第5話「結婚してください」
「――突然なのだけど」
「おっと、その始め方はなんだか嫌な予感しかしないぞ」
シェラが唐突に何か言い始めると、不吉な予感がするものだ。
「今から私と――――」
右目に差し掛かろうとする前髪をさっと払い、いっそう勢いを強めるようにじっとこちらを見つめて……
「――結婚してください」
彼女は言い切った。さっきまでの強気な態度とは裏腹に、軽く頭を下げた彼女の頬は紅潮していた。……というか本当に突然だな。
はあ、はあ……と彼女は息を切らしている。その甘く嫋やかな吐息が、耳朶を打つ。よっぽど緊張したのだろう。彼女にとって、『付き合う』と『結婚する』の差は凄まじいようだ。
俺は今度はシェラという死神の女の子から結婚の申し出を受けたわけで。俺はそれに答えてやらなきゃいけないわけだ。保留などという醜い手は使わない。いや、使えない。
シェラに笑われてしまう。ここは、はっきり言ってやるしかないのだ。『はい』か『いいえ』の二択だ。
ここで断ったらどうなるだろう。結婚ではなく、交際だけ、と言うのは少し格好悪いな。でも、家もお金もない状態は危険だ。元凶はシェラなのだから、シェラにどうにかしてもらわなければ困る。
シェラは可愛いし、性格も嫌いじゃない。なんだかツンデレキャラっぽくていいなと思ってる。けれど、人間が死神と結婚するということは、聞いたことがない。今まで死神は何人も人間と結婚しているとシェラは言うが、信憑性は全くない。むしろ信じられない。
心の底では信じている。それに、信じたいのだけれど、結論を言葉に出すのがなんだかもどかしい。どちらに転がっても悪いような気がして、やけくそになっては我に返っては冷静になり、というのを繰り返す。そこに、時間が経つたびに『シェラが待っている』という事実からの焦りが加わってくる。何度も頭が真っ白になった。結局どうすればいいのかわからなくなった。
「ねえ……どうしたの? 今答えが出せないならまた今度でもいいけど」
それは嫌だ。……でも、なんでだっけ。変な意地を持ってるけど、シェラに笑われそう? シェラはそんなことしないだろ。それなら今決めなくても……。
……でも、今決めなかったら後で後悔するのは自分だ。どれだけ考えても結果は同じ。どうせ答えは出ない。ならいっそ――
「――結婚しよう」
結局はそうなった。理由は、今までの人生が暗かったので、もっと明るくしたかったから。
そんな、幼稚な回答だ。頭がいい人の答えとは思えないだろう。でも、頭がいいと褒めたたえられてきたからこそ、自分を対等に扱ってくれるのが嬉しい。そしてその人――いや死神はとても可愛くて、俺のタイプで、俺にプロポーズまでしてきている。それも、俺の大好きな、ツンデレ感あふれる感じで。こんなの、俺が惚れないわけがない。
頭がいいというのも、自分の大事な個性だ。だからそれを守るべきだと思って、恋愛はもうどうでもいいと思い始めていた自分がいた。青春とかもういいから。度胸もないし、そんな資格は俺にないから。
これからの人生を仕事とかをして有意義に暮らしたいと思っていた。一人でいいから、もう我儘は言わないから……。
そして今、俺は人生最大のチャンスを迎えた。いや、もしかしたらこれから最悪の人生が始まるかもしれない。でも、それでいい。色のなかった人生に、色とりどりの花を与えてくれたのは、紛れもなくシェラなのだから。
「ありがとう。……ミツル君」
彼女は喜びをかみしめるような表情で、そう言った。俯きがちだった顔をあげて、俺の方を真っすぐ見つめて、頬を赤らめ、勢いよく――感謝の言葉を伝えた。
俺はとても嬉しかった。……彼女は俺を受け入れてくれた。
どんな理由だろうと俺は構わない。でも、先のこじつけの理由よりももっと大きな、言葉では表せない胸いっぱいの感動が、彼女の中にあったのだと思う。それを今この瞬間、俺もわかった気がした。
シェラは死神の中で唯一彼氏がいないと言っていた。辛かっただろう。アレニズムを慕っていたのに、奉仕することができなかったのだろう。今の俺だからこそ、同情してしまう。
今、会ったばかりの女の子に、どんどんと俺の人生が塗りたくられていく。俺自身が変化していく。
……楽しい。
