第20話
美冬は不思議な女性だった。
線はほっそりとしていて色白。立ち振る舞いや言葉の端々に覗く気品の高さは、軍人ではなく文化人の妻と言った方がしっくりくる。
だが一方、どこか肝が据わっているというか、譲らない部分は譲らないという芯の強さを感じさせる。
写真でしか美冬の姿を見たことがなかった山路にも、すっと腑に落ちるものがあった。雨宮のような勇敢な軍属に人生の伴侶として選ばれるにあたり、美冬は相応しい女性だったのだ。
「ところで本題だがな、山路」
「は、はッ」
「どうぞお座りになって、山路中尉」
「失礼します」
案内されたのは、これまた広いダイニングキッチンだった。部屋の中央にやや細長いテーブルがあり、雨宮は既に腰を下ろしている。山路もまた、ちょうど雨宮の正面の椅子を引き、座る。
「どうぞご自由に。お口合うといいのですけれど」
「こ、これは奥様、痛み入ります」
雨宮は、緊張しきりの山路を見ながら笑みを浮かべている。だが山路には分かった。
目が笑っていない。
猛獣でも一瞥で射殺せるような鋭さ、緊張感が雨宮からは感じられる。
これほど強い眼力に打たれたのは、幾度か実戦を経験している山路にとっても初めてのことだ。
戸惑いに呑まれそうになっていると、いつの間にか美冬までもが椅子に腰かけていた。
「あ、雨宮少佐、奥様もご同席なさるのですか?」
「そうだ。言いそびれていたが、これは私というより、美冬が設けた話し合いの場なんだ」
「つまり奥様が、自分に用件がある、と?」
「仰る通りです、中尉」
そう言って顔を上げた美冬は、一旦雨宮と目を合わせ、頷きあってからこう切り出した。
「わたくし、雨宮美冬は、モノリスを行動不能に陥らせるための最後の砦となります」
「……は?」
何を言われているのか、山路にはわけが分からなかった。自動小銃はおろか、拳銃さえ扱えないような繊細な体躯をしながら何を言い出すのか。
もちろん、わたくしが直接戦うわけではありませんのよ――そう言って、美冬は語りだした。
自分の精神波が、モノリスの活動を抑えるのに有効な兵器となり得ること。
その適任者は五千万人に一人の割合でしか存在しないこと。
偶然自分が適任であると認められたこと。
「これら三つの事実を鑑みて、私は『ある組織』との契約を交わしました。私は心身の自由を失い、二度と目覚めることはないでしょう。しかし、それで地球に残された人々や文明、文化を守れるのなら、それで構いません」
ちなみにこの時、山路は『ある組織』が宇宙人であるなどとは知らされていなかった。
そんなことより、ただただ美冬の悲壮とも言える覚悟の強さに圧倒されていた。
「そこで、国防省技術研究本部がこんなものを開発した」
そう言って、雨宮はテーブルをさっと撫でた。映写機が起動し、立体映像が表示される。
そこにあったのは、人型をしたロボットの図案だった。
「こ、これは……」
「我々関係者は『グランド・テック』と呼んでいる」
「グランド・テック……。体高三百メートル!?」
山路は声を上げた。こんなものが地球の重力下で動けるのか。そもそも、こんなものを造ってどう戦おうというのか。
そんな山路の疑問を読み取ったかのように、今度は雨宮が語り出した。
モノリスの狙いが人間である以上、ある程度人間に近い形状でなければならないということ。
モノリスに損傷を与えうる強力な兵器が搭載される予定であること。
この大型兵器の起動にこそ、『ある組織』の協力が不可欠であること。
「以上のことを成し遂げるには、どうしてもモノリスを押さえつけ、また、電磁ワイヤーで永遠に拘束し続ける必要がある。それを可能にするのが――」
「わたくしの精神波です」
がたん、と音がして、テーブルの上のカップや小皿が震えた。我知らず、山路が勢いよく立ち上がったのだ。
「雨宮少佐、あなたはご自分の奥様までをも戦いに巻き込むおつもりか!」
「既にこの星は侵略を受けている! それを黙って見過ごせと言うのか!」
はっとした。山路が雨宮の怒声を浴びせられたのは、これが初めてだった。
「もう我々地球人には、妻とグランド・テック、及び『ある組織』による支援以外に頼る以外の選択肢はない。グランド・テックは関東近郊の各所で建設が進められている。最終的に東京都品川区で組み上げられ、モノリスの迎撃にあたることとなる。これは決定事項だ」
山路はゆらゆらと脱力し、ゆっくりと再び着席した。
