第9話

「ねえ、朱音って私のどこが好きなの?」

「全部だよ」

「例えば?」

「優しいところとか、可愛いところとか、上げたらきりがないよ」

「いつから?」

「3年生になってからだよ」


 勉強会の日、ファミレスで俺を見上げた谷口の表情が意味深で、俺は、優樹への気持ちがバレたんじゃないかと思った。でも谷口はそのことに触れることは一切なく、代わりに、私のこと好き?と、頻繁に聞いてくるようになった。

 

 男が好きなゲイであることを知られたくない俺は、あの日の失敗を取り繕うように、より一層嘘をつくのが上手くなっていく。そうしていくうちに、罪悪感は益々薄れ、俺の嘘を信じ笑顔を見せる谷口を見て、自分がちゃんとした彼氏を演じられていることに、安堵するようになっていた。


(大丈夫、谷口といるのは中学生の間だけ)


 苦しくなるたびに、まるで呪文のようにそう言い聞かせる自分は、ひどい人間だとわかっていたけど、俺にとっては、優樹と同じ西校に受かり谷口と離れることが、自分を保つための希望だった。


 受験というのは都合がいい。俺は公立が第一志望。谷口は公立から、大学受験にも強い私立の女子校に第一志望を変え、二学期まではまだ少し余裕のあった生徒達も勉強に没頭し始め、冬休みも土日もなくなる。

 まずは単願や併願の私立受験が終わり、一足早く進路が決まった谷口は、純粋に俺の合格を応援してくれて、槙野と合格祈願のお守りを買ってきてくれた。

 俺は、罪悪感から目をそらし続け、とにかく西高に受かることだけに全力で集中し、どうにか無事、合格することができたのだ。




「でもさあ、なんだかんだでみんな志望校受かってよかったよね」


 中学3年、3学期最後のイベントはディズニーランド。社会科見学という名目だが、受験が終わった生徒達に楽しんでほしいという学校の粋な計らいなのだろう。

 

 もうすぐ着ることのなくなる制服で、俺と谷口は、晴翔達と一緒に、ホーンテッドマンションの最後尾で順番待ちをしながら会話に花を咲かせていた。さっきまで、どちらが春翔の隣に座るかで渡辺とジャンケンし、結局負けて松井とになりブーたれていた槙野も、すっかり機嫌が直っている。


「だけどまさか晴翔が西高受かるとはな」

「本当だよね、私も晴翔受かるなら西高第一にしとけばよかった」

「お前ら俺舐めすぎだろ、俺はやるときはやるんだよ」

「えーでもさあ、晴翔なんでそこまで西高こだわったの?中3になったばかりの時は、適当に近いところって言ってたのに」

「そんなの、朱音が行くからに決まってるじゃん」


 渡辺の問いかけに、晴翔はまっすぐ俺を見つめこともなげに応えた。俺は身体が硬直し、ファミレスでの自分の失敗が蘇り、首筋に冷たい汗が滲んでくる。


(なんでそんなこと平気でみんなの前で言えるんだよ。お前は人にどう思われようがいいのかもしれないけど、俺は嫌だ)

