謹製の味
時期的にまだ小振りのお茄子だけどとても美味しそうよ。
ひとつを櫛に四分の一にカットして丁度良い大きさになるから、一人前で一本だと少ない気もするしあと半本分くらいかしら?
揚げ油に菜箸を入れて細かい泡が上がってくれば適温で、それを目安に油の温度を確認すると簡単でしょ。
冷たいお蕎麦に載せる前提だから、茹でるお湯が沸騰するより前にお茄子を素揚げしちゃって粗熱を取ってしまわないとね。
お茄子は比重が軽く火が通ってなくてもずっと浮いてるから、櫛にカットした頂点が薄っすらキツネ色になったらバッドに上げて油切りをするの。
余熱でもう少し色が着いちゃうから薄っすらじゃないと焦げた色になっちゃうわ。
揚げ油には胡麻油も使っている為に凄く良い薫りで、天麩羅もお蕎麦屋さんには付き物だからまるでお店の厨房みたいよ。
これは『月詠義塾』に続いて『月詠庵』って屋号も付け加えちゃおうかしら?
そうねぇ……『お蕎麦処 月詠庵』と命名しちゃいましょっ。
あれ? 塾名が無くなっちゃったわ……
お茄子の素揚げは直ぐに終わり、あたしは蕎麦猪口の代わりに使う小振りな当り鉢にお出汁を張ると、その上から沈まないように『そぉ~』っと摺り卸した自然薯を盛付けてあげる。
最後に卵黄を少し窪ませた真ん中に置いたら刻んだお海苔をパラパラって飾り……
「わぁ。綺麗ね。流石に弥生ちゃんだわ。私は当り鉢にはとろろと卵黄だけにして、お出汁は蕎麦猪口にって思ってたけどこの方が食べ易いし良いわね」
「盛付けにひと手間掛かるけどこの方が良さそうだ。これからはこうして盛付けるとするかねぇ」
「あっ、彩華さんが考えてた盛付けと違っていて、出過ぎた真似しちゃいましたか?」
「ううん、そんな事はないわよ。だってこの方が美味しそうだし、食べ易いし文句なく満点だわ。そうでしょ? お義母さん」
「彩華の云う通りだよ。あたしもこの方が良いと思ってるさ」
「お褒め戴きありがとうございます。実はあたしのイメージだとこの盛付けしか浮かばなかったんですよ。だから本当に良かった……」
「そうだったの? 驚いたわ。私にはこの盛付けの発想すら無かったのよ」
「彩華の盛付けはあたしがするのと大体同じだから、他の盛付けは考えなかったのだろうさ。あたしも含めて癖みたくなってしまい新しい方法を試さなくなったって事なんだろう。盛付けに限らず新しい発想はいつでも大歓迎だよ」
「そこまで手放しで褒められると恐縮しちゃいますよぉ。勘弁して下さい」
「ふふふ。弥生ちゃんは謙虚なのね。可愛らしくて良いわね」
例えお世辞が混じっていてもやっぱり盛付けを褒めて貰えるのは嬉しいわ。
だって盛付けだってお料理の一部だと思うのよ。
同じ柵からとったお刺身だって山盛りにされるより、刺し妻に綺麗に並べられるのとじゃ食欲だって変わるじゃない?
それと同じだもの。
もっと云うならTPOを考慮するとメニュー自体も変わるわね。
いくら美味しそうな懐石御膳でもピクニックに行って食べたいって思わないでしょ?
