第8話
あの日から、谷口と五十嵐の、俺が原因によるトラブルは、クラスどころか全学年の知るところとなり、文化祭の準備中も本番も、俺と谷口は、息が詰まるような心地悪さを感じながら、身を寄せ合うように一緒に過ごした。でも、イベントごとが全て終わってしまえば、中学3年生は進路に向けて勉強勉強の毎日が始まり、皆他人の恋愛沙汰どころではなくなる。
そのうち、あれほど俺に怒りをぶつけてきた倉林や加藤の態度も、谷口が幸せなら仕方ないと軟化していった。だけど谷口は、相変わら女子から陰口を言われ孤立していて、それでも明るく振る舞う彼女への罪悪感から、俺はとにかく優しく、谷口の望むことは全てしてあげようと心がけていた。
谷口が望むデートは、登下校や図書館での勉強を一緒にしたり、時に手を繋ぐくらいの可愛いもので、側から見たら俺達はきっと、ごく普通の中学生カップルに見えていたと思う。俺が谷口にした最低な真実を知っているのは晴翔だけで…
『付き合うってどういうこと?朱音が好きなのは優樹だろ?謝るって付き合うのやめるってことじゃなかったのかよ?』
『そんなことできるわけない!谷口は俺の事好きだったんだ!俺が告白したせいで女子から孤立した。晴翔にはどうせ俺の気持ちなんてわかんねえよ!』
自分勝手理論で晴翔に八つ当たりして、本当にやること全てが最低すぎて自分が嫌になる。でも晴翔は、俺から離れていかなかった。それどころか、晴翔と仲のいい槙野と渡辺に頼んでくれたのか、谷口が目に見えて孤立していると、その2人が谷口に声をかけてくれるようになり、俺と谷口は、自然と晴翔達のグループといることが多くなった。
一見平穏で、少しずついい方向に向かっていっているように見える日常。けど、俺はあの日から全てのが歯車が噛み合わず、心に泥水が溜まって、どこにも吐き出すことができないまま沈殿していくような感覚に苛まれていた。その一番の理由は、優樹。
『いいって、谷口俺より頭いいし彼女と勉強やりなよ、付き合ってる二人の邪魔なんかできないって』
谷口と付き合いだしてから、優樹は必要以上に俺と谷口に遠慮するようになり、一学期まで俺と優樹と晴翔でやっていた勉強会もなくなった。その上、優樹はそんなことないと否定するけど、明らかに俺に対する態度が今までよりよそよそしく、避けられているようにすら感じてしまう。
このままじゃ、本当に優樹と疎遠になってしまうかもしれないという不安と焦燥感に駆られた俺は、二学期末テスト前の金曜日、帰りの会が終わった瞬間、そそくさと帰ろうとする優樹を追いかけ声をかける。
「優樹!」
「何?」
優樹は立ち止まり返事をしながらも、その目は少し泳いでいて、俺から早く離れたがっているように見えた。それが凄く悲しくて、俺は縋るように優樹の手を掴んで言った。
「なあ優樹、明日の土曜日さ、久しぶりに図書館で一緒に勉強しねえ?うち美緒がいるから家だとあんまり集中できなくて」
「え?でもせっかくの休みの日俺とでいいの?谷口…」
「真央は目指してる高校俺と違うから!お願い優樹!明日は俺につき合ってよ」
「なーになーに!男同志でいやらしい話ですか?真央ちゃーん、ちょっとおいでー、あんたの彼氏、中村と浮気してる」
そこに突然槙野が絡んできて、俺は教室で優樹を呼びとめてしまった自分の浅はかさを後悔する。しかもその言葉はある意味図星で、槙野に呼ばれこちらへきた谷口の顔を、俺はまともに見ることができなかった。
「勉強会するの?私らも混ぜてよ、晴翔も行くんでしょ?」
俺の心など素知らぬ顔で、勝手に話を進める槙野が、いつの間に側へ来ていた晴翔にしなだれ掛かるように尋ね、晴翔は当然のように頷く。
「ああ、俺も行く」
「やったやった!じゃあみんなで勉強会しようよ!ね!中村もいいでしょ!ね!」
「…はい」
ギャル系女子槙野の強引さに圧倒されたのか、優樹はたじろいだ表情を浮かべながらも頷いてしまっている。結局明日は、俺と晴翔と優樹に、槙野と谷口が加わり、5人で図書館に集まることになってしまった。
(駄菓子屋に行く日も、自転車で行ってればよかったな。そうすればこんなことにならなかったのに…)
