鍵の言葉

「さて、それでは、やはり話して貰わんとな」

モリは向き直ってカリタスにそう言って、サッサの肩の上でまだ不安そうな目をしているエピファニーには笑顔を向けた。

強張るカリタスを見てサッサが黙って瓶を差し出した、カリタスはそのまま口にあてがうと一口含んで硬い塊でも呑み込むようにした、そしてそのあとゆっくりと重いゴンドラが動き出す様に話したことは、エイナイに纏わる話しを聞いた後であるにも関わらず、その場に居合わせた者全員が現実に起こることとはとても思えない様な内容だった、しかし如何に信じがたい話でもその絞り出すように話す声に嘘や空想があるとは誰も思わなかったし、何よりカリタス自身が四百年受け継がれた秘密をついに明かしてしまったことにどれほど怯え、取り返しのつかぬ後悔に疼いているのかが皆が皆感じていた。

錠とはその銅板に掛けられていると或る術を発動させる起点のことであり、隠し文字自身がそうだと言い伝えられていた、ただそれを開く為の鍵がどんなもので、今それがどこに在るのかも分からず、それに関することの言い伝えこそあるものの、その言葉が何を示すのかは分からないと云うことだった、しかし錠と鍵が揃った時に発動する力とは、その隠し文字の入れられた銅板に描かれている絵がまさに現実になるというおよそ奇想でしかないことであった。

「それでその鍵に関することってのはどんな言葉なんだ」

カリタスの黒い眼帯を付けられた右目から汗が一筋流れている、鍵さえなければ描かれた絵がどれほどに怖ろしかろうがこれはただの古い銅板にしか過ぎない、だからこそ父もピヌスもせめて此処でだけ日の目を見させることにしたのかもしれない、しかしそうとは云え、自分たちには分からなかったとは云え、その言葉を理解する者がいないと云うことでは決してないと彼らは何故考えなかったのだろう、寧ろ理解出来る者こそがこの銅板を狙い、それどころか手には既に鍵が握られているとしたら、そう想うだけで、事ここに至ってカリタスはやはり何を言われようが今からでも口を噤むべきではないかとの震えるような軋みに襲われた。

エピファニーの目にはヴェールが消えていくカリタスの全身が見えている、首に回した細い腕に力が入るのを感じたサッサは乗せた方の腕を曲げてエピファニーの肘の辺りに手を添えた。

「どうしたカリタス」

そうウォルンタスが急かすと同時にモリがそれを掻き消すような身振りで遮った。

「そうであろうな、ここまで明かしたのも大抵ではなかった筈、もはや言いたくなければ言わんでもよい、歴代が四百年間守り抜いたものをお主の代で全て明かし切ることなど、その生涯にその為の犠牲を払ってきた者であるからこそ到底容易に出来ることではない、それに、明かしたことの苦しみは誰あろうお主が背負わねばならんのだしな」

張り詰めたものを和らげるようにモリにそう言われると、カリタスは赦しを得たかの如くやっと口を開いた。

「苦しむことが、背負うことが嫌なのではありません――― 私など業曝しでよいのです――― 言われる通り私はこのことの為に、息子を苦しめ、失いました――― そして今もまだ、幼いエピファニーを苦しめているのです――― そうして、そうしてまで、子らを追い詰めてまでしてきたことを、それを、それをここで無駄にする訳にはいかないんです」

