密談


 洗面所で歯磨きをする弥生達に視線を向けながら褥は想った。


『こりゃぁ、親子って云っても何の違和感は無いだろうねぇ』


 誰が視ても自然に振る舞って溶け込んでいるのだ。

 むしろ璃央の代わりに透真が居たらそっちの方が不自然に映る筈だよ。

 なんて事を考えながら台所に脚を向ける。



「塩梅はどうだい? 何か手伝う事は残ってるかい」


「大丈夫よぉ。もう洗い物も終わるし、お米も研いで在るから私だけで充分だわ」


「そうかい? それじゃ先に汗を流させて貰おうかねぇ」


「どうぞ。洗い物が終わったら私も一緒して良いかしら? お背中を流すから」


「ああ、構わないさ。どうせ何の話しだったか気になってるんだろ?」


「あらぁ。解かっちゃうのねぇ。ふふふ」


「あたしゃぁ、お前の親なんだ。解かるに決まってるだろ? まぁ良いさね。話してやるよ」


「お義母さん、ありがとう。直ぐに行くからお先にどうぞ」



 褥は慎之介との話しを逡巡しながら風呂場に向かって歩く。

 彩華は好奇心も在るのだろうが、気になってるはきっと別の事なんだろう。



『あんた、お茶をお持ちしました。こちらで宜しいでしょうか』


『ああ、そこで良いよ。あれ? 褥、君の湯呑みは持って来なかったのかね?』


『そうだねぇ。考え事してたから失念してたよ。まぁ無くても良いさね』


『そうかい? それじゃ、話しを聴こうか。在るんだろ?』


『やはり気が付いてたかい。あんたは相変わらず勘が良いねぇ』


『いやね、さっきの君が珍しい事も在ってね。ああ云う時はいつもなら諫める側に居て私の出る幕なんて無いんだが、今晩は違ってたから話しでも在るんだろうと思っただけだよ』


『そこまで明け透けなら単刀直入に云わせて貰うよ』


『その方が私も有難い。図面を視て置きたいのは本当だからねぇ』


『話しと云うのは弥生の事なんだが』


『やはりその事かい? お前の事だから時間の問題とは想っていたけど随分と早かったねぇ』


『あたしもついさっき迄はもっと先の話しかと想ってたんでね。それで少し戸惑っては居るんだよ。こうゆう事はあんたの承諾無しでは進められないし、だったら早目に耳に入れとくのが得策だってね』


『そうかい。褥にも寝耳に水だったって事だね。それならさっきの云ってた事にも頷けるよ』


『あれはあたしの失言だったよ。彩華が上手く誤魔化してくれたから事なきを得たけどねぇ。事の顛末はこう云う事なんだが――』



 改めて前置きをすると褥は今日起こった事を知る限りで説明し始めた。

 まず弥生が璃央の弁当を持って店に行った事。

 そこで弥生のバイクを改造する話しになった事。

 バイクはこのまま璃央に預け電車で帰る段取りに変わった事。

 璃央が改造作業を終えたら弥生が引き取りに戻って来る事。



『ここからはあたしの願望も含めた推測なんだがね』


『今日のあらましは判ったよ。褥、君の考えを聴かせておくれ』


『はい。明日には帰ってしまう弥生は元の環境に戻る事でここでの出来事が強調されてしまう娘だと思うんだよ。それであの娘の無鉄砲さを考えると何の計画も立てないで動き出しかねないから、誰かがその水先案内をしないとどうにも起ち往かなくなってしまう事は想像に難くない。それをあたしは買って出たいのだけど、こう云う話しはあんたの承諾を貰わない事には動きようが無いからねぇ』


『うんうん。それで具体的にはどうしたいんだい?』


『具体的って云われてもねぇ。あたしも今日の昼間に漠然と考えた事だから穴だらけだけど良いかい?』


『構わないよ。君の事だ。例え穴が在っても塞げないって事にはなら無いだろうよ』


『過大評価もいい所だが賛辞として受け取っておくよ。まだ整理が付いて無いからあたしの頭の中だけの考えでは、先ずは不可欠な事として暮らす場所だねぇ。これはこの家が適当だと思う。幾つも空き部屋が余って在る事だしどうにでもなる。次に仕事については、いまは璃央が半分倉庫代わりに使ってるサロンを片付けて料理屋でもどうかと考えてるよ。改修費なんてもんはあたしが立て替えて、売り上げから毎月返済すれば済むから資金面でも問題ないさね。それにあんたの協力を取り付けられるなら手間賃や材料費も抑えられるだろ? もっともこれは弥生の意志次第だから強制も強要はしない』


