村の行く末
「マルゴー、この後付き合って貰えないかしら、少し、話したいことがあるの」
「じゃあ、ビダの店に行く」
マルガリータの様子がいつもと違うのがすぐ分かったマルゴーはそう訊き返したが、或いは誰も居ないところが良いかとも思った。
「そうね、そうしましょう、ビダの所はこの頃よく混んでるから、空いてればいいけど」
すぐそう応じるマルガリータはやはりいつもの調子ではないようだった。
わざわざカウンターの隅に座り、マルガリータは父親から聞かされたその内容をなるたけマルゴーを驚かさないように少しづつ小声で伝えた、すると眉も動かさずに冷静に聞いている顔にほっとして
「さすがマルゴーね、ちっとも動揺しない、私なんかお父さんに聞かされた時はつい食って掛かっちゃったわ」
「そんな、お気の毒なお父様、普通はそんなこと娘にだって言わないものなのに」
「お父さんマルゴーのことが好きなのよ、それで気になって仕方ないみたい、本当は一緒に話したいくらいなんだから」
「まあ、そんなこと言って、お父様とお母様に失礼よ、でも教えてくれてありがとうーーー 驚いてないわけではないけど、そう見えてないなら、恐らくはなんとなくそんな気がしてたからだと思うわ」
マルゴーはこの一年の間に山沿いを隈なく調査しているような人物を何度も見かけていたこと、そして試し掘りのようにされた穴がいくつかあり、岩が剥き出しになっている場所もあることなどを話した。
「見ても意味が分からなくてすごく気になっていたけど、まさか足元に埋まっている石が目的だったなんて、でもそうなると村を避けての開発とはいかないのでしょうね」
今頃になってマルゴーは深く気落ちするようだった。
「今度こそ町へ来てよ、きっとみんな喜ぶわ」
マルガリータはそれが目的だと言わんばかりに顔を寄せて言った。
「なんだぁ、いつもはうるさいくらいの二人が隅っこでひそひそ話とは、ははん、マルガもとうとうそんな相談をな、しっかしそりゃあどうなんだ、マルゴーも男のこととなるとからっきしだからよ、相談する相手としてはちと難しいんじゃねえか」
店主のビダが急にカウンターの下から顔を出した。
「ぶっとばすよビダ!」
マルゴーはビダの胸ぐらを掴んで顔近くに引き寄せると
「あんた、役人の従弟の自慢してたわよね」
とにっこりして言った。
概ねミドルの次男以下が事実上自動的に就く官吏の職に、労働者階級の者が登用試験に及第して表玄関から入ることなどまず無いことである、二人は情報元に迷惑が掛からぬようルミノクスの名前だけは伏せて、その従弟に出来ることなら調べて貰いたい事情をビダに話した。
マルゴーが後でいいと言うのも聞かず、テーブルの半分近くは埋った客を放りっぱなしにしてビダが急いで従弟を呼びに行った後、マルゴーは考えるように俯いてしばらく黙っていたがやがて重い調子で話し始めた。
これまで幾度となく二人は話したり、食事したり、出かけたりもしたがマルゴーが自分の現在のこと以外の話しをすることなど無かったし、マルガリータの方から過去に関して訊くことも敢えてせずにいた。
マルゴーがこの国のこの土地に来たのはマルガリータと出会うほんの二年程前であったこと、それまではもう少し西の国境に近い森の奥にいたこと、そしてそれより前はもっと遥か遠くにいてそれが何処だったのかさえも分からず、見ず知らずの一人ぽっちの自分をその森の村は受け入れ、無人になっていた家までくれたことを打ち明けた。
「身寄りのない行倒れの女がよ、目を開けた途端に此処で働かせてほしいなんて、立ち上がりも出来ない身体で縋り付いても普通なら誰も相手にもしないし、放っておかれても仕方ないでしょ、でもあそこの人達は違った、ぼろぼろだった私を家に運んで、温かいスープをくれて寝かせてくれた、その上暫くは此処に居なさいって言って――― とても酷い顔をしてたと思うわ、悲しくても泣く力もないほどに疲れ切っていたし、格好だってきっと見れたものではなかったはず、なのに、なのに事情も聞かずに、皆でそっと村の住人にしてくれたの、まるで匿うようにね――― だから、何があろうと、私だけ町に移り住むなんてことはしたくないのよ」
