第21話


         ※


 華山の指示を待つ間もなく、霧香は廻の居場所を突き止めた。

 電磁パルスガンのバチバチという唸りと、実弾を用いた拳銃の銃声が聞こえてくる。


「ちょうど真上か!」


 霧香はふくらはぎの外部生体装甲を展開し、微妙に強度を調整しながらその場で跳躍。

 バーニアを用いた上昇は常人の跳躍の比ではない。霧香はそのまま天井をぶち破り、上階の床に着地した。


「ひっ!」

「無事か、廻!」


 まったく予想し得ない霧香の登場に、その場にいた誰もが硬直した。

 電磁パルスガンを使用していたのは、この施設の警備員たち。拳銃を扱っていたのは廻。


 さっと視線を走らせて状況を見計らった霧香は、廻の手から拳銃を叩き落とした。

 同時に警備員たちと廻の両方に向けて腕を突っ張り、肘先に仕込んだ大口径ライフルを展開する。


 じりっ、と後ずさりする警備員たち。廻に至っては恐怖からか、ぽかんと目と口を開いたまま動けずにいる。


「廻、何があった?」


 鋭い声で尋ねる霧香。しかし同時に、彼女の視線は警備員たちに向けられ、彼らもまた動けない様子だ。


「おい廻!」


 ドン、と思いっきり足を床に叩きつける霧香。ビシッ、と床に蜘蛛の巣状のひびが入る。だが、廻は尻餅をつくばかりで言葉を発せらない様子だ。

 今の状態では、廻から情報を引き出すのは難しい。そう判断した霧香は、廻を守るように警備員たちの前に立ち塞がり、警察手帳を頭上に立体表示させて名乗った。


「自分は警視庁警備部SCB課所属、雨宮霧香警部補。そちらの責任者は?」

「は、はい、私が責任者の……」


 もごもご言いながら、責任者である巡査部長はゆっくりと距離を詰めてきた。


「あなたたちは何をやっているの、子供一人に? 彼が何をしたっていうの?」

「かっ、彼、幹也廻は、会議中に隣の警官から拳銃を奪って逃走、自分たちはその追跡の任を受けたのであります!」

「本当なの、廻?」


 やはり廻は答えない。霧香は自分の髪を掻きむしりたくなったが、無理な相談だ。今の手先は指ではなく銃口になっている。

 この膠着状態をどうしたものか。霧香が顔を顰めていると、再びリストバンドから声がした。華山だ。


《あたしから説明するよ、雨宮警部補。自分は華山凛音警視です。警備員の皆もよく聞いて。あなたたちは会議室周辺の警備にあたっていただけで、会議の内容までは知らないでしょうから》


 ああ、そうか。

 霧香はようやく思い出した。ここは国防軍司令部ではなく、医療センターだった。天井をぶち破って上階へ行けるほど、司令部の造りは軟弱ではない。警備員たちの練度も大したことはない。


《雨宮警部補、お母様のことはどのくらい知っているの?》

「母って、自分のですか?」

《そう。最初は関係ないように思われるかもしれないけど、思い出してみてほしい》

「何やら政府の勅命を受けていて、モノリスの東京襲撃時にヘリでどこかへ連れていかれました。父が、私が暴れ出さないように押さえつけていた記憶があります」

《落ち着いて聞いてほしい。君の母上、雨宮美冬氏は――》


 華山は語った。それは、山路が回想していた過去と全く同じ内容だった。


「つまり私の母は、自分の身を捨ててモノリスを封印した、と?」

《その通り。だが、予想外の事態が発生した》

「予想外、とは?」

《つい二ヶ月前のことだ。美冬氏は事故で命を落としてしまった》

「えっ……」


 その一言に、霧香は自分の両腕が落ちるのを感じた。だらん、と無防備に両脇にぶら下がる。

 母さんが生きていた? ほんの二ヶ月前まで?


