一切の終わり

カリタスがそれでもまだ迷うようなのを、モリはウォルンタスを目で制してそれ以上は急かさずにおいた、それはカリタスの気持ちを量ってのことではあるが、自分もまた間違いなく泡を食っていた、モリはまるで自らを落ち着かせる為に昔話でもするかのように言った。

「私がその言葉で思い起こすのはな、時無しと呼ばれた者のことなのだよ」

「トキナシ、それ名前なの、なんだか名前と云うより通り名のようね」

アハバが言うとモリは頷いた。

「時無しはな、いつどこで生まれたのか誰も知らん、おそらく本人もだろう、記憶も伝聞も無い、そもそも失うもの自体なにも無かったと云うことなのだ、或いは生きていると云うことさえ分からずにいたのではないだろうか、気の遠くなるような時間をずっと一人過ごして来たと聞いておる、これもノームにだがな」

「生きていることが分からないなんてーーー 」

「誰しも生まれたことを知らされて生きていることを知るのだからな」

「その過ごした時間とはどれほどのことを云うの」

アハバは身につまされるように悲しい目で言った。

「ノームの話では森の世代が何代かに及ぶほどと云うことだが」

「森の世代、それってどれくらいの周期のことを云うのかしら、一体――― 」

「一つは凡そ千年と云うが」

「おいおい、今度は爺さんの上行く奴の話しかよ、失うものが無くても名前はあったってか、お伽噺なんじゃねえのか」

混ぜ返すウォルンタスをアハバがまた睨みつけると今度はフェーヌムが

「全てを失っても名は失わず、まさに騎士に相応しいではないか」

「姫が言うた通り時無しとは名前とは云えんのだ、ノームが勝手にそう呼んだだけでな、それが人と出会って名を貰ったと云うが、そこまでゆけばは私も信用してはおらんが」

「何故なの、何故信用できないの」

「エイナイがそのような接触を持つとはあり得んことなのでな」

「じゃあ時無しさんを思い起こすそのエイナイも名前ってことなのね」

モリは頷いた。

「何故エイナイさんと時無しさんが重なるの」

「なんとなしにな」

モリは自分で始めた印象の話を重ねて問われ、少し戸惑うようだった。

「エイナイと時無しを結ぶものは何もはっきりしている訳ではないのだ」

「はっきりしていなくても思い起こすなんて直観的で寧ろ信用できるわ、時無しさんがいるなら、その彫られたエイナイさんと云う名前を持つひともまた現実にいるってことなんでしょう」

無意識にもまるで同調しながら相手の心にまでそっと伸びる手のようなアハバの言葉の運びに、モリは反射的に詰まらざるを得なかった。

「ああ、いるにはいるが」

「今度は爺さんが勿体つけんのかよ、どうも訳知りってえのはそんなでいけねえ、そのエイナイとはどんな奴なんだ」

ウォルンタスはお構いなしにぐいと手を突っ込んで来る。

「―――――― 十二人いる」

「十二人、エイナイさんが十二人も、それが皆同じようにそう呼ばれているの、じゃあ、下のポカポが、そこがそれぞれ違うんじゃない」

「そこまでは分からん、ポカポなどとは私も今初めて聞いたのだ」

「だったら階級じゃねえのか」

「等位が無い訳ではないが、それを示すのは呼称では無い、位格は全て心の内にあってそれで十分なのだ、やはり名と云うことなのだろう」

「でもただの名前じゃなさそうね、それにその十二人の内の一人が時無しさんと重なる特別な印象がある訳よね」

もはやアハバは時無しを連れているかのようである。

「ただそう感じるだけでな」

「どうしてそう感じるの」

「どうして――― 私もついそう重ねて訊く癖があるが、やはりそう感じることがあったと云うことだろう、古いことでそう感じた記憶だけがあるのだ、しかしそれにしても驚かされた、まさかその名を人の口から聞くことなどあろうとは」

「モリは会ったことがあるの、時無しさんに」

「ない、だからお伽噺と言われても仕方はないのだ」

「エイナイさんは」

「勿論一人とて無い、しかしエイナイは存在する、せねばこの世界は亡くなってしまうからな」

「それは穏やかではござらんな」

フェーヌムが言ったが、モリは応じなかった。

――― モリよ。

――― 申し訳ありません、気を許し過ぎました。

――― そうではない、かつて一度は人に託そうともしたのだ、されど此処に至っては全てを考え直さねばならん、しかし其方も徒に見込んだ訳ではなかろう、もしやこの者らならこの先共に行けるやもしれん。

――― ですがまさかエイナイなどと、示すのがそれであるかどうかはまだ判断し切れませんが、恐らくは歪められたものに彫られている名がもし呼び違いや記憶違いでないとするなら、人になど到底どうこう出来ることとは思えません。

――― それは人に限りはせん、仕組み次第では我らとて同じことじゃ、其方も既にそう睨んでおり、更に感じておるのじゃろう、その名を彫った者か別の者かは分からぬが、名を知ることになった致し方がもしや本人に会うての上でのことだったのではあるまいかとな。

――― 御戯れを、私はなにせ臆病者であります故、つい悪い方へばかり気を取られてしまうだけで、結果あのような言い方をしてしまいました。

――― それはよい、それよりもし会ったのであるなら、それはつまり此処に在ると云うことじゃ、あの者らが降りたことなど無い筈、と云うよりもはや降りて来ねばならぬ事態と化していると云うことやもしれん。

――― まさかツェフェク様まで、本当に御戯れはお辞めください。

――― 覚えておるであろう、あの時のことを。

――― あの時、貴方様とは数多の過ぎ越しがあります、あの時とはどの時の事を仰るのか。

――― 確かに其方とは数え切れぬほどの難儀を越えては来たが、そう呼べる機会が他にあると申すか、妾が其方を策動のさ中に見失うたのはただ一度切りじゃ、あの時其方も妾の光を完全に見失のうておった、昏睡しておったのじゃ、あの儘であれば取り込まれていたであろう、しかし其方は戻った、あの時、其方は確かに何者かと一緒であった。

