サロンの主
ちかえ
サロンの主
イシアル学園には、「塔」と呼ばれる七階建ての建物がある。
その塔は階ごとに五つの部分に区分されていて、高等部の学生の中で身分の高い五人がサロンと呼ばれる社交場を持つ事が出来る。七階まであるのは第一サロンと第二サロンが二階にまたがるからだ。
元々は貴族の領地経営の為に作られた学園は、社交にも力を入れている。なのでこうして上流階級の者の為のサロンを作り、その方々を中心に社交をさせるのだ。
ただ、『サロン持ち』の中には社交より勉強の方が大事という方も何人かいて、まるで研究室のようにサロンを使う事もあったりするが、それは仕方のない事かもしれない。
数年前に、王太子、王太子の婚約者、筆頭公爵令息、筆頭侯爵令息、侯爵令嬢、と、上流の中でも上流の方々でサロンが埋まった時代があった。あの時は第二サロンを中心として学園の社交が花開いていた。
その中でも六階と七階にまたがる第一サロンはその中でも一番輝いている。王子や王女が入る事が多いし、そうでなくとも、公爵家や侯爵家の方々が入る素晴らしい場所だ。だからこそ専用使用人も誇りを持って働く事が出来る。
なのに……。
私はため息を吐きたいのを押し殺して目の前の人物を眺めた。
何でこんな方に仕えなければならないのか分からない。
「今日からよろしくお願いします」
私に向かって丁寧に挨拶してくる女性に苛立ちしか感じない。
だって男爵令嬢だぞ、男爵令嬢! ありえないだろ。
今年はどうやら高等部に所属する貴族の令息令嬢の数が少ないらしく、こうして男爵家のこむす……いや、ご令嬢が第一サロンを使う事になったのだ。
今までにこんな事があっただろうか。男爵令嬢でも、せめて侯爵令息の婚約者だった方が入っていればまともに仕えられたのに、と思う。だが、彼女は数年前に卒業してしまった。
最悪な主と出会ってしまった。
私はもう一度ため息を飲み込んだ。
***
手は抜かない。でもやりがいが感じられない。
そんな気持ちを押し殺し、彼女の友人である下級貴族の令嬢達のためにお茶を淹れる。
彼女に仕えるのは本当につまらない。第一サロン特有の魔道具も、魔術機能も、魔力の少ない彼女には何の役にも立たない。
おまけにそんなに財力もないようで、使っている調度品や食器類は学園から借りているものだ。
王子や王女がサロンの持ち主だった時は、王家所有の美しい食器が棚に並んでいたのにとても残念だ。質素な食器類の並ぶ食器棚を見ていると悲しい気持ちになってくる。
壊しでもしたらどうするんだと心配になる。何十年か前の王族がワガママだったらしく、良くカップをわざと割っていたのだそうだ。
このこむす……令嬢もそうだったらどうしたらいいのだろう。学園の備品を割るなんて許されない。今は大人しくしているが、慣れてきたら本性でも表すのだろうか。
それを考えると憂鬱になって来る。
来年になれば初等部の公爵令嬢が高等部に上がって来るから一年の辛抱だ。それは分かっているが、その日はとても遠いように感じる。
***
彼女に不満を持っているのは私だけではなかった。
彼女より上位の貴族令息令嬢、そしてその両親が次々に面会に来る。皆初等部に通っている貴族達だ。残念な事に、初等部生はサロンを持つ資格がないのだ。だから学園の校則を変えて初等部生にもサロンを持つ権利をよこせと彼女を責めるのだ。
彼女に言ってもどうしようもない事は私も知っている。でもあわあわと対応する彼女はかなり滑稽なのでそのままにしている。
だが、私に『できればお客さんは厳選していただきたいのですが』と頼んで来たときは閉口した。
大体、私だってこいつのせいで、『平民を召使いにするなんてさすが男爵家のご令嬢』と馬鹿にされているのだ。『実は彼女と仲が良くてコネで就職したのではないの?』と言われた時は顔から火が出そうになった。
私は彼女が来る前から第一サロンで働いているのに! 王太子殿下にだって仕えた事があるのに!
