夫が離婚話を出してきたので、着替えてから出ていけと言いました。

ムツキ

◆ どうせなら、キレイな恰好で出て行って ◆


 ある晩酌の席で、夫ハイデルが口火を切った。


「いわゆる魔女って存在があるじゃないか」


 いつも唐突な人だが、今回は特に唐突だ。

 彼はいつも可笑しい。研究に没頭するあまり家庭を顧みず、その変人ぷりに私も子供たちも辟易としている。時折、私がキレて離婚話が持ち上がって、それでもすぐに元鞘に戻れるのは一応は『愛』とやらがあるからだと思う。

 ダメ男に引っかかった気分だ。

 自分くらいしか、この男の相手はできないとも認識しているせいだ。


「魔女……いるわね」

「いや、それは正しくない。の話であれば『いる』なんだが、魔女という存在そのものの話だよ」


 魔女カリスタ、世界を恐怖に叩きこみ続けている魔女だ。



 そういえば、彼がこんな時間に研究室ではなく、この場にいる事が珍しい。どれくらいぶりだろう。前回は一カ月は前だった気がする。



 相変わらずのしちめんどくさい言い方にも慣れたもので「それで」と促せば、彼は独自の理論を展開した。


「魔女って存在はさ、ある意味どこにでもいつの時代にもあったモノだろう? 魔法を使う悪い女はみんな魔女さ。悪さ具合もそれこそピンキリの世界じゃないか。ある意味で性差別かもね。魔法を使う悪い男はただの悪の魔法使いってだけさ」

「まぁそうね」


 ボサボサの黒髪、寝不足が一目でわかるクマが刻まれた目元。よれよれの衣服は、さっさと脱いで着替えてきてほしいところだ。


「そもそも魔女こと悪い魔法使いってものは排斥はいせきできるたぐいではないんだな。人を殺せる力だし、一度殺しに慣れてしまえば、一人殺すも十人殺すも百人殺すも同じさ。だけれど、今回はカリスタという特殊で、特別かたよった最強クラスの魔法使いが現れた。これが数千人殺してる魔法使いだから倒そうってわけじゃないのさ。数千人殺せる魔術を持っている殺しに慣れた魔法使いだから問題なのさ。討伐しましょうってね」


 また私は「そうね」を繰り返す。



 この話し、どこに着地するのかしら?