土曜日当日、俺は、重苦しい気持ちを抱えたまま、図書館に向かい自転車を走らせる。久々に優樹と勉強できるのは嬉しいけれど、谷口を交えて校外で会うのはあの駄菓子屋以降初めてで、正直今は不安の方が大きい。
朝からどうにも落ち着かず、待ち合わせ時間の15分前に図書館に着いてしまった俺は、そのまま二階の学習室へ向かった。するとそこに、俺よりも先に来ている優樹見つけて、俺は思わず声を上げる。
「優樹!」
「シー!ここ図書館」
「ごめん」
「いいよ、それより席とっといたけどここでいい?」
あんな強引な誘い方をしたのに、優樹は俺らより早く来てグループ学習用の席を取ってくれていた。3人で集まる時も、優樹は毎回先に来てくれていたけど、まさか今日までやってくれるなんて思わなかった。
「ありがとう!」
「いいよ、俺も家で勉強してると弟達に絡んでこられて鬱陶しいから、別の場所で勉強したくなる朱音の気持ちわかるし。まあ美緒ちゃんは俺の弟たちよりずっと可愛いだろうけど」
優樹の言葉で、俺は、自分が美緒を理由に優樹を誘ったことを今更のように思い出す。本当は美緒がいても、基本的に母や秀樹さんが面倒を見ているから全然大丈夫なのだけど、優樹が、俺のことを考えて誘いに乗ってくれたんだと思ったら嬉しくて、感謝と愛しさが同時にこみ上げてくる。
「やめろやめろその顔!」
「え?」
「眩しい!笑顔が眩しい!」
なぜか顔を紅くし、目をつぶって両手を顔の前で翳す優樹がおかしくて、俺はなんだよそれと言いながら更に笑ってしまう。
「あーあ、俺も早く彼女作らなきゃな」
だけど、次に続いた優樹の発言に、俺はすぐに、自分の顔が引き攣るのを感じた。
「なん…で?」
「なんでってそりゃそうだろ、朱音も晴翔も彼女一緒でさ、俺だけ一人で勉強会参加だぜ、惨めな気持ちになるからおまえも来てくれって鶴田誘ったのに、断る!とか言われるし」
「おい、彼女じゃねえぞ」
と、突然晴翔の声がして振り向くと、晴翔と槙野と谷口が来て、俺らの近くに立っていた。でも、晴翔の否定と裏腹に、槙野が晴翔の腕に自らの腕を絡ませるくっついているので全然説得力がない。
「えー!晴翔ひどいー!彼女も同然じゃん」
「同然じゃねえし」
腕を払われないがしろにされても全くへこたれず晴翔にくっつこうとする槙野のメンタルの強さには、ある意味感心してしまう。晴翔もうざそうにしながらも、本気で切れたりしないのは、なんだかんだで槙野を気に入っているのだろう。
「朱音と優樹君は一緒に来たの?」
「いや」
谷口に聞かれ、つい焦るように首を振る俺に変わり、優樹が応えた。
「違う違う、俺1人で先に来て席とっといたんだよ、3人で勉強してた時もいつもそう。俺1人で席取りして、朱音と晴翔は後から遅くくるだけ」
「え?俺は時間通りに来てたよ、遅いの晴翔だけだろ」
「いや、朱音も遅かった」
「おい!俺が言うならまだしも、なんでいつも最後に来る晴翔が朱音遅かったとかわかんだよ!」
「3人て本当に仲良しなんだね」
優樹が晴翔に突っ込み、 3人でやいのやいのしていたら、谷口が笑顔で言ってきて、俺は、昨日から必要以上に焦っていた自分を恥じた。考えてみれば当たり前だ。俺が優樹を誘ったり、優樹と図書館に先に二人で来てたからといって、それを谷口が怪しいと疑うはずがない。
(馬鹿か俺は、男が男を好きだなんて、普通中々思わねーよ)
そう気づいたら、俺は少しだけ気が楽になった。一生女が好きなフリなんてできない。だけど中学の間だけならきっと大丈夫。俺と谷口は目指している高校が違う。この間進路の話をしている時、谷口は女子校で一番頭のいい公立を目指していることを知った。
『朱音西校なら、私もそこにしようかな』
『いや、そういうのはいいよ。真央折角頭いいんだから、ちゃんと第一志望目指した方がいいと思う』
違う高校へ行けば自然消滅も狙えるが、一緒の高校になってしまったら難しくなる。我ながら最低だと思うけど、俺は中学以降まで、谷口と付き合う気はなかった。でもだからこそ今は、できるだけ谷口を大切にしてあげたい。
