第22話【第五章】

【第五章】


 医療センター地下五階。

 周囲は静まり返り、淡い電灯が弱々しい光を投げかけている。空間全体が艶のある漆黒で塗り固められていて、とても医療施設の内部とは思えない。


 そんな中、マジックミラーの向こうから差してくる光を浴び、神妙な面持ちでいる二人の人物がいた。雨宮霧香と華山凛音だ。

 二人の正面のマジックミラーは完全防弾性で、負傷者を防護できるようになっている。


 地下五階にエレベーターで降り立ってから、二人は無言だった。というより、困惑している霧香に対して、華山が考える時間を与えてやっていたというべきか。


 しかし、そんな沈黙に耐えきれなくなったのか、霧香が口を開いた。


「ねえ、ハナちゃん」

「ん?」


 さも気楽な調子で応じる華山。これはこれで、霧香の平常心を保たせる任務だ。


「廻が言ってたよ、自分はどうして生まれてきたのか、って。生きる上での選択肢が与えられないのは酷すぎる、って」

「ああ、あたしも聞いてたよ。リストバンド越しにだけどね」

「廻を自由にしてやる手はないもんかな?」


 華山は答えない。答えられないのだ。モノリスに宇宙人、精神波など、未だかつてあり得ないというべき概念が、この十五年の間に脳内に植え付けられている(華山はまだ生まれていなかったので、十三年の間、ということになるが)。


 すると唐突に、二人の背後から声がした。


「不可能だとも言い切れないよ、雨宮警部補」


 反射的に、霧香は華山を突き飛ばし、拳銃を抜いた。しかし、そこに立っていたのは予想外の人物だった。


「宮藤琉希……? 一体どうして、いや、どうやってここに?」

「言っただろう、我々は一つの意識体だ。そのうち一人が身柄を拘束されているのは分かるが、だからといって、別な宮藤琉希という人物が現れてもおかしくはない」

「そう、なのか」


 やや気圧されながらも、霧香は対話を試みた。


「で、その宮藤様が何の用だ? お前たちも廻を利用しようと――」

「いやいや、その逆だ」


 霧香の燃えるような視線を受け流し、宮藤は微かに笑みを浮かべた。


「朗報を持ってきた。我々は君たちの切り札、グランド・テックの援護に回ることができる。というか、後始末だな」

「というのは?」

「幹也廻が覚醒し、モノリスに対して今以上に損害を与えられたとすれば、その後の電磁ワイヤーを維持するだけの精神波、精神力を提供する用意が、我々にはある」

「つまり、廻は用済みってこと?」

「人聞きが悪いことを言わないでくれ。グランド・テックを操縦できるのは幹也廻、一人だけだ。戦えるのは彼しかいない。その上で、上手くタイミングを合わせられれば、電磁ワイヤーの展開を我々が担うことができる」

「じゃあ、廻がモノリスをボコボコにして、タイミングよく脱出すれば……?」

「その通りだ、雨宮警部補。早くこの事実を、幹也廻にも伝えてやるといい。彼は永遠の呪縛から解放される。具体案はまた後で詰めるとしよう」


 そう言うと、宮藤の姿が金粉を纏っているかのように輝き出した。初めは驚いた霧香と華山だが、すぐさまこれが、宮藤の意識が一体となる瞬間なのだと認識した。

 五秒ほどだっただろうか。宮藤の姿は、そこから跡形もなく消え去っていた。


 しばしの沈黙の後、口を開いたのは華山だった。


「一応、今の会話は録音しておいたけど……。果たして役に立つもんかね。どう思う、キリちゃん?」

「……」

「キリちゃん?」

「ん? ああ」


 華山は察した。霧香が何某かの考えに耽っていることを。

 その時、警戒警報が鳴り響いた。いつまで経っても聞き慣れることない、不安を煽るような効果音と共に。


《至急至急、警視庁庁舎が謎の勢力の攻撃を受けている。手隙の者は、直ちに迎撃態勢を取れ。最優先防衛目標は、恐らく本庁舎のデータベース。繰り返す――》

「なっ!」


 驚きを露わにしたのは華山だった。


「こちら警備部SBC課課長、華山凛音警視。状況の詳細報告を」

《重量級の軍用ドローンが複数、少なくとも二十機が出現、機関砲により攻撃を試みています》


 華山は違和感を覚える。対戦車ライフルほどの威力でもなければ、警視庁庁舎の外壁は破れないはずだが。


《敵の武装を確認、十五ミリ爆裂徹甲弾! 本庁舎の外壁が削られています!》

「やられた!」

「どうしたの、ハナちゃん?」

「一週間前のこと、覚えてる? 米軍基地経由で謎の物資が密輸されたって話」

「ああ、私と山路さんが行った頃には、取引現場がもぬけの殻だった、って話ね」

「そう、その事件。まだあの時は誰が受け取り側で何を手に入れたのか分からなかったけれど……」


 ぐっと悔しげに唇を噛み締めつつ、華山は言葉を紡ぐ。


「きっとその時密輸入されたのが、これらのドローンと機関砲なのかも。そうすると、他の情報局員の証言とも合致するのよね」


 それを聞いた後、霧香は再び脱力感に襲われた。

 自分は近・中距離戦闘用の装備しか持っていない。身体に馴染んでもいない狙撃技術でドローンを撃墜するなど、絶対に不可能だ。

 どうする? 

