第18話

「くそっ!」


 霧香はテーブルの上で座り込んだまま、思いっきり拳を振り下ろした。ぐしゃり、といってテーブルが斜めになる。


「確認するけどよ、宮藤さん」

「何なりと」

「あんたらがモノリスで攻め込もうとしていた星は、地球じゃないんだな?」

「そうだ。もっと資源が豊かで、文明の発達が見られない星だ」

「つまりモノリスの暴走がなければ、父さんも母さんも死なずに済んだのか……」


 まったく、情けないったらありゃしない。

 自分は母親が『人類のため』といって連れていかれるのを目の当たりにし、更には避難中に父親の足を引っ張っただけで、何の役にも立っていなかったではないか。


 今更どのツラを下げて、両親に謝ればいいのだろう?

 自分さえいなければ、山路もあんな酷い怪我を負わずに済んだだろうに。


「ん? ちょっと待ってくれ」


 意外にも、驚きの声を上げたのは宮藤だった。


「雨宮警部補、君の母君……雨宮美冬氏は亡くなられたのか?」

「あれだけドンパチやってたんだ、きっともう死んで……あれ?」


 霧香は、ようやく気づいた。と同時に、自分の馬鹿さ加減に嫌気が差した。

 山路も華山も警視正も、誰も霧香に対して、お前の母親は死んだのだと告げた人物はいない。

 それに対し、今目の前にいる宮藤と名乗る宇宙人は、霧香が母親の所在を知らないことに驚きを隠せずにいる。


「な、なあ宮藤さん、あんた、知ってるのか? 私の母さんのことを?」

「知ってるも何も、彼女のお陰だったじゃないか、モノリスの再起動を防いでこられたのは。つい先日まで電磁ワイヤーの強度が下がらないように、精神波でワイヤーをコントロールしていたはずだが?」

「つい先日!?」


 霧香は素っ頓狂な声を上げた。


「モノリスを防いだ? 精神波? 何の話をしてるんだ?」


 霧香の瞳を真っ直ぐに見返しながら、宮藤は語り出した。


「我々はこの星にモノリスが投下されてから、すぐに対処法を送った。絶命させるのは困難だから、我々がモノリスを拘束するのに使っているもの、すなわち電磁ワイヤーを供与して、行動不能にするようにと。だが、このワイヤーには、どうしても必要なものがある」

「そ、それは……」

「精神波だ。モノリスがじっとそこに留まっていられるようにと、念を送り続ける人物の存在が必要なんだ。極めて安定し、モノリスの脅威に怯えずに立ち向かえる屈強な精神の持ち主でなければ、その役目を務めるのは難しい」

「その役目を司ったのが私の母さんだった、と?」

「そうだ。雨宮美冬氏こそ、我々の要望に応え得る人物だった」


 母さんが、モノリスの動きを封じていた? その任に適していた?


「その話、私の父さんは……?」

「もちろん承諾は得た。だが、雨宮兼嗣氏は条件をつけた。美冬氏がこの任に就いていることを、娘の霧香氏には絶対教えないようにと」


 なるほど、それが父さんなりの配慮だったのか。

 母親に人類の生存という重責を課されているなどと、父親が娘である自分に教えてくれそうもない。


 それから宮藤は続けた。

 一回目に霧香が鎌使いと戦った時と、山路が狙撃手たちを駆逐した時、そして華山を地下施設から救出した時。これら三回では、それぞれバリアが使用されている。

 しかし、バリアを行使するには特殊な鉱石を身に着けている必要があり、宇宙人全員がいつでも行使できる能力ではない。


「霧香警部補、君は疑問に思ったはずだ。二回目に鎌使いと戦った時、どうしてバリアを使わないのかと」


 ぐっと頷く霧香。


「あれは山路警部を迎え撃つために、狙撃班の隊長がバリア展開用の鉱石を持っていたからだ。残念ながら、鉱石は一個しかないのでね。今は我々の、つまり宇宙人の対立を防ぐため、仲裁役の私が持っているが」


 華山を救出する際、すなわち山路が胴体を真っ二つにされた時、宮藤は密かに意識を覚醒させていた。そして、気絶しているふりをしてバリアの持ち主から鉱石を奪ったのだという。


「だ、だってあんたはずっと寝てたんじゃ……?」

「一種の念動力、サイコキネシスを使わせてもらった。唐突にバリアが消えた原因は、それだ」


 霧香は壁に背を押し当て、顎に手を遣って長い溜息をついた。

 確かに、宮藤の言葉には説得力がある。いや、宇宙人だのなんだのと、証明不可能な事象は多い。だが、その存在を頭から否定してしまっては、せっかくの宮藤の言葉を頼りにでできなくなる。下手な妄想を膨らませて終わるだけだ。

