第28話
※
同日深夜。
コンビナートの明かりが点々と灯る中で、霧香と山路は立っていた。潜水用スーツにシュノーケルを装備している。その外側からは、水中でも使用可能な通信機が付属している。
この通信機を使用可能にするため、シュノーケルはマウスピースの不要のヘルメット型になっていた。
山路は無言で、波打ち際ギリギリのところに立っていた。霧香は、そこから一歩引いたところでしゃがみ込んでいる。そして、波の端を弄ぶように、手を伸ばしたり引っ込めたりしていた。
《大丈夫か、霧香?》
《引けないでしょ、今更》
それはそうかもしれないが……。
そう言おうとして、山路は喉元でストップした。霧香の表情は窺えないが、代わりにオーラのようなものを感じ取っていたのだ。こいつは、本気だ。
実際、霧香が出動する必要はなかった。水中にいる以上、嗅覚はあてにならない。代わりに爆発物探知機を背負って潜航すれば済む話だ。
だが、霧香は自分が行くと言って譲らなかった。廻の存在が何らかの影響を及ぼしたであろうことは、山路にも想像はつくのだが。
互いにボンベと通信機、それに爆発物探知機が正常に作動することを確かめた二人は、どちらからともなく水中に踏み込んだ。足元から、ばちゃばちゃと音がする。
霧香の奴、やけに思い切りがいいな。
山路はそう思ったが、安堵できるわけではない。ただでさえ、自分たちは機雷を避けて、反対岸まで到達しなければならないのだから。
爆発物探知機はすぐさま反応を示した。このあたりは海底が浅いので、潜水航行で機雷を回避しきることはできない。左右に身体を流し、海底まで伸びた機雷の探知針を避けなければ。
その時、山路は気づいた。何かが接近してくる。
《おい、霧香》
《分かってる。水中用ドローンでしょ》
一般的な空中用ドローンを小型化したような機体が、サーチライトで闇を切り裂くようにしてうようよしている。
空中用より小型なのは、武器を搭載していないからだ。敵を捕捉次第、最寄りの機雷が爆発する仕組みになっているのだろう。
当然だが、人間の身体は空気中に適応するようにできている。水中では、のっそりしたいい的にしかならない。
霧香は迷った。バーニアを使って、沈んでいる鉄骨の陰に入るか? そうすると潜水用スーツが破れてしまうし、結局は自分の居場所をばらすことになる。
こうなったら……!
霧香は思いっきり山路をどついた。
《ぐっ! 何をするんだ、霧香!》
《今は私に任せてくれ!》
直後、ドローンの照明が霧香の目に飛び込んできた。見つかったな、と判断しつつも、霧香は怯まない。
ボォン、という鈍い爆音と共に、視界がルビーのような輝きを放つ。爆発は近くの機雷を巻き添えにする形で誘爆していく。しかし――。
《山路さん、これで活路が開けたよ》
《な、なん……?》
山路は呆気に取られていた。かつて敵、すなわち鎌使いや狙撃手が使っていたバリアが、目の前で、正確には霧香の手先で展開されていたのだ。
確かバリアを展開するには、宮藤の持っていた宝石が必要となるはずだが。
《宮藤から預かってたんだ。君なら信頼できる、ってね》
《し、信頼……?》
《私のスタンドプレーが目立つところ、買ってくれたんじゃない?》
山路は安堵半分、呆れ半分の複雑な溜息をついた。
《まあいい。霧香、ようやく爆発物探知機の出番だ。どこか迂回して上陸できる場所はないか?》
《迂回? 要らないよ。今の誘爆でほとんどの機雷はなくなっちゃったし。後は速攻でケリをつければいいんじゃないかな》
《了解》
霧香はふくらはぎのバーニアを、山路は足首に装着した水中行動用の大型フィンを最大出力にし、一気に反対岸まで辿り着いた。
が、しかし。
《敵が、いない……?》
《そのようだな》
二人は潜水用スーツやシュノーケルを捨て置き、いつもの迷彩服姿になった。それぞれ自動小銃を取り出す。
素早く、しかし音を立てずに、コンテナやクレーンの周辺を捜索する。
今現在、廻は弱い精神波を霧香たちに送っている。それが急に弱くなったら、近くに精神波妨害装置があるということだ。