『流石だねぇ。今日の今日でもう青写真が出来上がってるとは感心したよ。いま聴いた計画では大きな穴は見つからないけど、前提が崩れたら白紙にするって事で承諾するよ』


『その前提と云うのは何だい?』


『これは大前提なんだが。こっちに移り住むと云う事は弥生さんの自由意思に任せる。これが第一だよ。次に親御さんの承諾を貰い責任持って大事な娘さんを預かる。この二つを約束出来るかい?』


『そんな事だけかい? 最初からその心算だよ。これでもあんたの女房なんだから、あんたが良しとしない事は解ってるさね』


『そうかいそうかい。こりゃ参った。そう云う事なら喜んで協力しようじゃないか』


『有難う御座います』



 そう云うと褥は姿勢を改めて背筋を伸ばし、慎之介の眼を真っ直ぐに見据えてから畳に手を着いた。



『あんた。あたしの全てを以って弥生の親御様からお赦しを戴いて参る心算ですが、力が及ばない時はどうかお力をお貸し下さい。お願い申し上げます』


『分かったよ。いい覚悟だ。その時は私が君に力添えしよう。さぁ、もう頭を上げておくれ』


『はい。宜しくお願い致します』



 彩華は褥の背中を流しながら話しに聴き入る。

 時々、相槌は打つが口は挟まずに褥の話しに集中してる。



「これがあの人と話した内容だよ。質問は在るかい?」


「質問は無いけど確認したい事は在るかな」


「何だい確認って。云ってごらんよ」


「では遠慮なく。お義父さんの条件は弥生ちゃんがこっちに移って来るのは意志に任せるって事よね?」


「そうだね。それが一番重要な事だと思ってるよ」


「それだと私やお義母さんが冗談でも『こっちに住んだら?』なんて云っては駄目って事になると思うんだけど、そう云う理解で間違って無いわよね?」


「そう云う事になるねぇ。あの人の事だから誘ったり誘導したりってのも当然含まれるよ」


「そうね。お義父さんってそう云う所は厳格な人だから、私も口が滑らないように気を付けなくちゃ駄目ね」


「これはお互いの為でも在るから充分に気を付けな。まぁ弥生の事だから少しの間だけだよ。昨日だってあたしに彫師になれるかって聞いて来たくらいだしな」


「そうなの? 私は聴いてないから少し外した時のお話しなのね。でもそうだと本当に時間の問題かも知れないわ。ふふふ」


「明日、弥生が帰る予定だろ? あっちに帰って暫くもしない内にお前さんに何らかの打診やら探りやらの連絡をして来るってあたしゃ踏んでるんだがねぇ」


「きっとそれ正解だわ。その通りになるって私でも感じるもの。新しい家族かぁ。愉しくなりそうね」


「あの娘は単純な所も在るからねぇ。廻り諄いのは性に合わないだろうよ」


「そうね。弥生ちゃんはそうでしょうね。はい。お義母さん、お湯掛けるわよ」


「あぁ。頼むよ」



 褥は彩華に慎之介との話の内容を伝えるとホッとした気分になっていた。


『胸の痞えが取れたような心持ちだよ』


 それは彩華の同意もあっさり取れたからでも在るのは確かな事。

 後は弥生の言質を取り付ければ晴れてこの話は纏まる。

 いや、スタート出来るって所か。

 それまでにあたしがやる事と云ったら手土産を用意するくらいだねぇ。

 浴槽に身体を浸けながら眼を閉じて『ふぅ』っと息を吐く。


 そんな褥の様子を自分の身体を流しながら彩華は眺めていた。

 そして彩華も考えを廻らす。


 お義父さんの謂い付けだから絶対に口を滑らす訳には行かないわ。

 幸いな事に透真さんときたら、こう云う事に空っきしで朴念仁って思うほど察しが悪いから安心ね。


『なにが幸いするか解からないわぁ。ふふ』


 璃央君はあの性格だし、弥生ちゃんのバイクの改造の事で頭が一杯になってる筈だから問題は無さそう。

 もし璃央君がなにか云ってもバイク改造の件での相談って言い訳が出来るから心配するには及ばないわね。


 それじゃぁ私は?

 なにか出来る事は在るの?