あたしだったらサンドイッチやおにぎり、それに海苔巻きなんかが好いわ。
おかずはそうねぇ……
一口サイズの鶏の唐揚げやウインナーとか玉子焼きを、ピックで刺して簡単に摘まめる感じのお弁当がイメージに合ってる気がする。
お外で摂るのが前提だから、少し簡素だったとしても食べ易さを優先したいわね。
あぁ。こう云う事なのよ。
あたしが師匠と彩華さんに褒められた本質は『食べ易さ』なんだわ。
お蕎麦だから気軽に食べられた方が美味しく感じられる筈よね。
改めて思い返すとお蕎麦屋さんの盛付けって、綺麗だけど無駄を省いた盛付けが多い気がするわ。
お子様ランチみたいなワンプレートの盛付けとどこか似てる感じもするかな。
手軽に摘まめるって云えば握り寿司の発祥だって、屋台で気軽に手で摘まめるようにって考案されたお料理だし。
お寿司屋さんって高級なイメージが在るけど、元々は現代で云うところのファーストフードみたいだったらしいの。
それが長年に渡る創意工夫と、鍛え抜かれた技術の研鑽で昇華したのだと考えて良いと思うわよ。
お料理も盛付けも突き詰めて行ったら奥が深いのねって改めて感じちゃった。
お蕎麦も茹で上がって冷水に晒し滑りを取る為に揉み洗いして水切りしたら、今回はザルに盛るのではなくてお皿でお出しする事になってるの。
お蕎麦を一口分くらいの分量で抓み少量ずつお皿に盛付け、香味や素揚げしたお茄子をトッピング。
紫音ちゃんと綾音ちゃんの分は少し深めの丸いお椀状のお皿にお蕎麦を盛付け、お出汁を廻し掛けてから香味を散らしお茄子を載せた上にとろろを掛けて、真ん中に卵黄を飾り刻んだお海苔をパラパラってすれば完成よ。
うん。我ながら美味しそうに出来たわね。
二人共いっぱい食べてくれると良いなぁ。
えっといま何時かな……
お昼は少しだけ過ぎちゃったけどご飯を食べるのに良い時間ね。
師匠がお蕎麦の支度を始める前に少し早いって云ってたから、やっぱりあたしが時間を掛け過ぎてしまったかしら。
でもまぁ、初めてだし大幅にお昼を過ぎちゃった訳でもないし及第点と云う事で良いわよねっ。
あたしなりに頑張ったのだから、そうしましょ。うんうん。
アナタ チョット オキラク スギ ナンジャナイ?
はい。お気楽ですが何か?
ハァ。モー イイワヨ。
ソレヨリ ハヤク ハイゼン ノ オテツダイ シナサイナ。
ちょいちょい思うけどクーデレさんって可愛いわよね。
だってあたしが『誰かツッコミいれてぇ』って時はちゃんと構ってくれるもの。
ずっとあたしを見護ってくれてるのと暇を持て余してる証拠よね。
だから。あ・り・が・と。
「璃央さんお待たせしました。特製の冷やし香味とろろ蕎麦よ。紫音ちゃんと綾音ちゃんもお座りして皆で一緒に食べようね」
「おっ! これは美味そうだね。ほら、紫音と綾音も早く座れ」
「「は~い」」
「はい。これが紫音ちゃんので。こっちが綾音ちゃんの分よ」
「うん。おねぇちゃん」
「ねぇね ありがと」
「どう致しまして。いっぱい食べてね」
「あれ? これはどうやって食うんだ? 皿に盛ってある蕎麦につゆを掛けるってのも……何か違うよな――」
「璃央、よくよく視てみな。当り鉢を蕎麦猪口代わりにして出汁にとろろを乗せて在るだろ」
「あぁ、本当だ。いつもと違うからどうやって食えば良いのか迷った」
「これは弥生の盛付けだからねぇ。これからはこうやって出すから覚えときな」
「へぇ、弥生ちゃんがねぇ。綺麗な盛付けだし、いつもより食い易そうだね」
「ついでに云うとこのお蕎麦はあたしが打ったのよ。だからちゃんと味わって食べてよね」
「ほぉ。良く出来てると思うけど、ちゃんとした感想は食い終わったらまた云うね」
「それで良いわ。婆ぁばに付きっきりで教えて貰ったのだから美味しい筈よ」
「弥生ちゃんは器用なのよ。私がお義母さんに教わりながら初めて打った時より全然上手なんだもの」
「そりゃ益々期待しちゃうね。取り敢えず早く食おうよ。折角の蕎麦が伸びたら勿体ない」
「そうね。これ蕎麦湯よ。上がりに使って」
「それじゃ戴くとしようか」
「「「いただきます。」」」
「「いただきゅましゅ」」
「どうぞ、召し上がれ」
まずはお蕎麦だけでお出汁は使わずに一口。ぱくっ。
お蕎麦の良い薫りが口の中に広がって幸せな気分だわ。
心配だった練り不足でボソボソした感じは全くなく、ツルツルしていてコシもそれなりに在って悪くない。
でもまだまだ改善の余地は在るかな?
