目的の順番

娘の方に会うつもりだったと云うことは、その名を教えられるまでもなく存在を知っていたとすべきであり、それなら連れて行くことは交換条件ではなかったことになる、おそらくはまたすぐに行けることも、止めた言葉の嘘も知っていたのだろう、それでも時無しは口汚く言い立てた者を事もなく連れ出した、それはそうすることを選んだと云うよりかは、単に乞われた通りにしたに過ぎない様だった、怪我の治癒の為に娘の方を選んだことも、母親が噂通り契約に応じないのを知っていたとしても、少なくともそれを用いずに癒す力は娘の比ではない筈であるのに、ただ会いたかったと云うだけで契約の意味すら知らない娘の方へ現れている、それに結果的にせよ時無しにとって何の益の有るとも思えないあの場所にまず現れたのは何故なのか、あの方が知っておられるのは無論としても、時無し側から見ればその理由が見つからない、全てに於いて根拠に希薄さが拭えない気がする、何故か断じてそうしようとする運命なるものが感じられない、いやこのことばかりには完全に無いと云う訳ではない、しかしあの時まず時無しがあの方の所在を訊いたことには幾らその拠り所としてあったとしても直に取り縋ろうとしたとするならばそれは余りにも不能であることを知らなさ過ぎる、それでも現れたからには現れたからのせめて合理的な動機がある筈であり、とすれば残るは来ると言われたことも待っているものがあることも知っていたからそれに応えたと云うことでしかない。

しかし仮にそうだとしても、そのことが果たして一刻を争うやもしれない女の怪我のことを後にさせる程であるのはどうしてかーーー 万に一つ縋ることが叶えば真っ先にと当て込んだ上の結果なのかーーー 見えていることと想像に難くないことを合わせても、やはり時無しの目的を絞り切れない気のするのは変わりなく、その不可解は存在は知っていてもこれまで考えもしなかったその意味と云うことにまで初めて巡らせることになった。

ミドラーシュは詰めれば詰める程に、何かしら願望の塊でもあるような、しかしまるで形を為さないような時無しの不気味とも云えるその懐を感じることで、自分の意地汚さばかりが浮かんでかつて抱くのは常に相手にだった疑いと云うものがいつの間にか自身に向かうものとなっていた。

「お医者だって学者だって、大きな目標の前に個人的な気持ちだってあるかもしれないでしょう」

「個人的な、どんな気持ちでしょうか」

「だから、個人的なんだから、他人には言い難い気持ちよ」

「言い難い、ですか」

「そうよ、何ていうのかしら、そうね、好き勝手なと云うか」

「仰りたいのは個人的向上心や利欲心のことでしょうか」

「そうね、そうかも、だとしてどんなことでも向き合うことにはそう云う自分だけの気持ちがある筈でしょ、でもそれがあるからって向き合うことを汚したりはしない、寧ろそれがあるから強くなれるのかもしれないじゃない、それならその気持ちも一概に悪いことにはならないと思うわ」

マルガリータがルーメンの祖母へのことを気遣ってそう言うのは分かっている、そこには紛れもない美しい形があり、けしてぼんやりしたものではない、しかしミドラーシュはそれでも良いことの意味に手掛かるものを放ってはおけない。

「でも、それだって、医者や学者が最後には獲得するだろうものを念頭に置いて話してるだろう、だからそれが上手くいくことを前提にしてると云うことなのさ」

「なんでそうあなたはいつも前に回って先に結果ばかり気にするのよ、想像したっていいじゃない、しようと思ってなくても勝手に良いように考えるのが生きてる証拠でしょ、そうしたからって上手くいくかどうかなんて分からないし、いけば素晴らしいし、たとえいかなかったとしても、さっきも言ったけどそれはもう良いことなのよ」

「そこなんだ、それがよく解からない、結果が悪いのに何故良いことなんて云えるのかがーーー 」

ミドラーシュは真っ直ぐにマルガリータを見て言った。

「あなたのいた世界では努力したことは褒めてはくれないの」

それを聞いたルーメンは衝撃を受けた、いま話している内容のことではなく、ミドラーシュが自分たちのこの世界とは別の世界から来たと、マルガリータが至極当たり前のように捉えていることに、その顔を見直す程に愕然としたのである。

「努力」

「そうよ、そうしたって出来るとは限らないけど、でも出来なくてもしたことは褒めてもらえるでしょ、例えば誰かを慰めるために一生懸命に摘んだ花を贈っても、その花の棘で指を傷つけさせてしまうかもしれない、ひょっとしたら花をあげるのは口実で本当はおしゃべりしたいだけかもしれない、それでも花をあげたことには喜んでもらえるでしょう」

「どうしてさ」

「どうしてって、私うまく言えてないかしら」

「その花は君があげるのかい」

「なんで私なの」

「それともルーメンが君にかい、なら指を怪我するのは君だ、花をあげたまでは良いことだったけれど、ルーメンがそれを知らないままなら彼にとっても当分良いことのままだけど、家で指に包帯を巻いている君にはその時点でもう良いことではなくなっている、それにおしゃべりが本当の目的だったと云うなら、その場合おしゃべりは良いとは云えないことの例えだろうから、それを隠す為の花をあげる行為自身がそもそも良いこととは云えない筈じゃないのかい、つまり、大事なのは順番なんだろう」

そう口にすると何故か胸のあたりがとくとくと波打ちだすのを感じた、そしてそろそろマルガリータの目がまた恐くなるのを知っているミドラーシュは今度はそれを見ないようにした。

「何の順番」

「--- だからおしゃべりのさ、それが一番なのがいけないんだ、云わば花をあげるのは二番どころかどうでもいいわけなんだからね」

このことに無邪気なまでに無理解な同じ論法を持ち出すミドラーシュに確かにマルガリータは苛立ち始めている、ルーメンはそれがさっきのマルガリータの言葉の中に意味為すところがあるように感じた。

「君は、時無しさんとあの女性の為に、此処へ二人を案内してあげる為に来たのじゃないのかい」

脈絡が無い訳ではないが突如道筋の違うそのことを持ち出された少女は、愛らしい顔を一瞬で強張らせて弾かれたようにルーメンを見た。

その顔と目を合わせたルーメンもまた、安易に訊き尋ねたことに反射的に後悔した。

「順番は問題じゃないさ」

ルーメンは咄嗟にそうとだけ言って、そこで話を変えようとした。

「だから何の順番のことよ」

今している話しの主として、不明なることを異なる話題で、しかも自分を出し抜いてルーメンが意を得るようなのを、まさかマルガリータが見過ごす筈がなかった。

やがて恐い目のマルガリータとまごつくルーメンを前にして、ミドラーシュは緊張が一気に解れるように感じその顔さえもの柔らかになった。

「自分が一番なのさ、だから時無しのことは二番と云うことになるんだ」

小さな顔が今度は真剣になって、そうとだけ言った。

「なんだ、そんなこと、確かに問題じゃないわね、言ったでしょう、全部いいことだって」

心なしか誇らし気にそう言い切って、マルガリータは眉を元の位置に戻した、それを見たルーメンも椅子の上で浮きかけた腰を落ち着かせた。


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