ユグドー、黄金の神域を行く編
ヴォラントの冒険譚に曰く。
ユグドーとディアークが向かうのは、オロル山の麓を隠す広大な森林の入口だ。
様々な種族の生物が、住処としている。黄金の蝦蟇も、神域で暮らしているとされていた。
名前が示す通り、黄金色の油を皮膚から噴き出し、一度付着すると千年は色落ちしないらしい。
近郊の人々は、オロルの金細工師と言い伝えていたようだ。
当時は、森に近づくものはいなかった。
だから、生態系についても詳しいことを理解しているものはいなかったようである。
オロル山も、その森林も、神話期の前である創成期から存在するとされる神域。
ただし、他の神域とは違って禁足地となっていない。
リュンヌ教国は、神域となった場所に防衛と封鎖をするための組織を配置している。
しかしながら、神域の中でも、最も歴史深いオロル山には派兵していない。
そうなれば、冒険者や盗賊団などが「宝探し」のために、オロル山や森林などに侵入を企む。
神話時代の武具やマジックアイテムなどを期待してのことだ。
さらには、創成期のオリジン級の神具を夢見るものもいたのだが……
誰一人として、戻ってきたものはいない。
次第に、侵入するものもいなくなっていったというのが、当時の状況である。
✢✢✢
断末魔の狂騒を吸収するような深い原生林が、小刻みに揺れた。
狼のような魔物が、ディアークの剣に胴を切られて吹き飛ばされたのだ。
「それほど強くは……。ないな」
「色んな場所を見てきたけど。そう。ここは、魔力に満ち溢れてるよ。強い魔物もいそうなのに……」
ディアークは、剣についた魔物の血を手拭で拭き取ると鞘に収めた。
森の奥から涼し気な風が吹いてくる。湿気を含んだような匂い。
「強者による支配下にあるってことかもな。うーん。ボス的な魔物がいて、ソイツが君臨してるから、強い魔物が育たないってことか……。なら、ドラ……」
ディアークは、バッグからオロル森の地図を取り出すと再び歩きはじめた。
目指す場所は、湖畔だ。森の入口から2キロほど歩けば到着するらしい。
そこまでは、人間が切り開いた道があるのだそうだ。かなり昔の話だが。
リュンヌ教国から、神域に選ばれた場所の中でも、唯一「禁足地」に指定されていない。
自由で開かれた場所であるオロル山とその一帯。
しかしながら、今や宝探し目当ての冒険者や盗賊などは決して奥には踏み入らないそうだ。
数え切れない行方不明者たちの声なき叫びが、この地を不可侵にしている。
「イストワール王国にとっては、リテリュス三大深林の一つ。誇りであり、悩みの種だよな~。ここは」
ディアークが、振り向いて片手を上げた。不気味で粗野な獣の声が、頭上から聞こえてくる。
ユグドーは、腰を落として構えた。いつでも、悪魔の力を開放する準備をするために。
「大丈夫だ。ユグドー、今のは、小鳥のさえずりさ。そうだ、アレを聞きながら酒を飲むか?」
ディアークの顔に影がさした。
その頭上を見上げると、人間の体躯ほどある鳥が、山に向けて飛び立っていくのが見える。
「小鳥? 魔物じゃないの?」
「猛禽の一種だろう。古代種かな……。魔物じゃないよ。下手な魔物よりは強いけどな」
「イストワール王国も、何度か調査隊……。いや、調査団を送ったみたいだけどね……。それでも、未開の地になってるんだから察しがつくだろ?」
ディアークは、小高く山の麓を隠す森林を指で差した。
ユグドーたちが目指す湖畔は、オロル森の外れだ。正しく言えば、オロル森ではない。
「あの山には、ドラゴンがいるらしいぞ。奥へと向かった……。あぁ、向かった連中は、ことごとく胃の中だろうな。ドラゴンの……」
ディアークが、黄金の蝦蟇を探すことに反対しなかったのは、生息域の問題だった。
オロル森の奥であれば、無理矢理にでもユグドーに反対したのだそうだ。
ユグドーが、空を、雲を貫く山の山頂を見つめた。あそこに、ドラゴンがいるのだろうか。
「ねぇ、ディアーク。そう。龍とドラゴンって何が違うの? 同じ種族だって聞いたことがあるよ?」
別の生物だとも聞いたことがあるのだが、具体的には分からない。
ユグドーは、長らく旅をしてきたが、ドラゴンも龍族も見たことがないのである。
「うーん。トカゲとヘビだな。ドラゴンは、トカゲのバケモノ。龍は、ヘビが超越した……。限界レベルを越えた存在とされてるな」
「元々、一緒だったらしい。神話の大戦で、転輪聖王リュンヌを選んだのが、龍。忠義という束縛を嫌い、自由を選んだのが、ドラゴンらしい」
「なら、リュンヌ神と敵対した阿修羅王エールデと仲良かったんじゃない? ドラゴン……」
ディアークは、首を横に振る。
ドラゴンの中でも、種族が分かれていて派閥のような関係があると声をひそめた。
異界から来たドラゴンもいるのだそうだ。
リュンヌ教国や一部の大国が行う「大召喚」は、異界人だけでなく、異界生物も呼び出すという。
精霊世界リテリュスにおいて、ドラゴンが単独行動を好むのは大召喚の影響もあると。
ディアークは、教えてくれた。
「このオロル山に巣くうドラゴンは、異界生まれなのか、リテリュス生まれなのか……。いずれにしても、ドラゴンは強い。種によっては、魔王と同格の存在もいるらしい。そういうのは、大抵が異界産だけどな」
ユクドーは、山頂にかかる雲が、ドラゴンのように見えた。
