隠し文字
カリタスが吐露すればするほど呵責に怖気づくであろうことは分っているが、それが窮まる前にモリは一気に全て吐き出させるつもりであった、しかし迫れば頑なにさせるかと云うところまできて、やはり待つしかないかと心を落ち着かせた。
「さらっとすげえこと言うじゃねえか、ならあんたもシレークスもそんだけ、いやそれ以上生きてるってことなのかよ」
訊いたアハバが言葉を継げずにいるのを見てウォルンタスがそう応じたが、カリタスはその重なる時の経過の彼方に何かを感じたようだった。
「――― あなたはもう察して言っておられるのかもしれませんが――― この絵の中には、隠し文字があるのです――― 文字と言っても我々が知る文字ではありません、他国にも見当たらないものです、そもそも文字なのかどうかも判断できません、しかし父は文字と申しておりました」
半眼にした左目を机の銅板に落としたままカリタスはゆっくりと言った。
「隠し文字とな、お主はそれがどこにあるのかは分かっておるのか、隠されたものが見えておるのか」
「分かっています、ただ父から教えられて知っているだけで、自分で見付けられた訳ではありませんが」
「お父上はどうであった」
「父も祖父に教えられたそうです、恐らくずっとそうして来たのだと思います」
「では、もし教えられずに探したとして見つけられたと思うかね」
カリタスは首を横に振った。
「それでは我らも到底分かる気がせんな、ではその文字を隠す彫り方はお主には出来るのかね」
「それが私の家に受け継がれてきた技なのです」
「なるほど、ではそれを施す技を得ておったとしても、見つけるのは別と言うのだね」
それを習得した者が彫り入れたものは、たとえ同じ水準に技を会得していても簡単には探し当てることはできない、まして未知の文字となれば猶更で、紙へ刷り起したものを見ても難しいとのことである。
「ではその文字が何を意味するかだが、それにしてもこの小さな中にその様な世界が込められているとはな」
カリタスが話す気になったのにモリは一息付き、また手に取った銅板を机の上に置いた。
――― 何も感じぬと云うのとは違う、それでは却って不自然じゃ、しかし知らせまいとする意思も無い、賊心などほんの人の程の事、この銅板もその少女と同じ、まるで人しか関わっておらぬかのようにな。
――― では背徳は言い掛かりでありましょうか。
――― いいや、それは事実じゃろう、妾が言うのはその上の方術のことよ。
――― 方術、掛けられているのですか。
――― 懦夫の難癖にも及びはせん程のな、隠すだけならむしろ打って付けの匙加減じゃ
――― つまり、それは、封印でありましょうか。
――― かもしれんし、憑依とも考えられる、いずれにしても解かねばならぬものであろう。
――― 厄介でありまするな。
――― 恐らくこの者は知っておる
――― カリタスがですか
――― どこまでかは分からんが、それがあの言葉の根拠にもなるのであろう
――― あってはならないこと
――― そうじゃ、しかしどれほどのことであるか、この者はそこまで口には出来ぬかもしれん、それほどに恐れておる
――― 隠し文字はそれとは無関係でありましょうか
――― 分からぬが、それを口にした心の底にはやはり迷いから逃れたい気持ちがある、精霊殺しに会うたことで秘密を持ち続ける限界を感じておるのやもしれん
――― シレークスもまたこの少女に会ったことでさぞや迷いを持ったでしょう
――― 彼奴は残忍だが、そうでない自分の亡霊を連れておる故な、それを一瞬で消し去られるようであったろう
――― せめて文字の場所だけでも分かればよいのですが
――― それは見えておる、しかし見えても読めはせぬ、文字を入れたのは別の者、術は更に別のようではある
――― 絵は、絵そのものを彫ったのは。
――― 安心せよ、それは人じゃ、人ではあるが恐らく送られた。
――― プルガトリオへ。
――― そうではあるまい、それほどに望まれてはおらん。
――― 妻や、それに子は、子はあったのでしょうか。
――― この世での示し合わせはある、カリタスとやらと銅板を彫った者に因果はあるからして。
――― ありがとうございます、それで十分です、いつか知らせてやりたいと思います。
――― しかし何故此処に意思を示さぬものが二つもあるかじゃ。
