不可侵領域
彩華さんや璃央さんの云う通り、師匠のお気に入りになれたなんて嬉しいわ。
胸を張って堂々と自慢出来るわよね。
でもあたしのどこを気に入ってくれたかは謎だわぁ。
ちょっと想い返してみましょ。
あの時あたしはキョロキョロしててぇ……
声を掛けて貰ってぇ……
ご挨拶してぇ……
紫音ちゃんと彩音ちゃんの頭を撫で撫でしたでしょ。
そして師匠に何してるか聞かれてバイク屋さんを探してるって答えたわね。
師匠は『近くに在るから一緒に来るか』って尋ねられたから『お願いします』って答えて『付いて来なさい』って云われたのよね。
ん? どこが?
気に入られる要素なんてあった?
何か忘れてるのかな?
え~とぉ……
東京からここまで遠かっただろって云われたね。
それであたしは気が付いたらここに居ました。って答えたわ。
それを聴いて師匠は愉快そうに笑ってたからぁ……
とぉ……すると。
これ……だけ?
もしかして面白がられたから気に入られた?
そう云えば、今日って何度も『面白い娘』って聴いてるわ。
師匠も彩華さんも云ってるし。
ひょっとして師匠のツボって面白いって事なの?
それが判断基準?
待ってよ。今晩の席でコントでもさせられたらどうしよ……
お笑い芸人じゃ無いんだから無理でしょ。
ムチャ振りにも程が在るでしょ。ないない。
もしかしたらある?
いぁ。無いでしょう。
無いわよね?
無い事を祈りましょ――――
「あの人いま汗を流しに入ったから。上がったら璃央、紫音と綾音を連れて頼むよ」
「オッケー婆ぁば。紫音、綾音。着替え持って来て準備しな」
「おにぃちゃん もうちょっと アニメちょっとで おわるから そのあとで イイ?」
「わたしは じゅんびして くりゅ のよ。だから あらいっコの じゅんばん わたしが いちばんよっ」
「紫音その回が終わったら準備するんだぞ。分かったか?」
「らじゃぁ」
「お義父さんが上がっても透真さんはまだ帰る時間じゃないし、お膳が整うまで少し時間あるから何か軽く摘まめるの要るわね」
「お浸しと枝豆で良いんじゃないかい? 璃央もそれで良いね」
「そうだね、軽くないと折角のご馳走が台無しにになるから構わないよ」
「お義母さん、私が仕度するわね。ビールで良いのよね」
「あたしも何かお手伝いさせて下さい。配膳でも何でも」
「じゃぁ、また三人でやるかねぇ。ぼちぼち晩のお膳整えてれば透真も直に帰って来るだろうし」
「ええそうね、いつもくらいな筈よ。だから丁度良いかも」
お台所で軽いおつまみを彩華さんが用意する事になったわ。
と云っても枝豆とお浸しだから、お料理と云えるのかは微妙なのだけど。
でも、枝豆って美味しくなる茹で方ってタイミングが難しいのよね。
少し濃い目の塩水で茹でて、少し芯が在る位で火から降ろしてそのまま放置。
何となく漬け込むってイメージね。
冷めてく過程でお塩の味が
茹で上げてからの振り塩だとインスタント感が在って、枝豆本来の甘さが引き立たなくて美味しいとは云えないのよ。
まるでチェーン展開してる居酒屋さんのお通しみたい。
決してディスってるんじゃないのよ?
あーゆーお店はリーズナブルだし、あまり親しく無い人と行くには気兼ねもしないし最適だと思うわ。
でも大切な人と行くには……ちょっとねぇ。
アナタ シッテル? ソレ ヲ ディスッテル ッテ ユーノ。
あー。やっぱり そーなりますよねー。
あたしディスってるわね。
普通に反省します。
「焼き茄子の煮浸しは冷たくして出しますか?」
「そうだねぇ、今日は冷製の方が良いかも知れないねぇ」
「じゃぁ、お出汁に潜らせてひと煮立ちしたら降ろせば良いですよね」
「弥生さんって和食のお料理もちゃんと解ってるのね」
「お料理はあたしの趣味の一つですから知識だけは一応知ってますけど。婆ぁばや彩華さんと比べたらまだまだです」
「やっぱりお料理は好きなのね。良かった。お義母さんと同じだわ。もっとも趣味って云うより研究家だけど」
「あたしゃぁ研究家なんかじゃ無いよ。料理ってのは女の嗜みなんだよ」
「そうとも云うわねぇ。先ずは男の胃袋を掴めってよく云うでしょ?」
「よく耳にしますねぇ。でも残念ながらあたしにはその相手すら居ませんが……」
「ふふふ。そう云う事なら今晩は璃央君の胃袋を掴んじゃってね。ぎゅぅって」
「またぁ。彩華さんったら。推し過ぎても逆効果になるって事も在りますよぉ」
「あらやだぁ。少し乱発し過ぎたかしら。弥生さんに耐性がついて来ちゃったみたいね。もっと狙いを定めないと効果が無くなっちゃうわぁ」
やっぱりあたしって、面白がられて遊ばれてる感が在るわよねぇ。
さっきは無いって事にしたコントの件も再浮上して来て、ランクインも在り得るのかもって不安になって来ちゃうわよ――
嘘から出た実にならないように失言には注意しないといけないわ。
だって、あたしにコントなんて無理だもの…………
彩華さんったら、居間でお話しした時はそうでも無いみたいだったけど、少しは推し過ぎの自覚は在ったようだわ。
でもあたしを揶揄って遊んでるのって、裏を返せば興味を持ってくれてるって事よね?
