変貌

世過ぎの才覚と云えるものがもしあるのだとすれば、それは誰の目にも見事な細工に自分だけが気の済んでいない真面な気質にあって、それが為に総じて商いを慎ましくさせることにある、金工職人としての筋の良さだけで好ましく思われた訳ではないラティオはその頃、人を介さず貴族やそれに準ずる地主階級からの注文を直接受けられる程に目を掛けられていた。

ビーバーの毛皮の帽子に付ける金のエンブレム、細密な肖像画のブローチに相応しい透かし彫り台座や、衣装のあちこちに付け下げる流行の小さなザクロ形の毛彫りを施した鈴など、どれも労働階級の者には無縁の装飾品ばかりを手掛け、通常は屋敷からの遣いが注文を持って来るか、必要であれば出向くこともありはしたが、時には馬や馬車で直に細かい要望をしに来る貴族まで現れた、そんな時の為に入口すぐの部屋を座れるよう少し手直しもしてみたが、町はずれに取り残された様な田舎家では所詮は形にもならない、しかし手入れの行き届いた様々な道具が並べられた工房にはそう云う美しさがあり、特に板に羽ペンで描かれた沢山の模様画が客の目を惹きつけを殊の外喜ばせた、例えばブローチの唐草の縁取りだけでなく中の石や貝にまるで彫られた様に描かれた絵も素晴らしく、限られた道具で単なる模写に終わらない、思う儘に描いてみた女神像など、細い線と太い線の幾つかが使い分けられたそれらの描画はこの職人の生来の才能を示すには十分なものであった。

そうしてまだ一部の貴族が持て囃す中、ある日在地の有力地主の一人がラティオの天賦に明日を睨み、彫金と絵画のその才を銅版画に生かしてみないかと誘った、木版に比べかなり細部まで表現することの可能なエングレービングをラティオも聞き知ってはいたが、あくまで自分のような職人が立ち入る世界ではないと勝手に考えていた、それを創作と云う言葉で誘われ、一連の道具まで全て買い与えられたことと、何より画稿用にと渡されたふんだんな量の紙には目が踊り、その柔らかな手触りと重さに魅せられのめり込んだ。

絵を学んだことなど当然無く、同じ時代を絵画で馳せている者達の名すらも誰一人知らずにいたことを笑うどころか気にも留めず、ただ素質そのものだけに関心を寄せて貰えることに漸くのこと喜びを持てた、客を楽しませた手慰み程度に表していたものは忽ち本領を呼び覚ます発露となり、因って然程の時を経ずしてラティオの才能は開花した、道具と機会を与えられた才器は物語を自分の解釈で描き切る画量を見せ、それは一金工職人として受けたこれまでの評価とは別物の表現者と云うものへの畏敬に変え、次第にラティオを搔き乱しその真面を変貌させることになるのである。

文字を読めない者のまだ多かったこの時代に於いて、物語をより精細に表す絵ほど賞翫されるものはない、貴重な紙に転写されたその銅版画の出来栄えは単なる精巧さだけではなく、この一途な人物の先天的な品性が表れており、もはや読める読めないに拘わらず一枚の優れた絵画としてもまたたく間に新世界を求める世間に受け入れられることとなった、転身は変節の幕開け、やがてある意味に於いては宗旨の変転をも伴い、ラティオはしだいに貴族の屋敷に留まることが多くなった、日ごとに新しい客や庇護者も増え、口にする着想だけで生まれもしていない作品にまで値が付く夜が続いた。

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