二階の部屋

父親の代まではまだ銅版画の工房としてあったそこが酒場になって久しく、親子はその上に住んでいる。

聖典を飾る挿絵を描くことに始まるその黒い絵は、文字が他国のものであった頃は猶更、たとえ翻訳されても識字そのものが身につかなければ解釈どころか親しみさえ進まないことから、それぞれの場面を精緻に格式高く見せる方法としてあつらえ向きであり、創作表現としてもたとえば鉄器時代の神話に着想を得たものなどその克明な凹版画は美的にも知的にも上位階級の収集意欲を駆り立てた。

しかし追うように始まる技術の革新が紙への複製手法を劇的に転換をさせると、忽ちその活版術なるものに用済みとされた手業は時世から忘れ去られもはや受け継ぐのはこの国でカリタスの家のみになり、そのカリタスも今や大方にとっては酒場の主に過ぎなかった。

寝床があるだけだった二階の隅にひとつ置かれた机にはランプに照らされて紅色に映える薄い板が一枚置いてある、かつては雇い職人さえいたと云う頃とは比べるべくもなかったが前の壁には先の形状の違うビュランと呼ばれる彫刻刀が掛け並び、その鉄製の細い刃の根元に付いている山茱萸の丸い握りの小さい方はカリタスが子供用にと小ぶりに削ったものだったが、その短い柄を掌で包むように握るにはその手はまだ小さく、それでもウォルンタスが言った言葉が頭をよぎってはその晩は握りを何度も変えて放射状の線を彫っていた、するとその小さな心の中で繰り返す言葉はいつのまにか違う言葉に変わっている。

「オステュウムにはあったが、お前には無い」

血の繋がった本当の息子、カルコグラフィー職人としてだけでなく画家としても稀有な才能があったその者の話しは幼い耳にも都度に聞こえてきた、今はどこにいるか生きているのかも分からなかったが、粗末な額に入れられた一枚の小さな銅版画を大湯で見た時から、正確にはその卓越に気付いた時から、まるでそこに居るのと同じことになっている。

お使いも聖者もいないただ町と海だけを彫った劇的でも有意的であるわけでもない単に見知った風景でありそのまま浴場の大きな壁画にもなっているそれは、最初そこの店主がカリタスではなく既に評判のオスティウムに描かせた絵を基にモザイクで大きく表したもので、同じ構図のその銅版画は確かにとても子供の手によるものとは思えない程に練達したものではあったが、気付いたのはそう云うことより、店の前に広がる見慣れた筈のその光景を小さな画面の中に初めて観る世界のように描き直していると云うことであり、閉じ込め直された新しい印象はまさに魔法のように感じられた。

才能の真実を知らせるふとした印象はたとえ理論に通じていなくてもそれを軽々と越えたものになる、そして時間に翼が生え、それを描いたオステュウムの歳に日々追い立てられることにもなり近づけば近づく程に彼のいなくなったこの家の子となった責めをもたらし、それを果たせる道理の無さが生々しくこの契約の不首尾を知らせることになった。

この世に生まれてはじめに知ることを知らされないまま二歳に三月足らずで引き取られた子は、ニードルで絵をかき、やがてビュランを握り、そしてたった五年余りの後には己の意味を問うばかりとなる、かつて知るに辿り着いた者のいないその答えがどうして年端も行かぬものに得られるだろうか、幼き日に見つめるのはけして内なるものなどではない、それは空であり海であり、小鳥や自然、そしてその未熟を見守る者の筈である。

下の片づけを終えるとカリタスは階段を軋ませ上がってきて、安普請には不釣り合いな背もたれに聖堂の窓のような透かし細工のある椅子に静かに腰を下ろす、少しすると手にしているポーチから古い素焼きのパイプを取り出し掌で刻みたばこの葉を丁寧に揉みはじめる、縁の少し欠けたボウルを摘まんだ左手の指と火皿に差し入れた右手の指を連携させ時間をかけて葉を平らに収めると、立ち上がってランプから木軸に取った火を用心深く葉に移しながら座り直す、吸って軽く吹き戻すのを二度繰り返し火が落ち着くと浅く燻らせはじめる、そうしてから銅板に向かっている小さな背中にこう言う。

「エピファニー、あとは明日にしなさい」

寝に就く頃には夜は誰しにも同じ意味の暗闇となる、しかし眠らないものには何となる、椅子の座面に置いた尻上げの木箱と机の幾つかの道具をかたずけると独り先に寝床に入り、ふかす横顔を毛布の端からぼんやり見る、眼帯の無い左側は顎から頬骨を経てこめかみと眉を繋ぐ線が切れ目なく分かり、それはとても穏やかな線に見える、怒りや喜びの感情を持ち合わせていないと客たちが思う程に心を乱す素振も表情も見せず、店で酔いに任せた殴り合いが始まっても眉ひとつ動かすことなくカウンターの向こうで煙を立ち昇らせている。

暫くしていつものように入れ替わりに机に向かい咥えたものを脇に置いたが最後、今宵も絞ったランプの暗い灯りの中で動かなくなる、頭を左に少し傾け右肩の上がった細い背中のその形、手元の動きも感じられないほどにまるで息を止めたように夜が終わるまでそこにそうして浮かんでいる、ふと醒めて声も掛けられず夜具の擦れる音もたてないように目だけ凝らしてその精逸にそっと滑り込もうとしても、まるで意味を同じくしないものを拒むかのようにその形が立ちはだかる。

とうに気付いている筈の霞んだ道程にけりのつけられない理由は無い、明日のあることの合図のような言葉も遣る瀬無く空々しい、嗣子とはなり得えない、オステュウムとは違い過ぎる、ならばすべての事柄に意味はなくなる。

夜毎そこから見る横顔や背中の仄めきがランプのせいではないことを辛うじて自身の血の中で覚えてはいても、その不揃いを紐解き繋ぎ直す本能と甘えそのものが無い、無かったのではなく無くしたのかもしれないのはウォルンタスの心に触れるからで、その色まで同じであることが譬え証明であるにしても父親の心には触れられない、或いは自らが結ぼれている、条件と無条件の同舟、怒りと慈しみの同義、その複雑で単純な人の在り方を、この孤独に内面を彷徨う者が悟るにはいずれにしてもまだ早すぎる。

物語は紛れもなくこの部屋から始まろうとしている、ならば言うまでも無くこの拙劣なる父と子の物語となるはずではあろうが、この倦むふたりに物語るほどの捗々しさは望めそうもない、ただ此処に至る時空を貫通する怒りと悲しみがあることはその所以によって立体的に交差する者たちの存在と共に確かだと言わざるを得ず、その物ともしない覚悟と苦難は配慮として綴らねばならない、その途上での幾重かの差し交しの中に織り込まれる生き死にが果たしてこの親子の凝結にいかな波も及ぼさないとは思わない、憤怒から逃げることなく追うことの勇気を前に溶けて流れる軌を糊とすることが彼岸への道か、それとも野垂れるだけの娑婆となるか、それを我がことのように見定める為に共に行くことが肝心なのである。

やがて曙光に焼かれるその形を夢裏に見ながら、自分の父親となったこの悲しい男に覚える心の機微が、終わりの無い喪失に向けられた同情となって瞑る目を震わせた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る