「じゃあ、どうなるんだ」
「何がだ、山路?」
「母親をこんな理不尽な理由で亡くして、娘さんは……霧香はどうやって生きていけばいいんだ……」
※
山路の記憶はそこで途切れ途切れになっている。
毎度のことだが、気づいたら病室で寝かされていた。だが断片的な光景を脳内で整理すると、どうやら自分は雨宮のことが許せず、暴力沙汰に走ったらしい。
当時からして、体格的には山路の方が恵まれていた。しかし、自分が病室で寝かされていたということは、自分は雨宮を相手に、白兵戦で敗北を喫したということだ。
明確に記憶に残されているのは、雨宮の冷徹な瞳だ。
身内からどんな犠牲を払ってでも、モノリスを殲滅する。そんな男だから、美冬もついて行くつもりになったのかもしれない。
まったく、何が縁で結ばれるか、分かったもんじゃないな。
結局、今現在も山路は霧香の保護者的な立場で身の振り方を考えている。
「あなたの命令は今も有効ですよね、雨宮兼嗣少佐……」
その時、ポーン、と軽い電子音がした。
《山路幸雄警部、雨宮霧香警部補が入室許可を申請しています。いかがいたしますか?》
「許可だ。入れてくれ」
《かしこまりました》
と、電子音声が言い終えるや否や、霧香がスライドドアの向こうからのっそりとやって来た。のっそり、というのは霧香には実に不似合いな表現だ。
しかし、今の霧香は外観こそ霧香だが、中身はナマケモノか何かなんじゃないか。そう思わせるだけの倦怠感を、彼女は纏っていた。
これは体力的な疲労によるものではない。精神的な安定性の欠落によるものだ。十五年もの間、霧香と付き合いのあった山路には、それが手に取るように分かる。
「山路さん、気がついたんだね」
「でなけりゃ音声認証でそこのドアを開けられないだろうが」
何があったのかを、山路は自分から訊こうとはしない。ただ、華山が置いて行った事情聴取の映像で語られたことを、一つ一つ脳内で並べていく。
そうする間に、霧香は近くの丸椅子を引き摺ってきて、山路のそばに腰を下ろした。
※
霧香はがっくりと項垂れたまま、山路に声をかけた。
「山路さん、事情聴取の映像、観たんだよね? 私が宮藤を尋問したやつ」
「ああ」
「あの後、私に出動命令が下った、っていうのは?」
「把握してるさ。何が起こってお前が何を考えているのかも」
「げっ、そこまで?」
「俺はお前が五歳の頃から見てるんだぞ? そのくらい見当はつくさ」
「……」
霧香には、黙り込むしか選択肢がなかった。何せ、自分は水が苦手なのだ、という理由一つで多くの死傷者を出したのだから。
当然、悪いのは黒淵会の内のモノリス再起動賛成派だ。霧香が機雷を仕掛けたわけではない。
だが、霧香には敵のトラップを防ぐだけの能力があった。危険を察して味方の進行を止めることができたのだ。水に対するトラウマさえ克服していれば。
「山路さん、私が皆を殺したのかな? 私がしっかりしていないから? 私って、一体何なの?」
「おいおい、二十歳過ぎにもなってそんなことを訊くなよ」
「だって、山路さんはずっと私を支えてくれてたじゃない! この期に及んで、唐突に見捨てるってわけ?」
見捨てるとは、随分と人聞きの悪いことを言うものだな。
だが、山路は察していた。この霧香による反発は、甘えたいという気持ちの裏返しなのだと。
「お前はいつも最善を尽くしている。普通の刑事以上に。あれは無茶だったとお前を𠮟りつけたのも、一度や二度じゃない」
「うん……」
「ただ、誰しも得手不得手というものがある。お前の場合はそれが水だった。だからお前の言う通り、機動隊員たちに余計な犠牲を払わせたのかもしれん。だが、それは現場指揮官の問題だ。お前に頼るばかりで、お前の弱点を把握していなかった。その点について、お前が自分を責める必要はない」
「うん……」
霧香のリストバンドから悲鳴が響いたのは、まさに次の瞬間だった。
霧香ははっと我に返り、リストバンドを口元に遣った。
「ハナちゃ……じゃない、華山課長、何かあったのですか?」
《誰か! 誰か廻を止めてくれ! 下手をすると自殺しかねない状況なんだ!》
「何ですって!? や、山路さん……」
「俺のことは放っておけ。戦力にならん。急いで課長と合流し、廻を落ち着かせるんだ。これは命令だ」
「りょ、了解!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます