使わない力

その力が終わろうとしているなら、それが額面通りだとするなら、このメルギトゥールの娘が先に言った血を残さずに終えると云うことも、或いは悲愴とばかりにはならずに済むような日があるのかもしれない。

しかし無くなりゆくのが力だとしても、それが血によって受け継がれゆくことを叶わなくさせるだけでなく、無くなるそのことが仮にこれまで及んだ先の結実にまで何か触れてゆくようなことがもしあるのならば、連想は娘一人の悲愴云々どころでは収まらなくなる、この世界の何処であろうがそれは同じ力の糸の先であることには変わりはない、絶えず怯える者たちはそれ無しには生きられないことを一瞬でも忘れようとしている、終わった訳ではないものの無道の限りを尽くしたかの大騒動をたとえ生き抜いた者であっても、そのことだけは逃れようの無い因子であることを忘れることはできない。

どの生と死にも意思がある、無くなるとき、そして生ずるとき、全てに御意思と祝福の祈りはあるのであり、なければならない、もしも無いとすればそれは変容と云うことであり、つまりは庇護の無い存在と化したことを意味する。

「マルゴーのお母さんが正しいと云うのは、あなた自分で考えたことじゃないの」

「そうなのかな」

「さっきまで違うように言ってたと思うけど」

「そうか、ならそうなのか、僕が自分で考えたことになるのか」

「正しいと云うのはその契約をけして行わなかった判断を指してるんだね」

ルーメンの興味は常に具体的である。

「そう、だね」

「さっきも少しは聞いたけれど、君はどこまでそれを知ってるんだい」

「どこまでって言ってもね、見た訳でもないから」

ミドラーシュは目を小さくしている。

「聞いたんだろう、ノームって人から、君はあまり信用してはいないようだったけれど」

「うんーーー 」

「もちろんマルゴーさん本人に会ったことが君の結論を回りくどくさせなかった一番の理由だろうし、僕もそれを支持するけれどーーー 正直に言ってそのノームって人の話しには惹かれるものを感じるのだけれど」

マルガリータを気にしながらルーメンは収まりきらない心の丈を白状するように言った。

「契約のことかい」

「けして限りはしないけれど」

溢れるものを全力で抑えているのが見えているルーメンを寧ろ楽し気に見ながらマルガリータは何も言わずに聞いていた。

「そうだねーーー 」

そう言って少し考えてから、一度だけ時無しとマルゴーの方へ目をやると、ミドラーシュは話し始めた。

「契約の儀式を受けた者はその方法をけして口にはしないそうさ、糸なるものとの間にそう云う契りがあるのだろう、もし反故にすれば糸を解かれておしまいだろうから堅持は容易い、でも仮に方法が分かったところで仕組みの果てまでを理解出来るとは思えないし、おそらくその真実に近寄れる訳じゃない、だけど言えるのは、少なくとも肉体の死滅した後の概念的な存在の繰り返しとは違うと云うこと、確かにあらゆるものの超越的な要素は存在するし、余程そっちの方が魔術らしいと云うものではあるけれどやはり違う、恐らくはまだ腹わたが生きている限りにおいてそれを本能的に活性させると云うことの方が近いのではないかな、人間には生涯使うことのないそれぞれの血肉に内在している力があると云うからね、何故そんなものを用意されたのか、もしその為だとするなら御意思と云うことにもなるけれど、それはどうもね、でも差し込む隙間があったとしてもそれは余白としていくらでも残せばよいことさ、でももしか用意されたのなら、それはいつか使う場面の想定があると云うことになるんだ」

