ユグドー、太陽を知る編

 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 精霊世界リテリュスは、貴族階級を太陽に例えていた。


 空高く輝き続ける金剛石。平民は、ただ見上げていればいいのだ。


 ユグドーは、ブレ男爵の下男として貴族街で生活をしたことがあった。


 ブレ男爵は、市民街警防軍の司令官である。


 黒曜市事件を解決したユグドーへの返礼だろうと推測する。


 無論、公式記録上は、黒曜市事件を解決したのは、ブレ男爵ということになっているのだが……



✢✢✢



「仕事の内容は、以上だ。それほど辛くはないが、何もさせないわけにはゆかない。君は、当家にとっては、恩人とはいえ素性のわからない平民だからね」


 ブレ男爵は、ユグドーの頭に手を置いた。


 口調からも、ユグドーを冷遇しようとは考えていないのだろう。


 貴族の力の象徴のひとつが、下男下女の数だ。彼らは、平民であることが多く労働に従事させられる。


 貴族街の入り口にあるブレ男爵邸は、決して大きくない。下男下女も片手で数えられる程度であった。


 ブレ男爵の執務室も、どうやら私室との兼用のようで、部屋の奥の方にはベッドが見える。


 調度品もわずかで、全てが木製。絨毯は、薄汚れている。


 壁には、ブレ男爵の自画像がひとつだけ飾られていた。


「キョロキョロと見回して、よほど、珍しいのだな。裏通りには、家自体がないからな。ユグドー、ここは君の家でもある」


 ユグドーは、こんな大きな屋敷が、自分の家になるのかと驚いた。


「本当は、君を子息として迎えたいところだが、当家はね。貴族とは名ばかりの家だ。アレにも兄弟を作ってやりたかったのだがね。まぁ、見かけたら友達になってやってほしい」


