第13話

 週末明けの月曜日、高校へ行くのがこんなにも憂鬱なのは久しぶりだった。

 晴翔と喧嘩したのは中2の時以来で、あの時は晴翔が一生懸命謝ってきてくれたから仲直りできた。でも今回は、俺が必死にならないと、多分元の関係に戻ることはできない。


 土日の間、勇気を出して電話しても、晴翔は出てくれなかった。だったらラインだと、誤解を解くための文章を書こうとしたけど、今はする時思い浮かべてるのお前だからなんて、恥ずかしすぎて書けるわけがない。かといって晴翔みたいに、相手の家に押しかけることもできず、今日会った時、学校でもう一度ちゃんと謝ろうと決心したのだ。

 俺は、いつも晴翔と一緒になる一本前の電車に乗って学校へ向かい、先に教室で晴翔を待つことにした。だけど、いざ教室の前まで来ると足が竦む。


「おはよう朱音!」


 と、聞き慣れた声に呼ばれ振り返ると、優樹がいつもの可愛い笑顔を浮かべ立っていた。その笑顔を見て安心しながら、晴翔もこんな風に、何事もなかったように声をかけてきてくれればいいのにと、都合のいいことを夢みてしまう。


「優樹おはよう」 

「今日早いね、てか教室入らないの?」

「あーうん、入る入る」

「どうした?何かあった?」

「いや、休日明けの月曜日ってなんか憂鬱だなって思っちゃって」

「わかる!別に学校嫌なわけじゃないんだけど、行きたくねえなって時あるよね」

「あるある」


 俺はできるだけいつも通りに振る舞い教室に入った。優樹には、晴翔と付き合いだしたことも、俺がゲイであることも伝えてはいない。きっと晴翔が来たら、俺らの雰囲気で喧嘩してることには気づかれてしまうだろうけど、今優樹に余計な心配かけたくなかった。教室にはどんどんクラスメイトが増えてきて、俺は自分の席に座ったまま、教室の扉を眺め晴翔が来るのを待つ。

 結局その日、晴翔が学校に来ることはなかった。



「朱音心配しすぎ、大丈夫だって」

「でも…」


 俺の肩を優しく叩き笑う優樹の言葉を気もそぞろに聞きながら、俺は晴翔の席に目を向ける。今週明けの月曜日から、晴翔は3日連続学校を休んだ。今日明日も来なかったら、一週間丸々欠席になる。その間ラインや電話をしても、晴翔が反応することはなく…


「なんか風邪こじらたけどもう大丈夫だって言ってたぜ。ノート写真撮ってラインで送ったらサンキューって暢気な絵文字の返信きたし」

「…そっか」


 優樹の口から出た晴翔の話に、俺はショックを受けた。俺と晴翔は喧嘩してるんだから仕方ないのに、晴翔が優樹にはいつも通り返信して、俺の事は無視しているのだとわかって余計に辛くなる。


(なんでだよ。本当にこのまま俺から離れていく気かよ)

『さようなら』


 不意に卒業式の日、一切後ろを振り返ることなく去って行った谷口の背中を思い出す。もし晴翔が本気で俺から離れて行ってしまったら、俺は一体どうなってしまうんだろう?


(嫌だ!)


 想像しただけで、泣き出したくなるほど悲痛な叫び声が、自分の奥底から聞こえてくる。


「それより朱音大丈夫?マジで顔色悪いし朱音の方が心配だよ、俺は」

「…ああ、ありがとう、俺は大丈夫」


 なんとか笑みを浮かべ優樹に応えながら、俺は心の中で決意を固めた。


(今日も来なかったら晴翔の家に行こう。それでも会ってくれなかったら、ラインで正直に気持ち伝える。もう、恥ずかしいとか言ってる場合じゃない) 


 ほんの数日晴翔に会えなかっただけで辛くてたまらない。自分の気持ちを素直に認めざるおえない。俺は既に優樹ではなく、晴翔に恋をしている。

 突き放されてようやく気づくなんて馬鹿だ。けど、まだ間に合うと信じたかった。


 

 高校が終わってすぐ、俺はわき目も振らず教室を後にした。駅へと向かう道すがら電話をかけたけど、やっぱり晴翔は出てくれない。仕方なくラインで、今日これからお前の家行くからと送った。

 階段を駆け上がり、改札を抜け駅のプラットホームまで来た時、携帯の着信が鳴っているのに気付く。液晶画面に浮かぶ晴翔の文字を見て、もうすぐ電車が来るのも構わず即座に通話を押した。


「晴翔!!」

「朱音ちゃん」


 だけど、聞こえてきたのは待ち望んでいた晴翔の声ではなく、晴翔のお母さんの声だった。


「あ、お久しぶりです。晴翔は」

「晴翔、家出てちゃって…」

「え?」


 おばさんの声と重なるように電車が入ってきて、後の言葉がかき消される。


「あの、今から電車乗るんで、これから行っていいですか?」

「ありがとう!待ってるわね」


 その返事に安心し、俺は電車に乗り込む。家出てったの後はよく聞こえなかったけど、待ってるということは、おばさんも俺に話があるのかもしれない。付き合ってる相手のお母さんに会うというのは、本来緊張するものなのかもしれないが、晴翔のお母さんには小さな頃からお世話になってるから安心感がある。