「生涯使わない力、そんなものが私たちにあるの」

マルガリータはルーメンを追い越すように訊いた。

「その事実を見たことがあるかないかと訊かれれば、それがその実体に当たるかどうかは分からないけれど無いとは言えない、何故なら契約者とは人間だからね、糸の力を得ているとは言え、人間の何倍も生き続けて、人によっては特別な力も持っていると云うからーーー それに、人としては本当はその使わない力の方が遥かに領域を占めているとも云われるくらいなんだ、契約とはそこの部分に期待して恐らくそれのほんの一部を起動させると云うべきかな、だから仕上がるものには自ずと個体差が生じる筈さ、契約したからと云っても少々は生き延びこそしても、またすぐ同じ疾病に冒される者から、多分まるで別物に変化してしまう者までね、分かるだろう、ただの延命と云うものじゃない、外からの一定の衝撃で蘇生させるのともまったく訳が違う、さっき言ったように施すのは対象が生きている間が勝負だろう、何が何にどんなシグナルを送るのかは分からないし分かったところで誰も真似は出来ない、仕組みと言ったけど、君たちも僕らも、生の仕組みそのものは同じさ、寿命の違いもそれを維持している素となるものの進化の問題で、契約とはどうやらそこまで及ぶ力のようだけど、同時にどんなものでも生まれた以上は致命に関わるものが順次増して行くのもまた同じことだよ、でも何故かマルゴーのような直系のみが意図的にそこのところに関わることの出来る力を持っている、それはこの地上だけでなく仕組みを同じくするもの全てに於いて途方も無く特別な性質のことなんだ、素材を元々持っているのは人間の方だとしてもそれを呼び覚ましてやれる力があると云うことがね、それがどこまでなのかは恐らく人間側次第なんだろうけど、何せ永遠とも云われる直系さ、正直言って僕は、メルギトゥールはその中に於いても更に特別だと勝手に思ってるんだ」

「永遠――― まさかーーー 永遠なの、私――― 」

まるで忘れていた気懸りを今突き付けられたかのようにマルゴーは頭を振り上げるようにしてミドラーシュに言った。

上気したような、怯え切ったようなマルゴーの顔を見てミドラーシュも慄いた。

「――― あ、ありっこないよそんなことーーー 死があるから生きることの尊さがあると云うものだろう、僕が言うと安っぽくなるけど、死なないなら生まれる意味が変わっちゃうじゃないか、きっとそんなふうには造られていないはずさーーー 」

マルゴーがその言葉に過剰に反応した理由そのものはミドラーシュには判然としなかった、なら何故あり得ないなどと反覆したのか、それは偏にマルゴーのその顔を覆いつくす恐怖を見たからだった、死を前にしてそれに潔い者などある訳はない、どんな者でも死に比べて生ほど望むものはない、にも拘らずその顔は絶望の気配を纏っていた。

「マルゴーーー 」

別の名前で呼ばれた時の、全身の力を奪うような狼狽えを遥かに凌ぐような、まさかまだこれほどの仕打ちに追われるかと知らされたようなそのマルゴーの顔にマルガリータも動けないほどだった。

明らかに永遠に生きることへの恐怖に塗れている者、もっと生きたいと願うのが道理と云うものである筈なのに、その者は完全にそれを拒絶し、呪っていた。

ミドラーシュはマルゴーの言った「死ねればそれでいい」を思い出し、何か言わねばならないと焦るような気持ちになった。

「――― ほんの僅かに残された命なんだ、その火の今まさに消えかけている子を抱いた母親が、まだ間に合うからと狂ったように迫るのさーーー 分かるかい、それを君の母親は断固と退けるんだ、すごいよ、本当に凄い、道理に立ちはだかる不条理ってことにはなるけど、その実、不条理がことわりを死守する砦なんだからね、僕が気になっていたのはその発露さ、間違おうとする者を止めるのは何なのか、それが君と会って少し理解が進んだ気がしてるんだ」

ビダが脇に置いて行ったシーツを女にそっと掛けるとマルゴーは自失したような顔から考えるような顔になった。

「だったら、死なせるなんて、もう言わないでしょう」

「ああそうだね、でもその時はそうだっだから、理屈抜きにそう思ってたのさ、事実生かせられるのを生かさない選択をするのだからね」

「ほんと人聞きの悪い言い方ね、誰だって思うところがあってしたくないことくらいあるでしょう、それにその理由を聞きたがるなんてちょっと趣味が悪すぎるわよ」

マルゴーの代わりのように、辛抱堪らずマルガリータが言った。

「理解は理解、進めばまた更に疑問が生まれるものさ」

そちらへは眼も向けず、小さく呟くように少女は応えた。

「お母さんはいつも癒してあげようとしてたわ、放っておいたりなんかしなかった、確かにとても怒ってる人もいた記憶もあるけれど、それは癒し切れない時もあったからで、私だって今同じ―――」