老舗のお蕎麦屋さんだともっとコシが在って歯ごたえも良いし、喉越しもツルってしてるわね。
やっぱり及第点の域を出ないのが残念だけど、初めてお蕎麦を打ったあたしがベテランの職人さんの腕と同じなんて在る訳ないもの。
この次は少しでも良いから上手に打てるように頑張りましょ。
二口目はお出汁を着けてツルツルって啜ると、お出汁に浮かべたととろとお蕎麦が絡み口の中で両方の薫りが広がった。
そして咀嚼するとお蕎麦の薫りが一層濃くなり、爽やかに鼻腔へ抜けて行く相乗効果も併わさって率直に美味しいって思うわ。
でもこれは『自分でお蕎麦を打ったから故の贔屓目なのかも?』って考えも過ぎってしまうから判断がつき難いわねぇ。
感想を聞いてみたいけど食べ終わった後って約束だから、様子を伺う意味で師匠と璃央さんに視線を送ってみるの。
すると、二人共美味しそうに食べて貰えてるのでひと安心って感じかな。
刻んだ大葉とミョウガも好いアクセントになって、ほんのりと磯の薫りのお海苔も良いお仕事をしてるわ。
素揚げのお茄子は絶妙な調和が取れて『お見事』と云う他にないのよね。
やっぱりお蕎麦と香味だけだとサッパリし過ぎて少し物足りなさを感じるから、胡麻油をほど良く含んだお茄子が薫りとボリュームをプラスしてくれてるの。
この彩華さんのファインプレイは経験の賜物と云えるし、過不足ない三位一体なバランスに思わず唸ってしまいそうよ。
でも三味一体ってワードは食べ物に使っても間違いじゃ無いと思うけど、お味に対してだとやっぱり微妙なのかも知れないわ……
「これは美味いと思うよ。俺は料理の事はよく解からないけど、食って旨ければ作り方なんてどうでも良いからね」
「璃央君。それは聞き捨てならないわ。弥生ちゃんが一生懸命に美味しいものを食べて貰おうとお料理したのだから、それをどうでも良いなんて云い方は失礼じゃない。もう」
「彩華さん、ありがとうございます。でも美味しく食べて貰えればそれであたしは満足ですよ」
「そうは云ってもねぇ。あんなに頑張ったのに。お義母さんもそう思わない?」
「そうだねぇ。璃央の云い方も拙いけど目くじら立てるような事でもないだろ。美味そうに食べるの視てるだけでも満足は出来るものさね。それより蕎麦が伸びちまうよ」
「お義母さんの云う通りかもね。ちょっと弥生ちゃんを贔屓し過ぎだったかしら」
「お気持ちは嬉しいですから、有難く頂戴しますね。ふふ」
皆さんから好評なのは、あたしが初めてお蕎麦を打った事を差し引いて、きっと今後の期待も含めてって事よね。
褒められて嬉しくない筈ないけどここで調子に乗ったら成長もしないし、期待を裏切るに等しいから自重しないと。
言葉で褒められるのも嬉しいけど、紫音ちゃんと綾音ちゃんみたいにモリモリ食べてくれるのを視てるのも美味しく出来たって実感できるわね。
まだ小さいからって彩華さんはフォークを用意してくれて、パスタを食べるようにクルクルって巻いて食べてるのは可愛らしいのよ。
とろろってお箸で食べると滑り易くて少しだけ気を遣ってしまうでしょ。
双子ちゃんは二人共上手にお箸を使えるのだけど、滑り易かったりするとまだちょっと難しいわよね。
だって四つの娘なんだもの。
もう少し大きくなったらお箸で食べられるようになるわよ。
が・ん・ばっ・てっ。応援してるからねっ。ふふふ。
お口の周りは少しベタベタでテカテカしちゃってるけど、そこもご飯を食べた後の『子供あるある』で微笑ましいわ。
「ご馳走さま。美味かったよ。あっさりツルツル食えるのにボリュームも在って、食べ応えもあったよ」
「お粗末様でした。ボリューム感が在るのは、彩華さんがアレンジしてくれた素揚げのお茄子も一緒に盛付けたからよ」
