第24話
霧香の眼前にあったのは、山路の顔だった。先ほどまで病室で処置を受けていたはずなのに。
「山路さん、どうしてここに? ていうか落ちる、落ちるってば!」
「そう慌てなさんな。俺はお前が落下するのを防ぐために、ここに来たんだからな」
舌を噛むなよ、と山路が言ってから二、三秒後、落下運動は止まった。案の定、アスファルト片が飛散し、付近の家屋の窓ガラスが衝撃で割れる。
山路の脚部を見ると、足先だけが覗いている。代わりに、腰回りをぐるりと囲んだロングスカート状のパーツが、山路の腰から下を隠すようにして展開している。
「これはバーニアなのかい、山路さん?」
「そうだ。高高度からの降下を可能にするための特殊兵装だ。生憎、今はまだ使い捨てなんだが」
スカート状のパーツは山路の腰元から次々にパージされ、いつもの市街地戦用迷彩服姿の山路が現れた。
「へえ……。って、そうだった!」
霧香は自分が必死に抱き留めていたものを山路に差し出した。
「こいつが、警視庁に攻撃を仕掛けてきたドローンの親玉なんだ。何か情報は得られないかな」
そう言い終えるが早いか、ドローン上部に立体映像が展開された。華山が映っている。
《いやあ、山路くんもキリちゃんもお疲れさん! この通信が上手くいっているということは、我々SCB課が敵のネットワークを掌握したということだね》
「敵?」
《黒淵会の片割れ、悪い方だよ。モノリスは神が遣わした試練であり恩寵である、よって人類絶滅は必然……とか言ってる連中さ。さて、早速なんだけど》
華山が映っていた画面が地図に切り替わった。
《二人に頼みが二つある。一つ目は、モノリスを捕縛している電磁ワイヤーの強度低下が止まらない。それをどうにかしてほしいんだ》
「ど、どうにかするって……」
《そこで二つ目の頼みなんだけど、廻を安心させてやってくれないか?》
「えっ?」
霧香は素っ頓狂な声を上げた。
《彼は今、自分の出生、つまりアンドロイドだということを受け止めきれずにいる。しかし、グランド・テックの操縦が可能なのは彼だけだ。どうにかして落ち着かせてやってほしい。これは、あたし一人ではできない仕事だ》
「でも、廻を精神的に復旧させてやったとして、宮藤の言葉に信憑性はあるんですか? 廻がモノリスに致命的打撃を与えたら、後は再び、そして半永久的に電磁ワイヤーで固定してくれる、って話ですけど」
山路の問いかけに、霧香も腕を組んで頷いている。
《そうだね。宮藤を信じるか否かで作戦内容は大きく異なる。だが、我々には彼を信じるしか道がないんだ》
「というと?」
《もしグランド・テックによるモノリス破壊作戦が失敗した場合、再びモノリスは世界中で猛威を振るい始める。宮藤たち宇宙人の船から攻撃することもできるが、このような事態は想定していなかったため、巻き添えによる死傷者がかなり出ることが予想されるんだ》
「つまり、威力がありすぎる、と?」
頷きながら華山は言った。最大効果域でその兵器が展開された場合、広島型の原爆の三百倍もの被害が生じるということ。これには山路も目を丸くした。
《それは今、ようやく判明した事実なんだ。今から民間人を避難させるのは至難の業だし、どうしたものかと思ってね……》
「グランド・テックの勝率は?」
霧香の問いに、華山はゆるゆると首を振る。
《分からない。十五年前の戦闘では、起動シークエンスにあった機体を無理やり動かして長剣を投げつけた、という部分しかデータがない。それがたまたま、モノリスの急所を直撃したわけだけれど、同時にグランド・テックもパワーダウンしてしまった。これだけじゃあ戦闘データとは言えない》
「今はもう稼働できるのですか、グランド・テックは?」
今度は山路が問うてみる。
《内臓式エネルギー・コア自体は、十分な働きを果たしてくれると思う。今は機体そのものが電磁ワイヤーで押さえつけられていて、沈黙しているように見えるだろうけど》
「そもそも、グランド・テック側のワイヤーだけを解除して、一方的にモノリスを攻撃することはできないのですか?」
《それができりゃあ苦労はしないんだけどね》
肩を上下させて、華山は溜息をつく。
《どうにも、十五年前は咄嗟にワイヤーでモノリスとグランド・テックを押さえ込んだもんだから、部分的に、すなわち片方だけのワイヤーを解除するのは困難なのだそうだ。都合の悪いことに、完全に沈黙しているグランド・テックに比べて、モノリスはワイヤーを破ろうと、この十五年間、力を行使してきた気配があるしね。敵の方が――》
という華山の言葉をぶつ切りにしたのは、凄まじい警戒音だった。
今、華山は、廻の見舞いという名目で医療センターにいるはずだが、まさかそちらにもドローンが現れたのだろうか?
