名前に秘められた想い


 サロンの窓から食後の一服で煙草をくゆらす璃央さんが視えるわ。

 あたしは煙草を吸わないけど、とても美味しそうにゆっくり煙を吐き出す璃央さんは似合ってる気がするわね。

 師匠や彩華さんは煙草を遣らないみたいだわ。

 でも師匠は煙管で一服なんてしたら『凄く画になりそぉ』って思うけど。


 使い終わったお皿等の食器を取り纏めてシンクまで運び彩華さんに手渡し、テーブルの上を片付けたらダスターで綺麗に拭いてチェアなんかも整理する。

 彩華さんはあたしから受け取ると、お水に浸しながらお茶の準備と洗い物とを並行させてる様は手熟れてる感じだわ。

 師匠は食事したテーブルから別のテーブルへ移動して、しおんちゃんとあやねちゃんと話して笑ったりしてて。

 特に打ち合わせもしてないのに『完璧な役割分担じゃない?』ってあたしはちょっと悦に入る。



「ねぇママぁ。おねぇちゃん おうち きて くれりゅの? ほんとなの? うそじゃないのよね?」


「そうよ、紫音。弥生お姉ちゃんはお家にお泊りよ。嬉しいでしょ?」


「やったぁ! あやね。おねぇちゃん おとまり だよ。じゃんけんする?」 


「うんっ! しおねぇ しょうぶよっ! じゃぁぁんけん――」


「まっ、待ちなさい二人共! 駄目よっ。今日は駄目なのよ。お姉ちゃんは今日疲れてるからね。」


「えぇぇぇ ブゥーブゥー!」


「ママはケチねっ。おとなってズルいのっ!」


「紫音、綾音。弥生は明日もお泊りだよ。明日の晩に弥生に聞いてみな? それと何だい母親に向かってその云い方は。彩華にごめんなさいは?」


「「ごめんなさい……」」



『えっと? 色々と主語やら何やら抜けてて理解が……出来ないのですが? あたしも関係してるようだし。いったい何のジャンケンなの? すっごく気になるわねぇ』



「えぇ……っと彩華さん。これは? なにが何やらさっぱりなんですけども」


「あぁ。ごめんなさいね。弥生さん。これはね、紫音と綾音のどっちが弥生さんと一緒に寝て貰うかって、決めるじゃんけんなの。謂わば権利争奪戦って所ね」


「それならっ。あたしは全然構わないです。可愛らしい娘達に添い寝して貰えるなら寧ろ大歓迎ですよ。何なら二人共一緒にでも」


「弥生さん、知らないわね? ふふふ。いい? このくらいの子供の寝相ったら凄いのよ? ゴロゴロごろごろ転がってね。もし両脇に一緒にお布団入れたらあっと云う間にお布団から追い出されるわよ?」


「そっ、そうなんですか? てっきり抱き枕にされるくらいだと」


「それが想像と現実の違う所よねっ。そんなだからこの娘達のルールなの。一緒にお布団入るのはどちらか一人だけって。ローカルルールみたいな感じかな?」


「その云い方ですと彩華さんは追い出された事が在るような?」


「勿論、在るわよぉ。これでもお母さんやってるんだからっ」


「参考にさせて戴きます。あたしの将来の為に……きっと、そう云う未来があたしにも来ると信じて」



 シンジルモノ ニ サチアレ。

  オトズレテ ホシイワッ! ホント セツジツニ。



 井戸端会議のようなお話しをしながら彩華さんはお茶の用意をして、湯呑みをそっと差し出すとゆっくりと席に着いたわ。



「あの、少し気になってるので質問しても良いですか?」


「何だい? 何でも聞いて構わないさ」


「しおんちゃんとあやねちゃんのお名前の事なんです。二人は双子ちゃんと云うのは聴いたのですが、あたしの漠然としたイメージで双子ちゃんってお揃いみたいな名前の事が多いんじゃないかな? って。そのイメージとはちょっと違うのでお名前の由来とかをお聴きしたくて」


「そんな事かい。この娘達の名前は漢字で書くとそっくりなんだよ。『紫の音で紫音』『綾衣に音で綾音』なんだ。弥生、お前さんのイメージって云うんだっけ? それに当て嵌まるんじゃないかい?」


「そうですね。あたしの疑問が今、すぅっと胃の腑に落ちて行ったような想いです」


「でもね弥生さん。双子でも別の人格って云うかな? やっぱり個性があるのよ。共通する所は当然在るけど、それは家族や姉妹なら在って当然って感じの一部分なの。紫音も綾音も彩りの音って共通してるのだけど詠み方は違うでしょ? 『音』って漢字を『おん』と『ね』で詠ませる事で違う個性なのよ。って主張のような願いみたいな事なのよ」


「わぁ……凄く素敵。個性を尊重しながら堅い絆で掬ばれてるって。そしてそれが両親や家族の願いだなんて感動的で幸せですね!」


「子供は成長してお互いに違う路を歩む事になるのよね。辛かったり苦しかったりする事も在る筈ね。そんな時に『ふぅ~』って辺りを見廻して、そこに確かに感じられる絆が在ればまた起ち上がれるんじゃないかしら。そうだったら素晴らしいじゃない」


「良いです。凄く良いですっ! 路や個性は違えど確かな絆。同じ流れを掬ぶって意味を持つ二人のお名前は素晴らしいです!」


「そんなに真っ直ぐに云われたら照れてしまうわね。ありがとう。」


「聴けて良かったです。こんなにも愛情と想いの籠った願いで命名された二人のお名前の事。忘れられません。」


「弥生が大袈裟なのも個性の内なのかねぇ。まったく調子が狂っちまうよ。」



※ 同じ流れを掬ぶ>『同じ川の水をすくって飲む意から』縁のつながった人間どうしであることの喩えです。




 それにしても『彩りの音』って凄く素敵ね。

 紫の音ってこの上ない雅な高貴さを醸し出すって云うか。

 能楽の笙のような厳かな響きってイメージかな?