 彼の言葉は霧香にとって――未だにモノリス再起動に恐れをなしている地球人の一人として、まるっきり無視できる話ではない。


 しかし、だったら一体どうして。


「どうして私たちの目の前で、モノリスを拘束する電磁ワイヤーを切断してみせたんだ? 十一本しかない一本を?」


 デモンストレーションにしてはリスクが高すぎやしないか。

 怒りの疑念が入り混じり、混乱しそうな頭をフル回転させて、霧香は問うた。

 それに対し、宮藤は微かに笑みを浮かべてこう言った。


「いい意味で、我々は君たち地球人には裏切られた。グランド・テック――あんなものを開発していたとはな」


         ※


 それから約二時間後。


「あっ、霧香! やっと戻ってきた!」

「おう」


 さっと手を上げ、廻に応じる霧香。廻のことだから、まだいるだろうと思っていたがやはりそうだった。山路が手術を受けている処置室の前のソファで、がっくりと肩を落としていた。


「山路さんの意識は?」

「まだ戻らないんだってさ……」


 まあ、サイボーグと言っても致命的な負傷をしたその日のことだ。まだ言葉を利ける状態にはなるまい。下手をすれば、あの手術台に載せられているのは自分だったかもしれないし、事実、過去にそういう事件もあった。

 復帰して山路と顔を合わせる度に、随分怒られたっけ。あんな危険な独断専行はするな、と。


 だが、今話すべき相手は山路ではない。自分の横に腰かけ、額に手を遣りながら足をぶらぶらさせている人物が相手だ。もちろん、そんな人物に責任を押しつけるような真似は、霧香にとっても不本意ではあったが。


「なあ、廻」

「何?」


 くるり、と向けられた顔と、その双眸。直視するのが躊躇われそうになる。だが、ここで目を逸らすようでは廻に申し訳が立たない。


「落ち着いて聞いてくれ。実はお前は――」


 そう言いかけた、まさにその瞬間。


《旧東京湾横浜港にて、人為的爆発事案発生。第四・第五機動隊は、直ちに出動せよ。なお、監督役として雨宮霧香警部補の同伴を要請する。繰り返す――》

「えっ、霧香?」


 本人よりも先に、廻は声を上げた。

 話の出鼻を挫かれた形だが、今話さずに済むことに安心する自分がいる。それを卑怯だ、臆病だと非難する自分も。


「話は後だ。行ってくる」

「行ってくる、って……。一日何回出動すれば気が済むんだよ!」


 そう言う廻の頭を軽く叩いてやってから、霧香はさっと踵を返した。

 次の瞬間には、もう廻の呼びかけは耳に入っていなかった。

 常に携行している拳銃だけで片がつくだろう。そんなことを思いながら。


         ※


 それから十分後。黒色の装甲バンは、ポート・トーキョーのスラム街を抜けて北側の海岸線に到着していた。

 横浜ベイブリッジ、レインボーブリッジは両方ともモノリス襲来時に破壊されているし、第三の交通路として整備された湾内北部橋も落ちている。


《どうやらテロリストの規模は大きいようです。橋を落とすぐらいですからね》


 運転手の声が、雑音混じりに聞こえてくる。ここまで車両で来てしまっては、ヘリに乗り換えるなどという手間を惜しんではいられない。それに、不意討ちされる可能性は低いとしても、ヘリではまた撃墜されないとも限らない。


《ここから先はホバークラフトで埠頭を目指します。ご武運を》


 誠実とも気休めとも取れる言葉を最後に、運転手と機動隊員たちとの通信は終わった。全員が、自動小銃や対人ロケット砲の装備の最終確認を行っている。


 そんな中、一人で困惑していたのは、他の誰でもない霧香だ。

 自分が死にかけた東京湾を、再び渡れというのか? 冗談ではない。


 その時、一つの妙案が浮かんだ。

 ヘッドセットを調整し、今回の作戦指揮を執る警視に繋ぐ。


「隊長、こちらは雨宮霧香警部補です。提案があります」

《何かあるのか? 聞かせてくれ》

「自分が東京湾を渡る必要はありません」

《何だって?》

「隊長も作戦指令室で聞いておられたのでは? あの宮藤琉希という人物の話です」

《確かにリアルタイムで聞いてはいたが……。しかし丸っきり信用することはできない。現在バリアを行使できるのが彼一人とは限らない》

「し、しかし……」

《私から改めて命令する。雨宮警部補は第七小隊に同行し、監督役としての役目を――》


 通信が切れるのと、湾内で盛大な水飛沫が上がるのは同時だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る