第7話
月曜日、俺は学校をずる休みした。自己嫌悪と憂鬱に苛まれて、とても登校できる気分じゃなかったのだ。
(だってさ、まさかOKされると思わねーじゃん。優樹好きだったんじゃなかったのかよ、女ってほんとゲンキンだよな)
自分のやったことを棚に上げ、倉林の言う通り、俺にコロっとおちた谷口を心の中で詰る。
「朱音!ちょっと来て!」
と、そんな鬱鬱とした気分に浸る間もなく母に呼ばれ、俺は自分の部屋から出てリビングへ向かう。中3にもなって、突然学校に行きたくないと言う俺を、母は普通に受け入れた。子どもの頃から学校嫌いで、親に無理矢理行かされるのが嫌でたまらなかった母は、自分の子には絶対そうしないと決めていたらしい。その代わり、買い物に行ってる間、少しでいいから美緒を見ていて欲しいと頼まれていたのだ。
「それじゃあお願いね」
「うん、行ってらっしゃい」
美緒は、母が玄関のドアから出ていっても泣きだすことなく、俺に抱っこされながらご機嫌に手を振る。
二人きりになり初めて知ったが、まだまともに歩けもしないくせに、美緒は動きが活発だった。ティッシュ箱からティッシュをひたすら抜いたり、あーあー言いながらハイハイして、目に付いたものを口の中に入れようとしたりと、片時も目が離せない。でも、俺からしたら意味ないしなぜ?と思うことを全力でやる美緒を見ているうちに、不思議と心が軽くなってきて、自分が悩んでる事がバカらしくなってくる。
(なんかもういいや、明日ちゃんと谷口に謝って、やっぱり受験中だから付き合うのやめようって言おう)
そう決めた後は無心で美緒と遊び続け、2時間後帰ってきた母に、明日は学校へ行くよと告げた。母は俺に何も聞かず、嬉しそうに頷いてくれた。
この時の俺はまだ、自覚していなかったんだ。自分がした事の罪深さを…
「一ノ瀬!!」
次の日の朝、いつもより早く登校し教室に入った俺は、倉林の怒声に迎えられる。
「おまえどういう事だよ!おまえのせいで谷口が…」
俺の胸ぐらを掴み、殴りかからんばかりの勢いで倉林が何か言いかけたその時、珍しく俺より先に来ていた晴翔が倉林を止めた。
「倉林!朱音から手え離せ!」
晴翔を恐れている倉林は素直に引き下がったが、その目は物言いたげに俺を睨んでいる。谷口ファンの倉林が、俺に怒りを覚えるのは仕方ない。けどそれよりも、谷口がの続きが気になって倉林に尋ねようとすると、晴翔が俺の手を掴み強く引っ張った。
「朱音、ちょっと来い!」
倉林だけでなく、晴翔の切羽詰まった様子に、俺は益々不安になる。教室を出る直前、谷口の席を見たけど、まだ谷口は来ていなかった。
(昨日俺が休んでる間、谷口に何があったんだ?)
晴翔が俺を連れてきたのは、あの体育の日と同じ、屋上前の階段の踊り場。晴翔は、人がいないか確認するように周りを見た後、俺の肩を両手で掴み言った。
「朱音は優樹が好きなんだよな?女じゃなくて男が好きなんだよな?」
俺が頷くと、晴翔はホッとしたようにため息をつく。
「ならよかった。俺が聞きたいのはそれだけだから」
晴翔は俺の返事に納得したみたいだけど、俺には訳が分からないし、全然納得できない。
「倉林何か言いかけてたけど、谷口に何かあったの?」
晴翔は、俺が休んでる間にあったことを、詳しく話してくれた。昨日、俺と谷口が付き合っているという噂はクラス中に知れわたっていて、その原因は五十嵐だったのだという。
「五十嵐は朱音が好きだったから、谷口に、朱音と付き合うことになったって聞いてブチ切れたらしい。朱音が谷口好きなのはわかっていたけど、谷口は優樹好きだって言ってたから安心してたのに裏切られたって。
ほら、朱音お菓子くじ引きのジャンケン出たから、あいつら勝手に朱音も谷口が好きなんだって誤解したんだよ。女どもがみんな谷口酷い、五十嵐可哀想みたいになって谷口孤立しちゃってさ。でも自業自得だよな。谷口がまさか、朱音と付き合ってるとか出鱈目言いだす痛い女とは思わなかったぜ」
「違う!」
晴翔の言葉を、俺は大声で否定する。
「谷口は痛い女じゃない、痛いのは俺だ…」
「え?」
「俺、告白したんだ、谷口に…、優樹じゃなくて、俺じゃダメかって…」
晴翔は、今までにないほど大きく目を見開き、ごく単純な疑問の言葉を口にした。
「なんで?」
「嫉妬した…谷口に、優樹と楽しそうに話してるの見て…だから…」
言いながら、自分の痛さと最低さに泣きだしたくなる。
「俺は最低だ…」
自分を罵り俯向く俺に、晴翔が小さく呟く。
「おまえ…そこまで優樹のこと…」
きっと晴翔も、俺に呆れ引いているのだろう。真っ直ぐで正直な晴翔に理解できるはずがない。自分勝手な嫉妬で、好きでもない女に告白してしまうような、醜くて最悪な人間。晴翔の側にいると、歪んだ思考を持つ自分が、余計恥ずかしく思えてくる。
「とにかく、谷口には今日謝るつもりだから!」
俺はそれだけ言うと、逃げるように階段を駆け下り晴翔から離れた。
教室へ戻ると、丁度谷口が席に着くところで、俺は谷口に走り寄り声をかける。
「谷口!」
「あ、一ノ瀬君おはよう」
俺を見るや、嬉しそうに笑顔を浮かべる谷口を見て、心がジクジク痛くなる。