 空いてるお部屋を隅々までお掃除したり、畳を虫干しするか表替えするくらいなものかしら?

 表替えした清々しい井草の薫りって気持ち好いし、心機一転で新生活になるのだからやっぱり表替えして貰うのが良いと思うわね。



「ねぇ、お義母さん。畳の表替えって一週間くらいで終わるかしら?」


「ん? なんだい。いきなり」


「そうね。私が考えてた事を云わなかったからいきなりよね。こう云う事なの。弥生ちゃんの使うお部屋の表替えしたら薫りも好くて気分も新鮮になるでしょ?」


「あぁ。そう云う事かい。八畳間だから三日も在れば出来る筈だよ。だから急ぐ事もないさ」


「そんな期間で出来るの? 以前して貰った居間の表替えの時はもっと掛かったじゃない」


「あの時とは畳の数が違うんだよ。結局、居間も含めて客間全部の表替えしたから二週間も掛かったんだよ。それでも半分ずつに分けたから不便は無かったがねぇ」


「そうだったわ。確かに職人さんの手仕事だから枚数で期間は変わるわよね。そんな事も失念してたみたい」


「彩華もそそっかしいねぇ。しかし何だってそんなに念入りに身体を洗ってるんだい?」


「えっ? そっ……そうねぇ。きっと少し考え事しながらだったからだわ」


「そうかい。でも大概にしときな。風邪でもひかれたこっちが迷惑だ」


「そうだわっ。今晩は紫音も綾音も手が離れたから折角だし夫婦の時間も良いわねぇ。せっかく身体も磨いたのだから」


「馬鹿な事をお云いでないよっ。弥生だって居るんだ」


「もし艶っぽい声が漏れたら御免あそばせっ。ふふふ」


「全く――親の前で云う台詞かねぇ。冗談はさて置き早く湯に浸かりな。本当に風邪をひくよ」


「あいあいさぁ~」






――――――――――――――――――――――――――――――

 以下は改稿前に頂戴しましたコメントを纏めました。

 四章末まで



風の唱と双子ちゃん

谷 亜里砂

2024年4月25日 19:14


楽しく読ませていただきました!

更新がんばってください!また来ますね🐰


作者からの返信


はじめまして。

ご覧戴きましてありがとう御座います

作者の七兎参ゆき です。


最新話で初めて拝見する作者様なので少し驚いて居ります。

今日のPVから察しますと、本日、一気読みして下さったのでは無いと思いますが、

足跡をお付け戴かないでご愛読戴けたので在れば、とても光栄ですのでお礼申し上げます。

続編共々、完結話まで執筆済ですので、この先もご愛読賜ります様お願い申し上げます。


七兎参ゆきYou

2024年4月25日 22:52



甲斐甲斐しい女はいかが?


谷 亜里砂

2024年4月29日 19:29


好きな感じです!また見に来ますね~!


作者からの返信


コメントをお寄せ戴きありがとう御座います


ご感想を添えて戴き感謝申し上げます。

些か、漠然とし且つ解釈範囲も広くご返答に窮して居ります。

ご愛読賜れば嬉しく思います。


七兎参ゆきYou

2024年4月29日 22:51



谷 亜里砂

2024年5月12日 15:00


展開が良いですね!お互い、創作がんばりましょう✨


作者からの返信


コメントをお寄せ戴きありがとう御座います


前回、頂戴しましたコメントも同様でしたが、今回も漠然として範囲も広く具体的なご返答が出来ません。

大変申し訳なく思っております。

コールドリーディングの様なご感想では無いとご返答も変えられますので、ご面倒でなければ、どこを指すか挙げて戴けると有難く思います。


七兎参ゆきYou

2024年5月12日 20:24



双子ちゃんと戯れて


谷 亜里砂

2024年5月14日 15:59


話の組み方が見事ですね。今日もお互い、執筆頑張っていきましょう🐰!


作者からの返信


今回も 抽象的でコールドリーディングの様なコメントをありがとう御座います。

是非、この 物語をお読み下さい ます様お願い申し上げます。


七兎参ゆきYou

2024年5月14日 23:37



谷 亜里砂

2024年5月21日 21:19


素敵な話の練り方です!お互い、執筆がんばりましょうね🐰


作者からの返信


いつも コールドリーディング 的なコメントをお寄せ戴きありがとう御座います。

出来ましたら 物語をお読み下さい ます様お願い申し上げます。


七兎参ゆきYou

2024年5月22日 09:25

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