募る想い


 さぁてっ! 今朝も頑張ってお手伝いしましょ。

 昨日もそうだったのだけど彩華さんって早起きなのね。

 もうお台所にはお出汁の良い薫りが漂ってるわ。

 今朝のお味噌汁はお茄子と刻み揚げでシンプルだけど相性の好い組み合わせ。

 お茄子は良質の油を含むととても美味しいもの。

 メインのおかずはハムエッグにするみたいだわ。


 厚目にスライスしたハムを焼き色が付くまで焼いて、別に半熟にした目玉焼きを盛付けるスタイルで、付け合せはキャベツの千切りにトマトとキュウリのスライスがサラダの代わりね。

 それと昆布の佃煮と焼き海苔、白菜のお漬物。

 これが今朝の献立。

 珍しくなくても飽きないから定番メニューって云われちゃうけどね。

 でも目玉焼きって使う調味料はお好みで違うじゃない?

 あたしはお塩とコショウだけど、お醤油やウスターソース、ケチャップやマヨネーズを使う人も居るわよね。

 使う調味料が決まって無くてその時の気分で変えるのもアリだと思うわ。


 もう何回かお手伝いしてるからお台所の勝手も何となく判って来て、小鉢に佃煮やお漬物を誰に云われる訳でも無く盛付けたり、刻んだお野菜をお皿に盛り付けメインのハムエッグを載せるだけにして並べて置く。

 師匠と彩華さんとあたしのチームワークって感じで愉しいわねぇ。



「あらぁ。そろそろ璃央君も起きて来る頃ね。弥生ちゃん、悪いけど綾音を起して洗顔させて貰えるかな?」


「はい。了解しました。綾音ちゃんを起して来ますね。それと、そこのお皿にハムエッグを載せるだけにして在りますのでお願いします」


「ありがとう。本当に助かるわぁ」


「弥生、あの娘は寝起きにグズる事が在るけど、気にしないで顔を洗わせれば良いから。あの寝起きの悪さは誰に似たんだろうねぇ」


「不思議よねぇ。この家には寝起きが悪い人って居ないのに」


「ふふふ。面白いですね。行ってきます」


「はぁい。お願いね」



 やっぱり綾音ちゃんって寝起きが悪かったのね。

 お昼寝から覚めるとボォっとしてるのを視てるから、何となくそうじゃないかって思っては居たけどっ。

 果たして今朝はどうなのかしら?

 もしグズっちゃったら、毅然とした態度を取るのってあたしにはハードルが高いかも知れないわね……

 ついつい甘やかして何でも云う事を聴いてあげちゃうに違いないのだから。

 ダメダメ。あたしが任されたのだから、責任を持って綾音ちゃんを起して洗顔させないといけないわ。

 う~ん……でもきっと可愛らしいのよねぇ。

 ダメよ。うん。ダメ。

 流されちゃ駄目なのよ。弥生。解ってるわよねっ!


