ユグドー、見知らぬ大きな出来事編

 ユグドーたちが、黄金の蝦蟇ゴールデンフロッグドラゴンと死闘を繰り広げていた頃。


 イストワール王国の国王ルロワ1世とその一行が、古都ジェモー近郊で小休止していた。


 成り上がり貴族としては、最高峰。伯爵の地位をいただく家の子として生まれる。


 このありがたい瞬間に立ち会うことを父上は、涙ながらに語っていた。


 ルロワ1世は、遊興に来たわけではない。王妃アーデルハイトの出産と、とある儀式を成功させるためだ。


 魔術とは、儀式である。形こそ力を作るのだ。イストワール王国最高の大魔術師が残した言葉である。


 イストワール王国の始祖である兄弟は、古都ジェモーで生を受け、あらゆる伝説を作ったのだ。


 ノルベール・ベトフォンと妻のマリエルは、古都ジェモーにいる。


 マリエルもまた出産を控えていた。ルロワ1世が、やりたいことは始祖の再誕に他ならない。


 始祖兄弟は、降誕した日からリュンヌ様より役割が与えられていたらしい。


 兄は、イストワール初代国王となった。弟は、兄を支えるべく軍を作り、ベトフォン家の基礎をきずく。


 国王とベトフォン家が、古都ジェモーで同じ時期に子供を生む。これこそ、大魔術の術式になる。


 何度も、何度も、言われたこと。覚えたこと。復唱して、間違っていたら怒られ、必死で覚えた。


──いいか、ヘレイオス。これは、凄いことなのだ。しかも、王妃様は……


 父の、オートクレール伯の言葉だ。ヘレイオスには、偉い人たちのやることは分からない。なぜなら、魔術の才能がないからだ。


 古都ジェモーへと進むルロワ1世の車列は、王命による休憩のため止まっている。


 オートクレール家に任された任務は、荷物のひとつ……壺の護送だ。


「あ〜あ。僕にも魔術の力があればな。こんな古臭い壺に強大な魔術があるんだよなぁ……。そんなに強大なら少しくらい分けてくれないかな」


 壺の表面は、カビやコケでも生えているようにしか見えない。自邸の庭にも似たようなものはいくらでもある。


 小川から聞こえてくる水の音と魚が跳ねて落ちる心地良い音に、ヘレイオスの耳目はうばわれた。


 日差しを反射する水面の輝きは、ダイヤモンドをはるかに超える美しさがある。これこそ、奇跡。魔術というものではないのか。


 きらめく水は、絶え間なく海に向かって移動していく。水は、どこから来たのだろう。つまりは、オロル山の体内に流れている血潮なのだ。


 これこそ、世界の循環。魔術ではないのか。ヘレイオスは、心のなかで声高に叫んだ。


「ヘレイオスっ!! どこだっ!! 近くに魔物が現れたぞ。警戒しろっ!!」


「わわっ、ち、父上。はっ、はははいっ!!」


 ヘレイオスは、飛び跳ねるように立ち上がる。剣を抜いて、振り回した。心臓の高鳴りと、足首からゾワゾワと寒気が背中に向けて走る。


 ロングソードは、勢いあまってヘレイオスの手から離れて後ろにとんでいった。直後に甲高い音が響く。


 ひりついた身震いは、背中から後頭部へとのぼる。ゆっくりと振り返ったヘレイオスは、価値の分からない壺が割れているのが見えた。


 ヘレイオスは、荒くなる呼吸と思考がいつまでも前に進まない。足は、ガクガクと震えて地面に伏すしかない。


(ど、ど、どうすればいいんだ。に、逃げるか。どこに……ごまかすにしても……無理だ。あっ!? 魔物が、魔物がやったことにしたら?)


