ユグドー、幻影からのあい編

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 私は、貴族ではない。


 父は、異界人。母は、イストワール王国の市民だ。なので、貴族のお遊びについては分からない。


 分からないものは、調べる。


 今回の話を書くにあたって、本をめくったページには、こう書かれていた。


 リンゴを渡すという行為について、と。


 そもそも、リンゴとは果物である。宝石とか魔術の道具でもない。


 それ故に、食べ物を渡しているだけのように思える。しかし、これにも意味があるらしい。


 今もそうだが、貴族とは何かの行動や贈り物に自分の気持ちを込めるというのが好きなのだ。


 リンゴは、血のように真っ赤だ。果実は、芯──実際は、芯ではない──と呼ばれる中心にある。


 そのことから、精霊世界リテリュスの貴族界隈では、愛の象徴とされているらしい。


 それを渡すことは、自らの愛を相手に譲渡するという意味があるのだという。


 私のような市民には、回りくどいとしか感じられないのだが。


 彼らにとっては、大切な豊かさの表現なのである。



✣✣✣



 ユグドーとディアークは、都区長から数時間ほど叱責をされた。


 その日、ディアークは、疲れていて酒場にも寄らずに帰宅したほどだ。


 ディアークは猛省していた。失った仲間とユグドーを重ねたのだろうと思う。


 頭に生まれた言葉を、理性で押さえることができなかったようだ。


 二十年の鬱憤とともに爆発してしまったのではないか。


 ディアークは、過去の記憶から作り出された焦燥感と罪悪感に囚われてしまったのだろう。


 後悔の言葉を、誰に言うでもなく何度も呟いていた。


 ユグドーは、そんなディアークを慰めながら自宅に連れて帰ったのである。


 ディアークは、宿屋ぐらしだったようだ。家族になったんだからと、ユグドーは自宅に招き入れた。


 二人は、特に何かを話すことはない。


 ユグドーが、作った酒樽を改良したお風呂に交互に入った。


 ご飯も食べずに、ベッドの上で、互いを見ることなく天井を見る。


 ディアークは、ユグドー手製の簡易ベッドで、横になっている。まだ、起きているようだ。


(眠れない……。マリエル様。もう、来てくれないのかな。あんなことがあって、僕らは生きているだけでも不思議なんだ。お慈悲だって……。都区長は言ってたっけ。本当に、優しい方だ)


 ユグドーは、何時もなら夕食にマリエル夫人から貰ったリンゴを食べている。


 その日は、食べる気にはならなかった。


 食べ物を手にして、大切にずっと手元に持っておきたいと願ったのは、これがはじめてのことだ。


(このリンゴ、とても温かい。すごく懐かしい感じがするよ。僕は、子供のときにリンゴなんて食べたことないのに。不思議だ)


 窓から差し込んでくる青い柔和な月光が、リンゴの表面を艶めかせた。


 ユグドーは、とても嬉しい気持ちになって笑顔になってしまう。


 マリエル夫人に優しい言葉をかけられるたびに、あの村にいた頃のことを思い出すのだ。


 故郷なのに、悪魔の顔や姿しか覚えていない。


 両親のことも。住んでいた人たちのことも。


 だから、思い出しても分からない。まぶたの裏に浮かぶ人物が誰なのか。


 そして怖くもなる。自分を死地に送った……


「なぁ、ユグドー。いつものことなのか? その……。リンゴ」


 ユグドーは、リンゴを素早く布団の中に隠した。すぐ近くで、横になっているディアークを見る。


「分かりやすいな。変な妄想でもしてたんだろ? で、どうなんだよ。毎日なのか?」


 ディアークの顔には、笑みが浮かんでいた。しかし、まだ、陰影のある表情をしている。


「この5日間くらいかな。すごく美味しいんだ。その、今日もらったものは食べたくないけどね」


「それは、驚いたな。マリエル様は、どういうつもりなんだろうな。腐らせたら、罰が当たるぞ。ユグドー。まぁ、俺が言えた立場じゃないけどね」


 ユグドーは、再びリンゴを取り出した。マリエル夫人の意図を考える。


 ユグドーが、衣食住に困窮する生活を送っていると考えたのではないか。


 または、労働に対する対価。果物なんて、平民階級からすれば高価な食べ物だ。


 十分すぎるほどの価値がある。


 その一方で、ユグドーはディアークの言葉がひっかかった。


 マリエル夫人の行動が、意外なことのように言ったからだ。


「ディアーク。マリエル様が、リンゴを僕にくれたのは、なんでだろう。夕食にしなさいってこと?」


 ディアークは、大きな声で笑った。横になりながら、お腹を押さえて笑う。


「違う、違う。それなら、別のものを渡すさ。リンゴは、デザートだろ? 花言葉みたいなものがあるんだよ。行為そのものに意図を託すというか……。例えば、ハンカチの交換は、友情の誓いとかだな……」


