鼓動のリズム

 お弁当を食べてくれた璃央さんは優しさを秘めた柔らかな瞳で云ってくれたの。

『ありがとう』って。

 やはりあのノイズ混じりのイメージと重なるわ。

 顔はハッキリと分からないけど、この眼差しは同じって想えるから不思議。

 あたしの全てを包み込むように。

 あたしの全てを受け入れてくれるような瞳が。


『ツインレイ』


 どこかに居たら良いなってくらいのお伽話のような事だと想ってた。

 現在いま瞬間いままでは。

 でもこんなにも重なってしまうとあの人はやっぱり璃央さんなんだって……

 このまま流れに身を任せたいあたしと。

 現実的じゃないって否定するあたしと。

 その両方が混在して、左右から腕を引っ張って綱引きをしてるみたい。

 まるで、あたしとアタシのように。

 なんだかやけに視界が霞むのだけどまたイメージが投影される前兆かしら?

 もしそうなら前触れだって判断できるくらいには馴れて来たみたいだわ。



「どうした!? 弥生ちゃん。大丈夫か?」


「えっ? なにが大丈夫なの?」


「何がって。その涙の事だよ。どこか怪我したとか? それとも痛いとか?」


「涙? そんな事……あれ――涙が。なんでだろ?」


「遠くを視るような感じで微笑みながら突然、涙を流すんだからびっくりしたよ」


「あたしにも理由が判らないわ。不思議ね。眼に埃でも入ったのかしら?」


「こんな女の子の顔って初めて視たよ。弥生ちゃんはホント面白いね。」


「面白がらないでよぉ。仮にも女が涙を流したらハンカチくらい差し出すのが男ってもんでしょ」


「ムチャ云うなぁ。でもそれを出来なかったのは事実だから反論しても言い訳だな」



 あたしだって驚いてるのに理由なんて説明出来る訳ないじゃない。

 心当たりなら在るけど――

 漠然としたあんなイメージに翻弄されて涙が零れたなんてもっと云えない。

 誰が信じるって云うのよ。

 電波とか痛いコだって思われるだけじゃない。

 そんなの絶対に嫌よ!

 璃央さんだけにはそんなこと思われたくないわ。

 あんな抽象的でお伽話みたいな漠然としてる曖昧なものに振り回されたなんて。

 だからいまを誤魔化すようにお話しを逸らすの。



「それよりも乗せてくれるんでしょ? ヴェスパに」


「良いよ。普通のバイクとは少し違うから乗り方を教えてあげるよ」


「ありがとう。具体的には何が違うの?」


「そうだなぁ。シフトの方法かな。普通は左脚でするでしょ? だけどヴェスパは左手。つまりグリップを廻してシフトするんだよ。当然だけど同時に左手でクラッチ操作も一緒にしながらね」


「左側の手と脚でやってる事を左手だけでしなきゃなのね? あたしに出来るのかな? ちょっと不安だわ……」


「頭で考えると煩雑に聴こえて難しそうだけど、実際に乗ってみると案外スムーズに出来るから大丈夫だよ」


「そうね。操作とかって習うより慣れよって、半分くらい感覚的なのが重要だものね」


「そう云う感じだね。最初はギクシャクするかも知れないけど、感覚だから繰り返してやってみるしかないね」


「解かったわ。乗ってみないと感覚は掴めないものだからチャレンジしてみる」


「そうそう。チャレンジだね。そんなに簡単に壊れるような整備はして無いから安心して乗ってみてよ」



 やったわね!

 ついに念願のヴェスパに乗れるわ!

 ちょっとだけ不安は在るけど大丈夫でしょぉ。

 きっとね。

 そう簡単には壊れる整備してないって璃央さんも云ってくれてるし。

 もし壊しちゃったら誠心誠意を尽くして謝れば良いわよね!

 女は度胸よ! 勝負してやろうじゃないのっ。


 ダ・カ・ラ。 オンナ ワ  アイキョウ デショ!

