出現

翌日の午後にマルガリータは自らが手綱を取る馬車でマルゴーを店まで運んで来た、道中聞いてはいたが改めてルーメンから詳しく内容を告げられるとマルゴーは自然と俯く格好になってしまった。

「おい、しっかりしろ、村には一体全体何件、いや何人いるんだ」

ビダは年嵩らしく頭を巡らせているようだがマルゴーはすぐには返事をしなかった、重ねて訊こうとするビダを抑えてマルガリータがそっと耳元に言うとふーっと息を吐いてから漸く顔を上げた。

「――― 十二家族で約四十人ほど、半分近くはお年寄りで、小さな子が十人くらいいるわ」

力なくマルゴーが答えた。

「――― そんくれえなら、なんとかなるんじゃねえか」

広い額から髪を後ろへ撫で上げながらビダが上の空のように呟いた。

「なんとかなるってどういうことよ」

マルガリータが喰いつく様に言って、中空で視線を止めているビダの顔を睨むように見つめた。

「こっちへ連れて来るんだ」

まだ考えの纏まらないような顔で上げた視線を今度は落として、また呟くように言うと

「連れてくるって、誰を」

「誰ってことじゃなく、そりゃ、全員だろうよ」

「全員、全員て四十人全員をってこと、ここに」

マルガリータが驚いてそう言うなり

「ビダ」

椅子が後ろに倒れる勢いで立ち上がったマルゴーの太い二の腕があっという間にビダの首に入ってしまっている、それには気づかず感激して痩せぎすのビダを思い切り締め上げるようにマルゴーは抱きしめた。

「幾らなんでもこの店に四十人は無理だよ」

ルーメンの淡泊な物言いが水を浴びせたようになってマルゴーは腕を緩めると、やっとビダが息をして

「――― 待て、待て、誰が、誰が全員此処に連れて来るって言ったんだよ、お、落ち着けマルゴー、全く、失神するより首の骨が折れるとこだった、いいか、要はだな、とりあえず手分けをしてだ、何とか住むとこぐらいは探せるんじゃねえかってことだ」

「ありがとうビダ」

マルゴーはまだ感激が収まらないようでまた腕を広げている、ビダは椅子ごと後ろにひっくり返った。

「待て待て、マルゴー落ち着けって、言いはしたが簡単じゃねえぞ、俺みてえな貧乏人でも昔っからの生え抜きだから此処にはいられるけどよ、今じゃこの港周辺はボロアパートでも結構するんだぜ、問題はよ」

「大丈夫、私、お父さんにお願いするわ、そうよ、なんでそう考えなかったんだろ、船員達用のアパートだって幾つかか持ってるはずだし」

マルガリータはにたりと獲物を狙う猫のような顔をした。

「持ってたってそうは簡単にいかねえだろ、第一それもルミノクスさんの商売道具なんだからよ」

「それも大丈夫、マルゴーが一緒なら、ね」

目算通り、娘の願いに対してそれこそ打った鐘が響くように請け合った父親のその気安さは、願い出た側が寧ろ不安を覚える程でもあったが、それはやはり後ろに控えるマルゴーに向かう心用意と云え、勿論人一倍正義感の強い娘の性格を承知しているからこそでもあっただろうが、その娘が姉の様に慕うマルゴーを一秒でも早く喜ばせたい気持ちが、娘の正義感の出処でもあるこの海の男の私的感情を疾走させた。

マルガリータは父親のそんなところを嫌がるどころか、どこか青年のような純情を残すのを寧ろ好ましく、心より愛しく思っていた、そして言葉が終わらぬ内からもう抱擁のために床を蹴っている、つまりは娘も父親に負けず劣らずの感情家であることは言うまでもない。

組織の出方が分からないものの、「アルキュミア」と「初陣」の二つの言葉だけでも様々な意味で警戒する理由は十分と云え、マルゴーとマルガリータは順次に二人で都合十二件を丁寧に一件づつ回って事細かく状況を説明し、前もっての移転を説得した、田畑などへの未練や見知らぬ海近くの町への不安は当然ながらあったが何よりも事が起きた時に対する二人の真剣な話に皆が礼と共に従うことを約束した。

マルゴーがこの村に辿り着いた日のことを忘れずにいるのは自身だけではない、あの朝初めて言葉を交わした老女は、村の入口付近にある大きな楠木に、眠っているのか死んでいるのか分からないほどの若い女が横たわっているのに気付き慌てて膝を突いたのだった。

「どんなに老いてもあの時のことを忘れはしないよ、何故かは分からないけれど、ただ救い主がお遣わしになられたのだと思ったの、きっと貴女は善き旅人なのよ、ありがとうね」