 ディアークは、起き上がった。ユグドーもそれにあわせて起きあがる。


「貴族にとっては、リンゴは愛の象徴だな。心臓の代わりとも言われている。それを渡すのは、愛の告白と同義なんだ。ベトフォン家に嫁ぐほどの大貴族が、知らない訳はない。しかも、かなり本気の愛だ」


 ユグドーは、愛という言葉を聞いて解読不可能な古代語を、見せられたような気持ちになった。


 リリアーヌを助けようとしたあの日。


 ユグドーは、その言葉に出会った。でも、理解できなかったのだ。


 愛という言葉の意味を。


「ディアーク、愛ってなに?」


 ユグドーの声は、少しだけ震えていた。


 リリアーヌを助けられなかった理由。リリアーヌが、ユグドーをかばった理由。


 その両方の理由には、愛が関係していると思われたからだ。


 もし、愛を理解していれば、聖門長の質問にも答えられたのではないか。


 そのように考えを巡らせていくと、愛が万能の力を持つ言葉のように感じられるのだ。


「なぁ、ユグドー。貴族ってのは、愛をもてあそぶ生き物だ。平民のことを興味の対象として観察し、慈悲をかけてみたりしてな。その上で、奪ってみたり。平民の反応を楽しんだりする」


 ディアークは、窓際まで移動した。


 ユグドーも貴族の傲慢さは知っているつもりだ。しかし、すべての貴族が悪とは言えない。


 何故なら、マリエル夫人からは、悪意を感じないのだから。ディアークだってそうである。


 ユグドーと再会したあの日。ディアークは、あえて女性を乱暴に扱ったのだ。


 そもそも、ディアークはいつも一人で飲んでいたらしい。


 ユグドーに失望してもらいたかったのだろう。このことは、酒場のマスターから聞いた話だ。


「マリエル様は、絶対に違うよ。僕にも優しくしてくれた。ディアークだって優しい。すべて悪だって決めつけるのは……。あっ……」


 ユグドーは、聖門長にリリアーヌを助ける理由を問われたときの自分の答えを思い出した。


 リュンヌ教国は、悪だと。すべて悪だと糾弾したのだ。


(だから、僕は負けたのか。視野が狭すぎたんだ。あのとき、聖門長の心を動かすことができなかったから?)


「ユグドー、お前まさか。マリエル様を愛しているっていうのか?」


「ディアーク。愛ってなんなの? 僕には、分からない。それが分かれば、力を手に入れることができる? 誰かを救うことは?」


 ディアークは、首を横に振った。そして、ユグドーの肩に優しく触れる。


「マリエル様にせよ。巫女姫様にせよ。ユグドー、お前とは住む世界が違うんだよ。見ているもの、見えているものが違う。平民とは、絶対に理解しあえない。貴族は、全てを手に入れた存在だ。もう、忘れろ。きっと、お前の横に並んでくれるような愛すべき人間が見つかるよ」


 ディアークは、ユグドーの肩を軽く叩くと就寝の挨拶をして、簡易ベッドに横になった。


(どうして、ディアークは教えてくれないんだろう。もしかして、十二支石と関係があるのかな?)


 ユグドーは、何度も苦しくなる胸を押さえた。起き上がっては、深呼吸をする。


 何故という疑問が、ユグドーの頭の中をもがいていたのである。



 ✣



 大霊殿の掃除は、仕上げの段階に入った。あとは、部屋の中に調度品などを並べるだけだ。


 今日も、マリエル夫人は来ていた。ユグドーは、まともに顔を合わせることができないでいた。


 太陽が朝の挨拶をする時刻。ユグドーは、今日の作業についてディアークと話し合っていた。


 そこに、姿を現したマリエル夫人を見たとき。ユグドーは、リュンヌ神を見たのだ。


 金色の髪と翡翠の瞳は、check寺院で見るリュンヌ神の宗教画に瓜二つであった。


 ユグドーは、風邪を引いたのではないかと思うほど体中が、熱くなってしまう。

 

 喉から声がでない。やっとの思いで、発した言葉もうわずって大きくなる。


 ディアークは、マリエル夫人を見て、ユグドーの変化に納得したようすだった。


 太陽が、大空の玉座に位置して人々を見下ろす頃。ユグドーとディアークは、昼休憩に入った。


「ごめん。ディアーク。僕、外に出られない。マリエル様の顔を見ると、心臓が止まりそうになるんだ」


 ディアークは、ユグドーの顔を見て激しくまばたきをした。


「分かった、分かったよ。そうだな。ユグドーは、13歳のあの頃から、時間が止まったままなんだよな。愛の意味を教えても、無駄だと思ってたんだ。ユグドーが、辛いだけだってな?」