(ああでも、おばさんにとっては、俺と晴翔がこのまま別れることになった方がいいのかな。あいつは別に、俺みたいにゲイってわけじゃないし、普通に女と付き合って結婚でもした方が…)


 乗車口の窓から漫然と流れていく見慣れた景色を眺めていたら、余計な考えばかりが頭に浮かんできて、電車の中だというのに、そのまましゃがみ込んで泣きだしたくなった。


『やっぱり俺辛い』


 あの日見た、晴翔の表情が忘れられない。もう一度俺を見つめてほしい。あんな、傷ついた顔じゃなくて、必死に好きだと伝えてくれた時みたいに…

 二人で一緒に過ごしている時、キスする直前の、嬉しさを隠しきれない蕩けそうな笑顔。抱きしめられた時の温もり。熱っぽい声。全部全部、もう一度欲しくてたまらない。ゲイとかゲイじゃないとか、普通がどうとか、そんなのもうどうでもいい。


(早く会いたい、もうこれ以上拒否されたくない)


 頭の中が晴翔でいっぱいになりながら、俺は、少しでも気をぬくと鼻がジンとして涙が溢れてしまいそうになるのを堪えるように唇を噛み締めた。


 


 全力で走って晴翔の住む団地に着きピンポンをすると、おばさんがすぐに出てきて家の中に迎え入れてくれた。


「朱音ちゃん!来てくれてありがとう!!入って入って!」

「あの、晴翔が家出てったっていうのは…」


 靴を脱ぎながら、とにかく晴翔のことをすぐ知りたくて尋ねると、おばさんは大きなため息をつき話し出す。


「全く、私も仕事仕事で晴翔が高校行ってないことに全然気づかなくて。しかもあいつ、親が忙しいからとか言って勝手に学校に欠席連絡してたのよ!昨日の夜留守電に先生から連絡入ってるの気づいて、そりゃもうカンカンに怒って携帯とりあげたんだけど、あいつ、高校なんてやめてやる!って逆切れして出てっちゃって…朱音ちゃんや優樹君のおかげで、晴翔にしては上出来な高校入ってくれたって安心してたんだけどね、やっぱり一人親だと中々難しいのかな…」


 話しながら、おばさんの目が涙ぐんでいることに気づき胸が痛くなる。


「そんなことないです、一人親がどうとか、そういうんじゃ…」

「朱音ちゃんごめん、いきなり不躾なこと聞くけど、晴翔と付き合ってる?」


 と、最後まで言い終わらないうちに、突然ぶつけられた直球の質問に血の気が引いた。


(何?なんで?)


 だけど、動揺する俺を、おばさんはさっきよりもいくらか柔らかい表情で見つめ申し訳なさそうに言葉を続ける。


「その、朱音ちゃんからライン電話かかってきてかけなおす時、ちょっとだけラインの内容見えちゃって…」

「え?」

(ちょっと待って、いや、大丈夫だ、ごめんとか、学校いつまで休むの?とかちゃんと話したいとかしか送ってないよな俺)


 頭は大混乱を起こし、変なこと書いて送らなくてよかったと心底思いながらも、ついつい咎めるようにおばさんを見ると、すまなそうにもう一度謝ってきた。


「本当にごめんね、でもちょこっと見えただけで全然しっかり見てないから!こういうところがダメなのよね、私。

ただ、晴翔が朱音ちゃんと付き合ってるんじゃないかと思ったのはラインじゃなくてさ、晴翔の携帯で朱音ちゃんからの着信とりそびれたらロックかかちゃって、こっちもつい必死で4桁の暗証番号入れてみようとしたわけ。晴翔の誕生日や、もしかして私?なんて思ったりしたんだけど全然ダメで。

そしたらさ、朱音ちゃんの誕生日で解除できたの。ほら、晴翔と朱音ちゃんのお誕生日1ヶ月違いの同じ日にちだったから私もよく覚えてて。なんていうか、我が息子ながら本当にわかりやすいし一途なのよね。そこは旦那じゃなくて私に似てよかったわ」

(マジかよあいつ、恥ずいけどなんか嬉しい)


 晴翔が、俺の誕生日を携帯の暗証番号にしていたことに、面映い気持ちと嬉しさがジワジワと広がっていく。


「だけど朱音ちゃん男の子だし、嫌がってるのにしつこくされてとかだったら悪いじゃない?朱音ちゃんに迷惑かけてないかだけがとにかく心配で…」

「迷惑なんてかけてないです!」


 俺は大声で否定する。迷惑どころか、俺はいつも晴翔に救われていた。嫉妬で谷口に最低なことをした時も、優樹に失恋して八つ当たりした時も、あいつはいつも、そのままの俺を受け入れてくれた。


「本当に?」


 不安げに尋ねられ、深く頷いて見せると、おばさんは心底嬉しそうに表情を緩ませる。


「よかった!私、朱音ちゃんが晴翔無理だったらもう高校は諦めるしかないと思ってたの!お願い!晴翔の事、朱音ちゃんも好きでいてくれるなら、朱音ちゃんが、晴翔に高校辞めないように説得してくれる?

