第3話 競パン戦士やられない!~レッド、淋しい青年を救う

彼氏を仕事に送り出した後にすることは、口をゆすぐことだった。

彼とは1年前から暮らしていて、未だに「いってらっしゃい」のキスをする。

そのくちづけを汚いとも不快とも思わないが、僕はとりあえずそうする。


口をゆすぐと洗面所を出てリビングに向かう。

二人で選んだこの部屋は広いリビングが自慢だが、今見るとひどく閑散としている。

彼氏の朝食を終えた後の食器はシンクにたまっているし、僕の飲みかけの紅茶のティーポットやカップ、そして茶こしがテーブルに転がっていて散らかっている。

それにもかかわらず、閑散として見えるのは、彼氏が出て行って静か過ぎるのかもしれないし、向かいのビルから微かに反射してくる太陽の光が灰色じみているからかもしれない。

とにかくどことなく陰気で、それでいてよく親しんだ自分たちの部屋である。


今から仕事が始まる。

僕はテーブルの上のPCを開いて、会社の仮想環境にログインする。

僕はいわゆるテレワークをしている。

家での仕事は気分の切り替えが大変だと言われるが、僕は苦にならない。

仕事をしていると色々と気がまぎれるからだ。


僕はWeb会議ツールを開いて、会議の準備を始める。

今日は午前中に会議がある。

共有された資料をざっと眺めておかねばならないし、自分の進捗も報告しなければならない。

決められたタスクをこなした後に会議が始まった。

会議は和気あいあいと進み、僕もよく笑った。

もちろん、仕事の話が大半だったが、少し冗談も言った。

「ありがとうございました」と楽しい余韻を残しつつ、僕はWeb上の会議室から退出する。


そして、ノートPCを閉じたのだが、その音が思いのほか大きくて僕は驚く。

僕の笑顔は一瞬で真顔に戻り虚空を見つめる。

閑散とした部屋の灰色がかった壁(実際は白だが)が目に飛び込んでくる。


しばらく何も考えない時間が過ぎた後、インターホンが鳴った。

僕ははっとして、それに対応する。

マンションのエントランスには配管掃除担当の男がいた。

確かに今週はマンション全体の配管掃除が行われると通知があった。

僕は開錠ボタンを押す。


ここまで僕の人生に致命的なミスはなかった。

学生時代も全ての学校を浪人も留年もなく真ん中より少し上の成績で卒業したし、会社も良いところに入って残業もない。

上を見ればキリがないけれど待遇も満足だ。


ただ、この瞬間ドアを開けるタイミングが早すぎたのである。

注意をしていればわかるはずだった。

確かに、業者が道具を抱えてエレベーターに乗ってこのフロアに着いて呼び鈴を鳴らすには早すぎるタイミングだった。

しかし、僕はドアを開けてしまった。


ドアを開けた瞬間、黒い触手が僕の体を物凄い速さでリビングのドアに押し付けた。

その黒い物体は粘液で濡れていて、それに加えてしっかりとした密度を持っているようだ。

僕は『グリード』という昔の映画の巨大ゴカイのことを思い出す。

先端に鋭い歯こそないが、それにそっくりだった。


僕の背中にあるドアの板は薄く、すぐに亀裂が入った。

ドアにはめこまれていたガラスにもヒビがはいるのがわかる。

ミシミシと音を立てるドアが「割れた」瞬間、僕はその黒い触手に押し出され、リビングを瞬く間に通り過ぎた後、部屋の大きな窓に押し付けられた。

サッシの凹凸が背中に食い込み痛い。

しかし、それも一瞬だった。

アルミサッシは飴細工のように歪み、それに合わせてガラスもパリパリと割れていく。

窓の奥はベランダもなく外だ。

このまま僕は外へと押し出され、地面に投げ出されるのだろう。

それなりの高さがあるのでほぼ確実に死んでしまうはずだ。


「嫌だ」と思いながらも成す術もない僕は、呆気なく外へ投げ出された。


このまま僕は落ちていくのだ。


絶望する間さえ与えられず一瞬で死ぬ。

そのはずだった。


しかし、僕には絶望する間が与えられた。

そして、恐怖に震える時間も自分の哀れな人生に涙する時間も与えられた。


死ぬ前の走馬灯かと思ったが違った。

僕は地面に到達する前に誰かに抱きかかえられたのである。


僕の体は先ほどの触手と同じくらい密度の詰まった腕に抱きかかえられていた。


「大丈夫か」と声をかける彼の声は力強いが優しかった。