「医療センター狙いじゃねえのか」
霧香の胸中にあった不安を払拭するように、山路が言った。顔を上げ、右目の瞳孔を大きく展開し、医療センターの方を見ている。
「じゃ、じゃあ一体何が?」
《二人共、すぐに医療センターに戻ってくれ!》
「課長、どうしたんです?」
《廻がいなくなった! 警備員一人が気を失って倒れてるんだけど、ホルスターが空だ! 拳銃が奪われたんだ!》
ぞわり、という冷たい感覚が、霧香と山路、二人の足元から這い上がってきた。
※
混乱の極みにあった道路上、人々の間を、霧香と山路は何事もないかのようにすり抜けていく。時折バーニアを吹かし、ビルの側面を走ったり、十メートルを超えるほどの跳躍をしたりして。
最も人が集中していた交差点を軽々と飛び越え、霧香、そして山路の順に、二人は医療センターに踏み込んだ。
こちらはこちらで人が密集していたが、統率が取れているぶん回避は楽だった。
だが、一般の警備員たちに詳細は知らされていないようだ。
廻の正体、廻の心境、そして廻が背負わされている宿命。
霧香と山路が二手に別れて捜索を開始しようとした、その時だった。
何か硬質なものが、がつんと衝突する音がした。頭上から微かに砂埃が降ってくる。
霧香がバックステップで回避すると、今度はコンクリート片が、ついには人が降ってきた。
二階の床面と一階の天井をぶち抜き、気絶した警備員が落下してきたのだ。
誰にやられたのか? 考えるまでもない。
確かに、廻のあの華奢な体躯のどこにこんな力があるのか、と問われると返答に窮してしまう。
だが、彼は飽くまでも人工生命体であり、重要な役割を担っている。人類全体に関わる役割を。
だとすれば、少年だから、華奢だからという理由で油断してかかるわけにはいかない。
「山路さん、階段から回って! あたしはこの天井から出る!」
「了解!」
あたふたする医師や警備員たちを無視して、霧香と山路はそれぞれのルートを辿り始めた。
※
「ぐっ! くっ、う、動くなぁ!」
警備員が自分に向けて、電磁パルスガンを掲げている。しかし、廻の胸中に恐怖感は湧いてこなかった。
霧香たちに保護されたあの夜も、自分は電磁パルスガンの標的だった。正直、怖かった。
だが今は違う。身体は羽毛のように軽く、拳や肘、膝といった格闘戦に使える部位は鋼のようだ。
廻が自身を守れるように。廻を開発した技術者たちは、その目的で廻に暴力装置を仕込んでいた。
一つ幸いだったのは、廻が他者を殺害することを良しとしなかったことだろう。先ほど床面に空いた穴から落下した警備員も、命に別状はないはずだ。
残る警備員は一人。彼の手元から発せられた電磁パルスガンは、その弱点を見事に晒した。電流を送る関係で、弾丸が銃口から有線式なのだ。
廻は軽く身を捻り、これを回避。感電させられる前に、有線部分を無造作に投げ捨てた。窓ガラスが割れ、電磁パルスガンは呆気なく落下する。
「う、ぁ、うわぁ……」
過呼吸を起こしながら、じりじりと両手と尻で引き下がっていく警備員。
そろそろ一人くらい殺してしまおうか? 廻がそう思った、まさにその矢先のことだった。
眼前の床に空いた穴から、見覚えのある人影が飛び出してきた。
「霧香ッ!」
邪魔をするな、とは言えなかった。霧香の強烈な回し蹴りが、廻を直撃したからだ。といっても、きちんと腕でガードはしたのだが。
一方、霧香もまた驚きを隠せなかった。今の回し蹴りは、一撃で廻を気絶させ得る威力と速度があったはず。それをあっさり防御されるとは。
二人はしばし、床に空いた穴を挟んで、戦闘態勢のまま対峙した。
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