 コレ キノウ モ イッタワヨ。

  ガクシュウ シナサイナ。


 うるさいわねぇ。肝っ玉母さんって言葉もあるでしょ!

 ねぇ。知ってる? 『うるさい』って漢字で書くと『五月蝿い』よ?

 蝿なのよ? 羽虫よ? 解かってる?


『煩い』トモ カク ワヨ。

  アタシ ワ ドー カンガエテモ コッチ ヨネ。


 えっ! アナタって漢字でもお話し出来るの? あたしが眠って無いのに?


 ナンデモ ムリ スレバ デキチャウ ゴツゴウシュギ ダカラ キニシナイ ノ。


 アナタねぇ……それ云っちゃって良い事なの?

 色々とスルーしないと駄目な気がするわ……


 レベルアップ!

 スキルオブスルー Lv2.

 コングラチュレーション!!


 これってあたし……アタシに面白がられて遊ばれてるわね……



 璃央さんが作業場の横に停めてあるヴェスパを押して来てくれる。

 昨日は気付かなかったけど奥の方にシートを被せて在るバイクが在るのよ。

 隠してるのか理由があるのか知らないけど、視えないと何だか無性に視てみたくなるのって……

 子供か! って云われてしまいそうだけど気になるのも確かよね。

 なんで? って聞いてみようかな?



「ねぇ、璃央さん。あのシートを被せて在るバイクって内緒のバイクなの?」


「あぁ、あれね。そんな事ないよ。昨日ちょっと云ったけど、前にアイツでレースしてたんだよ」


「そんな事も云ってたわねぇ。あたしのと同じ車種だって聴いたと思うけど?」


「興味あるなら全然構わないから視せようか?」


「視せて貰えるならお願いします。あたしのバイクでレースするなんて想像も出来ないから」


「じゃぁ、こっち来てよ。シート外すから。レース仕様で車体のスタンドとか必要ないパーツは外してあって、メンテナンスで使うスタンドを掛けてるんだ」


「そうなのね。それだと移動させるのも面倒だものね。しかも視るだけだし」


「そう。本音を云えばその通りだけど身も蓋もないだろ? それ」



 あたしの気後れを余所に呆気なく承諾してくれて、璃央さんは早速被せて在るシートを外してくれたの。

 なにこのバイク? あたしのと同じ車種なんでしょ?