初めてそんな身の上のことを聞いてマルガリータは自然と涙が溢れて仕方なかった、抱きしめ、この愛する姉のような女を幸せにしたい、何としてもせねばならないと心の中で誓うのだった。
左程も掛からずビダは従弟を連れて戻って来た、三十も半ばを過ぎたビダの年の離れた従弟は官吏試験に受かるような四角い感じではなく、どこかまだ幼さの残る小柄な青年でルーメンと云った、マルゴーは連れて来てはもらったものの、こんな入所して間もないような若者をこの話に巻き込むのはやはりすべきでないと思った。
「日曜なのに本当にごめんなさいね、もし朝食がまだだったなら何か食べて」
そう小声で優しくいうと、ルーメンの方も他の客の手前囁く様に言った。
「いえ済ませております、あらましは道々ビダから聞きました、その計画については所内でも少し聞こえ始めております、私も立場上申し上げ難いところではありますが――― そのーーー コホンーーー 拝見致しましたところ、確か、ルミノクス商船の、その、お、お嬢さ、さまが、ご同席なさっておられますので、そのーーー このご相談ごとには関係なさっておられると云うことなのでありましょうか、でありましたら、もし、もしご命令とあればお役に立ちたい所存ではあります」
最後は無意識に立ち上がってまるで最敬礼をするようなルーメンを見て、三人は思わず同時に吹きだしてしまった。
「ごめんなさいね、貴方があんまりしゃっちょこばるもんだからつい笑っちゃったわ、そうよ私は娘のマルガリータよ、なら手伝ってくれると云うのね」
ルーメンのことを前にも店で見掛けたことはあったが、マルガリータはまるで初対面の様に年上のルーメンに向かって少しだけ腰高な物言いをした。
「へえ、やっぱマルガって有名なんだな」
ビダが顎に手を当てて首をひねりながらそう言うと
「有名なのは私ではなく父よ」
とマルガリータが応じると急いでルーメンが
「お父上様は市長のご盟友であらせられますし、奥様やお嬢様も市長再選の際の登壇の折に御目にかかるといいますか、遠くからではありましたが拝見いたしておりました、それに、此処でも時に」
「お前よく舌噛まずにそんなこと言えるな」
ビダはからかうより本当に感心するような顔でそう言った。
「では、このことの何かを調べればよいのですね」
聞くより先にルーメンはマルゴーに向かってそう言うと、迷いのない顔でマルガリータを少しだけ見た。
「私がビダにお願いしたのだけれど、本当に大丈夫なのかしら」
まだ組織にも完全に組み込まれていないかのような青年のひたむきな眼差しに、マルゴーはほとほと怖気づいた。
「こいつなら心配いらないさ、上手くやる」
ビダが低く強く言うとルーメンは頷いた。
「――― なら、なら無理は絶対しないと約束して、折角入った役所であなたが肩身の狭い思いをすることになるのだけは望まないわ」
ルーメンをカウンターの中に座らせ向き合うと、声を潜めてマルゴーは村のことを話した。
「マルゴーさんのことも勿論存じ上げていましたが、あの辺りでアパートメント以外、ましてあの森の中にそんな村があることは知りませんでした」
開発はいつからなのか、どの程度の範囲で行うのか、そして村はどうなるのか、計画と云うことであるならば、その中に人のことがどう入っているのかを知らねばならなかった。
三日もしないうちに知らせがあり開発のほぼ全容が知れることとなった、目された山塊は人の背丈二人分ほどの地表以外は深くまで石灰岩が続いているらしく、村から直接連なるそう高くはない山の頂きまでほぼ同程度の可能性があり、ましてマルゴーの住む村がちょうどその山の背後の山脈への登り口にもあたるが為に開発の出発地点になるということであった、要は地表の堆積物を剥ぎ取ることが前提であるため、周辺の樹木はもちろん村の全てが失われることがこれではっきりしたのである。
いつ頃から始まるのかは、所領としている貴族と事実上開発全般を進める国と資本家との合流組織が利益配分で合意する時期によるだろうとのことであった。
「合流組織って何だよ、聞いたことがねえな」