と言って目の高さにしゃがんでいるマルゴーを抱擁した、ただ首を横に振りながらマルゴーは言葉を見つけられなかった。

「きっとお婆さんの言う通りだわ」

村からの帰り、馬車の手綱を取るマルゴーの横でマルガリータは呟くように言った。

「あなたはこれまで旅をして私たちの所まで来てくれた、私はそう思ってる、でも、もうその旅も終わりにして、そしてずっと私の傍にいて頂戴」

マルガリータは何故だか分からないが、老女の言葉を聞いた時、マルゴーが何処かへ行ってしまうような不安を感じた。


ルーメンから「どうもこの二、三日のようです」と伝えられた日、既に村は空になっていたが、村の入口に二人の男が現れ立ち退きを命ずる内容の木札をあの楠木に打ち付けて行った、そしてやはりその日まで居住者への配慮は何一つ示されずにいたのである。

途中業を煮やしたルミノクスが市長に問い質したが、やはりアルキュミアに借財のあるらしい領主が押し切られるかたちで、開発の権利ではなく領地そのものを組織側の要求通り国に一括売り渡す結末になったようであった、従って国領となった地域への関与はおろか立ち入りももはやままならなかった。

「それでもあそこに居るのは間違いなく市民なんだぞ」

ルミノクスの言葉に市長は力なくうなだれるだけであった。

十二家族の転居はルミノクス商船と元々ルミノクス家が所有する集合住宅の中で三箇所に分けられ、生業もその関連先や市長の伝手などを利用してなんとか用意の目途が立ちそうであった。

それぞれがその日の奔走を終え、客の退いたビダの店にまた集まって明日の予定を打ち合わせていた。

「それにしても、知ってるつもりでもルミノクスさんてえのは本当に凄げえ人だな、あっと言う間にあれだけのもん惜しげもなく用意しちまうんだからな」

ビダが言うと、このところそれに感激しっぱなしのルーメンが改めて言い直す様に

「あの方には今の貴族なんかには有り得ない本物の騎士道精神があります、うっかり言えることではありませんが残念ながら貴族も資本家も色々、持っていたとしても出すか出さないか、救済や貢献の為に蓄財を使うべき時を心得ているかは天地の差があります――― ルミノクスさんが市長に、いや王になればと思うくらいです」

「何言ってんの、ただでさえまた海に出たがって仕方ないのに、そんなもの幾ら頼まれたって引き受けっこないわ、でも、王様ならいいかも」

そう言って笑うマルガリータに今度はマルゴーが

「マルガリータ、貴女にはいくら感謝してもしきれないわ、あなたの熱意があったからこそよ、本当にありがとう」

マルゴーは顔を合わす度に口にせずにはいられなかった。

「ううん私なんか、あのビダの最初の言葉がなかったらこんなことが出来るなんて考えなかったかもしれない、そうよ、ビダ、何故あの時あんな風に思えたの」

「あんな風にって何のことだよ、おいおいそう内輪で褒め合ってりゃ世話無いな、それならルーメンにも何か言ってやってくれや、こいつも相当無理してんだぜ」

皆に顔を見られてビダはすぐさま話しをルーメンに移した。

「本当にそうよね、ルーメン、役所の中で大丈夫なの、今回かなりいろいろ調べてもらったしそれが元で上から睨まれてたりしない」

初めてマルガリータに優しく労われて、わずかに打ち解け始めていたものが今まさにルーメンの中で逆流した。

「いえ、お心遣い痛み入ります、私は何ら問題ありません」

「ルーメンよぉ、せっかくお嬢様がああ言ってんだから、一つ貸しだぜぐらい吹っ掛けとけよな」

ビダが茶化して笑うとここぞとばかりに今度はマルゴーが

「ビダはねいっつも貴方のことを自慢するのよ、うちの家系始まって以来の鷹か白鳥だって、そりゃ鷹よね、頼りになる男性なんだから」

「おいおいまたかよ、勘弁してくれ、それよか何か摘むだろ用意してあんだ」

そう言ってビダはカウンターの奥へ入った。

縦長なビダの店の一番奥のテーブルに着いている三人が、ビダの背中を追った視線を戻すその一弾指、何の予兆も気配も無く、幼い少女と、うな垂れた女を背負った老人とが忽然と目の前に出現した。

「ああよかった、君がメルギトゥールだね」

少女はそう言って、他の者には目もくれずマルゴーだけに向かって老人の背中の女を指差した。

「もう殆ど駄目なんだけどさ、出来たら助けてやって欲しいんだ、それと腹の中の児も、なあ、君ならやれるだろう」

ルーメンが椅子ごともんどり打って倒れる音が追いかけるように響き、聞きなれない子供の声にビダが覗き見ると、まるで寓話の一場面のような異様がそこに実態していた。

「な、なんだぁ」

甲高くそう発してマルゴー達の方へ眼をやると、椅子に座ったまま瞬きもせずにいるマルガリータと、床に腰を釘づけられたようなルーメンと、何かに吊り下げられているかのように立っているマルゴーが、まるで芝居絵の如く静止していた。


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