「相変わらず男同士で仲良すぎー!」


  槙野達が笑いながら囃し立てているところに、優樹達のグループがワラワラとやってきた。


「おい、リア充組がいるから乗るのやめとこうぜ」


 俺らを見るなり、鶴田は苦い顔でそう吐き捨て立ち去ろうとしたが、俺は、晴翔の発言で生じた変な盛り上がりを振り払いたくて、優樹達に声をかける。


「そんなこと言わずに、せっかく来たんだから乗りなよ。ほら優樹、こっち来いよ、一緒に並ぼう」

「はあ、美少年の余裕だな、そういう優しさが彼女いない男達の心をかえって傷つけるというのに、なあ優樹!」


 鶴田の言葉に腹が立ったけど、優樹はウンウンと深く頷いている。


「なんだよ、優樹まで」

「俺らは他の乗るからいいよ、じゃあね!朱音も晴翔も彼女との時間楽しんで」

「だから彼女じゃねえーっつうの」

「えー!うち晴翔の彼女になりたい」

「私も!」

「俺もあいつらと同じで全然リア充じゃねえ、二人とも晴翔狙いだし」


 優樹達が去った後、松井がポツリとつぶやき、槙野と渡辺が確かにーと言いながら爆笑する。


「ねえ、一ノ瀬と真央もさ、もうすぐ集合時間になっちゃうし、二人きりで周って来なよ、同じ制服でディズニーデートなんて機会滅多にないんだからさ」

「そうだよそうだよ!」


 槙野と渡辺の言葉に、谷口は俺を見上げ、そうしよっかと言ってきた。谷口が乗り気なのに断るなんて選択肢があるはずもなく、俺は頷き、二人で列から抜ける。じゃあと手を振る俺を、晴翔がもの言いたげに見つめてきたけど、俺はわざと気づかないふりをして、晴翔から目を逸らした。


「真央は何乗りたいの?」

「もう一回スモールワールド乗りたいな」


 皆と離れた後尋ねる俺に、谷口が笑顔で答える。


「OK、じゃあ行こう」


 歩きながら谷口の手が俺の手に触れて、俺はすぐに谷口の意図を察しその手を握った。谷口は手を繋ぐのが好きだ。晴翔を好きな槙野や渡辺みたいに、必要以上にくっついたり抱きついてきたりしてこないから、そこは奥ゆかしい子で良かったと思ってる。


「また、今度は二人で来たいなあ」

「そうだね」


 何気ない会話。だけど突然、手を繋いだまま谷口の歩みが止まり、俺は驚き谷口を見る。谷口の顔からはいつの間にか笑顔が消え、ファミレスの時と同じ、探るような瞳で俺を見あげていた。


「本当に?」

「え?」

「本当に、中学卒業してからも、私と一緒にいてくれる?」

『当たり前じゃん』


 いつものように、谷口を安心させる言葉を言えばいいだけ。


(答えろ、笑って返事しろ!)


 なのに言葉が出てこない。まるで、本当はわかっているのだと、全てを見透かしているような谷口の瞳に動揺し、俺は即答することができなかった。


「…いるよ」


  遅れて出てきた声は、自分でも驚くほど頼りなくて、これじゃあ谷口を不安にさせると思ったけど、谷口は、そっかと頷いただけだった。演じることに慣れ、心が麻痺したように感じなくなっていた罪悪感が、今更のように込み上げて苦しくなる。

 繋いだ手を離すまいとするように、恋人繋ぎで絡んだ谷口の指にギュッと力が入った。  俺は、圧縮袋に入れられた毛布みたいに、身体ごと縮んで潰されていくような感覚に囚われて、その手をちゃんと、握り返すことができなかった。



 

 社会科見学も終わり、卒業式まであと3日。本来なら、高校も受かって心も晴れやかなはずなのに、俺の憂鬱は深さを増していた。俺と谷口は、相変わらず晴翔達とグループ交際でもしているように一緒に過ごし、卒業式前、中学生として過ごす最後の日曜日には、わざわざ皆で原宿にまで行った。


 そこで俺と谷口は、カップルのスナップを撮りたいと雑誌に声をかけられ、その事はすぐ学校に広まり、俺達はいつの間にか、五十嵐達のグループ以外からは、理想のカップルと言われるようになっていた。その上、今まで何も言ってこなかった母が、実は結構前から、俺が谷口と付き合っていることを知っていたことがわかった。


『今度彼女うち連れてきなさいよ!』

『え?』

『またまたとぼけちゃって、ママはなんでも知ってるんだから』


(母さんはきっと、俺が女の子と付き合っているって知って安心してる。本当のことなんて言えるわけない)


 俺はいっそのこと、このまま優樹を諦めて、高校生になっても谷口と付き合い続けることが正確なのかもしれないと思うようになっていた。

 高校入ったら彼女を作ると張り切っている優樹が、俺を好きになることは絶対にない。晴翔だって、今は俺を好きだと言っているけど、ゲイではないあいつは、そのうち女を選び結婚するだろう。このまま嘘をつき続ければ、俺は、母も谷口も傷つけることなく、いわゆる、普通の男としての人生を歩むことができる。