 そう自分自身に言い聞かせながら歩くと、いつの間にかお部屋に着いてしまったの。

 そっと障子を開けて様子を伺うように中に入る。

 あたしの興味も在ってまだ起こさないように気遣いながら眺めると、彩音ちゃんはさっき出て行った時と変わりなくスヤスヤ眠ってるわ。

 お布団を蹴飛ばしたりして無くて良かった。

 あたしは枕元に膝を着いて呼び掛けたの。



「綾音ちゃん。おはよう。朝よ。おっきの時間だからお眼々を開けましょうねぇ」


「んゥン。ねぇね?」


「そうよ。良い子だからおっきしよう」


「いやっ。ねぇねと ねんね しゅる。やくしょきゅ なの」


「昨日、一緒にねんねしたの覚えてないのかな?」


「うん。ねんね したのよ。だから また ねんね なの」


「ねんねしたわね。もう朝だからおっきしないとダメなのよ」


「ねぇね ねんね しゅる」


「綾音ちゃんがおっきしないと、あたしが『めぇっ』てしないといけないの。めぇって嫌でしょ?」


「めぇ いや。だっこ」


「うん。抱っこね。お布団取るわよぉ」



 あたしは首と膝の裏に手を差し入れて、綾音ちゃんを抱きかかえると膝の上にあやすように載せてあげる。

 綾音ちゃんはあたしにしがみ付くように抱き着いて来たの。

 優しく頭を撫でながらゆっくり起ち上がりお部屋を出て洗面所へ向かうと、もう先客の璃央さんと紫音ちゃんが歯磨きしてる姿が在ったわ。



「おはようございます。璃央さん。紫音ちゃん」


「弥生ちゃん、おはよう。また綾音はグズってるのか。綾音、ちゃんと歯磨きしないと婆ぁばに叱られるぞ。良いのか?」


「あやね はみがきゅ しないと ママに めぇって されるよ」


「ほらぁ。綾音ちゃん着いたわよ。歯磨きしようね。ちゃんと出来るもんね?」


「うん。めぇ いやぁ」


「良い子ね。いま降ろしてあげるから歯磨きしましょ」



 綾音ちゃんをゆっくり降ろし、あたしは歯ブラシにハミガキを載せて手渡そうとちょっと眼を離したら、まだ足に力が入らない綾音ちゃんは背中を壁にくっ付けたままスローモーションでズルズルと崩れ落ちてお座りしちゃったの。

 その光景をバッチリ視ちゃったあたしは思わず吹き出してしまうし、璃央さんなんか咳き込む程に爆笑してるけど、綾音ちゃん本人は『ぽぉ』ってしてなにが起きてるのか解かって無いみたいだわ。


 あたしは綾音ちゃんに『がんばって』って励ましながら歯ブラシを渡し、フードを捲って髪をブラッシングしてあげる。

 取り敢えず歯磨きの邪魔にならないように後ろで一つに纏め、洗顔が終わったら髪を結い直すことにしたわ。

 朝ご飯も食べるからやっぱりポニテにしてあげるのが良いわねぇ。

 何だかいまのあたしって、突然お母さんになった気分で得しちゃったわ。ふふ。


 彩音ちゃんの髪をポニテに結ってあげると、側で眺めてた紫音ちゃんの髪もブラッシングしてあげたわ。

 それが終わると璃央さんに双子ちゃんのお世話を頼み、途中で抜けちゃった朝食の支度の続きをする為にお台所に戻ったの。

 でもお料理は全部出来上がって盛付けも済んでたから、お皿を順番に居間へ運んで配膳のお手伝いだったわ。

 今朝のご飯も美味しそうに出来上がり、テーブルに並べて眺めると急にお腹が空いて来るのって不思議ね。

 いつものように皆さんいっぱい食べてくれると良いけどっ。


 居間に在るテレビの画面に映ってるのは天気予報のコーナーだった。

 今日のお天気は文句なしに晴れて『穏やかな一日になるでしょう』ってよく聴くフレーズで〆たけど、ローカル放送の初めて視るアナウンサーのお天気お姉さんはとても爽やかで素敵な笑顔だったわ。

