第6話
うちの中学は体育祭と文化祭の時期が近い。2学期に入ってすぐ文化祭の係決めはするものの、9月の体育祭が終わるまでは、実行委員以外皆呑気に構えている。それが10月に入るやいなや、途端に忙しなくなるのが常だった。
ホームルームでの話し合いや放課後の集まりも多くなり、俺達のクラスも、縁日をテーマにした教室装飾の準備が始まる。それぞれの班が、ダンボールや模造紙、ガムテープ等を駆使し、出店の屋台に見えるようにするにはどうすればいいかアイデアを出し合う。話が具体的になってくると、今まで目立たなかった奴が実は手先が器用だったり、リーダーシップを発揮しだしたり、クラスの奴らの意外な面が見えてきて面白い。
うちの班の場合、鶴田がまさにそのパターンで、お菓子くじ引きは、見栄えが派手でよくね?という鶴田の一言で千本釣りに決まった。中が見える大きな箱を作って沢山のお菓子を紐で吊るし、外に出ている紐を選んで引っ張ると、何かしらお菓子が当たるというものだ。
クラスで決められたお菓子の予算は三千円。紐は安いビニール紐で沢山用意できるとして、お菓子はハズレも含めて大体二百個くらい用意できればいいんじゃないかという話しになった。
「そんな沢山お菓子用意できるか?」
「駄菓子なら十円とかもザラにあるしなんとかなるんじゃない?」
「俺駄菓子って食べたことねえんだよな」
「嘘でしょ?うまい棒とか知らないの?」
「知らん!」
五十嵐の言葉に、鶴田がなぜか自信満々に首を降ると、谷口が、あの!と声を上げる。
「良かったら私、昔から知ってる駄菓子屋さんに、三千円でどれだけ買えるか交渉してみるよ」
「マジで!そしたら今週の土日には行って、来週明けまでに結果を知らせてくれると有難い!谷口一人だと大変だろうから、優樹も一緒に行ってきてくれ!」
今やすっかりリーダー気取りの鶴田が勝手に優樹を指名し、谷口ファンの男たちからは当然ブーイングが出る。俺も前々から、鶴田が事あるごとに、優樹と谷口二人をペアにしようとするのが気に入らなかった。
「いやだってさ、おまえら谷口目当てなのバレバレなんだもん、そういった意味では優樹が一番安心だろう?俺は週末予定あるし」
「私も土日塾だから、真央と優樹君二人で行って来なよ」
谷口と仲良しの五十嵐も、鶴田と一緒になって、谷口と優樹をくっつけようとしていて正直むかつく。
「でも…」
困っているような谷口に変わり、優樹が言った。
「ああ、あの駄菓子屋さんなら俺も家近いし、谷口行けないなら俺土日別になんにも用事ないから行いけるよ」
鈍感なのかなんなのか、なぜみんなが揉めてるのか全くわかっていない優樹の言葉に、俺はずっこけそうになる。優樹は中学に入ると同時に晴翔と同じ団地から一軒家に引っ越し、その家と谷口の家が近所らしいのだが、今みんなが揉めてるのはそんなことではない。
「てゆうかさ、みんなで行かね?中学3年最後の文化祭なんだから、みんなで休みの日集まるのも楽しいじゃん」
優樹に、谷口と二人きりで休みの日に会って欲しくない俺は、思わず口を挟む。
「私も、せっかくならみんなで行きたい」
俺の提案に谷口をはじめ全員が賛同し、結局、今週の日曜11時に中央公園に集合して皆で駄菓子屋へ行き、終わったらファミレスで昼ごはん食べて解散ということになった。
日曜日当日、なんとなく自転車の気分ではなく歩きで来た俺は、予定より早く公園についてしまう。
(あー、きっとまだ誰も来てないだろうな)
そんな俺の予想は見事に外れ、前々から谷口可愛いを公言している倉林と、あの日熱いジャンケン勝負を繰り広げた、同じく谷口ファンの加藤が、テンション高く先に来て待っていた。
「おはよ」
「おー一ノ瀬!おまえも早く来たか」
「わかるぞ!制服以外の谷口見れるなんて滅多にないもんな」
「俺も朝からソワソワしちゃってさあ」
