居ない筈のもの

遠大なるものが言うように、もしあの場所でエイナイに会っていたのだとしたら、残るその印象を一点一画疎かにせず見定めてさえおれば、此処で銅板に入れられた名前を聞いて途方に暮れるまでもなく、もっとずっと以前に降りていたと云うことを知り得るところであったのを、自分は見過ごしにしていたのだとモリはほぞを嚙んだ。

エイナイに記憶と現の壁はないと言うが、あの記憶の中の魔女と共に其処にエイナイ乃至時無しがいたのであれば、そのすべての記憶の持ち主は場合によってはそれぞれに会っていたと云うことにもなる。

ノームから聞いていた噂話は時無しのことだけであり、重ねるにはエイナイは確かに存在が遠すぎる、時無しに抱いた親しみかそれとも哀れみかの心象が予てからエイナイにもあったとは思えない、しかしこの地上のどこかで息をしていた時無しがそこに居る筈の無いエイナイを感じさせる奇妙さに拘り切れなかった未熟は悔いても悔やみきれず、更にその記憶の持ち主であったシレークスのそれらとの関わりに、やはりモリは慄かざるを得なかった。

――― 何も申さなくともよい、其方に落ち度の在ろうはずがない

深く長いひと呼吸をおいて、モリはフェーヌムに答えるかのように顔を向けたが、さっきまでの柔らかな表情の失せていることをその場にいる皆が見て取っていた、誰とも目を合わさず真一文字に嚙み締めた口をモリが開くまでさすがのウォルンタスもじっと待った。

「―――――― 既に何かしらの推論は得ておるだろうが、厳密には私はなにもお前たちと系譜を分けるものではない、ただ、造られた意味、負うておる為事が違うのだ、お前たちはこの楽園に生きそして育てる実践者だ、私は単にそれを形作る者らの手助けをするようにと生かされておる、立場こそ違うが、お互いこの世界で為さねばならない事のあるのは同じであり、それを阻む出来事に立ち向かわねばならぬこととしては同胞とも云えるーーー 気付いておるだろうが、この聖なる世界は偶さかにあったものではない、造られたのだ、そして我々も同じ その順番も既にお前たちの書物にある通りだ、概ね違うてはおらん、空や海に大地、そしてあらゆる生き物の進化もそれら全ての上に人の生い立ちが在る、一番後に一番知恵のあるものを用意されたそのことには当然のこと意味があり、その中には予想を上回る育みもあるようだが、裏切る繁栄もある、なにも栄えることが悪ではない、だがその形には少々拘られるのだ、常に生きる上のすべと云うものを見ておられる、見てはおられるがその手立てがお気に召さなくともいちいちに正されようとはなさらぬ、我々が死を賜るその瞬間まで見てくださるのだ、何故ならそうして最後まで心が移ろうようにお造りになられたと云うことだからだ、まして死してのち迄まだ良い方へ差し向けるようにおのがじし機会をくださるのはそれ程までに我らへの慈愛に満ちておられる証拠、そしてそのことを幸いにして人はこれまで繁栄し続けたのだーーー 今申したように最後にお前たちを創られた意味はこの世界を守りそして存続させる為だ、それをエイナイが見ておる、エイナイとはな、その度重なる繁栄に潜むものをより如実に見る為に造られたものだーーー つまり飽くまで見ようとされておられる、だからその全てをあのものらはお見せせねばならぬ、それが目だと言われる所以であり、見たものに於いての価値が人のそれと同義されることになる理由なのだ」

ウォルンタスはそこまで聞いて漸く初めて気付いた様に、目を丸くし口を開こうとした。

「口にしてはならん、呼ぶことなど許されぬ」

モリの声が幾重にも重く響き渡った。

余韻が止むのを待つ様に皆固唾を飲んでモリの顔を見つめている、その声にならない声を察するかのようにモリは幾分声を和らげて続けた。

「聞きたいことは多いだろうが、答えられることは限られておる、そしてエイナイについて分かっていることは実に少ないのだ、十二人と云うのも何故かは分らぬがそう知っているだけでな、まあノームに聞いたとするよりかは腹座りはましだが、誰も一人として会うたことなど無くとも、お前たちを生んだ者が必ずおるようにその存在を疑うことなど在り得ん、ここから先は知っているとも云えることではないが、見せる為に見るとは云うてもエイナイが何処でどう見ておるのかは皆目分からん、分からんと云うより少なくともこの地上に降り立っての活眼と云うものではない筈で、どちらかと言えば恐らくは予見に近いものだ、しかし間違うても侮ってはならん、今誰かが息をのむ意味など訊くまでもない程にだ」

「そんなに信用されてねえのかよ、俺たちは」

ウォルンタスが吐き捨てるように言った。

「逆だ、例えばお前たちがいくら戦さで殺し合おうが、その愚かさの赦しなど遠に得ておる、諦めなどではない、お造りになられた種と個への理解だ、信用など遥かに超えておる、そうだからこそ此処まで来れたのだ」

「今モリは、やっぱりエイナイさんはこの地上には居ない筈って言ったわ」

後ろからエピファニーを抱きしめる手に力が籠り、アハバの切れ長の瞼には不安が滲んでいる。

「先ほどもあり得ぬと申され、まるで地上にある筈がないと願われるようでした」

カリタスもアハバと同じようにその言葉に違和感を感じていた。

「でもエイナイさんと重なる時無しさんは人に名前を貰ったとも言ったけど」

「だからそれは信用していないと言われた」

「どう云うことだよ」

二人の提起と応答を飲み込めないウォルンタスが、カリタスの瞼の上がった左眼を見て言った。

「居るのですね」

カリタスは瞼を戻して低くモリに問うた、しかしその返事に躊躇うのを見てアハバが更に

「居ない筈のエイナイさんが居るとしたら、それにはどんな意味があるの」

「申したであろう、ここまで、来れたと、」

「――― じゃあ、もうこの先には行けないってことなの」

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