 配膳も終わり皆さん席に着くと一斉に『いただきます』ってなりお食事が始まった。


 ハムエッグは敢えて味付けしてないから、お好みで使う調味料を手に取る光景をあたしは興味津々で眺めたの。

 お祖父様と師匠それに璃央さんはお醤油で、透真さんと双子ちゃんの二人はソースだったわ。

 あたしと彩華さんはお塩とコショウだからお好みは同じなのね。

 意外だったのは、璃央さんがお醤油を使ったのとケチャップを誰も使わなかった事かな。

 紫音ちゃんと綾音ちゃんはケチャップかと予想したのだけどハズレたわね。


 そう云えばあたしがケチャップとマヨネーズを配膳した時に、師匠は少し怪訝な顔をしてたかも。

 そうかっ! 家族に誰もケチャップを使わないから双子ちゃん達も真似しないって事なのね。

 因みにマヨネーズは透真さんと璃央さんがトマトに使ったから、師匠はケチャップの方を訝しんだみたいだわ。

 同じ卵料理のオムレツにはケチャップが定番だから、組み合わせは悪くないと思うけど……

 でも普段から食べ慣れてるからこそって感じで、イメージや習慣が定着すると他の調味料を試さなくなったりするって事なのかもね。

 あたしは自分でもその傾向が在るかもって納得しちゃうと少し可笑しくなってしまったわ。



「皆さん、ご飯のおかわりは云って下さいね」


「それじゃぁ遠慮なく。弥生さんもう一膳おかわり下さい」


「俺ももう一杯貰えるかな」


「私は半分くらいの量でお願いするよ」


「はい。お祖父様はお茶碗の半分ですね」


「弥生ちゃんも手熟れて来たわねぇ。お台所のお手伝いしてくれるし私も大助かりだわ」


「あたしは出来る事をやってるだけですし、当然の事ですからね。どうぞご遠慮なく使ってやって下さい」


「弥生はいつでも嫁に行けるな。あとは相手を探すだけさね」


「それが一番難しいんですよ。婆ぁばも人が悪いですよ。もう。ふふ」


「相手なんてご縁が在れば探さなくても見つかるもんだよ」


「そうそう。ご縁が在ればそんなものだよ。弥生さん」


「はい。ありがとうございます。お祖父様と婆ぁばの仰る通り、ご縁が大切と考えて焦らないで待ってる事にしますね」



 今朝もお祖父様と師匠にサラッと揶揄われてしまったみたいね。

 彩華さんは何か云い掛けた感じに視えたけど、ハッとした顔になって口を噤んで何も云わなかったは意外だったわ。

 てっきり彩華さんにも揶揄われると思ったから、何て返そうか構えてたのだけど空振りね。

 皆さん朝ご飯を食べ終わりお茶の湯呑みを手にした所で、あたしはお祖父様と透真さんにご挨拶をしたの。



「お祖父様、透真さん。先日からお世話になってますが、今日お二人のお留守の間にお暇しますのでご挨拶をさせて戴きます。大変よくして貰いまして有難う御座いました。またひと月程でお邪魔させて戴く事になりますがご健勝で在らせられて下さい。温かく迎えて戴きまして愉しかったです」


「弥生さん。そんなに畏まらなくても良いんだよ。こんな古いばかりの家で何かと不便も在ったでしょう。私を始め、皆愉しかったのだからまた何時でも遊びに来て欲しいんだ。これもご縁なのだし、気軽にそれこそ自分の家くらいに思ってね。また逢えるのを愉しみに待ってる居るよ」


「そうだよ。弥生さん。僕の云いたい事は全部親父が云ってるから本当に気兼ねなく遊びに来て下さい」


「お祖父様、透馬さん。有難う御座います。本当に感謝致します」


「良いって良いって。今度来る時はゆっくり土産話でも聴かせてくれまいか。私はそろそろ出なくてはならないから簡単で済まないね」


「そんな、お出掛け前の朝と承知してます。こちらこそお時間の少ない時にご挨拶申し上げて失礼しました」


「気を遣ってくれてこちらこそ有難うだよ。それではこれで失礼するけど、また遊びにいらっしゃい」


「僕もそろそろ会社に行く時間だから親父と一緒に失礼するけど、紫音も綾音も喜ぶからまた来て下さいね」


「はい。お二人共いってらっしゃいませ」



 そう云いながらあたしはもう一度深々と頭を下げたわ。

 ご挨拶が済み、お二人共席を起ち玄関へ向かうと師匠と彩華さんも倣って席を起ち玄関へ続いた。


 視線だけでお祖父様と透真さんをお見送りすると、手持ち無沙汰も在るから空いた食器を纏めてお台所に運びましょうかね。

 お祖父様も透真さんも綺麗に平らげて貰えたので、重ねて運ぶだけの簡単なお仕事だわ。

 シンクでお茶碗やお皿にお水を張って、後で纏めて洗い易いようにすると居間に戻ったの。

 

 璃央さんは昨日の朝と同様に紫音ちゃんと綾音ちゃんと戯れてる。

 昨日も思ったのだけど、双子ちゃんって好き嫌いしないで全部食べてくれるのよねぇ。

 栄養のバランスから云ってもとても良い事だわ。

 今朝のメニューだとハムや卵から蛋白質を、お野菜からはビタミンや繊維質も摂れるわ。

 佃煮は塩分が高めだけど少量だし、お味噌は発酵食品の調味料だから健康にも良いわよね。

 一食で一日分の全てを賄う訳じゃないけど、バランスは大切で一番気を遣う事じゃないかしら。


 お祖父様と透真さんにご挨拶したら急に実感が湧いてしまったけど、あたしって本当に帰るのよね。

 名残惜しくて切ない気分になるけど、時刻表を確認して出発する時間を決めないといけないわ。

 あたしは気を取り直してスマホを取り出し調べてみる事にしたの。

 う~ん。最寄り駅までのバスの時刻表だと電車との接続が悪いわね。

 待つのは構わないけど、あんまり永いと帰りたくなくなっちゃうかもだから……

 どうしようかしら?