 どこが同じなのか全く理解できないわ。

 好奇心も在って近寄りよくよく眺めてみると――


 どうやらエンジンは同じ形をしてるように視えるけど……そのくらいしか。

 レース仕様だからヘッドライトとかの保安部品は一切付いて無いわ。

 それだけでもこんなにイメージって換わっちゃうのは凄いわね。

 圧巻としか形容出来ないエキゾーストパイプもあたしのとは違って、原型を留めて無くて凄い事になってるし……

 ハンドルの位置もこんなに低くて大丈夫なの? ってくらい低いわ。

 でも凄く格好良い。こんなバイクに乗って疾れたら素敵な事かも。



「これでレースやってたんだけど、暫く放ったらかしにしてるから埃が被っちゃってるね」


「このバイクのどこにあたしのと共通点が在るか疑問なのだけど?」


「ベースの車種が同じって事だけかな? レースのレギュレーション違反にならない範囲で改造して在るから視た目もだけど、中身も全くの別物と思って貰って差し障りないよ」


「そうよね。近くで視ても同じ車種に思えないし、並べてみてもそう印象は変わらないかも」



 あたしは眼の前に在るバイクを眺めながら、お腹の底から湧き上がるような何かに引き摺り込まれて行く感覚を覚えたの。

 それが何なのかは解からないのだけど、まるで脚にくいを打ち込まれて地面に縫い付けられたようにその場から動けなくなってしまう。

 全身に力が籠って行くけど抗えなくて、遂にはこんな言葉が口から飛び出してしまったわ。



「ねぇ……あたしのをこんな感じで改造出来る? 勿論レースするって訳じゃないけど、このバイクで疾ってみたいのよ。あたし」


「そりゃ出来るけど。弥生ちゃんの腕次第かな? この仕様に近付けるって事は乗り手にも当然ポテンシャルが求められるから……その覚悟は在るかい?」


「いまのあたしにそのポテンシャルが在るかって問いなら無いわ。でもこのバイクに乗る為に努力する覚悟なら在るわよ。こんな格好良いバイクに乗る為なら何だってするもの」


「ほうぉ。面白い事を云うね。それならやってみるかい?」


「えぇ。当然よ。そんな挑発されて黙ってられるもんですかっ」


 

 あたしにも予期しないお話しの展開になって、そう云う方向に流れて行くわ。

 璃央さんとのやり取りの中で売り言葉に買い言葉みたいになってるけど、チャレンジしてみたいってあたしの本心と決意の顕われなの。

 だってこのバイクに乗ってみたら璃央さんあの人のアンバランスさの一端でも解かる気がするから。


 あたしと璃央さんはバイクを眺めながら視線を交わす事もなくお話ししてたけど、一瞬にして張り詰めたような気配に変わり別の人みたいに感じたの。

 そして璃央さんの声のトーンがほんの少しだけ落ちた刹那ときに、瞳の奥で仄暗い晄を宿したような不気味な雰囲気を纏った気がしたわ。

 あたしは圧倒されてしまって、少しでも威勢のいいことを云わないと呑み込まれてしまう感じがしてドキドキしちゃった。


 そこにはまだあたしの知らない璃央さんが確かに居たの――

 でもそんなのはあたしの勘違いだったかのように、次に出て来た璃央さんの言葉は一転していて明るい調子に戻ってたわ。



「降って湧いたようなカスタムの話しは置いといてヴェスパに乗ってみなよ。コツ教えるから」


「そうね。それがあたしがここに来た目的だしねぇ」


「まずスタンドはそのままで跨ってみてよ」


「こう? こんな感じで良いの?」


「うん。それで右脚の爪先に在るペダルがリヤブレーキで、フロアの真ん中のリブに踵を載せて操作するのがコツなんだよ。右膝は外に開く感じでね。」


「こんな感じね。ちょっとはしたない気もするけど、これがヴェスパに乗るコツなら仕方ないって事ね。でもスカートじゃ絶対に乗りたくないわね。視えちゃうもの……」


「ハハハッ! 弥生ちゃんも女の子だねぇ。やっぱりそんなトコが気になるなんてさ。でもロングスカートなら大丈夫でしょ。タイトなミニスカートじゃ視えちゃうけど」


「お・ん・な・で・す! あたしのどこをどう視たらそれ以外に視えるって云うの? 眼科に行った方が良いわよっ」


「悪いわるい。さっきの話しとシンクロしなくて面白かったから」


「昨日からそうだけど、あたしで面白がらないでよねぇ。なんで皆さん面白がるのかしら? 単純に物珍しいだけって事なんでしょうけどっ」


「それだけ弥生ちゃんが魅力的って事だよ」


「えっ!?…………眼科にぃ――」



 驚いて発した感嘆符言葉は途中で宙に浮いたままに、璃央さんはそれ以上口から紡ぐ事は無かった。

 あたしの内には動揺と共にさっき涙を流してしまった時に似た、何とも云えない感情が重なってるのが解かる。

 でも知ってるわ。これって……

 あのノイズ混じりのイメージにそっくり。


 彼があたしの前に現れてくれた瞬間ときと同じだわ。

 嬉しくて。

 もどかしくて。

 切なくて。

 もっと聴きたくて。

 もっと云って欲しくて……

 ずっとあたしにだけ囁いて?

 ちゃんとあたしだけに惑わされて……

 あたしのまだ知らないあなたに溺れさせて?