ここまで本気で楽しいと実感できたのは、いつぶりだろうか。もう…………思い出せない。
同時に、一生シェラを幸せにしたい――悲しいことも苦しいことも分け合って、一緒に暮らしていきたい。交際ゼロ結婚でも何でもいい。出会ってからの時間がどれだけ短くとも、シェラのことは十分伝わったから。
だから、俺はこのことを言葉にして彼女に伝えるべきだ――
「俺は……俺は君が好きだ! 恥ずかしいけど……ありがとう。こんな俺を受け入れてくれて……。それと……これからも『ミツル君』って呼んでくれないかな?」
「……え! そ、それは…………恥ずかしい……。もう無理よ。絶対ダメ! 特別な時だけ」
「わ、分かった……。でも……! 月に一回! 月に一回でいいから、その特別な日を作ってよ!」
「え……そんなに……。善処します……」
「そこは分かったって言ってくれよ!」
笑いあって、少し泣いた。嬉し涙くらい出てもいいよな。
最高な雰囲気。これぞ青春。
「――この勢いのまま、婚姻届を提出しようと思うんだけど」
「え……?」
突然真顔になって言うシェラに戸惑う俺。
ちょっと驚いた。というか冷静になってみれば、どうやって死神と結婚するんだ? 婚姻届なんて出せるわけがない。
「どうやって出す気なんだ?」
「人間を操るに決まってるわ」
「操るの?」
「操るに決まってるわ」
「決まってるの?」
「決まってるわ」
「こわ……」
「死神ってそういうものよ」
「そういうものか……」
なるほど理解した。つまり、死神は大体何でもできるというわけだ。ああ便利便利。
「あなたは私と結婚したことになるけど、私が人間でないことはバレない。身元確認はできないけど、もし私がいないのがバレそうになったら洗脳が発動するの。きっとうまくやってくれるわ。そのために市役所に行って、婚約届を提出するのと……あともう一つ、書いてほしい書類があるの。死神と人間との結婚及び…………」
シェラが怪しい紙を取り出して、それを見たかと思うと、すぐにシェラの顔から汗が流れ出て、目が回ったような戸惑いの表情になった。
「どうした?」
「ま、まあ見ればわかるわ。そうすれば正式に私たちは結婚したことになる。それからは、まあ各自でいろいろ準備を……」
「何をするんだ?」
「ぱ、パーティーをするのよ。結婚祝いパーティ」
「二人で?」
「うーん。他に誰かいるかしら? 私に友達なんていないし……」
それはちょっとかわいそうだな。地球にいないという意味なのか、そもそも死神に一人も友達と呼べる中の人がいなかったという意味なのか……。まあ、シェラがサキュバス的(シェラ曰く)な奴らとつるんでるってのも、それはそれでよろしくない気がするけど。
「俺はバイト先の後輩とか呼べるけど……あー、そうだ。他の人が死神を見てもいいのか? バイトするって言ってたし、見られても大丈夫なんだよな?」
「ええ。ただの美人にしか見えないでしょうね」
「じゃあ……呼ぶか」
「そう……かしら?」
「?」
「私は……二人の方が…………」
「……っ…………」
シェラはまた恥ずかしそうに言う。もじもじしている。そんな顔されたら、ドキドキしてしまう。二人の方が……って、なんでそんな年頃の男子を弄ぶかのような言葉を…………。
「……分かった。パーティは誰も呼ばない。二人だけのパーティだ。俺の後輩はまた今度、紹介するよ」
「そ、その前に……婚姻届けをもう出しに行かない?」
「い、今⁉ え、えーと、その、あの、印鑑……とかは?」
「全部偽造しといたわ」
「あ、あぁ…………」
なるほど理解した。……え、それだけ?
「で、でもさ、なんか、結婚するのってなんかこう、手続きとか必要なんじゃないか? 今日で全部終わる?」
俺がそう言うと、シェラはふふふと楽しげに笑った。
「あなた、結婚のしかたもわからないの? しょうがないわね」
「え?」
結婚のしかたとか知らないけど……ってか、何その馬鹿にしたような言い方。やばい、目覚めそう。
俺を笑い飛ばすように、シェラは続ける。
「結婚はね、この婚姻届を提出するだけでできるものなのよ」
「えぇ〰〰〰〰⁉」
俺の無知さを肌で感じた初めての瞬間だった。
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