《美冬氏の精神波を調整する機材に損傷が生じて、彼女の身体を破壊してしまったんだ》


 言葉を失った霧香は、それこそ先ほどの廻のように完全に脱力してしまった。

 

《幸い、その間モノリスに変動はなし。だが、電磁ワイヤーの強度が下がってしまったのは事実だ。このままでは、再びモノリスが人類の脅威になりかねない》

「何か対抗策は?」

《そこで、坊やにご登場いただく、というわけさ。聞いていただろう、幹也廻?》

「どういう意味です?」


 代わりに霧香が尋ねると、躊躇う様子をまったく聞かせずに華山は言い放った。


《彼は美冬氏の脳を移植した生体兵器だ。モノリスの活動を停止させ、今度こそグランド・テックの力でモノリスを完膚なきまでに破壊する。そのための精神波の発生源となる人物こそ、幹也廻くんというわけだ。精神波の波長の合う別な人物を探し出すのは極めて困難だからね。我々には彼の存在が、どうしても必要だった》

「それが、廻の正体……?」


 リストバンドは沈黙した。どうやら肯定の意思表示らしい。

 こちらの指摘が当たっていたからだろう、廻はがっくりと肩を落とし、あぐらをかいて廊下に座り込んだ。


 霧香は腕を格納し、警備員たちが戦意を喪失したのを確かめてから、そっと廻の下へ歩み寄った。


「なあ、廻……」


 そっと声をかけてみるが、反応はない。――かと思いきや、ぶるぶると廻の肩が震えだした。瞳から鼻先を伝って、涙の粒が滑っていく。


「廻?」


 他に何と言っていいやら分からず、霧香は自分の語彙力のなさを呪った。

 が、言葉はもはや必要なかった。


「くっ、くくく……くくくく、はははははっ……」


 俯いた姿勢のまま、廻は喉を鳴らし始めた。これは笑いと言っていいのだろうか? にしてはあまりにも歪で、苦しげで、狂気じみたものだった。


 再度、廻、と声を掛けようとした霧香は、見事にそのタイミングを逸した。

 ここぞとばかりに廻は立ち上がって、真っ直ぐに霧香を見つめてきたのだ。その瞳は真っ直ぐで、顔の他ひねくれたパーツとは違っていた。

 霧香は、廻のその瞳が何色なのか分からない、そんな錯覚に囚われていた。


 先に口を開いたのは、廻だった。


「こいつぁ傑作だぜ!」

「何が言いたいの、廻?」

「霧香、あんたの母さんには悪いけど、俺と彼女は違う」

「何が?」

「え? 今、何が? って訊いたのか? 霧香なら一発で分かってくれると思ったんだけどなあ……。出生だよ、出生」


 どこか吹っ切れた様子で、廻は立ち上がった。先ほどのビビり様はどこへやらだ。


「世の中不平等だよね。霧香のお母さんには、選択する自由があった。人類を守るという大義名分を背負って死にゆく覚悟があった。でも、その精神波だけを受け継いだ僕に与えられたものは何だ? 俺にとっての大義名分とは?」


 ずいっと一歩、廻は前に出た。

 正直、霧香は怯んだ。


「ないんだよ、そんなもの」


 リストバンドの向こうで、華山がごくり、と唾を飲むのが分かる。


「僕が記憶喪失だっていうのは、今までの過去そのものが存在しなかった、ってことだろ? そこで僕は考えた。日常生活に支障はないのに、どうして記憶喪失だなんて言えるのか、ってね」


 廻はやれやれとかぶりを振った。こんな奴が十歳児? 俄かに信じられる光景ではない。霧香は半歩、後ずさった。


「僕は生まれながらにして、その役割、責任、義務を押しつけられていて、しかもそれが、自分の未来を捨てろ、ってことなんだろ? 控えめに言って、腹が立ったよ。絶望したよ。そして思ったよ、生まれてこなければよかったのになって!」


 語っている間の廻の迫力は凄まじかった。その表情からは、余すところなく怒気が放たれ、歪な笑みは決定的な激昂に変わっていた。憤怒とも激情とも言えるかもしれない。


「それに比べて霧香、あんたの母親はなんだ? 自分の意志で犠牲になろうって覚悟があったじゃないか! それなのに、僕には何もない。守りたいと思える人も、物も、何もかも! こんなの絶対おかしい! おかしいんだよっ……!」

「ぐっ!」


 唐突に、強烈な頭痛が霧香たちを襲った。これが精神波の具現化の一つなのだろうか。


「止めろ! 止めてくれ、廻! こんなことをしたら、お前の脳みそまで……!」

「知ったことかああああああああ!!」


 このままでは押し切られる。霧香は咄嗟に床を蹴り、廻の腹部に膝を打ち込んだ。すると、発生時と同じく精神波はぷっつりと切れた。


「誰か担架! 担架を持って来てくれ!」


 こうして、廻もまた病人として収容されることとなった。

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