 冷や汗が、地面へとしたたり落ちる。素人目に見れば、骨董品の粋を出ない壺だ。ただ、この壺は大魔術が込められているだけではない。


 戦利品なのだ。人類が、はじめて上位種に勝った。龍族に勝利した証なのである。


「ヘレイオス……そ、それは。なんとしたことだ!? うわわっ、あぁ。コテンミョウヒラグの壺が……。ヘレイ……お前が、お前が割ったのか!?」


 ヘレイオスは、喉の奥に蓋をしたように声が出なくなっていた。必死に首を振るも『魔物』のマの字も出ない。


 父親の顔が、妙に青く見える。今まで見たこともないほどに老け込んだ顔が、そこにあった。


「こ、これは……何だ!! おい、オートクレール伯。説明せよ。なぜコテンミョウが割れているのだ。お前たちっ、さてはターブルの回し者かっ!!」


 ヘレイオスの眼の前には、神がいた。物心がつく前から崇拝していたリュンヌと同格の信仰対象。ルロワ1世だ。


 敬礼も、跪くこともなく、ヘレイオスは激しい痛みとともに真っ青な空を見上げていた。空が、父親の背中でふさがる。


「あぁぁぁぁぉ……ヘレイ……オス……にげッ」


 ヘレイオスの顔に液体が数滴落ちてきて、父親の背中は消えた。どさりという重い金属の音が響き。弱々しい断末魔がかすかに聞こえた。


「貴様っ!! あの、あの、オートクレールの息子も殺せ。余の計画に穴を開ける愚か者ども。例え、ターブルの差金でなかったとしても……万死に値するぅっ!!」


 起き上がろうとしたヘレイオスが見たものは、クイーンガードと呼ばれる感情なき騎士たちだった。


 クイーンガードのひとりが持っている剣には、鮮血が滴っていた。ヘレイオスの頭は、混乱するばかりだ。


 なぜ、クイーンガードが父親を殺したのか? なぜ、戦利品である壺が割れたことと敵国ターブルロンドが、関係しているのか?


 ヘレイオスは、帯剣に視線をむける。クイーンガードと戦うなど無謀だ。幼少の頃より、剣術は習ってきた。決して、下手ではない。剣を振るえば、師範からもほめられるほどだ。


 でも、クイーンガードは違う。次元が、世界が、刹那の動きからして異なるのだ。


「おやめなさい。ただの壷ひとつで、人死を出すなんてバカバカしいことですよ」


 ヘレイオスは、奇妙なものを見た。朱色の長い髪。頭頂部で不思議な形に結っている。それは、8の字を横にしたようなもの。無限の意味を込めた術式の形だと思い出した。

 

 鋭い目の中で、ルビーのような瞳が暗く光っていた。怖い。あまりにも、作り物なのだ。その造形は。


 黒と赤の上着の下に見える白の衣。この衣装は、見たこともない。すべてが、未知で。やはり恐ろしい。


「アーデルハイト……。余のクイーンガードに何をした。なぜ、動かないのだ。この小童貴族どもは、大魔術の完成を……うぅ……ぐっ。わ、分かった。き、貴族街からの追放っ、こ、これで手打ちとする。どうだろうか?」


 アーデルハイトは、無表情の人形のような面貌で頷く。ゆっくりと、ヘレイオスに近づいてきた。


 クイーンガードたちは、手に握られた剣を地に落として力なく地面に伏す。死んでいるわけではなさそうだ。ただ、無気力になったようすだった。


「……貴方に予言を与えましょう。異界から来る男を頼りなさい。大きな盾を持ち、妖精を連れた者。いいですか? 理解したのなら、あの男が考えを変えないうちにここから立ち去るのです」


 アーデルハイトは、ヘレイオスを一瞥することなく言い終えると馬車の車列のある街道の方へと歩き去った。


 クイーンガードたちは、頭を振りながら立ち上がる。剣を拾い鞘におさめて、ルロワ1世を見つめた。


 ルロワ1世は、ヘレイオスを睨みつける。王笏の杖先を地面に叩きつけて、アーデルハイトの後を追う。


 クイーンガードたちは、割れた壺を回収すると呼吸音すら残さずにヘレイオスを見ることもなく車列に戻る。


 あとに残されたのは、ヘレイオスと父の死体のみだ。


 ゴールデンフロッグドラゴンの断末魔が、響く頃。イストワール国王からオートクレール伯とその嫡子が、放逐されたのだった。



✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 一部の龍族は、魂を自在にあやつる術を持つと言われている。本来は、魂のないものにも憑依することができるのだ。


 驚くべきことは、それだけではない。寿命のない非生物に宿すことができれば、不老不死を得られる。


 過去の事例をあげれば、インテリジェンスソードが有名なところだ。龍鉱石から作られたドラゴンブレイドに龍の魂を宿らせることで、完成する。


 宿らせる龍族の魂によっては、魔王を滅ぼす勇者の剣【星砕きの聖剣】を凌ぐとも伝えられるのだ。


 我々が知るところでは、このような龍族の魂を宿した剣が、二振りある。


 しかしながら、本書は、ユグドーの求道譚である。その旅路には無用の長物だ。


 龍族の姫であったアーデルハイト。ルロワ1世は、龍族に勝って多くの戦利品を手に入れた。それは、イストワール王国に多大な影響を及ぼすことになる。


 まもなくユグドーたちは、古都ジェモーに到着することだろう。


 【見知らぬ大きな出来事編】完。

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