そう考えたら何だか光栄に思えて来るのだから不思議だわ。ふふふ。
普段はこんな風にお喋りしながらお料理する事って無いから愉しいわね。
お料理はあたしの趣味も兼ねてるからいつも愉しいのだけど、好きな事を共有出来るのって愉しいから素敵に換わって行く気がするの。
彩華さんは云うまで無くって感じのお料理好きで、師匠も嗜みとは云ってるけどきっと好きだからこそよね。
何となくそう思うし、間違って無いって確信のような物を感じるわ。
師匠は何でもストイックに捉えて考える傾向が在るのかしら?
彩華さんから研究家なんて称号で認識されてるくらいだから。
きっと何でもそこに在るものに満足したり胡坐をかいたりしないで、常にその先を目指すってスタイルなんだわ。
でもそれは当然のように険しい路で、並み大抵の努力ではその境地に到達出来ないと思うの。
自分に厳しいのって挫折と背中合わせのようなもので、その狭間に身を置くって事と同義だから尊敬に値するわ。
こんな素敵な女性にあたしも近づけるように研鑽を重ねなきゃ。
「お義父さん上がったみたいよ。はい。これお願いします。それとあの娘達のお尻叩いてお風呂入れさせちゃって貰えるかしら?」
「はいよ。ちょっと行って来るよ」
彩華さんはお盆に枝豆とお浸し、ビールとタンブラー載せて師匠に手渡したわ。
『これってやっぱりそう云う事よね? 師匠に譲ったって事で……』
そんな事を考えてると。
「弥生さん、びっくりしてる? 私がお義母さんを使ったみたいに視えちゃったかな? でもこれは二人の間のルールみたいなものなのよ。お義父さんの給仕はお義母さんに任せるって。逆に透真さんは私がって」
「いえいえ、そんな事ないですよ。やっぱりあたしが想った通りでした。そう云うルールって良いですね。お互いがお互いの領分って云うと大袈裟ですけど、不可侵な領域が在るって証拠ですから」
「そう。解ってくれてたのね。私、何だか蛇足を云っちゃったみたいね。ふふふ」
「凄く良いなぁって思います。阿吽の呼吸と云うか、理想的な関係で羨ましくなっちゃいますよ」
「そうね。お義母さんとは理想的なのかもね。たまには行き違いや意見が衝突する事も在るけど。そこはね。やっぱり私と違う個性だから違う彩りもあるって事なのよ」
「違う個性を尊重して許容するって素晴らしい考え方だと思います。そして認め合ってるのってもっと素敵です」
「やだぁ。弥生さんったら。そんなに真っ直ぐ云われたら照れちゃうわよっ」
「このお話しを婆ぁばに聴かれたら、やっぱり大袈裟なんだよって云われちゃいますかね? ふふ」
「あたしが何だって? 弥生」
「お義母さん。実はね、弥生さんがこんな事を云うのよ」
彩華さんは師匠に今のお話しを説明すると、師匠は案の定『大袈裟』だって。
あたしは自分で云った事なのに何か照れ臭く感じちゃった。
でも師匠と彩華さんの眼元にどこか暖かいものを感じたのも確かだわ。
師匠や彩華さんが有言実行してる『夫を立てる』って云うのはそういった事なのかも知れないって。
譲れない。譲らない。
違いは在れど、それ程かけ離れた事では無いように想うのだけど。
この二人の間で謂うなれば、立場の違いで変わるだけの裏腹な云い回しみたいなものなんだわ。きっと。
いつかあたしにも解かる
それにしても師匠と彩華さんのお二人が輝いて視えるのは、あたしにとって先達だからなのかしら?
どこか違う感じがするのよ。なんだろう。
違う何かなのは確かだと想うけど、まだ霧の向こう側って感じではっきりしないわ。
いつかあたしにも解かる日が来るのかな。
そして解るようになりたいなって想うの。
お話ししながらも三人で手分けして、晩のお料理を整えるべく愉しみながら忙しなく動いてるわ。
七輪の炭を熾したり、天麩羅の衣を用意したりと、やる事はまだ山積みよ。
お料理に彩りを添えるトッピング的な絹サヤの下茹でしたり。
針生姜をお水に晒して灰汁抜きとか。
大根や生姜を卸して、大根の方はサラシを敷いた笊で余分な水分を落としたりなんて事も並行してやってるの。
サラダのドレッシングには胡麻油と大葉を刻んで使って風味の良い和風に仕立てたわ。
お椀の餡には、さっきつくね種を下茹でしたスープをベースに昆布とアゴのお出汁をプラスして味を調えると、飾り切りした桜の花弁型の人参や筍の穂先に味を含ませるのにひと煮立ちさせて火から降ろしたの。
こんな感じに細かい準備を着々と整えて、献立のお料理が出来上がる時間に差が出ないように逆算しながら、料理屋さんの厨房みたくチームになって完成させて行ってるわ。
勿論だけど、火を通すお料理だけで無くてお造りの配膳準備も忘れて無いわよ。
昆布締めしたサヨリを柵から切り分けたら直ぐに仕上がるように、刺しツマや大葉をお皿に盛り付けて抜かりなくこっちの準備も万端ね。
でも山葵だけは折角の薫りが時間の経過で飛んじゃうのを嫌って、盛付ける直前に卸す事にしたの。
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