そんなふうに馬鹿にされるのは彼女のせいだ。
だから冷たい言葉を浴びせた。男爵家の令嬢には普通は縁がないであろう第一サロンを持てたのだから感謝して上流階級の相手くらいしろと静かに諭してあげた。
彼女は黙って私の話を聞いていた。そして『わかりました』とだけ答えた。
分かってくれたのはありがたい。だが、なんだか悪い事をしたような気がするのは気のせいだろうか。
***
それからの彼女はあまりサロンに寄り付かなくなった。どこで何をしているのかは知らない。私の仕事はサロンにいる主の世話で、それ以外はノータッチなのだ。
来るときもあるが、七階にあるプライベートルームに籠ってしまう。一体何をしているのか私には分からない。分かる気もない。だから探らなかった。
そのうち、来年からここの主になる予定の公爵令嬢がよくサロンに訪問してくるようになった。初等部のサロン所有は禁じられているが、サロンの客になるのは大丈夫なのだ。
そのうち、公爵令嬢の友人がたくさん訪問してくるようになった。来年から高等部に上がって来る別の令嬢も来ている。
きっと、自分がふさわしくないと分かって、公爵令嬢にサロンを貸し出す事にしたのだろう。それなら納得は出来る。
ただ、その公爵令嬢も私を馬鹿にするのはいただけない。『もう少し自分の身分をわきまえた方がよくてよ』と冷たい表情と声で言って来るのだ。
それは腹立つが、来年からの私の主なので大人しくしている。
***
公爵令嬢がこの部屋に来てから私の仕事が減った気がする。とはいえ、なくなったわけではないので問題はない。魔力持ちが使用していた時と同じくらいの仕事量になっただけだ。
公爵令嬢は結構このサロンを私物化しているようだ。サロンの魔道具に彼女の魔力が注がれているのを何度か確認したし、使用しているのもこの目で見た。
でも魔道具ーー料理のための保温機や私室の防音設備、お茶や料理を私室に給仕するための転移道具などーーがきちんと作動しているのを見るのは結構嬉しい。
本来のサロンの持ち主である男爵令嬢はそのおこぼれをもらっているようだ。見ていてとても情けない。
でも、なんだか最近は、少しだけだが、男爵令嬢の表情が明るくなったような気もする。
でもささいな変化だから気のせいかもしれない。
楽しそうな令嬢達の笑い声を聞きてると少し胸が痛んだ気がした。
***
時間が経つのはあっという間だ。
いつのまにか一年近くが経ち、男爵令嬢がサロンを去る日が来た。これから初等部から上流貴族が公爵令嬢を含め三人進学してくるので、彼女は第四サロンに移るのだ。
そして、今日は部屋の移動の日だ。
棚の中の食器類が学園に返却され、公爵令嬢の華美な食器がそれに変わる。
結局割らなかったな、と心の中でつぶやく。学園の所有物で借り物なのだからと丁寧に扱っていた姿が思い出される。むしろ、彼女に文句をいう上流貴族の方が怒りにまかせて割っていた気がする。
割れるたびに学園が補充していたが、それは彼女が申請していたのだろうか。本来は私の仕事だったはずだ。
やはり、悪い事をした気がする。
「大体出来ましたわね」
公爵令嬢が満足そうにそうつぶやく。
「華やかになりましたね」
男爵令嬢も嬉しそうな声で言っている。正直情けないと思う。華やかでない調度品しか選べなかったのはお前だろうに。
「アデリン先輩、半年近くここに招いてくださってありがとうございました」
「いいえ。私はグレース様に何度も助けていただきました。お礼を言うのはこちらの方です」
「そんな謙遜しなくても。さすが領地経営科に学ぶ方だと、いつも感心しておりましたのよ」
公爵令嬢の言葉に男爵令嬢が恥ずかしそうに頬を染める。
一瞬、厳しい視線が飛んで来た気がした。でもそれはきっと気のせいだ。
「またこのサロンでお話しましょう。先輩がいなくなってしまうのは寂しいですから」
「第四サロンにも来てくださいね」
「ええ。もちろん」
二人が和やかに挨拶をしている。その空気には敵意はまったく感じられない。
「お世話になりました」
男爵令嬢は最後にまっすぐ前を見て挨拶をした。
でも、その目線は、私には一切向いていなかった。
サロンの主 ちかえ @ChikaeK
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