弱々しく、静かな慟哭だった。

「お主の心中は察しておったつもりだが、どうしても明かして貰わねばならなかった、よくここまででも話してくれた、礼を申す」

「いや、駄目だ」

ウォルンタスがひと際大きな声でモリの言葉を打ち消した、そして淡然と続けた。

「カリタス、お前またそうやって、ミラのところに一人で帰るつもりか―――そんなお前をミラはさぞ優しく迎えてくれるんだろうなーーー 俺も昔、まだ若い頃だ、初めて出た戦場で、真夏のひでえ密林戦だったが、そこで初めて俺は人を手に掛けてな、自分では戦争なんだからと気にしない様にして帰って来た、戦地は海の向こうだったし、召集無しの軍だけでの進軍だったから世間はあまり戦争してる実感がなかったかもしれねえ、そうしていつもとおりのこの平和な町のその前の通りでだ、俺を見つけたミラが走って来て俺の全身に付いた泥や埃を一生懸命払ってくれたんだーーー 涙を流しながらな、あの時のことを俺は決して忘れねえーーー しかしな、あの涙は俺が生きて帰って来たことにじゃねえ、あれは俺が忘れようとしている俺が殺したに違いない者たちの為に流した涙だーーー ミラはそんなひとだったからなーーー そんなことは俺にわざわざ言われたくねえだろうがーーー ミラは、ミラは本当に今のおめえを慰めてくれるのかよ、本当に無駄にしたくねえと思ってんならな、開きかけた扉を閉めるなと言うんじゃねえのかーーー 真っ直ぐ過ぎるんだよおめえは、ミラもオステュウムも、そしてエピも、俺達もだ、おめえのそんなとこが心配で、気になって、放っておくにも放っとけねえんじゃねえか――――――――― オステュウムはな、あいつは、ただ寂しかっただけさ、今頃どこかでおめえのことを必ず想ってる、それに、それにな、エピにはおめえしかいねえんだぜ、分かってやがんのか――― 俺なんかじゃおめえの背負うものを肩代わりしてやれねえだろうけどよ、少しぐらい担がせろ、その古臭せえもんの始末くれえは俺たちに任せろ、任せておめえは子らの明日だけを守りやがれ―――――― ミラは、待っててくれる、おめえのことをあんなに愛してたミラが、どこにも行く筈がねえだろう、だから、次に彼女に逢うのは今夜じゃねえ、全部方を付けてからだ」

潤んだウォルンタスの両目に左目を押さえてうな垂れるカリタスが映っていた、荒い呼吸が暫く続いた。

「―――――― メル、ギ、トゥール」

一音一音が、その吐く息に引き摺られる様にカリタスの食い縛る口の奥から聞こえた。

「なんと、今、お主、メルギトゥールと申したのか」

「―――――― この、この言葉を、もしや、ご存じなのですか」

「それは名だ、名前だ」

「やはり、やはりこの意味を知る者が――― 」

「よくぞ聞かせてくれた――― 探さねばならん、生きておるのかどうかも分からんが、とにかく探さねばならん」

――― 来る

――― シレークス

――― いや、人じゃ

――― 人

――― この小走りは兵士じゃな、重さのある武器を装備しておるが、はて殺意は無い、じゃが十人はおる、まだ坂まで遠いが此処へ来るぞい。

「ウォルンタス、敵にもうすぐ囲まれる、ここは逃げるのだ」

「敵だと、ならやっちまっちゃいけねえのか」

「軍だ、向うの意図がまだ分からぬから交えぬ方がよい」

「なんで軍がここに来るのよ、こんな時間におかしいじゃない」

「私は残る、お前たちは行け、もぬけの殻では却って怪しまれる、ウォル、お前にエピファニーとこれを預けるぞ」

カリタスはまるでこの時が来るのを知っていたかのように潔くそう言うと、三枚の銅板を布に包んで渡そうとした。

「何言ってやがんだ、これはお前が持って一緒に来い、それにエピにはお前しかいねえと言っただろうが」

「分かっている、エピファニーは私の子だ、しかし私が此処にいれば追手は直ぐには掛からないかもしれない、なあに、上手く時間を稼いで序に目的も確かめてやるさ」

「追手って、何で私たちが軍から追われなきゃならないのよ、ええもう何だって構わないわ、軍もどうせミドルの指揮下なんでしょ」

アハバはとりあえずミドルを根拠にさえすれば体は動くようである。

「やって来るのは一応戦う装備をした者たちだ、殺気立ってはおらん様だが、くれぐれも下手な出方だけはするでないぞ、とにかく我らは消えよう」

もどかしく見るウォルンタスにカリタスは強く頷くと無理矢理包みを握らせた、サッサに抱かまえられたその背中越しにエピファニーはカリタスを見つめ、カリタスもまたエピファニーを見ていた。

「砦だ、あそこで待つ、必ず来い」

ウォルンタスはそう言い残してしんがりに店を出て行った。


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