(早く優樹来ねえかな)
二人が谷口の話で盛り上がってるのを、ぼんやり眺めながら待っていると、倉林が俺に話を振ってくる。
「てか一ノ瀬何スカしてんだよ?おまえもじゃんけん参加したの谷口目当てなんだろう?」
「いや…」
「ほんどだよな、今まで谷口のたの字もなかったのにさ!」
「だから俺は違うって前も言ったじゃん」
「じゃあなんでジャンケン入ってきたんだよ!おまえ勝った途端よっしゃってガッツポーズまでしてたじゃねえか」
「え?」
倉林と加藤に詰め寄られ俺は戸惑った。優樹と一緒の班になりたかったからだなんて、言えるわけがない。
「…お菓子が好きなんだよ」
「はあ?なんだよそれ!だけど一ノ瀬ならそんなこと言っても、女子達は一ノ瀬君可愛い!とかなるんだよなあ、美形は得だよなあ」
「俺らには通用しないけどな」
「でもさ、谷口が中村好きってマジなのかな?」
倉林がポツリと溢した言葉に、俺たちは全員神妙に黙り込む。好きな相手は違えど、谷口と優樹にくっついてほしくない気持ちは3人とも同じだ。だが、そんな空気をぶち破るように、加藤が口を開く。
「ちょっとこれは検証の必要があるかもしれないな。一ノ瀬!お前谷口に告白してみろ!認めたくはないが、谷口親衛隊の中で一番の美形はおまえだ!そんなおまえの告白も断ったら、谷口は本当にイケメン嫌いで、地味メン中村が好きということになる!」
「はあ?」
加藤の暴論に、俺は心底呆れた声をだしてしまった。俺は谷口親衛隊じゃねえし、優樹は地味メンじゃねえ!可愛いんだよ!と言ってやりたかったが、そこはぐっと抑え、嫌だしとだけ返事をする。すると倉林が、俺の返事に同調するように頷いた。
「俺も一ノ瀬に告白させるのは反対だ加藤。谷口がもし本当に中村が好きだったとしても、一ノ瀬ほどの美少年に告白されたらさすがにコロっとおちてしまうかもしれない。そんなことになったら俺達は、谷口が誰のものでもないという喜びすら糧にすることができなくなる。
中村は奥手そうだし、谷口も自分から告白するタイプにも見えねえし、ここは二人が付き合はないよう細心の注意をはらって見守ってこうぜ!」
何を最もらしく語ってるんだ?と思ってしまうが、倉林も加藤も至って真剣だ。
「確かにそうだな、一ノ瀬も嫌だしと言ったからには絶対に抜け駆けして告白すんなよ」
「だからしねえっつうの!」
勝手なことばかり言う二人に、もっと遅く来れば良かったと後悔していると、倉林があっ!と突然声をあげる。倉林の視線の先に顔を向けると、そこには、肩を並べで二人で歩いてくる優樹と谷口の姿があった。優樹は俺らを見つけるや手を振り近づいてくる。
ジーンズと薄手のシャツに、パーカーを羽織っただけの優樹の格好は相変わらずで、冬なのに寒くないのかな?と心配になってしまうが、俺は優樹の、小学生の頃から色気づくことのない身軽な普段着姿も好きだった。けど今日は隣に、更に小柄な谷口が立っているからか、いつもの優樹より少し大人っぽく見えて胸が軋む。
「みんな早いね」
俺達の刺々しい雰囲気に気づいていない優樹に、倉林が悪態をついた。
「早いねじゃねえんだよ、なんでおまえ谷口と一緒に来てるんだよ!」
「そうだそうだ!ふざけんな!」
「はあ?なんなんだよお前らは!」
俺は、当たり前のように怒りを態度に出せる倉林と加藤が少し羨ましかった。だって俺には、好きな子に好きだとアピールすることも、嫉妬する素振りすらみせることはできない。俺がそれをしたら、クラスでの平和な日常を失ってしまう。どんなに優樹が好きでも、やっぱり俺は、自分が普通というカテゴリーから外れている事を、晴翔以外の友達や優樹に知られるのは怖かった。
「ところで鶴田と五十嵐は?」
だからせめて、倉林と加藤の口撃から優樹を助けようと、俺は話を変える。