 ブレ男爵は、声をたてずに笑った。とても悲しそうであった。


 ユグドーは、なにか言葉をかけたくなった。


 しかし、迎えに来た厳しそうな使用人に連れられて、中庭にある小屋に案内された。



「ここが、お前の部屋だ。旦那様に迷惑を掛けるなよ。朝4時から15時までは、屋敷の掃除をすること。それから、食事をして22時までに就寝」


 使用人は、それだけ言うと忌々しそうにユグドーを一瞥して去って行った。


 ユグドーの家となる小さな小屋の近くには、大きな魔力時計が置いてあった。


 故郷の村にあったのとは、比べ物にならないほど立派で大きな魔力時計である。


 魔力時計は、30までの大針と60までの小針からなっていて、今は16時を示していた。


「ここは、悪霊たちの声が聞こえないな……とても静かだ。太陽かぁ……」


 空に浮かぶ太陽は、まだ勢力を維持している。


 光の筋を四方にバラ撒きながら、ユグドーを見下ろしていた。


 微風に乗って、微かに甘い香りが、鼻を揺らす。ユグドーは、故郷の花畑を思い出した。


 香りのもとをたどると、村の花畑よりも少し大きな花壇を見つけた。


「みんな、元気かなぁ……」


 悪魔はいなくなったが、その心を理解したとして、自分を追放された。


 もう、子どもたちを犠牲にすることもなくなったであろう。


 きっと、奪われることのない家族の幸せを堪能しているのではないか。


 その中に、ユグドーの姿はない。



 ユグドーの労働の日々がはじまった。


 貴族街の中では、小さな方であるにしてもユグドーにとっては、大きな屋敷である。


 玄関からはじまる掃除は、天井裏まで続くのだ。しかも、これで終わりではない。


 今度は、天井裏から玄関へと掃除をしなければならない。


 ブレ男爵に使える古参使用人の許可が、おりるまで繰り返すことになる。


 最初は、何度もやり直しを受けていたが、二日でブレ家の掃除番と呼ばれるまでになった。


 あらゆる調度品は、木製にも関わらず琥珀のように輝きを放った。


 古ぼけた絨毯などは、大貴族の家に敷かれる赤鷲絨毯を思わせるほどである。


 それでも、ユグドーは、一日に一食のみだった。


 仕事の終わる15時に、白米0,4合と野菜が与えられるのだ。


 裏通りでは、白米など食べられないし、ユグドーにとっては贅沢だった。


 22時までは、自由時間だ。屋敷の中には入れないものの、中庭は自由に移動することができた。


 ある日、中庭の小さな東屋で泣いている男の子を見かけた。


 彼が、ブレ男爵の子息であることはすぐに分かった。この屋敷に子供は、二人しかいないからだ。


「やぁ、なにを泣いているんだい?」


 ユグドーに躊躇いはなかった。裏通りで、悪霊たちとの会話になれていたからだ。


 恨みを持ち血の鳴き声を発する彼らに比べれば、なんてことはない。


「君は、父上に雇われた下男だな。僕は、泣いてなんかいないぞ。泣くふりをしていたんだ。今度、学校で劇をやるんだ。主役だぞ。この涙は、その練習なんだ」


 ブレ男爵の子息は、濡れた頬を手のひらで拭いて、尊大な口調で聞いてもいないことを喋った。


「学校で劇をやるの。お客さんは来る?」


 ユグドーは、その言い訳が嘘だと分かった。しかし、貴族は、プライドの塊だと知っていたのだ。


「偉い貴族の人が、いっぱい来るぞ。あのベトフォン家も来るんだ。本当だぞ。ベトフォン家は、お父様を貴族にしてくれ……あっ、なんでもない。とにかくすごい貴族なんだ」


 ユグドーは、ベトフォン家について悪魔からも聞いていた。


 イストワール王国建国時から、国王の右腕を務めている。


 武家の棟梁として、イストワール王国だけでなく、リテリュスの騎士から尊敬される大貴族だ。


 そんな大貴族に、貴族にしてもらうとは、どういうわけなのだろう。


 それは、彼の涙と関係があるのだろうか。


「僕に劇を教えてよ。僕の名前は、ユグドー」


 ユグドーは、悪霊たちと話をするようにして、ブレ男爵の子息に自己紹介をした。


「僕の名前は、ヒューゴ。お前に、劇を教えてやるよ。そうだな、まずは木の役からだ」


 ヒューゴは、立ち上がると澄ました顔でユグドーを見下ろすように、精一杯背伸びをしていた。


 こうして、二人は、知り合いになったのだ。


 はじめこそ、何も語らなかったヒューゴだったが、次第に胸の内を話すようになった。


 悪霊たちと同じように、ヒューゴも悔しい思いを燃えあがらせていたのだ。


 ブレ男爵は、元々は平民であったという。


 ヒューゴの父親は、平民時代にベトフォン家の当主の靴磨きをした。


 そのときに、ベトフォン家の当主に気に入られたらしい。


 ベトフォン家が、持て余していた『男爵位』をヒューゴの父親に与えたのだ。


 反対も予想されたが、武家の棟梁たるベトフォン家の推薦を非難できる貴族はいない。


 その代わり、ブレ男爵の子息であるヒューゴへの風当たりは強かった。


 毎日のように、虐められては泣いていたというのだ。


 夕日の光は、ヒューゴを素直にしたのだろうか。それとも、ユグドーに対する友情からなのか。


 ヒューゴは、目に涙をためながら悔しさを語る。悪霊たちは、泣くが涙を流さない。


 ユグドーは、はじめて涙をまともに見た。それは、まるで宝石のようにキラキラと光彩を放っていた。


「ユグドー、僕は本物の貴族になりたい。君の力を貸してほしい」


 東屋で、隣に座るユグドーの方を向くと、その手を握るヒューゴ。


「僕にできること?」


 ヒューゴは、何度も頷いた。


「本物の貴族になるには、下男を雇うだけでは駄目なんだよ。奴隷が必要なんだ。平民の奴隷が」


 ユグドーは、この屋敷にいる人たちを思い浮かべる。皆、一応に自由を謳歌しているように思える。


 そう、奴隷がいないのだ。


「ユグドー、君は僕の奴隷になってほしい。名前だけだ。僕らは友達だ。それは変わらない」


 ヒューゴは、ユグドーの手を強く握る。その目は、見開かれ、綺麗だった涙も消えていた。


 ユグドーは、悪魔の言葉を思い出した。


 それは、名前の重要性と人間は、約束や契約に奴隷的な思想を結びつけたがるというものだった。