 もっと、あなただけを視て居たいの。


 璃央さんはあたしの揺れてる気持ちなんて推し量ること無くお話しを戻す。

 ちょっとだけ悔しいけど、それはそれで好都合だからあたしは乗っかったわ。



「まぁ、まずは軽い気持ちで乗ってみなよ。セルモーターは付いて無いからこのキックペダルを勢い良く踏み込んで始動させるんだ。ニュートラルになってるから弾みでシフトしないように左のグリップには手を掛けないでね」


「このペダルね。それじゃぁ――エイッ! あれ? エンジン掛からないわ」


「もっと力強く踏み込む感じね。2サイクルのエンジンだからあまり上死点は気にしなくても勢いが在ればエンジンは掛かるよ。4サイクルだと上死点を出さないとまず始動しないけど」


「上死点? なにそれ? 知らないと駄目な事?」


「知ってるに越した事ないけど知らなくても大丈夫だよ。弥生ちゃんがもし4サイクルのキックスターターしかないバイクに乗るなら別だけど」


「そうなのね。でも気になるから解らないかもだけど簡単に教えてよ」


「そうだねぇ。簡単に云うと上死点はエンジンのピストンがシリンダーの最上部位置に在る状態の事なんだ。何故その位置からキックスターターを使わないきゃならないかの説明は省くけど、その位置からだと始動が容易になるって事だけ覚えれば良いよ」


「そう云うものなのね。もう一つ良いかしら。上死点が在るって事は下死点? って云うのも在るの?」


「うん。在るよ。でも下死点を理解する重要な点はクランク位置でのバルブリフト量だったりするから、エンジンチューンなんかの整備をしなければ要らないかな。それよりも上死点は二種類在るって事の方が重要だね。圧縮上死点と排気上死点とでは状態が違うんだ」


「その両方を理解しないといけないのね。混乱しそうだわ」


「そんな事ないよ。エンジンの始動だけに限れば、上死点って云ったら圧縮上死点の事だから」


「そうかぁ。あたしって知らない事だらけね。帰ったらちゃんと調べてみるわ」


「いますぐ必要じゃないけど、知ってて損はないから興味があるなら調べてみると良いよ」



 何回かキックペダルを踏み込んだらエンジンが掛かったわ。

 やっぱりあたしって『やれば出来るコ』じゃないっ!

 早速、乗り廻してみよぅっと。


 まずクラッチレバー握って、ニュートラルからローギヤーに左側のグリップを廻してシフトね。

 そろそろとクラッチのミートポイント探しながら繋ぐ感じで離して行って、ミートポイントが見つかったら少しクラッチレバーを握り込んで動力を切ったわ。

 そして今度はスロットルでエンジンの回転を少しずつ上げながらクラッチミートして疾り出した。


 えぇ~。なにぃこれぇ~面白いわぁ~!

 お店の在る敷地内を旋回するように疾しり何周かして璃央さんの所に戻ると。



「どぉ? 頭で考えるよりスムーズにシフト出来るでしょ?」


「うんっ! ヴェスパって凄く面白いわ。敷地の外を疾って来ても良いかな?」


「構わないよ。この内だけじゃ面白くもないでしょ? この辺りの見物ついでに行っておいでよ」


「そうするわ。でもその前に何か在ったら連絡したいから璃央さんのスマホの番号教えて」


「そうだね。良いよ。それじゃぁこれが番号とアプリのIDだよ」


「ありがとっ。行って来るわね! 何か在ったら連絡するから」


「何もないと思うけど気を付けて!」



 凄く軽い感じで吹け上がるエンジンがあたしのバイクとは全然違うわ。

 振動は大きくて排気音も連続してるけどやっぱり軽快な感じ。

 懸念してたシフトチェンジはまだ慣れてなくぎこちない感じでも、意識して操作すれば違和感もなくスムーズだわ。

 璃央さんが最初に云ってた通りに思ったより普通のバイクの感覚で乗れるの。

 燃料タンクが無いからニーグリップは出来ないけどね。

 あとは……違和感ではないけどフットブレーキがねぇ……

 わかるでしょ?