「鶴田は今日アニメのイベントがあるとかで来れないって」
「彩は今日朝から塾の補習だって、もしかしたらお昼には合流できるかもしれないって言ってた」
てっきり五十嵐も鶴田も、優樹と谷口をくっつけるために用事があるふりをしているのだと思っていたけど、どうやら違ったみたいだ。とりあえず全員集合ということで、俺たちはそのまま駄菓子屋へ向かった。
「あのおじさんメッチャ気前よかったな。千円分もお菓子オマケしてくれたし、結構豪華な千本釣になりそうじゃん」
無事交渉が終わりファミレスに来た俺達は、ランチを食べ終え、ドリンクバーを飲みながらウダウダと話している。加藤の言うように、駄菓子屋の主人は、文化祭かあ、青春だねーと言いながら色々融通をきかせてくれた。
「あの駄菓子屋さんはおじさんが趣味でやっているみたい」
「ああ、金持ちの道楽か、だったらあれくらいおまけして当然だな。でも谷口のおかげで助かったよ、な!」
「ああ!さすが谷口!」
それにしても、さっきから倉林と加藤の谷口への態度があからさますぎてしまいには笑えてくる。五十嵐からは先程、塾の友達とマックに行ってそのまま午後も補習と連絡があったようだが、そりゃ五十嵐だって、こんな谷口目当ての男達だらけのところになんて来たくないだろう。
「本当に、谷口のおかげだよな」
でも優樹が、倉林と加藤に同意した途端、俺の心は騒ついた。
「私だけじゃないよ、みんなが一緒に行ってくれたから凄く心強かったんだ、今日は本当にありがとうね」
倉林と加藤の言葉は聞き流してるように見えた谷口が、優樹には笑顔で応え礼を言う。優樹はイヤイヤと戯けたように首を振り、谷口に向かって頭を下げた。谷口も優樹と同じように頭を下げ、同じタイミングで顔を上げて二人で笑い合う。
さっきからずっと、俺の向かいに座る優樹と谷口のやり取りが気になって仕方ない。2人が少しでも仲良さげに話していると、抑えられない嫉妬に苛まれる。
「そろそろ帰らね?」
気づいたら、自分でも驚くほど不機嫌な声でそう言っていた。
「いや、俺ら受験生だしさ」
全員が俺に注目し、バツが悪くなった俺は、本音とは違うそれらしい理由で言い訳する。すると優樹が、俺をフォローするように、朱音の言う通りだと頷いてくれた。
「俺ら受験生だし帰って勉強しようぜ!」
「えー!!」
「私もそろそろ帰らなきゃ」
不満そうだった倉林と加藤も、谷口の言葉には素直に引き下がる。
会計を1人1人済ませ、俺達はファミレスの前でなんとなく輪になった。倉林と加藤が、谷口をみんなで送ろうぜと言い出したけど、そんな二人の申し出を、谷口はキッパリと断る。
「いらないよ、まだ明るいし、それじゃあみんなありがとう、また明日ね!」
倉林達は名残り惜しげに自転車で去っていき、計らずも、今日歩きで来た俺と優樹と谷口は、途中まで三人で帰ることになった。俺はなるべく何食わぬ感じで、朝からずっと気になっていたことを聞いてみる。
「朝二人一緒に来たの?」
「違う違う、俺ら家近所だからたまたま朝会ったんだよ」
優樹の返事にホッとしていたら、優樹が興奮したように話しだした。
「そう!あと俺ビックリしたんだけどさ!朱音、俺が小3まで親に無理矢理ピアノ習わされてたの覚えてる?そしたらさ、なんと谷口もその先生に習ってたんだよね!」
「うん。発表会で会ったりしてたのに、優樹君全然私のこと覚えてないんだもん」
「いや俺、先生が鬼のように怖かったことしか覚えてなかったからさ、そういや谷口はまだピアノ続けてるの?」
「ううん、中学生になって辞めちゃった」
「えー!あんなうまかったのに!勿体ない!」
「優樹君私のこと覚えてなかったでしょ?」
「いや、俺さっき話してて思い出したんだよ!小3でエリーゼのために弾いてたよね?」
「それ本当に私かな?」
「本当だよ!ピンクのドレス着てただろう?」