実は、雲に擬態して侵入者を監視しているのではないかと思ったのだ。
なんとなく、先程まで白かった雲が、今は灰色に。重たい鉛のようなものに見えた。
ユグドーの中に眠る悪魔の血が、煮詰められたスープのように音を立てて山頂を見上げるのである。
✢
とても歩きづらい。ユグドーは、靴の裏を確認しながら進む。
前を行くディアークは、黄金色に発光する石を蹴飛ばした。
はじめて目にしたときは「お宝発見!!」と目を輝かせていたのに。
鑑定の結果、なんの価値もない。ただの石の欠片とと分かった瞬間。
これみよがしに底らへんに散らばっているのだから腹を立てているのだろう。足場も悪い。
靴の裏を通して刺激する石の破片に、小さな悲鳴をあげるユグドー。
「これって、黄金の蝦蟇の油かな?」
「どうかな。油を取るためには専用の箱がいるんだけどな……。何かを染めたかったけど、持ち帰れずにあたりにバラ撒いたか、だろうな」
ディアークの口調からは、嫌悪を感じる。靴に汚れが付着してないかを気にしているようだ。
誰かが、黄金の蝦蟇を捕獲したということか。
しかしながら、持ち帰れずに捨てたとすれば……。帰り道に何か起こったのだろう。
せっかく手に入れた貴重な油を捨てなければならないことが……。ユグドーは、拳を握りしめる。
「なあ、ユグドー。黄金が好きな龍族のために……。あぁ、いや……。マリエル夫人のためなのか……。大霊殿を塗装するのが。お前の本当に、やりたいことなのか?」
「そうだけど……」
ディアークは、力なく肩を落とした。きっと、失望しているのだろう。
ユグドーには、その後ろ姿しか見えない。
懐から、ベトフォン家。ノルベールの父親から下賜された金貨を取り出した。
安易な発想だと、ディアークは思っているのだろう。自分でもそう思うのだから。そうに決まっている。
下賜された金貨に報いるため、その思いのための「黄金色の大霊殿」なのだ。
ユグドーには、これ以外に思いつかなかった。
他人から何をされたら嬉しいのか。心から喜んでもらえるのか。
分からないのである。
でも、これだけは自分で理解しなければならない。ユクドーは、金貨を握りしめる。
「……ユグドー。見ろ。アレを……」
不意に立ち止まるディアーク。金貨を見ていたユグドーは、体制を崩して尻もちをついた。
「いたッ、ぇ……。なに?」
ディアークから差し伸べられた手を握って立ち上がった。
ユグドーの眼前に、黄金の胸像が現れた。苦悶の表情を浮かべた黄金は、岩の上に乗っている。
悪趣味だ。でも、芸術とは感性の違いでどうにでも変わるもの。
誰かが、蝦蟇の油で作ったのだろう。持ち帰ることができずに、ここに放置したということか。
「黄金の蝦蟇に襲われたのかもな。ノルベール様の話では、魔物ではない感じだったけど……。いや、俺だって黄金の蝦蟇のことは知ってる。ただの蛙だ。黄金の油を分泌する以外は、な」
「ねぇ、この胸像は作り物じゃないの? ディアークは、これが人間だったって前提で言ってるよね?」
確かに、襲われたとするなら納得の表情である。ここに放置されている理由も納得できる。
しかしながら、ただの蛙にそんなことができるのだろうか。
ディアークの言葉通りだとするならば、黄金の油を他人にかけたのだろうか。
人間を使った芸術。
もはや、芸術などと呼称できないが。そのようなものもあると聞いたことがある。
そういう芸術を求める貴族がいると……
「ユグドー、この先に湖畔がある。どうする?」
ディアークの言葉通り、この道の先にキラキラと光る何かが見える。
目を凝らすと、それが水面だと理解できた。
「……行こう。この像が、人間だったって確定したわけじゃないよね?」
「あぁ、もちろん」
「それなら、行こうよ……」
ディアークは、鞘から剣を抜き取ると「警戒はしておけよ。まぁ、あの奥地。太陽の光がささない場所に入らない限り凶暴な魔物は出ないだろうけどな」と軽く微笑を向ける。
ユグドーは、小さく頷いた。
✢✢✢
ヴォラントの冒険譚に曰く。
ドラゴンとは、異界人のつけた名称だ。
異界から来た人物が、翼の生えた大蜥蜴を見てドラゴンと恐れたという。
それまで、ドラゴンは「
龍族の中でも、束縛を嫌い自由を求める者たちのことだ。
精霊世界リテリュスにおいて、自由を求めることは「堕落」と忌み嫌われている。
これは、全ての種族に言えることだ。
リテリュスに生きるのならば、小さなことでも束縛を受け入れる。
リテリュスに生きるのならば、自らの自由を同族のために使う。
これを基本とする。ただし、その裁量は個人に委ねられるものだが。
人間でいえば、一日に一回だけ自らの自由を他人のために使うことが求められるといった感じである。
しかしながら、貴族は平民のためにこれを使わない。
平民も、親兄弟のためには、自由を捨てるが他人のために捨てるものはいないのである。
立派な言葉だけは残って入るが、形骸化していると言えるだろう。
自己の自由を捨て、他者を助けよ。
神の言葉すら、人間のために作り変える。リュンヌの言葉を書き残した経典ですら書きかえるのだ。
自由を優先し、堕落した人間の姿がここにある。
超越者の言葉は、人にとっては束縛する縄でしかないということなのだ。
【ユクドー、黄金の神域を行く】完。
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