 あたしだって女の子なのよ。

 出来れば両脚の膝をくっつけて可愛くスマートに乗りたいじゃない。

 いまは愉しさの方が断然上回ってるけど、気になるのはそこかなぁ?


 長閑な風景の中をのんびり疾しるのも良いけど、真っ直ぐな路を漫然と疾るだけじゃ飽きちゃうわね。

 スマホのナビでイイ感じの路でも探そうかしら?

 ちょっと停めて調べてみましょ。

 シフトダウンしながら減速して停車する。

 パンツのお尻のポケットからスマホを取り出して……



「あれ? このバイクって璃央君の? もしかしてあんたって璃央君の嫁かい?」


「へっ? あぇぁぇ――いえ。あたしは月詠家の婆ぁばの所でお世話になってる弥生って云います」


「しとね婆ぁの所の娘さんかい。そうかい、そうかい」


「そうなんですよぉ。昨日偶然にもお知り合いにならせて戴き凄く良くして貰ってます」


「うんうん。しとね婆ぁは気さくで面倒見も良いからねぇ」


「あたし、バイクで東京から来てタイヤがパンクしちゃったので璃央さんに修理して貰ってるんです。ついでにメンテナンスもお願いしてるのですけど、このバイクに乗ってみたいって云ったら良いよって。それで」


「そうだったのかい。うーん……なんでこんな所に停まったのさ。真っ直ぐの一本道だから迷うなんて無いだろうに。それともおつかいでも頼まれて探してるのかい?」


「折角このバイクに乗ったのだから真っ直ぐな路だけじゃなくて、他に良い路ないかな? って思いまして土地勘が無いのでスマホのナビで探そうって」


「それならここから三本目の路を曲がればバイク乗るのに良い場所があるよ。少し舗装は荒れてるけど、若い頃の透真坊がバイク乗り廻してた空き地みたいな場所がね」


「そうなんですか? そこって勝手に入っても大丈夫なんですか?」


「構わないんじゃないかい? そこもしとね婆ぁんトコの土地だし。たまに璃央君もバイクのテストって云うのかねぇ。そんなんで使ってるから事後承諾でも怒りはしないよ」


「分かりました。ご親切に良い場所を教えて戴きましてありがとうございます。行ってみますねっ」



 早速あたしはお婆さんに教えた貰った順路で向かったの。

 透真さんを『透真坊』なんて呼び方してたから古くからのお知り合いの方なんだわ。

 子供の頃の呼び方そのままなんて微笑ましくてほっこりしちゃう。

 お婆さんに教えて戴いた目的の場所は直ぐに判ったわ。

 だって畑の中にポツンとフェンスに囲まれた舗装してある空き地だから。

 でもフェンスに沿って廃タイヤが積まれて並べられてたりして、ちょっと異質な感じね。

 まるで小さなレースサーキットの様相を呈してるんだから驚くしかないわ。

 それに倉庫のような木造の建物の外に赤いパイロンも重ねて置いて在って、きっとあれを並べてコースを見立てるのね。

 何の根拠も無いけど、嬉々としてパイロンを並べてる璃央さんの姿が容易に想像できるわよ。


 あたしは思い付くまま適当にパイロンを並べて疾り廻ることにした。

 スラロームや旋回したり出来るようにカーブに見立ててレイアウトすると、どこか自動車教習所みたいで懐かしいわ。

 そんな感覚が面白くて飽きる事もなく何周も疾って遊んでるの。

 ここなら璃央さんがバイクのテストに使ってるのも頷けるわ。

 結構……いえ、かな~り広いのよ。

 そうねぇ。比較する対象物や建物が小さな倉庫だけで、他に無いから正確では無いけど感覚的には三百坪くらい在るかしらね?



