出会い頭の別れが咲いて

おぎおぎそ

出会い頭の別れが咲いて

 式次第もその項目のほとんどが消化され、白い光のなかに山並みが萌え始めた頃、私は一生分の後悔の種を抱えることになった。


 古人曰く、出会いがあるから別れがある。


 であるならば、この出会いは爆発寸前の時限爆弾だ。確定した永遠の別れが、もうすぐそこに迫っているのだから。


 切れ長の瞳、整った眉、西洋の風を感じる高い鼻。級友との別れに瞳を潤ませる表情も、神話から飛び出してきたかの如く様になる。


「……かっこいい」


 その感想で済めばよかったのだ。


 大した感慨もなく中途半端な義務感のみで在校生席にただボーッと座っていた私は。


 あろうことか今、学校を去ろうとしている名も知らぬ卒業生に。



 ――一目惚れしてしまったのだ。



 数十分後、生まれたての初恋の卵は粉々に砕けてしまった。


 第二ボタンや連絡先どころか、苗字の一文字すらも聞きだせないまま。



 **********



「フットサルサークル、フロンティアで~す!」

「どうすか? 空手、興味ないすか? どうすか?」

「アメフト部です! そこの新入生! 良い身体してんね~! ……あ、ちょ逃げないで……怖くないから! 怖くない! ちょっとスーッとするだけ! 皆やってるから!」


 春が来るたびに、私はあの卒業式を思い出す。


 脳のメモリとは偉いもので、あんな一瞬の出来事が今なお鮮明だ。一切の揮発が許されない。きっとこの先も、私はこの記憶に苦しみ続けるのだろう。


 再会したいという願いは不思議と起こらなかった。

 ただ、あの時に戻れるならば私はきっと、式の最後までうたた寝を貫くだろう。あの人と出会わなかった未来を生きたいとは、何度願ったかしれなかった。


「どぅしたピーコ、溜息なんかついちゃって! そんな辛気臭い顔してると、新入生釣れないよ? ほら! 声出せ声出せ!」

「あ、うんそうだね……。合唱サークル、フェルマータでーす……」

「声が小さい! 合唱サークルゥゥゥ、フェルマァァァァタァ!」


 あーもう、うっさいなーこいつ。


 大学に入学して今やもう二年目。早くも先輩となり、今は絶賛新勧活動期間だ。隣にいるリニコフの暑苦しい勧誘は新一年生に華麗にスルーされ、段ボール製の手持ち看板が、力なくふにゃげた。


 ちなみにピーコというのは私の部名、ニックネームだ。合唱サークル加入時に、柿ピーのピーの方が好きという自己紹介をしたことからついたあだ名だ。覚えやすいことは、覚えやすいが、酷い名だ。どうしても浮かんじゃうじゃん、おすぎが。


 片や隣で奇声をあげている顔面おすぎの男は、リニコフだ。当然これも部名。何かと金にあくせくしており、胡散臭い儲け話によく騙されている。いつか金がらみで人を殺めそうという理由でラスコーリニコフ、縮めてリニコフ。


 リニコフの積極的な声かけは、半径十メートル内の新入生の姿を消しとばした。おかげで仕事がなくなって、ラッキーといえばラッキーである。


 リニコフは何かにつけて私に絡んでくる。やたらと飲みに誘ってくるし、この勧誘活動も一緒にやろうと言い出したのは彼だ。もしかした彼は私に気があるのかもしれないが、私にはその気はないし、なんならこの短編でリニコフとのちょっぴり変わったラブコメ☆が始まることはないので、その点は是非安心して続きを読んでいただきたい。


 しばらく虚空に向かって声を張り上げ続けていたリニコフだがさすがに飽きたのか、そういえば、と言って話を切り出した。


「今度の日曜、空いてる?」

「用事によるかな」

「いや、それがビッグイベントなんだよ!」


 やんわり断ってるの、気づいて? 私の日曜日はお前と過ごすために存在しているのではない。それにコイツの休日なんてどうせ、あてもない飲みの誘いか、くだらない儲け話の二択だ。


「ピーコさ、ネットワークビジネスって知ってる?」


 ほらね。その単語、サークル勧誘の札を持った人間が口にしちゃいけないランキング第一位だって知ってる?


「今度尊敬する先輩から、新しいビジネスの話を聞けることになったんだよ! それでピーコもどうかなって! ほら、俺とピーコの仲だからな! 特別に参加させてやろうかなって!」

「ふーん、尊敬する先輩ねぇ……」


 どうせその先輩、一回くらいしか顔見たこと無いんでしょ。

 ……ま、それは私もいっしょか……。


「……んー、どうしようかなー……」


 その時私は、何を思ったか、もしかしたらその先輩とやらが私の初恋の人なのではないかと、そんな突拍子もないことを考えてしまった。リニコフに同行すれば、私の脳を焦がし続ける彼に会えるのではないかと――。


 そんな夢物語を描いてしまったのは、あの卒業式の日に似た柔らかい春風にあてられたからだろうか。


 あるいはこの春風が青い奇跡を運んで――。


「あの、すいません……。合唱サークル、興味あるんですけど」


 一年生らしき少年が、声をかけてきた。

 切れ長の瞳、整った眉、西洋の風を感じる高い鼻。新たな学生生活に瞳を輝かせる表情も、神話から飛び出してきたかの如く様になる。


 視覚から得た情報の処理に時間がかかる。


 情報処理、終了。ドクンと心臓が跳ねる。


「…………先輩?」

「そう! 先輩だよ! 尊敬する先輩の話が聞けるんだよー! って、君! もしかして加入希望? そうだよねそうだよね? いやー! 嬉しいー!」


 間違いない。


 私の目の前で苦笑いを浮かべている彼は、私が数年間憧れ続けてきたあの人だった。


 記憶から消し去りたいとさえ願った、眩しすぎる光そのものだった。


「ねえ君、出身どこ? あ、やっぱちょっと待って! 当てるわ! う~ん、神奈川! お、正解? やっぱり? 君、神奈川顔だもんね! あれ、てかそしたらピーコと一緒じゃん! うわー同郷の後輩とかアチーな、ピーコ!」

「リニコフ、悪いんだけど部室から加入届取ってきてくれない?」

「ん? この後輩君を連れてけばよくね?」

「いいから。お願い。……私、今から後輩になるから」


 はぁ、と気の抜けた声を出しながらも、リニコフは部室の方へ駆けて行った。




 桜の香りが、ふわりと通り抜けていく。

 残ったのは私と、先輩だけ。唐突にやってきた奇跡に動揺しながらも、私は必死に言の葉を紡ぎ出す。


「……ねえ、君。もしかして……二浪?」


 精一杯、微笑みながら問いかける。ニヤけそうで泣きそうで、なんとも中途半端な笑顔であることはわかっていた。


 古人曰く、出会いがあるから別れがある。


「はい……でもどうして――?」


 不思議そうな顔で先輩が首を傾げる。綺麗なまつ毛が揺れる。


 古人はその別れの後に何が続くかは語らなかった。


 ならば、あえて私が語ろう。現代人が夜明けのような奇跡をもって証明しよう。



「……、先輩。です」




 ――出会う前に別れた私たちは。


 ――この日、確かに別れの後に出会ったのだ。

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