第4話「アレニズム」

 ……俺たちはさっそく一戸建て(賃貸)を買いに行った。近くの、不動産屋に。


 そう、二人きりで。これって…………デート⁉


 高ぶる心を押し込めて、すかした顔で歩道を歩く。それに何ともないような様子ですぐ隣を歩くシェラ。


「えっと、本当に死神だってバレないんだよな?」


「大丈夫よ。実際、あなただって私のこと普通の人間と区別できていないでしょ」


「いやそうじゃなくてさ、地球にはほかにも死神がいるんだろ。そいつらが変に絡んでこないか心配で」


「大丈夫よ。死神からだって、ぱっと見じゃ人間か死神かなんて区別付かないわよ」


「そうなのか?」


「そう。だから大丈夫よ。安心しなさい」


「お、おう……」


 なんだか年上のお姉さんに手ほどきされているような不思議な感じだ。俺って年上派だったか? どちらかと言えば年下が……いや、シェラの場合、年齢なんて関係ない。可愛いんだからそれでいい!


「着いたぞ、不動産屋」


「入りましょう」


 先陣を切って入っていくシェラ。しかし俺は……。


 これからの将来を大きく左右する物件選び。緊張というかなんというか、よくわからないけど足がすくむ。


「ねえ。入らないのかしら?」


「いや、今、行くから」


「早くして頂戴。私がアパートを破壊したのも悪かったのだけれど、もうここまで来てしまったのだからね」


「あ、ああ、だから、今行くって」


 そう言いながら、足はほとんど動かない。脳の命令を無視するようになった足が、俺に向かって不気味な笑みを浮かべているようで。


「ねえあなた、そこで立ち止まっていると迷惑よ。人が通るかもしれないし、それに……私は待つのが苦手だから、あなたが来ないと困るわよ」


「え………困る?」


 謎の緊張感が突如にはじけて消えた。『あなたが来ないと困る』というシェラの言葉。きっとそのせいだろう。だって、シェラが困ったら、俺も困る。


「ああ、そうだな。困るのは、嫌だよな」


 やっと踏み出した一歩を踏みしめて、俺は不動産屋の中へと入っていった。


 ――それから、広さを求めるシェラと安さを求める俺が少し揉めた後、親から仕送りされた金と貯金を全部使い果たし、アパートから歩いて役10分の住宅街の2階建て2LDKのシンプルな家を買うこととなった。


 さすがに生活費も危ないので、俺は仕事を掛け持ちするつもりだ。


 このことは、親には内緒。さすがに惚れた女(死神)のために一軒家買ったとか言ったら怒られそうだし。


 昔から親も、俺の成績がとても良いので、「天才だわ!」とか言って周りに自慢してきた。俺のことを甘やかすような親だった。でも俺を信じてくれているからこそ、俺が一人暮らししたいといった時、迷わず送り出してくれた。


 それは嬉しい。でもなんだか俺に興味がないみたいで、そっけない感じがしたんだよな……。


「……実は私も人間のまねをしてバイトというものをやってみたいのだけど」


 俺が色々と考えていると、シェラが口を挟んだ。


 今ちょうど、即入居可ということで、新しい家に住み始め、荷物を整理し終え、やっと生活できるようになってきたところである。……とはいえ元のアパートにあったものはほとんど消失してしまったので、最低限の生活用品だけを買いそろえたのだが。


「君――いやあなた? ……えっとその、バイトできるのか?」


「シェラって呼んで。呼び捨てで。バイトができるかどうかはわからないけど、まあ人間という下等生物ができる事なら私にもできるでしょう」


 突然バイトをしたいと言い出すシェラ。そして『シェラ』呼びをご所望のようだ。


「うわあ、人間凄いなめられてるぅ。それでそれで? 『バイト』の意味は分かる?」


「もちろんだわ。人間が醜く泣いて縋り付くお金を得るための簡単な労働のことよね」


「誰だよそんなこと言ったの」


「アレニズム様よ」


「アレニズム、ふざけんなよ! もともとは女性だろうと、容姿が女だろうと、男なんだろ? それなら男として正々堂々勝負しようじゃないか、あん?」


 ……かなりムカついた。


 俺は怒りを抑えようと、胸に手を置き、深呼吸。


「まあ簡単なバイトとか探してみるか。一応、俺が働いてるピザ屋でバイトできるか、今度、店長さんに聞いてみるよ。俺も手伝ってくれるとありがたいしな」


「ええ。その……愚者の食物だとうわさされている『ピザ』というものを作るバイトなのかしら?」


「愚者の食物じゃなくて、全人類の至高のファストフードだと思うんですけど……まあそれは置いといて。ピザを作るのはすごく難しいんだ。俺は店内で召し上がるお客様への対応とかしてるけど……まあ始めてだったら近くのピザの出前でも行ってくれればいいと思うよ」


「出前……あー、配達することね。分かったわ。……それはいいのだけれど、ひとつ気になったことがあって……」


「なんだ?」


「なぜあなたは客に対してそこまで敬意を払っているのかしら。客はピザが食べたくて来ているんでしょう。だったらそこまでする必要は……」


「何を言ってるんだ! 印象が大事なんだよ。お前、同じピザでも、良い対応の店と悪い対応の店、どっちに行きたいと思う? 当然、いい対応の方だよな?」


「いいえ。対応などどうでもいいわ。だっておいしいものが食べたいだけだもの。大事なのは質と量よ。もしかして人間は違うのかしら?」


「ああ、違うな。死神と人間の価値観は違うようだ。だからこそ、人間界で働きたいのなら。俺の話を聞いてくれ。ここは、お前たち――死神がいた月じゃない」


 そうだ。当たり前だ。人間と死神。生物が違うのだから、当たり前。人間同士ですら、価値観が違うのだから、当たり前。


「分かったわ。私は別にあなた――人間に文句が言いたいわけじゃないの。ただ気になっただけ。私は出前を頑張るわ。それで幸せに暮らせるのならば。アレニズム様に奉仕できるのならば」


 俺は少し言葉に詰まる。


 アレニズム――何度もシェラの口から出る、最高死神の名前。死神のトップというのだから、きっととてもすごい死神なのだろう。さっきシェラから聞いた話で、最高死神に逆らえないというのはわかったが、それとは別に、シェラはアレニズムに何かほかの感情を抱いている気がする。


 ただ慕っている、ただ好意を持っている、そんなことで片づけていいのかと思えてくる。俺がアレニズムのことを悪く言うたび、シェラは酷く怒った。アレニズムとシェラには何か特別な関係がありそうだ。


 その後、俺たちは無事に引っ越し作業を終えたことに安堵し、ゆっくりお茶をし始めた。うん、何と言ってもシェラがお茶を飲む姿が可愛すぎた。まだ若い俺にとっては、強炭酸水並みに刺激が強かった。


 そして――それからが問題なのである。


 俺がソファにもたれかかり、シェラに見惚れていると、彼女が突然こちらをまじまじと見つめてきて――え、何⁉ 告白⁉ あ、告白はもうされたのか。じゃあ何だ、何なんだ?


「――突然なのだけど」


 彼女は何気ない表情のまま、衝撃的な言葉を口にした。

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