 谷口のことは、決して嫌いではない。もっと長く付き合って、本物の恋人同士みたいにキスしたり、抱き合ったりするようになれば、俺も女の子を好きになれるかもしれない。想像だけで、無理だと思いこんでいるだけなのかもしれない。秀樹さんのように、女性を愛し、幸せにできる男になることこそ、この世で生きていくなら正解なのだ。


(やっぱり、谷口と自然消滅を狙うのはやめよう。ちゃんと好きになる努力をしてみよう)


 そう決心した卒業式前日の夜、母が深刻な表情で、俺に話があると1人部屋に入ってきた。中々眠れず、ベッドに寝転び漫画を読んでいた俺は、いつもと違う母の様子に、何事だろうと起き上がり母を見上げる。


「朱音はさ、本当の父親に会いたいと思ったことある?」

「え?」


 母が父について語るのは、あの日、珍しく酩酊するほど飲んで、吐き出すように洩らした時以来初めてだった。写真でしか見たことはないけど、一度くらい、会ってみたい気もする。


『あんたの父さんね、男が好きだったのよ。男が好きなゲイのくせに、私を騙して結婚したの!ほんと!ふざけんなよ!」


 だけど、母の言葉を思い出し、俺は慌てて首を振る。


「別に、特に会いたいとも思わないよ、なんでそんなこと聞くの?」

「実はあなたの父親、別れてからも高い養育費払い続けてくれててね。まあ、それは実の父親なんだから当たり前なんだけど、今回も、一応あなたが高校合格したこと伝えたら、凄いお祝い金くれたの。

秀樹がさ、中々ここまで私の条件全部飲んで支払い続けてくれる人そうそういないって、まあ、罪悪感もあるんでしょうけど…」


 初めて聞く話しに驚愕しながらも、俺は、罪悪感という言葉にギクリとする。母はあの日、俺に言ってしまったことを覚えているのだろうか?一瞬だけ目を伏せ黙った母が、決意するように再び口を開く。


「朱音はさ、今の彼女ちゃんと好き?」


 唐突に放たれた、核心をつく言葉。


「私が彼女のこと言った時、朱音、困ったように笑ったでしょ。その表情見たら思い出しちゃったの、あなたの父親も、時々私の前であんな顔してたなって…」


 息を飲み、何も答えられずにいる俺を真っ直ぐ見つめたまま、母は言葉を続ける。


「私はさ、人間て、生きてれば誰かしら傷つけちゃうものだと思ってるの。

今だから言っちゃうけど、私、秀樹の母親に、バツイチで子持ちの年上女って相当嫌われてたし、あなただって、私が秀樹と結婚した時、やっぱり傷ついたしショックだったでしょ?」


 一時期、母を取られてグレていたことを思い出し、恥ずかしさも相まって戸惑っていると、母は厳しい表情浮かべ俺に言った。


「でもね、それでも私が自分を許せるのは、秀樹も私と同じ気持ちでいてくれたから。私のことも、朱音のことも、本気で大切にしようとしてくれる人だったからなの。お母さんの言ってることわかる?朱音。同じ気持ちじゃないのに、傷つけちゃ悪いからなんて理由で、自分に噓ついて相手に合わせるのは優しさなんかじゃない!ただのエゴよ」


 鋭い刃物で、心が抉られていくような痛みが胸に広がる。母は気づいているのだ。俺が彼女を好きではないことに。俺がゲイであることにまで勘づいているのかはわからない。でも少なくとも、彼女に対して、気持ちがないことはわかっている。


