第25話


         ※


 先に動いたのは廻だった。ズボンのポケットに差していた六連装リボルバー拳銃を抜き、発砲。


 何の躊躇いもない殺意に、しかし霧香は動じない。

 正面には陥没したリノリウムの床、左にはガラスが全壊して枠だけになった外壁、攻め込むとすれば、自分から見て右側の壁面だ。そこを足掛かりにして、一気に廻の懐に飛び込む。


 しかし、廻もそこまでは読んでいた。三発発砲し、壁に着弾。そのいずれもが、霧香が足を着こうとしていた場所だった。慌てて横っ飛びし、霧香はこれを回避する。廻の拳銃は残り三発か。


 着地の隙を狙ってか、廻はさらに続けて二発を発砲。霧香のブーツの爪先を掠める。残り一発は温存しておくつもりらしい。しかし、何のために?


 思考を打ち切り、霧香は再度飛んだ。ただし、壁のある右側にではない。真正面、大穴の空いた床面を飛び越えるようにして。

 これでは撃ってくれと言っているようなものだ。が、霧香は速かった。バーニアを一瞬だけ吹かし、廻に抱き着くようにしてタックルした。素早く左腕を払い、廻の手にした拳銃を廊下の隅へと滑らせる。


 しかし、廻も拳銃に頓着していたわけではない。霧香の両肩を掴んで仰向けに引っくり返した。そして、両足を蜘蛛のように駆使し、霧香の首を絞めたのだ。


「ッ!?」


 信じられない圧力を感じると同時に、霧香の意識が一瞬遠ざかる。

 この状況だけ見れば、廻の方が有利だろう。だが、霧香にはあって廻にはないものがある。実戦経験だ。


 小さい頃から山路に鍛えられてきた霧香。そう簡単にやられるほど柔ではない。素早く廻の膝の裏に手を入れた霧香は、思いっきり腕を広げた。


「うあ!?」


 両膝を締めるばかりで固定技術のなかった廻は、呆気なく霧香を解放。

 横転して廻のリーチから逃れた霧香は自らの拳銃を取り出し、動かないよう警告を発する――つもりだった。


 霧香は横転したまま拳銃を構える。しかしその時、廻は姿勢を低くし、先ほどのリボルバー拳銃の下へ辿り着いていた。

 そしてその銃口を咥え込むようにして、最後の弾丸を装填した。


「よせ、廻!」


 パン。


         ※


 医療センター内、尋問室。


「まったく冷や冷やさせやがって……。霧香一人じゃ、お前を救えなかったんだぞ、廻」

「……」


 山路が廻と相対して座っている。あんな銃撃戦を演じてでも、廻が生きて、しかも無傷でいられるのは、一重に山路のお陰だ。

 彼が乱入し、咄嗟に廻の腕を捻じり上げなかったら、銃弾は廻の頚椎を破砕し、絶命させていただろう。


 それはともかく、二人がいる尋問室は金属製の内壁で、金属製のテーブルと椅子がぽつんと置かれている。尋問室とはいえ、どうしてこんな部屋が医療センターを名乗る施設内にあるのか。それは今以て謎だ。


「どうして拳銃を奪った? ただ周囲の人間を脅すためだったのか?」

「逃げたかったんだよ」


 廻の受け答えは明確なものだ。


「僕が自己犠牲の上に、全人類を救うって? そんなこと、できっこないよ」

「だが、宇宙人……宮藤は約束した。お前が戦ってくれれば、後は未来永劫、自分たちが責任をもってモノリスを封印すると。だから、お前が一生束縛を受けることはないはず――」

「問題はそこじゃない!」

 

 ダン、とテーブルを叩いて廻は立ち上がる。


「言っただろう? 僕が自分の意志で、自らを人類に捧げるのなら構わない。でも僕はその意志や選択の権利も与えられずに、ただ義務を果たすためだけに、この世界に創り出されたんだ。僕はそれが許せないんだ!」


 怒気を纏う廻を前に、山路は腕を組んで長い溜息をついた。


「僕にはまだ、グランド・テックを操縦してモノリスを行動不能にする必要があるんだろう? そんなのご免だ。あんなロボットを操縦して得体の知れない怪物を相手にするなんて……。その時点で事故が起きて、死ぬかもしれないじゃないか! だったら今ここで死んでやる!」