(優樹のことが好きだったくせに、なんでそんな顔するんだよ)
「次の休み時間、話しがある」
「うん」
「あらあら!早速二人でイチャイチャですか?」
「熱いね!」
すると、晴翔の取り巻き女子の一人である槙野と、晴翔とよく連んでいる松井が俺と谷口を囃し立てた。
「やめろおまえら」
そこへ丁度晴翔が遅れて戻ってきて、槙野と松井を咎めるように止める。同時に先生も入ってきて、俺は居た堪れない気持ちのまま自分の席に戻った。
いつも前の席からなんだかんだ言ってくる倉林は、俺の方を振り向かない。毎朝、先生が来る直前まで体を横向きにして谷口と話している五十嵐も、今日はどこか別の場所から谷口の前の席に戻ってきて、谷口とは目を合わせようともしなかった。
(俺のせいだ)
沈んだ気持ちで俯く俺に、出席確認をしていた先生が、今日は来たなと声をかけてくる。仕方なく顔をあげると、一番前の席から、優樹が心配そうに振り向き俺を見ていることに気づく。俺と目があうと、優樹はおはようと口だけ動かし、いつものように微笑んでくれた。好きな子の力は凄い。こんな時ですら、優樹の笑顔は、暗闇に光がさすような安心感を与えてくれる。
(俺が好きなのは、どう足掻いてもやっぱり優樹だ。とにかく谷口には、ちゃんと告白を取り消して謝らなきゃ)
一度は放った言葉は、ノートに書いた字のように、消しゴムで消すことなどできないのに、俺はとにかく、この気持ち悪い状態から早く逃れることしか考えていなかったのだ。
「ごめん」
次の休み時間、俺は谷口を、今朝晴翔といた階段の踊り場へ呼び出した。突然謝る俺を、谷口は驚いた表情で見あげる。
「何が?」
「俺のせいで、谷口五十嵐と喧嘩になっちゃったんだろう?だから…」
「気にしないで」
五十嵐をダシにして、告白を取り消そうとする俺の言葉を遮り、谷口は言った。
「彩とのことは、一ノ瀬君のせいじゃないから」
「でも…」
「私ね、一ノ瀬君に告白された時、ビックリしすぎて言えなかったんだけど、実は私もずっと、一ノ瀬君のこと好きだったの」
「え?」
思いもよらない谷口からの告白に、俺は、罪状を読み上げられた被告人のように青ざめる。
「谷口さんは、優樹のことが好きだったんじゃ…」
愕然としながら発した言葉を、谷口はきっぱりと否定した。
「それは彩が誤解してただけ。違うよって言っても中々信じてもらえなくて…
彩が一ノ瀬君のこと好きなの知っていたし、私も、一ノ瀬君と付き合えるなんて思ってなくて、ただ見てるだけで十分だったから、もういいやってなっちゃってたの。でもやっぱり、一ノ瀬君から告白されたら嬉しくて、彩は大事な友達だけど、断るなんて出来なかった」
心臓が痛い。身体中の血が脳に集まって破裂するんじゃないかというほど、ドクドクと激しい耳鳴りがする。
「なんで?なんで俺のことなんか…」
「一ノ瀬君、一年生で席が隣りになった時、教科書忘れた私に貸してくれたの覚えてる?」
「いや…」
小さく首を振る事しかできない俺を見上げたまま、谷口は言葉を続ける。
「今思えば、すぐ先生に忘れました!って言えばいいだけなのに、その頃の私、ちゃんとしたいい子に見られたいって気持ちが強すぎて、忘れたとか恥ずかしくて言えなかったの。それで、席替えして後ろの方の席になったばかりだったから、隠れるようにバレないようにコソコソしてたら、一ノ瀬君が、谷口さん教科書忘れた?先生に指されたら貸すからねって、小声で言ってくれたんだ。
その時の一ノ瀬君の笑顔が、心から離れなくなって…それからずっと、一ノ瀬君のことが好きだったの」
谷口は、俺が全く覚えていない出来事を大切に抱え、誰にも打ち明けることなく、俺に片思いをしていた。俺は、そんな谷口の想いに気づくことなく、見当違いな嫉妬から谷口に告白し、谷口の抑えていた恋心を解放してしまったのだ。
「なんかごめん、私ばかり沢山話しちゃって、一ノ瀬君の話しって彩とのこと?だったらそれは、一ノ瀬君のせいじゃないから」
そう告げる谷口の頬には、微かに赤みがさしていて、まっすぐ俺を見つめる瞳には、なんで今まで気づかなかったのかと思うほど、強い恋心が滲み出ている。
(駄目だ…言えない、告白は嘘だっただなんて…付き合うのやめようなんて、今更言えるわけない)
「一ノ瀬君、これから私のこと、谷口さんじゃなくて真央って呼んでくれる?。あ、もちろん嫌だったらいいの!」
真っ赤になりながら懸命に話す谷口を見て、俺は決意を固めた。
「わかった。俺も、朱音でいいよ」
俺の返事に、谷口は心底嬉しそうに笑う。
その笑顔はとても可愛いらしいのに、優樹の笑顔のように、俺の心を鷲掴みすることはない。谷口に対して、恋愛感情を抱くこともできない。だけど谷口は、俺のせいで五十嵐と喧嘩になり、クラスの女子から孤立した。それでもいいと思えるほど、俺のことが好きだったのだ。
(せめて中学の間は、俺が谷口の側にいてあげなきゃ…)
次の授業のチャイムが鳴り響き、俺と谷口は、二人並んで針の筵のような教室へ向かう。俺は自分を奮い立たせるように、隣りを歩く谷口の手を握った。
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