「そうだっけ?覚えてないなあ」
「なんだよもう」
一緒に来たんじゃないことは分かったけど、俺の知らない話で盛り上がる二人に、俺は、母親と秀樹さんが、仲睦まじく話している時にも似た疎外感を感じた。だけど、優樹と谷口に対するそれは、もっとずっと痛くて、ドロドロしていて…
(いいよな、谷口みたいな女は。きっと好きな奴に好きとも言えない苦しさなんて、一生味わうことなんてないんだろうな)
女になりたいと思ったことはない。なのに俺は、告白でもすれば、きっと簡単に優樹に受け入れられるだろう谷口に、渦巻くような暗い感情を抱く。とその時、突然携帯の電子音が鳴り響き、二人の会話が途切れた。音は優樹の携帯からで、優樹は母さんだと言いながら電話にでる。
「もしもし、何?うん、今から帰るとこ。えー嫌だよ。もっと早くラインしてくればよかったじゃん!えー、後で自分で行けばいいじゃん、うん、うん、はいはいわかったよ」
携帯を切った後、優樹は俺と谷口を見て言った。
「ちょっと俺またファミレス戻るわ」
「え?」
「母親が、ママ友とランチした時ストール忘れて預かってもらってたんだって、ったく、行く時言ってくれればよかったのにさ、じゃあまたね!」
俺達に手を振り、優樹はあっさりと俺に背を向け今来た道を走り去って行く。
(せっかく勉強会以外で休日優樹と会えたのに…でも、このまま谷口も一緒に3人で帰るよりは良かったのかもしれない)
優樹の姿が見えなくなり、複雑な心境で小さくため息をついていると、谷口が恐る恐るというように俺に話しかけてきた。
「なんか今日はごめんね、休日なのに来てもらっちゃって」
「いや、俺もみんなで行きたかったし」
「なら良かった、なんか今日一ノ瀬君元気ない感じだったから」
(優樹がおまえとばかり楽しそうに話してたからだよ!)
八つ当たりじみた言葉が喉元まで込み上げてきたけど、俺は無理矢理喉の奥に流し込む。谷口は、そんな俺の感情などお構いなしに話続ける。
「一ノ瀬君と優樹君て仲良しなんだよね、優樹君が、一ノ瀬君と神谷君とは幼稚園からの幼馴染なんだって言ってた。なんかいいよね、そういうのって」
(中村君じゃなくて、優樹君なんだ…)
優樹と谷口がどこまで仲良いのかはわからない。でも少なくとも谷口は優樹を名前で呼び、優樹が谷口に、俺らが幼馴染であることを話しているのはわかった。俺は黙って頷き、目の前にいる谷口をまじまじと観察する。アイドルグループにいてもおかしくない愛らしい顔、男の細身とはまた違う、女特有の小柄で華奢な体、コートごしでも分かる、柔らかく膨らんだ胸の曲線。
俺と谷口が並んでいたら、世の中の男はほとんど全員谷口を選ぶだろう。晴翔が特別変わっているだけで、ゲイではない優樹が俺を選ぶことは絶対にない。
『ごめん、今日は谷口と二人きりで勉強したいから、これからは3人の勉強会なしにしてもらえる?』
俺なんてそっちのけで谷口と話す優樹の姿を見た後だからか、前にした妄想上の優樹の声が、余計リアルに聞こえてくる。
(嫌だ!そんなの)
「谷口さんてさ、優樹のこと好きなの?」
「え?」
俺は、自分でもコントロールできない衝動に突き動かされるように言葉を発していた。
『谷口がもし本当に中村が好きだったとしても、一ノ瀬ほどの美少年に告白されたらさすがにコロっとおちるかもしれない』
何を言おうかなんて決めていなかったのに、不意に倉林の言葉が脳裏を掠める。
「俺じゃダメ?」
(優樹を俺から奪うな!だったらいっそのこと俺に堕ちろ!)
心の叫びをひた隠し、俺は、谷口をじっと見つめ、縋るように告白していた。内側から込み上げてくる毒気に自らハマり、堕ちているのは自分の方だと気づかないまま…
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