ユグドーは、足を止める。マリエル夫人に感謝の言葉をもらうことが、期待していることなのだろうか。


 誰かの助けになりたい。完璧に、完全に。それが、はじめてできた気がするのだ。


 マリエル夫人の笑顔を見たい。それこそが、ユグドーの望む報酬である。


 何度も、何度も、そう言い聞かしていた。





「あれ? あの紋章はベトフォン家のものだな。ただの荷馬車みたいだが……」


 馬車の中、窓の外を見ていたディアークが手招きする。ユグドーは、窓から顔を出した。


 荷馬車が、近付いてくる。必死の形相をした御者とすれ違った。確かに、ベトフォン家の紋章が上下に揺れていた。


「花の香り……。なんの花だろう。いや、そもそも花なのかな」


 荷馬車が、離れていく。かすかに花のような香りを残して、ユグドーたちが来た道を走り抜けていった。


 あらゆる人々が、動きを止めてその場で深く頭を下げている。


「ベトフォンの紋章をつけてなければ、この馬車も止まらなければならなかったんだぞ。ユグドー……」


 ディアークは、窓から顔を離して目を閉じた。ユグドーは、馬車の揺れで強制的に席に戻されてしまう。


「貴族って、太陽みたいなもの。そんな事を言ってた人がいたかも。そう。誰かは思い出せないんだけど」


 ユグドーは、マリエル夫人の笑顔を思い出した。確かに、太陽のような明るさがある。でも、貴族を太陽に例えた人物の表情は、とても暗く殺意さえ感じさせた気がするのだ。


「貴族にも色んな人がいるって……。ディアークは思わない? 僕だって旅のなかで色んな人に会ったけど」


「かもな……」


 ユグドーの疑問に、ディアークは素っ気なく答えた。もう一度、窓の外を見る。


 馬車は、町中を抜けてベトフォンの別邸へと近付いていた。もうすぐ、太陽を見ることができるだろう。


 ユグドーの気持ちは、不安と期待が渦巻いていた。会いたくない。不意に浮かんだ感情。


 矛盾とともにユグドーを乗せた馬車は、ベトフォンの別邸に到着したのだった。


 【ユグドー、誠意と渇望のはざま】完。

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