「だがお前は一度、常人に非ざる力を発揮している。周囲の皆に強烈な頭痛をもたらしただろう?」


 これは廻が、精神波としか言いようのない力で皆に頭痛を生じさせた時の話だ。


「そっ、それがどうしたっていうんだよ」

「いいか廻、お前にはお前にしかできないことがあるんだ。これを見ろ」


 山路がテーブルの上にさっと指を走らせると、立体ディスプレイが展開された。

 そこに映されていたのは、片膝と両腕をつき、電磁ワイヤーでぐるぐる巻きにされたグランド・テックの姿。

 画面中央のその異形が微動だにしないため、静止画像を見せられている錯覚に陥る。


 だが、画面は唐突に動き出した。グランド・テックを押さえつけていたワイヤーのうち一本がぶつり、と切れて、地面に落ちたのだ。ズン、と音がして、微かに砂塵が舞う。


「これはお前が、皆に頭痛を食らわせたときの外部映像だ。お前の能力が発揮されたことと、ワイヤーが切断されたこと。それが全く同時に起こった。しかも、モノリスもグランド・テックも、それぞれの起動を妨げるワイヤーの残り本数は十本だ。平等な状況下にあるんだよ、モノリスとグランド・テックは」

「そ、そんな……因果関係を示す証拠はないんだろう?」

「ない。だが俺たち人類は、そこに因果関係があるかもしれないという僅かな可能性に懸けるしかない」

「そんなこと言われても……」


 すとん、と廻は椅子に腰を下ろした。その顔は、感情という保湿剤が切れて乾燥しているかのように見えた。


「お前の前任者……雨宮美冬氏に比べれば、まだ耐えられるだろう? お前はここから念じることで、でき得る限りモノリスの拘束時間を長引かせればいいんだ。そして、同じく精神波によるグランド・テックの操縦を行う」

「操縦?」

「ああ。さっきの映像の続きだ。見てみろ」


 ずいっと身を乗り出す廻。その眼前に突きつけられたのは、ゆっくりと膝を上げ、肘を曲げようとするグランド・テックの姿だった。


「宮藤は、モノリスとグランド・テックのワイヤー解除はまったく同時刻に行われると言っていたな。だが、先にグランド・テックのワイヤーだけを外すことも不可能ではないんだ。お前の有する力が、宇宙人を含め誰の予想よりも強力だったからな」

「それを僕にやれ、と?」

「お前にしかできないことだと言ったはずだぞ、廻」


 先ほどまでの怒りはどこへやら、廻の顔色は段々と赤から白へ、それから青へと移り変わっていく。


 まずい。言い過ぎたか。

 そう山路が思った、その時だった。尋問室の扉が、勢いよく蹴り開けられた。

 はっとして振り返ると、そこにいたのは――。


「お、おい霧香! お前、何をしに――」

「ふざけんじゃねえぞ、廻!」


 霧香が鬼のような形相で猛進してきた。勢いそのままにテーブルに飛び乗り、膝をついて廻の胸倉を引っ掴む。


「お前の脳みそは、私の母さんのものなんだよな? 記憶がどれだけ残ってるか知らねえが、母さんが自分を犠牲にするにあたって、どれだけ怖い思いをしたか、刻まれてるはずだ!」

「おい、ちょっと待て、霧香!」


 山路に両肩を押さえられ、霧香は息を荒げながらも廻から手を離した。


「そうか、僕の前任者は霧香のお母さんだもんね。脳みその大半がお母さんと一緒なら、僕にだってグランド・テックの操縦くらいできるかもしれない」

「えっ……?」


 突然前向きな発言をした廻を前に、霧香は目を丸くした。山路も言葉に詰まっている。


「今分かったよ、霧香。僕が怖いのはモノリスでもなければ自分の能力でもない。自分自身が何者なのか分からない、この一点に尽きるんだ」


 ふうっ、と廻は短く溜息をついた。


「皆がそこまで言うなら、僕、やってみるよ。グランド・テックの操縦でしょ? その感覚は、頭の中にぼんやり残ってるんだ。戦えると思う」


 突然の廻の行動指針の転換に、霧香も山路もついていけない。だが、どうやら状況は好転したらしい。


「ああ、そうだ」


 山路に手錠を外してもらいながら、廻は霧香に声をかけた。


「どした?」

「二人っきりで話がしたい。どこかいい部屋はないかな」

「ふむ、そうだな。尋問室は――」

「お前が蹴破って空きっぱなしにしちまったじゃねえか」

「いやー、ごめんごめん! ついキレちゃってさ」

「仕方ねえな……。じゃあ、隣の個室はを使え。構造は一緒だから、問題ないはずだ」

「マジ? ありがとう、山路さん! さ、行くよ、廻」

「……うん」


 この時、霧香は気づいていなかった。いかなる重責が自分の肩にかかるのかということを。

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