ビダがコーヒーを渡しながら言った。
「文字通りアッパーとミドルが手を結んで作る組織と云うことだよ、あまりないことではあるけど過去には治水でも貴族がお金を出して地主が人を集めて工事を仕切るようなことはあった、けど今度の組織はお金を出すのも計画するのも着工するのも全てが資本家、国はどちらかと云えば体裁に一枚噛ませてもらう程度のようだね、そしてどうも領主様は蚊帳の外さ」
「持ち主なんだろ」
「まあそうさ、支配権を持ってると云うことなんだけどね」
「なんで蚊帳の外なんだよ」
「一昨日の時点であの地域は国領になっている、売ったのさ、国に」
「大公がか」
「彼らにとっては買ってくれるのなら誰でも喜んで売るだろう地域ではあると云えるけど」
そう言って、はたと気付いて慌ててマルゴーに頭を下げながら
「でもこれから持続的に必要となる石に先に目を付けた方に軍配の上がる取り引きになるだろうね」
「そんな話し聞いたことがねえ、畑に出来ねえ土地でも所領なんだぜ、それを切り売りしたってのかよ」
「まだ流れは良く分からないけど、きっと何かからくりがある筈だよ」
ルーメンとビダの遣り取りを考えるような顔で黙って聞いていたマルガリータは最も聞きたいことを訊いた。
「そんなことより村の人たちはどうなるの、移転先は考えてくれているのでしょう」
マルガリータのいきり立った声が二人の会話を遮断して、そのことが調べを依頼したマルゴーの一番に懸念するところであったのに気付くと、ルーメンは申し訳なさそうな顔で向き直った、そして調べてもそれに関しての話は一切出てこず、それどころか村そのものに関する記述すら見当たらないと力無く言った。
「あの村がいつ頃からあるのか分かりませんが、言い難いのですが役所には集落としての認識記載がなく、村名も付いていないのです」
「それどう云うことよ、名前が無くたって人が住んでるのは同じことでしょ、あんたちゃんと調べたのっ」
マルガリータがつい興奮してルーメンに詰め寄ると、ルーメンはそれ以上何も言えずただ俯いたまま拳を握りしめた。
「こんなの絶対おかしいわ、私やっぱりお父さんに言って市長さんに問い質して貰う」
「それはやめとけよ、お父上の立場に迷惑は掛けられないだろ、ルーメン、堪忍してやってくれ、マルガはマルゴーのこととなるとこうなっちまうんだよ」
ビダがそう言うとルーメンはやっと顔を上げて
「実は、それとまだ気になることが、その」
「はっきり言いなさいよ」
マルガリータはまだ収まらずにいる。
「その組織の参加比率こそ分かりませんが資本家の正体が分かりました、アルキュミアです」
「なんですって、なんで、なんであんな遠い国の」
「おいマルガ、知ってんのかよ」
ビダがせっつくと、ルーメンが代わりに
「そうです、インダストリ・アルキュミアです、ルミノクス様が船で半年以上掛けて向かわせる東の大国の大資本です、破格の大国だとは云われていますが一体どれほど大きく深いのかは未だ何も知れていないと言っていい国ですが、その資本も元々は国内の鉱山で築いたのが母体ではあるそうですが、今や世界中のあらゆる地下資源に投資をし始めているとも言われており、一説には世界一の金貸しでもあると聞きます、貴族だけでなく王族の中にも相当債務のある家が存在するそうでーーー 実は、その名前が分かった瞬間に今回の切り売りも事に依るとそんなことの弁済ではないかと」
「大公がそいつらに借金してるってのかよ」
ビダが驚きの余り甲高い声を上げ、そして両手で自分の口を押えた。
「飛躍し過ぎかもしれません――― それとこれは所内ではなく外で聞いたのですが、この町に既に入っているアルキュミアの男がこう言っていたそうですーーー 初陣だとーーー おそらくその組織としてこの国での初事業なのでしょう」
「戦さってことかよ、誰と交えるってんだ、石を掘るだけのことにおかしな言い方しやがんなぁ」
全容も何も分からないものの、その好戦的な物言いにビダはただ忌々しげな表情になった。
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