 嬉々としてヴェスパで遊ぶ同じ頃、璃央は弥生のバイクを整備していた。



 弥生ちゃんがカスタムバイクに興味を持つなんて全くの想定外だった。

 カスタム作業は問題無いけど本当にやってしまって大丈夫だろうかと思案する。

 あの仕様に近いバイクに乗るには市販車のポジションと違ってるから当然なのだが筋力を必要とする。

 腹筋や背筋は勿論のこと内転筋も使ってバイクをホールドしないと乗って数十分で音を上げてしまうだろう。

 そして璃央は独り言を呟きながら確認でもするように考えを練っていく。


『エンジンの排気量はストックのまま、キャブレターとエキゾーストで効率上げる程度なら扱えない出力にはならないからそこはクリア出来るな』


『やはり問題はライディングポジションだ。バンク角は稼ぐ必要は無さそうだからリヤサスペンションの全長は伸ばさないで、キャスター角だけ変更。クリップオンハンドルで任意のハンドル高にすれば多少の自由度は在る。最悪の場合はトップブリッジ上にマウントして上げてしまえば良いけど、格好悪くなるのは仕方ないよな』


『クリップオンハンドルならいつでも任意のハンドル高にするのは容易い《たやすい》し、身体能力に合わせて変更も出来るから問題も少ない』


『取り敢えず戻って来たら俺のレーサーに跨って貰ってライディングポジションの当たりを付ければ大体の感じは掴めるか……』


『そう云えば、弥生ちゃんが出て行ってからだいぶ時間経ってるけど何か在ったのか? でも何か在れば連絡が来てもおかしく無いし。大丈夫だろう……』


『――! まさかコケたか!? ヴェスパはどうでも良いけど、怪我して動けないとかじゃないだろうな?』


『でも田舎とは云えこの時間なら人の眼は在る。事故なら知らない人間でも救急搬送の手配をしてくれるだけの人情も在る土地柄だから、そこまで心配する必要はないだろう』


『それに救急車のサイレンは聴こえて来ないし。念の為に弥生ちゃんに電話してみようか? 繋がらなくても疾ってるだけって事も在るし、もう少し待って戻って来ないようなら探しに行ってみれば良いよな……』


 それは璃央が自分を納得させるようにスマホを手にした時だった。

 軽快なヴェスパのエンジン音が木霊して徐々に近づいて来るのが分かる。

 少しずつ大きくなるエンジン音を聴きながら暫くするとハンドルのグリップエンドに位置するウインカーを点滅させながら敷地内に入ってくる弥生の姿が視えた。


『ホッとした……』


 何事も無かったと様子を視ただけで解かったから嬉しくなった。

 この感情はいったい何なんだ?

 戸惑いと驚きが入り混じり当て嵌まる言葉なんて浮かんで来ないけど……

 そう云う事なんだろうな。

 多分。きっと。そう。

 さっき弥生ちゃんが溢した涙を視た瞬間ときから感じてたけど、もう否定しようが無いのも事実だ。

 流れに任せてみるか。

 君は本当に不思議なコなんだな。



「ただいまぁ。愉しくてちょっと遊び過ぎちゃったわ」


「戻るのが遅かったから少し心配になってた所だったよ。ありがとう」


「ありがとう? なんでよぉ。それってヴェスパに乗せて貰ったあたしが云う台詞で璃央さんが云うのは違うでしょ? 『遅かったから心配させるな!』くらい云ったらどうなのよ。心配してたって誠意が伝わらないのよね」


「それは無茶ってもんだよ。どうした? 今日は昨日と違ってチビ達みたいに無茶ばっか云ってるぞ?」


「あっ……ごめんなさい。あたし。頭の中で色んな事をずっと考えてたから、主語だとか諸々なの全部抜けてたみたいね」


「まぁ、良いよ。弥生ちゃんが無事だっただけで。いまはそれで良いんだ」

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