「弥生ちゃん。難しい顔してどうした?」


「いぇね。いま帰りの時刻表を確認しながら考えて居たのよ。それで最寄り駅までのバスと電車の接続が良く無いからどうしようかって」


「そんな事で難しい顔してたんだ。駅まで車で送ってあげるから心配しなくて大丈夫だよ。この辺りの人はバスなんて滅多に乗らないのも在って、電車に接続が良いのは朝と夕方くらいなんだよ。まぁ学校の登下校に合わせてるだけなんだけど」


「それで朝と夕方は電車との接続が良いのね。勉強になったわ」


「この辺りは農家が多いだろ? 畑仕事であまり出掛けたりしない生活サイクルだから、電車を使う時は駅まで送って行くのが普通なんだよ」


「やっぱりあたしの住んでる東京とは全然違うのね。お祖父様と透真さんも車でお出掛けになられるからそれが普通って事なのよね」


「そう云う事だね。逆に云うと、車が無い生活は不便で仕方ない場所って意味でも在るけど」


「あたしは不便でも長閑で良い土地柄って思うわよ」


「ここが長閑じゃないなら不便なだけで何も無くなってしまう」


「酷い云いようだけど的を得てるわね。ふふ」



 居間に残った弥生と璃央が話してる頃に玄関先では。



「褥、弥生さんの件は任せたよ。くれぐれも宜しく云っといておくれ。それでは行って来るよ」


「畏まりました。いってらっしゃいませ」


「俺も行って来るよ。彩華、母さん」


「これお弁当ね。いってらっしゃい」


「行っておいで」



 玄関先で二人を見送りに出た褥と彩華は、敷地から二台の車が出て行くまで互いに無言だった。

 そして彩華が口火を切る。



「ねぇ、お義母さん。お義父さんが仰った事にびっくりしなかった?」


「あぁ。少し驚いたねぇ。あの人があんな事を云い出すなんて滅多に在る事じゃないよ」


「そうよねぇ。私も初めてかも知れないわ。あれってお義父さん的に誘導にならないのかしら?」


「あの人なりに弥生を気に入ったって事だろ。あの娘があの人に気を遣ってるから解そうと考えたんじゃないかい?」


「そう云う事なら援護射撃って事で有難く考えて置きましょうか」


「それで良いよ。でもあたしらから口を滑らすのは厳禁だよ。解ってるだろ?」


「ええ。それはもう。さっきだって思わず口をつぐんだもの」


「良く我慢したねぇ。それじゃ食器を片付けてしまおうじゃないか」



 褥と彩華は居間に戻ると弥生を含めた三人でシンクで下げて来た食器を洗ったり、布巾で拭いて食器棚に戻したりと手早く後片付けを終えた。



「璃央君は今日どうするの? いつもと同じくらいにお店行くのかな?」


「丁度どうしようかなって考えてた所でね。今日はオーダーして在ったパーツが届く予定だけど俺が居なくてもいつもの場所に置いてく段取りになってるから、弥生ちゃんを駅まで送って行こうかと思ってるんだ」


「それならここでお昼一緒したらみんなでお見送りしたらどぉ? 璃央君の軽トラじゃ乗れないから家の車を使ってね」


「そうだね。そうしようかな」


「お義母さんもそれで良いかしら?」


「構いやしないよ。全員で弥生の見送りに行けば良いさね」


「そんなご面倒お掛け出来ないですよ。あたしだったら何とでもなりますし」


「良いんだよ、弥生。紫音と綾音もこの辺りばかりじゃ何だから、偶には駅の方で玩具でも買ってやらないと。丁度その頃合いでも在るのだからあまり堅苦しく考えるんじゃ無いよ」


「そう云う事でしたら遠慮なくお言葉に甘えさせて貰いますね。有難う御座います」


「もう、弥生ちゃんったら変な遠慮しちゃ駄目よ。私達だって偶には駅の方まで出たいのよ。ふふふ」

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