私、あの子にはせっかく頑張って入った高校辞めてほしくないの。学歴なんて関係ないって言ったってさ、やっぱり中卒だと就職の幅も狭まるし苦労することもあるから。私は今の自分の仕事にプライド持ってるし後悔はしてないけど、晴翔にはせめて高校は卒業してほしいのよ」

「…でも」


 晴翔が高校行かなくなった原因は俺だ。説得できる自信などあるはずもなく、だけどおばさんは、大丈夫だと言って俺の手を握る。


「私が言うより絶対朱音ちゃんなの!もうね、本当に馬鹿で単純で真っ直ぐな奴だからわかっちゃうの、てあ!!」


 と、真剣な表情で話していたおばさんが、突然叫んで時計を見やる。


「ごめん朱音ちゃん、私今日夕方出勤でもう出なくちゃいけなくてあいつ私のシフト把握しててさ。着の身着のまま出てったし、どうせ私のいない間一端家戻ってくると思うから、晴翔の説得お願い!朱音ちゃんに図々しいこと頼んじゃって本当にごめんね。でもあまり遅いようならそれ持って家帰っちゃってね」

「あの!」


 俺に晴翔の携帯と財布を強引に渡し、慌てて自宅から出て行こうとするおばさんを、俺は大声をあげ引き止めていた。急いでいるとわかっていたけど、どうしても聞きたくなって、俺は勇気を出して尋ねる。


「俺と晴翔が付き合っててもいいんですか?俺、男だし、結婚もできないし、子どもだって…」


 するとおばさんは、ああと事も無げに笑う。


「別にうち、後継ぎ残さなきゃいけない家じゃないし、正直私は、晴翔が本当に本気で幸せならなんだっていいのよ。ただ、高校辞めるのだけは絶対許さないけどね」


 そう言った後、おばさんは、ごめん急ぐ!と、今度こそすごい勢いで部屋を出て行った。昔から知っているけど、晴翔とおばさんは、パワフルで真っ直ぐなところも、ちょっと強引なところも、親子なだけあってよく似ている。晴翔のお母さんとちゃんと話せたおかげで、晴翔と喧嘩して以来、ずっと寂しくて暗く淀んでいた心が、少しずつ澄み渡っていく。


(でも、やっぱり俺、あいつ説得できる自信ない…)


 一人きりになった晴翔の家のリビングで、俺は、初めて晴翔に、自分が優樹を好きなことを告げ、同時に晴翔に告白された日のことを思い出した。


『そう、だよな、同じ男なのに、やっぱり普通じゃないよな、ごめん、おまえにこんなこと打ち明けて、今言った事は…』

『違う!そんなこと言ってるんじゃねえんだよ!ていうかさ、普通って何?』

『付き合いたいわけじゃないって本音?俺は、朱音のこと好きだって気づいた瞬間から、おまえと付き合いたいって思ったよ。俺は、朱音とキスしたいし触りたいし恋人になって色々したい!優樹じゃなくて、俺を好きになってよ!』


 いきなりキスされて、言いたい放題言ってきて、あの時は、こんなにも晴翔で頭がいっぱいになる未来なんて想像もしていなかった。女ともできるくせに俺に告白してきた晴翔が信じられなくて、しまいには腹が立って、そのくせ、優樹に振り向いてもらえない寂しさを、晴翔で埋めていた。

 あいつの優しさを利用して、自分を好きでいてくれる男に満たされて、甘えて…


(もう一度、あんな風に俺を見て欲しい。好きだって、俺を真っ直ぐ見つめて言って欲しい)


 こんなことを今更望むのは贅沢だろうか?


『早く行けよ!俺これ以上朱音に嫌なこと言いたくないし、無理矢理酷いことも絶対したくない!だから早く出てけ!』


 最後に見た、晴翔の表情と声がフラッシュバックみたいに蘇って、ここで晴翔を待つのが突然怖くてたまらなくなる。晴翔に会いたいのに会いたくない、逃げたいのに逃げたくはない。声を聞きたいのに、その唇から紡がれる言葉が出て行けだったら、俺はきっともう立ち直れない。


 嫌な想像ばかりが頭に浮かんで、自らを抱きしめるように身を屈めようとしたその時、玄関からガチャリと鍵を回す音が聞こえドアが開く。


「朱音?」


 振り返ったその先に、晴翔が立っていた。









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