 綾音ちゃんには綾衣の凹凸の在る模様や色彩を音にするって、アーティスティックな響きを感じるわ。

 云われてみれば、何かふんわりと心の内側になにかが拡がる想いね。

 樹々の枝葉が揺れて奏でる音って云うのかな?

 四季彩と風のハーモニーから成る共鳴する音。

 これも立派な彩りの音よね。

 逆に奏でられる音からインスピレーションされる色彩も在ると想うの。

 豊かな感性と感受性。似てるけど、やっぱりそれは似てるだけ。

 そこからインプロヴァイスされて生まれる何かでお互いをより高め合う。

 そんな何かを生み出だせる素敵な関係になってね!

 紫音ちゃん彩音ちゃん。頑張ってぇ!

 そうなって欲しい。そして願ってる。

 だからあたしは信じます。

 無限に広がる豊かな感性と感受性を。

 二人の異なる個性を併せて奏でるハーモニーを。



「名前ついでにもう一つ良いですか?」


「どう~ぞぉ?」


「璃央さんの姓が違うのは彩華さんの旧姓だからですか?」


「おや? 云って無かったかい? 璃央は家族だけど血縁は無いんだよ」


「そうそう。璃央君はお義母さんが気に入って拾ったって云っても良いのかしらね? それはもう弥生さんみたいに」


「えっ! 璃央さんって捨て子だった?」


「違うわよぉ。もう本当に面白いわ。璃央君は捨て子では無いのよ。そもそもお義母さんが拾ったのは五年位前の事だし。あらっやだ。静かだと思ったらこの子達お腹いっぱいになって寝ちゃったわ。ふふふ。寝顔だけなら天使なんだけどっ」


「ここいらで御開きにしようかねぇ」


「そうね。いまのお話しの続きは今夜ゆっくりと璃央君の眼の前でね」


「お話しの続きが愉しみですっ」



 師匠の『御開き』の言葉が切っ掛けになって後片付けに取り掛かったわ。

 あたしと彩華さんは食器を洗ったり、少し残ってしまったお料理にラップ掛けしたりと手分けして動いてるの。

 師匠は彩華さんが乗って来た車をサロン前に停め、紫音ちゃんと彩音ちゃんを後部シートにそっと寝かせてる。

 そう云えば、師匠に声を掛けて戴いてからまだ数時間しか経ってないのよね。

 なのに、この居心地の良さったらどうなのよ。

 ずっと前からお知り合いだったような感じだわ。


『なにか凄く心地好いなぁ』


 ここに来るまであたしの内に渦巻いてた閉塞感やら圧迫感やら固定概念やら、その正体は何だか解らないけど、凝り固まってた塊みたいな物が溶けて行くような気がするの。

 水面に落ちた雫の波紋が広がるように、あたしの心の奥底から湧いて溢れる暖かな何か――

 穏やかに優しくなれる人の傍に居るのがとても落ち着くの。

 この感じって開放感? それとも解放感?

 ずっとここに居れたら良いのに。


 この瞬間ときあたし自身でも気付かない仄かな淡い晄が、あたしのこころに燈ったのを知らないで居た。

 そしてこの声にも。


 《マカセナサイナ。 アタシ ガ チャント シテアゲル。 デモ アナタニ ワ マダ ナイショ》



 ジジッ……ジジッ……

「そうか。それならその涙を俺に刻んでくれないか」

「刻んでどうするの?」

「忘れないように。寂しい想いをさせないように」

「涙を拭おうとしないのね?」

「だってその涙は悲しいものじゃないだろ?」

「そうよ。悲しくなんて無い」



「良く眠ってますね。とっても可愛らしいです。ほっぺツンツンってして悪戯したくなっちゃう」


「これくらいの子は寝るのも仕事なんだよ。良い塩梅に昼寝させるってのは、なかなかどうして」


「もしかしてお昼寝させ過ぎちゃうと夜に眠くならないから? ですか」


「それも在るんだが。恐らく今夜はこの子達を寝かし付けるのに往生する筈さ」


「それじゃぁ、今は起こした方が良いのでは?」


「そうじゃないんだよ。今日は弥生が家に来るだろ? それでさ。二人とも好奇心旺盛って云うか物怖じしないと云うか。家は人の出入りが多いから馴れたのかねぇ? 肝が据わってるんだよ。生意気にも」


「生意気な紫音ちゃんと彩音ちゃんって視てみたいですね。きっとそれも可愛いらしいに違いないですもの」



 サードシートやフロアにお鍋や食器やら運び込みながら双子ちゃんを覗き込むと何とも愛くるしいわね。

 彩華さんの云う通りだわ。まるで天使ね。

 すやすや眠りながら時々ムズっがったりしてっ。

 でも悪戯したい衝動は抑えてるのよ。大変だったけどね。

 だって、すっごく可愛らしいんだもの……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る