それに衣服越しに感じる感覚は、裸の人間のそれであることに気づく。

その感覚は僕にセックスのことを思い出させた。

顔が赤らむ。


僕は僕を抱える男性の顔を見る。

その顔を僕はうまく認識できなかった。

初恋の人にも似ているし、今の彼氏にも似ているような気もする。

あるいは、彼とのセックスの時にいつも思い浮かべているような理想的なイケメンの顔にも似ていた。

美しい顔の人は、この世の人々の平均顔だというが、彼もそうなのかもしれない。


唖然とする僕にケガがないことを確認すると、彼は僕を腕から降ろした。

僕はその彼がほとんど裸で赤い水着だけを身に着けていることに気づく。

しかも、それはかなりきわどいビキニ型の競泳水着だ。

こんな格好をしている人は、タイ旅行に行った際にナイトクラブで見たお兄さん位だ。

彼の股間もタイのお兄さんと同じように「もっこり」と膨らんでいたが、全く性的な感じはしない。

むしろ、そこが逞しく隆起しているせいで、男らしさが増し精悍にも見えた。


正義の戦士競パンレッド。

僕はその存在を思い出した。

現在の世界は悪い宇宙人に侵略されていることは知っていたし、それと対抗する競パンの戦士たちがいるのも知っていた。

しかし、まさか自分がその宇宙人によって攻撃され、競パンの戦士にレスキューされるとは思ってもみなかった。


「さあ、君!ここから離れるんだ!」


呆けたように立っている僕にレッドが強い語気で言った。

その台詞を言い終えぬうちに、上から求愛中の鳥のような甲高い声が響く。

それは先ほどの粘液にまみれた生物だった。

その生物はのたうちながら窓から身を乗り出し、こちらを向いていた。

奴が僕を狙っているのか、はたまた競パン戦士を狙っているのか全くわからなかったが、何らかの攻撃が来るのは明らかだった。


「仕方ない…一瞬で終わらせるか…」


赤い競パン戦士の眉間に皺が寄る。

そして、彼は腕を十字にクロスさせた。

その腕の中央に光が集中し始める。

それを感知した黒い生物がたじろぐのがわかった。


「競パンビーム!」


マグネシウムを燃やしたような激しい光が放たれた後に、競パン戦士の腕から強烈な光線が発射された。

それは黒い生物を直撃。

黒い生物は一瞬で四散した。

きっと奴はさっきの僕と同じように絶望を感じる間もなかっただろう。


呆然とする僕の方を、光線の姿勢を解いた競パン戦士が微笑みかける。

その微笑みが「もう安心しても良い」ということを伝えたいのだとわかった。


それを見て僕も微笑む。

久しぶりに他人と通じ合えた気がした。


しかし、次の瞬間、競パンの戦士の足元がぐらついた。

僕は慌てて駆け寄り、競パン戦士を支える。

ちょうど抱擁するような形になってしまい、僕は少し気まずさを感じる。


「すまいない。競パンビームはかなり体力を消耗してしまうんだ…。一発撃っただけでこの様さ」


レッドも決まりが悪そうにそんなことを言った。

確かにレッドの素肌は汗でじっとりと濡れていたし、心臓の鼓動や呼吸も早い。

この状態の素肌と素肌が触れ合う感覚に僕はなおさらセックスを連想してしまって恥ずかしくなる。

それより何よりレッドの股間が硬く勃起しているのである。

確かに、競パン戦士が戦う時に、股間にエネルギーを充填することは知っていたが、こんな股間を押し付けられていては僕も妙な気分になってしまう。


それを悟ったように競パンレッドは、僕を優しく自身の体から引き離す。

その優しい笑顔を見て僕はさらに照れてしまって目を伏せた。


周囲には怪物の焼け焦げた灰が降り始めた。

それは雪のようでも桜の花びらのようにも見えた。

あの気持ちの悪い生き物だったとは思えない。


「それじゃあ。後始末は警察がしてくれるから…」


そう言うと、競パン戦士は僕に背中を向けて去っていった。


その背中にかける言葉も見つからず、僕はただただ立ち尽くす。

ただ、去っていく競パン戦士を見送りつつ、彼とキスしたなら僕は口を決してゆすがないだろうと思った。



以上

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負けるな(負けろ!)競パンヒーロー らぶか @ra_bu_ka

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