――― 何者、あれはツェフェク様でありました、確かに私はあの時そう感じたのです。

――― 受け取ったのは確かに妾じゃ、じゃが渡された、誰かに其の方を手渡されたのじゃ。

――― それではあの魔女であったやもしれませぬが

――― いや、其方があの時会うたのは飽くまで記憶じゃ、それが境を越えて手を伸ばせるとは思えぬ。

――― まさか、エイナイだったと。

――― 其方、あの時にあの場所で会うたのは魔女だけでなかったのやもしれん、エイナイであれば記憶も現も変わりのないこと、或いはその時無しと申す者であったとするなら、それが両者の重なる根拠ともなっておるのではないのかえ

――― 私が、会っている

――― そうじゃ

――― では、ツェフェク様はお感じになられていらしたのですか。

――― あの時はそこまでは感じられなんだ、ただ其方が戻ってくれたことにばかり気を取られていたのだろう、誰か、いや、何かとは思いはしたやもしれぬが恐らくは精霊の束のようなものとしてな、それ以上は深く考えなんだ、想起するにはエイナイなど余りに遠いことであるしな、今にして思えば迂闊であったと云うことじゃ、だがあの者らは目、感じるのさえもあの者らではない筈、まして干渉することなど在り得ぬ、しからば。

――― 別のもの

――― いや、別様を考えるよりも、我らが在り得ぬとしておることを疑うべきであろう、その在り方などもはや我々の思い込みなのやもしれんとな―――

――― なんと仰られるかと思えば、では

――― 全てをも許されている、そう云うことになっていると云うことじゃ。

――― お待ちください、ツェフェク様ともあろうものが、この度に限っては余りに答えをお急ぎになられておられます、会わずに名だけを知ることも無いとは言えません、仮に私が会っていたとしても元々我らとてそうです、それにまだ彫り入れたことに意図が有るとも、名の意味を知るとも言い切れぬ筈です。

――― 確かに妾は急いておる、この度のことはそうさせるほどのことを孕んでおるからのう、モリよ、其方の今申したことはもはや気休めにしかなるまいぞ、此処に名が彫られていることと、そう読み伝えられて来たことだけで十分じゃ、意図無しに意味も知れず此処に彫り入れるとは到底思えん。

――― ・・・・・

――― あの銅板は四百年前のものであったな。

――― はい、名を彫り入れたのがどれだけ遅れるのかは分かりませんが、彫り跡の区別が付かない程度には時期にそう差はないかと。

――― 我らが共に旅をし始めた頃でもある。

――― そうでありました。

――― エイナイにはな、現れる周期があるのじゃ。

――― それは、つまり限りがあると云う意味でしょうか。

――― 一つのな、しかし一度限りと云うことではない、いわば循環なのじゃ。

――― 巡っていると云うことでありましょうか、十二人で。

――― その一巡が四百年なのじゃ。

――― ・・・・・

――― そうじゃ、其方が気を取られたことが正しければ、恐らく時は無い。

――― しかし――― しかし、それは、一つの周期が終わると云うだけで、次へ巡りゆくだけなのではないのですか。

――― 妾もそう思いたい。

――― では、もし、もし此処に在るのが確かだとしたら。

――― それは、やはり洞見であろう、一切の見極めを直にしていると云うことであろうな。

――― 見極め――― しかし――― しかし引き継がれさえすればそれは、それは回避されたと云うことになるのではありませんか。

――― 次が用意されておればな、無ければ終わる、仮に次があるとしても此処にではそれこそ一時の気休めと云うものであろう。

――― 気休め、それは、四百年の気休めと云うことでありましょうか、これまでにこの様なことは。

――― 妾が知る限り無い、創生以来見続け、天変地異など数あるにしても此処に置いてまでは無い、四百年はエイナイの周期であって気休めと申した残された時間と関わる訳ではないであろう、それにしてもそうまでなされる御意思が単に人に向けてなのか、これまでの化育そのものへのことなのかだが、これは我らの理解が及ぶところではない、何れにしても人の栄華で満ち満ちておるこの世界が今風前にあることの公算だけは高い。

――― 疑われておられる、疑問とされておられるその御意思を晴らすことなど、とても、とても出来るとは思えません。

――― 妾も同じじゃ、しかし其方が言うたようにまだ定まった訳ではない、よいか、その始末は憂いても仕方のない程に我らには手出しなど叶わぬ、しかし仮に回避したとしてもこの三枚の銅板に纏わること自体はそれを翻させんとも限らんと云えよう、少なくとも取り巻きには反逆の意図としか断ぜられないであろうしな、ただ何故にその名なのか、妾には意図には回りくどい選択とも思えなくもない、さりとて晦渋に捉われれば見誤らんとも限らん、モリよ、まずは仕掛けられておるその術じゃ、切先に惑わされぬよう物打ちがどこを何を狙ろうておるかを見極めよ、発動の式は何かが呼び水となるのであろうがそれこそが鍵、彫り入れた意図はやはり入れたものに訊かねば分からぬが、謀ったのが此方の者であるとするなら、土台を積んだのは人、共に見過ごしに出来ぬのは同じ筈、それにその者、その少女が此処に在るのは定めし偶然ではないのであろう――― モリよ、この場に居合わせたのは皆運命を超えたものじゃ、お主がさっきあの者らに申した通り、それぞれの血がそうさせた已む無きことと思おうではないか、それでよい、その儘で良いのじゃ。

――― ツェフェク様――― 。

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