 しばし黙考してから、霧香は一つのアイディアに至った。


「ハナちゃんはここから陣頭指揮を執って。立体映像があれば、大体皆分かるでしょ?」

「そりゃあそうだけど……。ってキリちゃん、まさかドローンを撃ち落とす気なの?」

「んー、まあ、撃つか叩くかは微妙なところだけど」


 華山は異議を唱えた。

 ドローンが攻撃を加えているのは、警視庁庁舎の六十階、高さ約二百メートル地点。

 下から狙えないとなれば、一旦庁舎に入り、エレベーターで上昇してドローンと同じ高度に至る必要がある。


 そのためにはもちろん、この医療センターから庁舎まで、地上を行く必要があるわけだが。


「キリちゃんは敵から確実にマークされてる! この建物から出て三十秒もすれば蜂の巣だよ!」

「何とかする」


 その返答の早さと潔さに、華山は、かはぁ、と奇妙な溜息をついて額に手を遣った。山路の気持ちがようやく分かった気がする。


「ま、まあ取り敢えず、死なないようにだけ気をつけて!」

「了解です、課長殿」


 慇懃な言い方をしながらも、霧香はにやり、と唇の端を歪めてみせた。


         ※


 一歩外に出ると、街路はパニックに陥った群衆でごった返していた。皆が同じ方向、すなわち警視庁庁舎から離れようと必死だ。


 ズン、という鈍い音。見上げると、本庁舎のまさに六十階あたりから黒煙が上がっていた。まさか、対物ロケット砲を搭載したドローンまでいるとは。


 そこまで状況を確かめてから、群衆が途切れるのを見計らって霧香は駆け出した。

 拳銃はホルスターから片方だけ抜いた。ここは攻撃より防御を固めなければ。


 霧香の駆け出した先にあったのは、やや大きめのマンホールだった、軽く跳躍し、思いっきりマンホールの淵の部分を踏みつける。


「ふっ!」


 すると、まるでコイントスで使う硬貨のように、くるくると回りながらマンホールの蓋が舞い上がり、そして降ってきた。がっちりとその両端を掴む霧香。これなら立派な盾になり得る。


 蓋を頭上に翳し、群衆から距離を取るように、かつ顔を見られないようにして、霧香は軽くバーニアを展開。ドローンに対し、自分が雨宮霧香だと悟られないようにしつつ、猛スピードで庁舎へ向かった。

 

 全速力で走るのは久しぶりだ。

 そんなことを考えている間に、キリリリリッ、と甲高い音がした。ドローンが自分を不審者、すなわち攻撃対象として認識し、銃撃を始めたのだ。


 しかし霧香は怯まないし、諦めない。

 段々と近づいてくる発砲音から敵の位置を測定し、勢いよく跳躍した。

 予想通り、敵は霧香の位置に合わせ、高さ五メートルほどのところまで降下してきている。


 霧香は、既に展開していたバーニアの位置を微調整。斜め上方へと自らの身体を押し上げる。そして、思いっきりマンホールの蓋を振り上げた。


「はあっ!」


 がつん、という硬質な音と共に、ぐしゃり、と内部構造が露出・殴殺される。

 霧香が着地する頃には、ドローンはコントロールを失い、銃撃もできずにふらふらと落下していくところだった。

 加えて飛来したのは、精確に狙いを絞られた拳銃弾。ドローンの回転翼は呆気なく弾き飛ばされた。


 続いて落ちてきたマンホールの蓋を再利用し、霧香は再び警視庁本庁舎へと駆け出した。


         ※


 本庁舎内部は大騒ぎだった。まあ、予想のつくところではあったが。

 武器を手に取り、しかし状況を把握しきれていない警備員。

 データがクラッキングされないよう、対ウィルス用AIを起動する職員。

 こちらでも鳴り続ける非常事態警報。


「さて、と」


 そんな中にありながら霧香は冷静だった。というより、自分の為すべきことを把握していた。一旦地下の火器貯蔵庫に下り、上ってきた時、霧香の手には大型の散弾銃が握られていた。

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