 悪魔の契約は、平等だ。無慈悲なまでに対価を要求するのだという。


 悪魔が対価を要求すると、人間は、目の色を変えて奴隷が主人に逆らったかのように驚くのだ。


 そうして、リュンヌ教国に討伐を依頼する。だから、名前は大切だ。


 人間との約束事には、気をつけろ、そう忠告されたことを思い出したのだ。


「ヒューゴ、僕は奴隷にはならないよ」


 ユグドーは言葉少なに断った。ヒューゴは、ユグドーの手を離した。


「あぁ、そうだね。僕らは友達だ」


 ヒューゴは、小さく息を吐いた。乾いた声で笑い「忘れてほしい」と言った。


 それ以降、奴隷の話はなくなった。


 しかし、ユグドーは、ヒューゴの心のなかに生じた苛立ちを見抜いていた。





 ユグドーが、ブレ男爵に仕えて一年がたった。掃除だけでなく、買い物も彼の仕事になった。


 雑用に思われるだろうが、下男にとっては名誉な仕事だ。


 買い物にはお金が必要だからである。信頼のおける下男でなければできない仕事なのだ。


 外に出るようになって、貴族街の素晴らしさを知った。何もかも宝石のようだ。


 路面は、花崗岩で造られていて、歩くたびに音がなる。


 街中では、いたるところに香がたかれていて花畑の中にいるようだ。


 遠くに見える王城は、赤い主塔が日差しを受けて真っ赤に燃えている。


 イストワール王国の象徴たる赤い鷲の像が、街を見守るように配置されていた。


 しかし、残酷な面も知った。それは、奴隷である。貴族たちは、必ず奴隷を連れていた。


 重い荷物を持たされた奴隷たちは、苦悶の表情を浮かべている。


 苦しみに耐えきれなくなって倒れた奴隷が、鞭で打たれる場面も珍しくはない。


 あるとき、貴族街でヒューゴの姿を見つけた。


 ヒューゴは、たくさんの貴族の子弟たちに囲まれていた。


 遊んでいるのではない。からかわれ、殴られ蹴られたりしているのだ。


 それを止めるものはいない。


 ユグドーは、ヒューゴにブレ男爵家は、元平民だと告白されたことを思い出した。


「やめろ。そんなことをして恥ずかしくないのか。悪魔を否定している人間が、悪魔と同じことをするのか!!」


 ユグドーは、躊躇わずに言った。そして、友を助けるために力を使った。


 相手は、多数。迷いなどない。


 ユグドーが、貴族の子弟たちに向かって手をかざすと、彼らは、動けなくなった。


 しかし、声だけは自由だった。大声で助けを求める貴族の子弟たち。


「な、なんだ。この下男は。悪魔だ。子供のくせに、魔術師の真似を、いやそれ以上のことをしたぞ」


 そこまでだった。ユグドーは、まだ幼い子供だ。悪魔の力を持つとはいえ、長くは使えない。


 駆けつけた貴族の奴隷によって袋叩きに合う。貴族の奴隷は、苦悶の表情から笑顔になっていた。


 彼らは、虐げられる者たちだ。誰かを虐げられるときを待っていたのだろう。


 そこに、主人の許しを得た。


 ユグドーは、駆けつけた騎士たちによって助けられたものの、一連の行為は問題となった。


 その日、ブレ男爵家には、ベトフォン家の当主が訪れた。


 貴族街で、騒ぎを起こした下男を捕らえたと、ブレ男爵に引き渡したのだ。


「ヒューゴ、何があったのだ。ユグドーは何をした?」


 ユグドーは、話すことを禁じられていた。ブレ男爵は、自らの額に手を当てて困惑している。


「ブレ男爵、この下男は、複数の貴族の子弟を魔術のようなものを使って重症を負わせたらしい」


 重症を負ったのは、ユグドーの方だった。しかし、貴族の子弟らは嘘の証言をしたのだ。


「俺としては、ヒューゴの証言を信じるつもりだ。ヒューゴ、何があった?」


 ベトフォン家の当主は、ヒューゴに視線を合わせるかのように座り込んだ。


 とても、話のわかる人物のようだ、とユグドーは思った。


 奴隷たちに袋叩きにされたユグドーを助けたのも、ベトフォン家の騎士団だったのだ。


「何もなかったよ。僕らは遊んでいたんだ。ユグドーが、勘違いをしたんだよ。この痣は、ユグドーにやられたんだ……」


 ヒューゴは、袖をめくって痣を見せる。貴族の子弟たちにやられたものだろう。


 ユグドーの顔を見ずに嘘をついた。


「なんだと!! 恩を仇で返すとはこのことだ。ベトフォン大公、この平民は裁判にかけます。当家の無罪を主張せねばっ!! ヒューゴ、平民から離れろ。何をされるか分からんぞ。誰か、この……」


 ブレ男爵は、怒号を上げてヒューゴの腕を掴んで、自身の後ろに隠した。


「お父様、でも僕は、ユグドーの友達です。だから、許してあげて……僕はいいんだ。もう許してる」


 ユグドーは、それが芝居であることに気づいた。そう、自分に教えてくれた劇の台詞と同じだ。


「ヒューゴよ……」


 ブレ男爵は、ヒューゴを抱きしめる。


「……ブレ男爵。俺は、このユグドーを裁判にかけるつもりはない。相手の貴族には、俺から話をしよう。これは、俺からの提案だ」


 ベトフォン家の当主は、ユグドーを見る。ユグドーも、その目をしっかりと見つめた。


「王都追放にするのはどうか?」


 ベトフォン家が、決めたことに逆らえるものはいない。いたとしても、リュンヌ教国くらいだろう。


 ユグドーは、その日のうちに王都より追い出されたのだった。


「安住の地を見つけろ。君のような瞳を持つものに、この王都は似合わない」


 ベトフォン家の当主は、幼いユグドーに金貨を一枚握らせたのだった。


✢✢✢



 ヴォラントの冒険譚に曰く。


 ユグドーという名前の少年が、王都追放となったことは、当時の記録にも書かれている。


 ただ、このユグドーという少年と放浪者ユグドーが同一人物であるかについては、意見が分かれる。


 しかしだ。放浪者ユグドーの旅の目的は、安住の地を探すことだったとする説がある。


 このことから、ヴォラントは、ユグドー求道譚の中に、このエピソードを入れたのだ。


 そのため、彼による脚色が加えられたのではないかと、イストワール王国の貴族たちは主張する。


 【ユグドー、太陽を知る編】完。

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