「殺しに慣れた魔法使いという意味なら、この僕も入るわけさ」

「……そうね?」

「でも僕は討伐の対象にはされない。首に縄が掛ってるからね」

「縄?」


 首を傾げれば、彼は飲み干した杯を差し出す。どうやら、晩酌は終わりらしい。彼はまた研究室にでも戻るのだろう。


「そうさ。っていう縄さ」


 家族を縄と称するなら、また離婚問題でも持ち出すべきだろうかと、思案したのも一瞬。彼は愉快そうに笑った。


「まぁ僕は、その縄が好きさ。君たちが僕の縄で良かった」

「……何が言いたいの?」


 聞き返す事が怖い。それでも聞かなければならないのだろうと問いかける。現状、彼はそのように話を持って行っているのだから――。

 案の定、彼は満足そうに笑った。


「離婚しよう」

「……」

「初めて僕から切り出したね」

「……そうね」

「理由を知りたいかい?」


 笑う男の頬を思いっきり平手うつ。思ったよりもいい音が出たし、手がじんじんする程度には強く叩けたようだ。

 彼の方は痛そうな顔すらせず、ただほほ笑んでいるが――。


「愛してるよ、ディアナ」



◆◇◆



 かつて、彼は噂の人物だった――七歳にして魔術の実験から人を死なせたのが始まり。

 彼は犯罪者というには若すぎたし、殺意があったわけでもなかった。事故として処理された殺人は彼を確かに変えていた。

 彼はその後も実験をしていく。死体を買い、死体で実験をし、時には受刑者を金で買い、魔術の実験に没頭していた。

 当然、持てる才能で学び場でも研究者たちが集う場でも有名人。『狂気の天才』なんて二つ名まで手にしていた。


 私の家は、代々優秀な魔法使いを輩出してきたし、父も魔法関連では名の通った重鎮だ。

 悲しいかな私には魔法の才がなかった。

 家を継ぐのは才豊かな妹だと目され、家では浮いた存在だった。だからこそ――なのか、父は私を彼の妻に差し出すことで、彼の能力を手に入れようとしていた。


 魔法の話など全くわからないし、父の言うようにはならないと思っていた。彼と実際に会ってみて、あまりに違いすぎるお互いに笑いだしそうになったほどだった。

 ただ無言で会食を終えた去り際、彼はこう告げた。


「鈍器で頭をかち割られた。目まいが止まらないし、気分も悪い。吐き気すらするほど胸がむかむかするから結婚してほしい」


 あまりな言葉だった。後日わかったのは彼にとっての一目ぼれの瞬間を言葉にしただけだったのだ。

 父の思惑通り、百年に一人の鬼才は父のこまとなる。


 共に生活すればするほど、外見以外にまともな部分などないのだと理解した。普通は多少なりとも互いに近しい感覚というものを持って、お互いを好きになると思っていた。


「私と話して何か面白いの? 私はあなたの話の一割も理解できないし、あなたも私の話の一割もわからないでしょ。まして魔法の才能なんて全くない私と結婚して子供が魔法の才能なかったらあなたどうするの」


「それのなにが問題なのか分からないな? お互い少しも分からないから話して発見があるんじゃないか。それに君や子供の魔法の才能云々に関しては、全く興味がないな。私は好きだから魔法の研究をしているのであって、子供も同じになる必要はないだろうし。それに仮に君が魔法の知識が少しでもあって話していたら、低能なバカと思ってサヨナラだったかもね?」

「なるほどね……あなたってやっぱり変」

「そうかい? 君もかなり変だよ。だって君はこんな魔法バカの私を好きだろ?」


 ハイデルはおかしな事をきいたというように肩を竦めた。

 思わず言葉を失った。全くもってそうだった。なぜだか、彼のことを愛し始めていたのだ。


「私のために、他の男と決闘して私を奪ってみてといったらする?」


 少しの興味から聞けば、彼は少し考える素振りを見せた。


「私は人殺しだよ? たくさん殺したし、人殺しに善悪だのという感覚もない。君を取り合う決闘とやらで私がその相手を殺しても君は私を愛せるかい?」

「ひくわね」

「なら、決闘しない。君に『相手の命が惜しければ、俺と結婚してくれ』と頼むかな」

「……あなたってほんと、変人ね。それって脅しっていうのよ」


 そうしてキスをした。彼は不思議そうにしていたが気持ちは伝わったのか、彼もキスを返してくれた。

 父の計画通りに進ませる気などなかったのに、結婚し、彼を愛し、彼の子を産んだのだから私の人生も十分可笑しい。

 案外迷惑を被っているのはハイデル本人だ。

 彼の才を、血を、我が家へと組み込む事に成功した父は、同時に彼への命令権も手に入れたのだから――。



◆◇◆



 自由だった天才の青年は、今や父と王国のいいなりとなっている。



 可哀想なハイデル・バーレ。

 本当に、夫婦ってイヤなものね。見えなくていいところまで見えてしまう。



 今の彼の状況も気持ちも分かっている。

 首に縄をかけられた状態では戦えないのだ。彼はきっと、この部屋を出てしてくる。それには真っ当ではない事も入ってくるのだろう。彼はそれらが出来る能力も感性も持っている。

 そんなを起こしてきた彼を、受け入れられるか受け入れられないかは後の問題だ。

 狂気の天才魔法使いに戻るには、家庭があっては無理なのだ。


「届けは出しておくわ。お父様にも話しておく」


 離婚を事実上了承した発言を返す。

 彼は一つ頷く。


「ありがとう」


 ふと思う。



 そういえば、この恰好かっこうで出ていく気かしら?



「旅支度くらいはしといてあげるから、その間に着替えてきなさいよ」


 いつだってそうだ。

 私はハイデルが嫌いで別れようなどと思った事はない。この情について、今更言葉にする気はないけれど。



 せいぜい頑張ってきなさいよね。


(了)


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夫が離婚話を出してきたので、着替えてから出ていけと言いました。 ムツキ @mutukimochi

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