 ディアークは、顔を伏せる。言葉を噛みしめるように発音した。


「そこにいろ。外に出なくていい。マリエル様がいなくなったら、教えてやるよ。辛いだろうけど、大人になるには必要なことだよ。ユグドー」


 一人になった。この数日、懸命に片付けた部屋は、とても広くなっている。


 しかし、今のユグドーには、果てしない荒野のように見えるのであった。


(ここに、隠れていれば。会わなくてすむんだ。顔を見たら、また苦しむことになるし。でも……)


 ユグドーの目的はなんだろう? 逃げることだったのか。


 苦しいことから、逃げ出すことなのだろうか。


 リリアーヌを救うこと、そのために力を得る。それは、逃げていれば、手に入るのだろうか。


 ユグドーは、立ち上がった。


(僕は、愛がなんなのかを知らなければならないんだ。それが、僕に決意と力を与えてくれるはずだ)


 聖門長から言われた。「嘘とごまかし」そして「助けたい理由を言える決意」。


 マリエル夫人へのこの思いと、それにともなう過去の、まぶたの裏の人物。


 その答えが「愛」にはあるはずだ。


 ユグドーは、自らの意思で閉ざしていた扉を開ける。強い日差しが、ユグドーの顔をさした。


 マリエル夫人は、廃材で作った椅子の上に座っていた。


 それは、ユグドーがマリエル夫人のために作ったものだ。


 ユグドーと目が合うと、朝露を浴びた花のような微笑みを見せる。


 ユグドーは、やはり心臓の裏側を刺激する何かに息をのんだ。


「ユグドーさん? どうかしましたの?」


 マリエル夫人は、大きなお腹に手を当てて立ち上がった。


(あのお腹の中には、子供がいるんだ。マリエル様は、もうすぐ、お母さんになるんだ。お母さん……)


 ユグドーにとっては、自分を死地へと追いやった女性と同じだ。


 マリエル夫人と関わるときに、優しくされたときに、まぶたの裏に浮かぶ正体が分かった。


「熱はないようですわ。多分、働きすぎです。あちらで、少し休みませんか。ユグドーが作ってくれた椅子。とても座り心地がいいのですよ」


 マリエル夫人の細い手が、ユグドーの額に当てられた。


 そうだ。この手だ。慈悲を形にしたような手と、その行為。


「僕は、分かった気がします。愛とは、苦しいものだと。頭の片隅にあって、離れないものなんだ」


 すぐ近くに座るディアークは、飲んでいたお茶を吹き出した。


 マリエル夫人は、口元に手を当てて笑っている。とても、華奢で壊れそうな人形のような女性。


 ユグドーは、真剣そのものだ。面白いことを言ったわけでも、冗談でもない。


 自分を死地に追いやった母親の幻影は、もういなくなっていた。


 そして、心の中に動いていた苦しみの感情もなくなっていくことに気がついたのだ。


(凄い。これが、愛の力なんだ。言えてよかった。勇気を出して、自分の気持ちを誤魔化さなくて)


「そうですわね。愛は、苦しいものですもの。あぁ、やっと後顧の憂いなく、この子を産めますわ。わたくしは、ユグドーさんのことをもっと昔に知っていましたの……」


 マリエル夫人は、声を弾ませる。昔、王都メモワールにいた頃だろうか。


 記憶にはない。


 マリエル夫人は、いつものようにリンゴを手渡して、使用人とともに帰っていく。


 ユグドーの手の中のリンゴは、いつもと違う感じがする。


 誰かの柔らかな手の感触。優しい言葉を生み出す口唇のような色艶に似ていた。


 僕は、愛を知ったのだろうか……



✣✣✣



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 イストワール王国における貴族の結婚とは、使命の一つだ。


 それは、上級貴族になればなるほど至上命題になっていく。恋愛という概念はない。


 家名を存続させ、もっと大きくすることが運命。彼らの恋愛感情は、側室や愛人に向けられる。


 その貴族が、男性か女性は無関係だ。愛するものは、妻でも夫でもない。


 使命における結婚と、享楽を貪る愛とは無関係なものなのである。


 現在、私が生きているイストワール王国と、当時のイストワール王国では、価値観が違うのだ。


 それらを元に、ディアークが恐れていたことを推測する。


 ユグドーが、貴族の享楽の道具になることが許せなかったのではないだろうか。


 ファミーリエ傭兵団を失ったディアークは、家族という言葉を盲信していたように思う。


 唯一、生き残った家族。再会を果たした家族。自分を軽蔑せず、手を差し伸べてくれたユグドー。


 その幸せな愛を願っていたと、そう思うのだ。


 【ユグドー、幻影からのあい編】完。

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