「私が朱音に言いたかったのはそれだけ。

お父さんの事も、彼女とのことも、私や、自分以外の誰かがどうとかじゃなくて、全部自分で、どうしたいのか、どうすべきなのか考えて決めなさい」


 強い口調と裏腹に、ただ項垂れることしかできない俺の頭を優しく撫で、母は部屋を出て行った。


『愛せないなら!最初から愛してるふりなんてするんじゃないわよ!』


 あの日、母が泣き出さんばかりに言った最後の言葉が鮮明に蘇り、自分の罪深さが、今更のように重くのしかかる。母が一番許せなかったのは、きっと父が、男を好きだったということではない。


(俺は谷口に、父が母にしたことと同じことをしてる…)


 気づけば俺は、嗚咽をこぼし泣いていた。母達に聞こえてしまわないよう、ベッドの中に潜り込もうとすると、携帯から通知音が聞こえてくる。見るとそれは、晴翔からのラインだった。


〈明日卒業式の後、谷口とどっか行くの?〉


 なんてタイミングでラインしてくるんだよと思ったけど、俺は、谷口からではなかったことに安心する。


「いや、写真一緒に撮る約束しかしてない」


 そう送ろうとした途端着信音が鳴り、一瞬だけ迷って通話を押した。


「何?」

「すぐ既読になったから、朱音起きてるんだと思って、ていうかどうした?泣いてる?」

「泣いてねえよ」

「嘘だ、絶対泣いてる、今すぐ会いに行っていい?」

「馬鹿じゃねえの?今何時だと思ってるんだよ」

「好きな奴泣いてるの放っとけねえし、時間とか関係ねえよ」

「…」


 どうして晴翔は、こんなにも真っ直ぐなんだろう。どうして、俺みたいな最低な奴、好きでいてくれるんだろう?


「俺、谷口に謝ってちゃんと別れる」


 晴翔の声を聞いた途端、口をついて出てきた言葉。


「それって、俺と付き合ってくれるってこと?」

「ちげーよ!」


 だけど、自分の発言が晴翔を誤解させたことに気づいて、慌てて否定する。


「そうじゃなくて、もう、自分にも他人にも嘘をつくのはやめるってこと」

「…優樹に告白するの?」


 思いがけず優樹の名前が出てきて、俺は、晴翔から見えもしないのに首を振ってこたえた。


「今はまだ、そこまでの勇気はない。あいつ、高校行ったら彼女作るってめちゃくちゃ張り切ってるし…ただ、もう、谷口を利用するのはやめる。どんなに謝っても、許されないと思うけど…」


 言いながら、俺に告白してくれた時の真っ直ぐな瞳や、手を繋いでいる時の、嬉しそうな谷口の笑顔が浮かんできて、また涙が溢れてくる。俺に、泣く資格なんてないのに、傷つけ騙してきたのは、俺の方なのに…。

 晴翔は何も言ってこない。俺が一人泣いている間通話を切りもせず、ただ黙って、携帯ごしにずっと側にいてくれた。


「じゃあな、おやすみ」


 ひとしきり泣いた後、急に恥ずかしくなって、ぶっきらぼうな声が出る。


「明日迎えに行こうか?」

「だからそういうのいらねえっつうの、じゃあな、切るぞ」

「うん、明日」


 晴翔からは切らないとわかっていたから、俺は、なんだか名残惜しいような気持ちを無視して通話を切る。馬鹿みたいに泣いて、また晴翔に甘えてしまった羞恥心がこみ上げてきたけど、晴翔と話す前より、心が軽くなっていることにも気づいていた。


 谷口と晴翔は、真逆のようでよく似ている。俺は卑怯で弱いから、悪者になり嫌われるのが怖い、人と違うと、後ろ指さされるのも怖い。でも、晴翔と谷口は違った。他人にどう思われるかよりも、自分がどうしたいかを選び、純粋に俺への想いを伝えてくれた。だから、どんなに傷つけてしまったとしても、俺は谷口に、ちゃんと別れを告げなくてはいけない。


「ごめん…谷口…」


 小さく呟き、俺は再びベッドの中に潜り込む。明日が来るのが、少しでも先になればなんて性懲りも無く祈りながら、ようやく訪れた眠気に身をまかせるように瞼を閉じた。 










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