「あぁ、そっか。揚げ物も入ってたからか。蕎麦って何となくあっさりしてるイメージが在るけど、揚げ物と一緒だとそんな感じにならないんだね。天麩羅蕎麦と同じって事だな」
「お腹の持ちも良いようにって考えてくれたんだもの。あたしとは格が違うからもっと頑張らなくっちゃだわ」
「弥生ちゃん、そんな事はないわよ。初めてでこれだけ見事なお蕎麦を打てるんだもの。私こそ頑張らなくちゃいけないわ」
「こっちに来る前は蕎麦なんて何処で食べてもあまり代わり映えしなかったけど、この自家製蕎麦に慣れちゃうと他所で食っても物足りなく感じるんだよなぁ」
「それは三たての高級品に慣れちゃったら仕方ないかもね」
「三たて? 聴いた事は在るな。えっと、なんだっけ……挽きたて? 茹でたて、打ちたてだったかな?」
「璃央、それじゃ台無しだよ。挽きたて打ちたて茹でたてだよ。先に茹でてしまってどうするんだい」
「そっか。それもそうだ。打つ前に茹でたら粉を茹でるって事だね。あはは」
「そうね。璃央君の順番だと蕎麦湯を量産するだけで、お蕎麦はいつまで経っても食べられないわよ」
「こいつは仕方無いよ。興味ない事には本当に空っきしな奴なんだから」
「彩華さんの云った蕎麦湯を量産するだけって面白すぎますよぉ」
「あら、そうかしらね。そうだっ! 良い事を思い付いたわ。これから璃央君への罰は皆がお蕎麦を食べてる席で蕎麦湯だけにしましょう」
「彩華さん、それって嫌がらせを通り越してるから止めて欲しいんだけど」
「ねぇね。おくち ちょっと かいかい なの」
「あらっ、いけないっ。すぐにお口拭いてあげるわね」
「ママ わたしも おくち ふいて」
「はいはい。ちょっと待ってね。綾音は弥生ちゃんにお願い出来るかしら?」
「了解しました。綾音ちゃんこっち向いて。は~い」
こうなるのを見越して彩華さんが用意してくれて在ったおしぼりで、綾音ちゃんのお口の周りを綺麗に拭ってあげたの。
備えあれば憂いなしって云うわよね。
文字通り痒い所に手が届くって言い得て妙でしょ。
ねっ! どぉ? いまあたし巧いこと云わなかった?
ねぇ? ねぇってば。
ソンナコト イイカラ。
アナタ モゥ スコシワ キヲ マワシナサイッテ。
まさかの全力スルーで来たわねぇ。もぉ良いわよっ。
「はい。これで綺麗になったわよ。もう痒くないでしょ?」
「うん。かゆくないのよ」
「全部きれいに食べてくれたのね。お蕎麦は美味しかった?」
「おいちかった。でもね。しろい ねばねばの かいかいなの」
「そうね。とろろは美味しいけどお口の周りに付くと痒くなるものね。もう少し大きくなったら痒くならないで食べられるようになるから大丈夫よ」
「うん。はやく おっきく なりゅの」
「急がなくても良いのよ。ちょっとずつで良いからね。ふふ」
小さな子供がお残しをしないで平らげてくれると、お世辞も嘘もなく美味しいって証拠になるわよね。
これでこそ苦労のしがいが在るってものよ。
また頑張って美味しいものを食べさせてあげたくなるんだから、単純なのもいいトコだけどっ。
誰かの為にお料理をするのって本当に素敵なことなんだわ。
師匠や彩華さんは、毎日こんな充実した満足感を得てると思うと羨ましいって想っちゃう。
いまあたしの感じてる満足感って凄く心地好いものだし。
あたしもこんなにも暖かい人達の輪の中で暮らして行けたら――
『うん。帰ったら確りと考えて、ゆっくりでも答えを探さないと』
答えはもう在るのに、気付かない振りしてるだけでしょ?
でも貴女のいつもの癖みたいなものだからアタシが導いてあげないとね。
本当に子供の頃から手の焼ける娘だわ……
聴こえないようにクーデレさんがそっと溢す愚痴をあたしは知らない……
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