「それじゃあ勉強しよっか」
俺はいつものように谷口に笑顔を向け、自分の隣に座るよう促した。
「ったく!二人がうるせえから俺らまで白い目で見られたじゃん」
「えー!私達のせいじゃないし!中村ムカつくー!ね!晴翔!」
「は?俺は違うだろ!どう考えても槙野だけだろうが!」
あれから結局、おとなしく勉強していたのはものの1時間くらいで、俺たちは皆で、いつものファミレスに移動していた。午後から集まったので、お昼時からは外れているが店内はまあまあ混んでいる。
駄菓子屋の時のトラウマがまだある俺は、谷口と優樹を隣り同士にしたくなくて、自分が真ん中になり、谷口と優樹に挟まれて座った。俺達の向かい側には、晴翔と槙野が並んで座っている。
「私やっぱり志望高校晴翔と同じ高校に変えようかな」
「やめろ、うざい」
「えー!なんでよー!晴翔ー!」
倉林達の時も思ったが、槙野の晴翔に対する好き好きアピールも、ここまでくるといっそのこと清々しい。昨日までは、ギャル系女子の槙野に気後れしているようだった優樹も、率直で裏表のない槙野に心許しているようだった。
「いやでもさあ、槙野と谷口が同じ女子高目指してるなんて意外だったな」
「なにそれ?中村失礼じゃない?ギャル系女は成績悪いって思ってたってこと?」
「違うよ!そうじゃなくて、タイプが違うというか!」
うちの中学は基本的にテストの順位を張り出したりしない。それでも、谷口は可愛い上に成績もトップクラスだというのは有名だったが、今日、実は二人が同じ進学塾の同クラスにいて、槙野が毎回学年10位以内に入る秀才であることが判明したのだ。
「私の夢はね、バリバリ稼ぐキャリアウーマンになって、晴翔みたいなガテン系で超イケメンなヒモを飼うことなんだから。君はペット知らないの?晴翔は働きたい時だけ働けばいいからね!」
「おい!誰がペットだよ!ていうか勝手に決めんな!」
二人のやりとりが面白くてつい笑ってしまう俺を見て、晴翔が大きくため息をつく。
「朱音と優樹君と神谷君は3人で同じ高校目指しるんだよね」
谷口に聞かれ、俺と晴翔は頷いたが、優樹は迷うようにうーんと唸った。
「今さあ、正直どうしよっかなって思ってるんだよね」
「え?」
それは初めて聞く話で、俺は驚き、隣に座る優樹の顔を見つめる。谷口と付き合いだしてから、あまり話せなくなっていたから、優樹が進路に迷いだしているなんて全然知らなかった。
「いや、西高の自由な校風に惹かれてはいるんだけどさ、親や先生に、陸上続けるかわからないならもっと上目指せばって言われて、俺自身も色々考えたら…」
「いやだ!俺優樹と一緒に西高行きたい!」
思わず出た言葉は、何も考えずただ自分の願望をわめく駄々っ子みたいで、言った後凄く恥ずかしくなり顔が熱くなる。
「ほら、3年生になってから一緒に勉強して頑張ってきたし、優樹が一緒だとすごく心強いし、勿論、優樹が行きたいところに行くのが一番だとは思ってるんだけどさ…」
とりつくろうように言い訳をする俺を揶揄っているのか、優樹はなぜか、今まで見たことないようなニヤけた顔で笑っている。
「いやあ、朱音にそこまで言われたら西校行くしかねえか」
優樹の言葉にホッとしていたら、不機嫌な声で晴翔が言った。
「んだよ朱音、俺だけじゃ不満なわけ?」
「そういうわけじゃねえよ」
「何これ!一ノ瀬をめぐる三角関係?BL?ちょっとお!うちら蔑ろにしないでよ!ねえ真央」
一瞬ギクリとしたけど、どう見ても冗談めかしたように笑いながら言っている槙野に安心する。だけど、槙野から谷口の方へ視線を移動した俺は狼狽えた。
谷口は一切笑っていない。
「本当に、特に仲がいいんだね、優樹君と」
探るような瞳で俺を見つめ言った谷口の声に、いつもの朗らかさはなく、俺はつい谷口から目をそらし、もう殆ど残っていないドリンクのコップに口をつける。炭酸も抜け、氷だけになったオレンジソーダは、ただ冷たく喉を通り過ぎていくだけで、なんの味もしなかった。
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