第二節 離郷

しばしば国境係争に見舞われた北方の小さな高地の村にその少女は生まれた、

標高は然程でなくともなだらかに続く長い尾根を馬で何日も越えなければ町と呼べる場所へは行けない、何故そのような人里離れた奥地に古人は村を作ったのか、辿る稜線上には十を越える古代の神域址が並ぶように点在し、その一番奥にそれらを崇めることを務めとする者を住まわせたのだと年寄りは言うが、守るべき神殿はもはや何処も幾本かの柱の残骸を残すだけで殆ど堆積岩を敷き詰めた土台のみと化しており、訪れる者などほぼ無いと云う意味では僻地と呼ぶにこれほど相応しい村はなかった、しかし人が国と云うもので自らを括る身となってから歴史的に周辺国同士の意地のみによる都合でしばしば勝手に書き換えられる国境上に在ったと云う不運な地であったことと、何より次の時代を担う鉱石の産出することが近年に判明してしまって以来、その辺境に於ける係争の意味合いががらりと変わり、国境線が意地だけでなく強欲の合わさった戦線と化した、そしてその村が直近の戦の勝者側に属するにも拘わらず、同じ言葉でも偶々敗戦国側の訛りのある民族であったことが少女の運命に大きく作用した、待っていたようにすぐに中央から一気に流入してきた資源探査団に加え、敗残兵の強襲に備えて駐留していた同じ共和国の軍属から無慈悲な差別的扱いを受けることで、少女の一家は故郷である高地を追われる憂き目に立つことになるのである。

家族が故郷で最後に見た戦いは九月に始まり翌年の九月に終わった為に後に九月戦争と呼ばれる一年に及ぶ白兵戦であり、村が麓となる、その付近では最も高い頂きに年中雪を被った尖峰を回り込んでの肉弾戦は近距離銃撃を含む白兵とは云え雪が血で赤く染まるほどの熾烈を極めた。

味方側の苦戦模様は僅かな平地と斜面にへばり付く様にある狭い村の住民を退去させるどころか、そこからも招集参戦させざるを得ないかと思われた夏の終わりに、常に深い山脈を背にせざるを得ない相手国が、秋を経ずして訪れる冬と物資の枯渇により突如敗走した。

切るような風に乗って村にも相当な雪の降るその地域では家々は皆石積みであったが、普段なら毎年九月になれば石と石の角にできる隙間を埋めてある土の痩せたのを補強して冬に備えるが、戦争中は手を付けられなかった為、それに間に合う時期に終戦を迎え二年ぶりに村中で急ぎ行われた、待望の作業に賑わう最中に少女の父親がたまたま通りかかった護衛隊の数人と会話になった、戦火が止み、やっと日常を取り戻せる浮き立つ気持ちが父親にはあった。

「粘土に混ぜる石灰岩はそこいらにいくらでもあるんだが、肝心の粘土質がこの辺にはなくてね、それを下に取りに降りて上げる労役が大変なんだ、人もだが無理させれば馬さえもたない、暖かい下界に住んでるあんたらが羨ましいよ」

少女の父親は寧ろ機嫌を取るつもりで何気なくそう言っただけだった。

ここ五十年は自国領内としてあったこの山岳地域であるにも関わらず、馴染みのない風土や暮らす人々の訛りから単なる占領地としか捉えていない軍人がいてもおかしくはないのかもしれなかった、勝者である自分たちの世界を下界と呼ばれ見下されたと腹を立てた兵士の一人がまるで敵兵に向かうかのように躊躇なく暴言と暴力で反応し、他の軍人たちもそれを止めるほどにはまだ戦争を終えていなかった。

その出来事がきっかけとなり、強い立場の流入者たちに元々あった差別感情が少女の家族だけでなく村全体にまで浴びせられることに忽ち発展し、重症の手傷を負った上に同じ民族の者達からもそのきっかけを起した者としての心理的な迫害を父親始め一家は受けることになり、雷鳴の如く瞬く間に代々生まれ育った土地を予想だにしなかった理由と形で捨てざるを得なくなるのだった。

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