――― 人との関わりがいつしか消してしまったとは考えられませんでしょうか。
――― そうよの、そうなのかもしれん、しかし鎮めているのではなく、消されたのならしるしだけは残る筈じゃ、物を残してそれだけ消し去ることなどまるで死者の如き芸当――― 其処に在って知らせの無いのが事をこれほど複雑にしておる――― モリよ――― この事ばかりは、妾は役に立てんかもしれぬ。
――― 何を申されますツェフェク様、居て下さらねば困ります。
耳を疑うほどに、それほどにこの太古の営みを知るものが初めて口にした弱音と云える物言いだった、依存して来たこと、めぐり逢いからこれまで、その捕翼無しにどれほどのことも成せなかったのを知るからこそ、モリは肺腑に沁む想いでそれを聞いた。
エピファニーは二人の言葉が聞こえてはいたが、見えることとは別に何故かそれが風や地の音と変わりあるようには思えなかった、ただこの老人が部屋に入って来た時に見えたものはカリタスやウォルンタスに見える色や光ではなく、幻のような大きな白き翼であったのには刮目し、銅板の文字と同じ様に皆にも見えているのかどうかも分からず口を噤んだのだった。
そんな少女の、残る情調とも云える僅かな惑いを感じてモリが言った。
「どうだね、エピファニー、探してみるかね」
モリがそう言うと皆の視線がエピファニーに集中した、より下を向いてしまったのを見てアハバはそっと後ろに回って抱きかかえると耳元に小さく言った。
「知ってる筈よ、ここにいるみんながあなたを愛していること、だから正しくなんかなくていいの、あなたの思うようにすればいいのよ」
アハバの腕の下で、エピファニーの握りしめている両の拳が解かれ、ゆっくりと手を伸ばして銅板のとある箇所にその細い人差し指を置いた、そして視線を上げず自分の差す箇所を見たまま「名前」と呟いた。
そのエピファニーの指先を見たカリタスは心の内で仰天した。
「まさか」
やっとカリタスは唇も動かさずに言ったが、その眼には信じがたい心境が露わになっていた、手にも取らず、机に置かれたままの銅板のそれを見定めるのは、その技を知る者であるからこその在り得ぬ事であった。
ウォルンタスが他の二枚の銅板もエピファニーの前に置いたが、やはり迷いもせずにその隠し文字の箇所に指を置いた。
「なんと、云うこと」
文字の場所を見定めることが、カリタスにどれほどの驚きを以て受け止めさせているかがその色を失った顔から誰しにも分かった、呆然とし漸くそれだけ言ったが、何故エピファニーに見えるのか、今の今こうして目の前で知らされてもそれがシレークスの恐れたこととは結びつかず、ただただ奇矯としか映らなかった。
「名前と言ったね、その文字を何故名前と思うのかね」
モリは優しい目でエピファニーにそう言ってすぐに言い直した。
「名前のような言葉と云うことかな」
エピはなにも答えず机から紙と鉛筆を持って来ると、見えているその文字の筆致だけを丁寧に書き出した、それは三枚共に同じ記号に見え、誰もが初めて見るまるで暗号のようなものであった。
「名前だとしても読めねえなら何処の誰だか探しも出来ねえな、まあ四百年前に入れたんなら探してもしょうがねえか」
そう言ってあぐねるウォルンタスにまるでほうけた様なカリタスが
「――― その文字の読みとして正しいのかどうかまでは分からないが、それをずっとこう呼び習わせて来た、エイナイ、ポカポと」
「エイナイ」
モリは思わず呼応するように繰り返すと、一つ二つ呼吸をしてから「あり得んな」と小さく言って更に
「それは名前としてかね、いや、何故そのような読み方を」
「読めている訳ではありません、私にそれを告げた父もそれが名前なのかの確信はなかったと思います、これまで受け継いだ誰もが口伝えに受け取って来ただけだった筈です、それにまた錠とも呼んでおりましたので」
「じょう」
カリタスは今自分がそう口にしてしまったこと、そしてモリがすぐさま繰り返したことに少し焦るようだった。
「じょうとは何だね、錠前のことかね」
そう重ねて問われてもカリタスは言葉を継げられなかった。
「おいカリタス、見せるだけってのはもう無しだぜ、いい加減結末までちゃんと話せ」
ウォルンタスが凄むように言った。
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