「この地上に万能なものなんて置かれている筈がない、実施者と云うものには仕損じだって付き物だしね、けど出来なかったのではなく、しなかったと云うことに強烈に惹きつけられるのさ、人間が単独で君の家に辿り着ける筈はない、たとえ見えていても近づけない筈さ、訪ねるには少なくとも契約者の導きがないとね、であるなら当然そのことを知らされ切望した上での訪問だったはずだろう、生まれた人間の児の無事に育つ確率はけして高くはない、いくら身分の高い者が実のある医者に頼ったって助からないものは助からない、ならたとえ違う属性の血に頼る児となったとしてもそれに最後の望みを懸ける母親だっているだろうさ、ところがそんな一縷の望みを前にしても決してぶれない、恐らくはいくらお金を積まれたってその誘惑に見向きもしないんだよ、そのたった一回の行いだけで、それきりだけでいいんだ、それだけで楽に暮らせる、それもしない、気になるなんてもんじゃないさ、その意思には何かしら畏敬さえ持つくらいなんだ、だけど向き合った者はそうはいかない、まるで処刑人にしか見えなかったろう、だってそうじゃないか、しなければ死ぬのが知れていれば、出来るのにしなかったことは死なせることを良しとしたと云うことにならないかい――― だからそう言うのさーーー 我が子を死なす意思を聞かせられた母親が目の前にいるんだ、小さかったとは云え君が何度か目の当たりにしたその場面は、とても怒ってるなんて言葉だけで表せるような印象の場面ではなかったと思うけどね」

「―――――― 」

「見た目がそんなでなかったら引っぱたいてるところよ、もういい加減にしなさい」

眉を重たく下げてマルガリータは低く言った。

「またそんな言い方してしまったけど、何処かの誰かの話ではなく、あのメルギトゥールの娘を前にして湧き出す感想だけはやっぱり止められないよ、なにせ特別とはこの親子のことだからね」

「だから永遠なのーーー あなたになら分かるんでしょう、それならどうしてーーー どうして、お母さんはいなくなってしまったの、私をあんな森に独り置き去りにするような人である筈がない、そんな特別な力を持っていたのなら誰も私の処へ戻るのを止められる訳がない筈でしょう、でも、戻っては来なかった、だからいつとはなく亡くなったんだと思うことにしたの、その永遠と云うのもきっと無事ならってことでしょう、何かそうでないことが降りかかればいくら永遠と云ったって終わるってことよ」

一言一言噛み締めるように、問いただすように、希うようにマルゴーは言った。

「メルギトゥールのあれからのことは誰も知らない、ノームだっていろいろは言っても結局は分からないのだろうし、何より今はもうそのことについては何も言わなくなってる、それが心底分からない証拠みたいなものさ、あいつらは見るだけでなく感じもするんだ、それでも分からない、と云うことはやはりもう居ないと云うことかもしれないし、そう考えるのが自然さ」

これだけ通ずる相手に打ち明けたと云うことは、受け入れて時間も経過しているとは云え、どんな期待も残していないという訳ではない、唇を嚙むような気持のマルゴーは、永遠ではないとは言っても、そう思ってはいてもミドラーシュのその言い方だけではこの話を終えられなかった。

「お母さんの母親も同じ名前を継いでいた、私は会ったことも無いけれど、お母さんも殆ど暮らしたことはないようだったし、おそらく私がお母さんと暮らした程にも一緒にはいなかったみたいだった、このことには何か理由があるような気がする、訊きたい気にもなったことがあるけれどやはり訊けなかった」

マルゴーはそのことについて一度だけ母親の言った言葉を思い出していた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る