だんだんと、その装置の気配が察せられるようになってきた。霧香の首筋に、汗が滴る。
コンテナの陰からさっと銃口を晒すと、確かにそこには妨害装置があった。その調整に手間取っていたのか、二人のテロリストがぎょっとしてこちらを見た。
霧香は無言で額に向けて発砲。これは相手が防弾ベストを着用しているであろうことを想定したもので、見事なキル・ショットだった。
「セオリー通りに腹を狙ってたんじゃ、弾が無駄になるからな」
既に絶命しつつも、ぴくぴくと痙攣する死体。何度も見てきた光景だ。それゆえ霧香の関心は、二人が操作していた箱状の機材に移っていた。
「これが、精神波妨害装置……」
霧香は胸ポケットから強酸性の薬剤を取り出し、妨害装置の上でぶちまけた。それから着火。
すると、さっきまで弱まる一方だった精神波が感じ取れるようになった。
「ハナちゃん、廻、やったぞ! 精神波妨害装置の破壊は成功だ!」
「自分も確認しました」
いつのまに背後に立っていたのか、山路も報告を入れる。
と、まさにその時、今まで感知できなかった殺気が、ぶわりと湧き上がってきた。背後だ。
「そう簡単には済ませませんよ」
振り返った先には、コンテナの上に長身痩躯の男性が一人。真っ黒いコートを羽織り、頭は綺麗な卵型だった。眼鏡をかけていることもあって、随分と知的な印象を与える。
「何者だ?」
山路が静かに、しかしドスの利いた声で誰何する。
「あなた方が宇宙人と呼ぶ者たちの中で、かつ宮藤琉希と意見を異にする者です。小林、とでも名乗っておきましょうか。ここであなた方を殺害し、邪魔を排除したところでモノリスを再起動させます。もちろん、グランド・テックは速攻で灰塵に帰すことになるでしょう」
「だが、精神波妨害装置はたった今破壊して――」
「我々の科学力を、あなた方の尺度で測らないでいただきたい」
すると男は、ばさり、とコートを捲った。ちょうど左胸のあたりに、ピンバッジのような輝きが見える。
「本物の妨害装置はこれです。私を絶命させない限り、稼働し続けます」
つまり、最初に霧香が破壊したのは偽物だったわけか。
「どうして私たちにそんな話をする?」
霧香は嚙みつきかからんばかりの勢いで尋ねる。すると、小林はやはり素直に答えた。
「我々は宇宙を旅する者。できる限り会話をして、あなた方異星人の対応をデータ化し、後の侵略行為におけるサンプルとしたい。だからこうして、あなた方にとって時間稼ぎにしかならないような会話をしているんです」
「侵略だって?」
霧香は一層声を荒げた。
「宮藤はそんなこと言ってないぞ! あんたらが知的生命体と見做した生物のいる星の資源は、奪わないで放っておくって……」
「ほう? 彼がそんなことを。ということは、私と彼は基準が違うようですね」
「基準?」
「彼はハト派だが私はタカ派です。あなた方人間のような下等生物は、知的生命体と見做しません」
「なっ!」
息を飲む霧香。人間が下等だと言われたことは問題ではない。知的だと『見做さない』といった小林の言葉が信じられなかったのだ。
父さんも母さんも、誰かを助けるために命を落とした。それが下等? 知的でない?
「ふざけやがって!」
霧香はほぼ無意識に、自動小銃をフルオートでぶっ放していた。小林は軽く身を捻り、それを回避する。
「なるほど。激昂しているように見えてあなたは冷静だ、雨宮霧香。私の左胸を狙ったのでしょう?」
「……」
そう言うと、小林は精神波妨害装置であるところの左胸のバッジを自ら外し、握りつぶした。
「まあ、私とて独断専行してここにこうしているのでね。あなた方、地球人らしい戦い方で手合わせ願いましょうか」
右手を差し出す小林。するとヴン、という音と共に、何かがその掌に現れた。
紛れもなく、日本刀の柄だった。すとん、と地面に下りると、刀身が出現する。偶然だろうか、バリアと同じ色をしている。
「いざ尋常に勝負――ですな」
こうして、霧香・山路と小林との戦端は開かれた。
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