第17話【第四章】
【第四章】
国防省直轄緊急医療センターの、とある一角。
そこは静かな、しかし人工的な音に満たされている。その場にいる人間を安心させたいのか不安を煽りたいのか、よく分からない。
そんな音に混ざるように、霧香は吐息を漏らした。そばには廻の姿もある。
「あんまり見るもんじゃないよ、廻」
「だ、だっておっさんが……山路さんが……」
霧香に注意されながらも、廻はこちらに振り返ろうとはしない。
今、ガラス一枚を隔てた先で、山路の緊急手術が行われているのだ。
霧香はソファに座り込み、膝に肘を載せて両腕を足の間にぶら提げている。
一方の廻は、何度も唾を飲みながら山路の姿を見つめていた。
結構懐かれてたんだな、山路さん。
そんなことを思いつつ、霧香は場違いにも大きな欠伸をした。
ちなみに、華山は別室で休まされている。ずっと意識を失っている様子だったが、山路が確認した通り命に別状はない。
「よっこらせ、っと」
やたら年を食った言い方で、霧香はソファから腰を上げた。
「ど、どうしたの、霧香?」
「あん? 寝るんだよ。流石に疲れ……ふわ~あ……」
「おい、ちょっと待てよ! おっさんが大変な目に遭ったんだぞ、それなのに自分は呑気に昼寝かよ!」
「もう夕方だ。晩飯まで寝る」
「いや、そういう問題じゃないってば!」
地団太を踏む廻。彼の言わんとしていることは、霧香にだって分かっている。
「バディが行動不能になったのにそばにいてやらないのは不謹慎だ、って言いたいんだろ、廻?」
「そっ、そうだけど」
的確に言い当てられ、上目遣いになる廻。
「でもさ、考えてごらんよ。もしまたバリアやら黒淵会やらの活動が見られた場合、出動するのは私一人、ってことになる。英気を養っておくのは当然のことだろうが」
「別動隊は? 今回の件はSCB課の手に余るよ! 機動隊とか国防軍の特殊部隊とか、そういう人たちが代わりに戦ってくれるんじゃないの?」
ここ数日間で得た知識を総動員して、喚きたてる廻。だが、霧香は頓着せずに背を向け、両手を組んで背筋を伸ばした。そのまま振り返り、冷めた目で廻を見返す。
「バリアそのものを見た経験があるのは私だけ。犠牲者を減らすには、どうしたって私が監視役、オブザーバーとして同行する必要がある。あんたの言った部隊の犠牲を減らすためにも、私には出動命令が下るはずだ。それまで休ん――」
と言いかけたところで、耳に優しいチャイムが鳴った。
《雨宮霧香警部補、至急第三小会議室へ。繰り返す――》
「なんだ、病院で会議かよ……。廻、山路さんが起きたら無茶すんなって言っといて」
「え、あ、ちょっと! 霧香ぁ!」
不安に苛まれる廻を残し、霧香は同フロアにある会議室を目指した。
呼び出しに不満があるのは霧香だって同じだったのだが。
※
「まったく、なんで私が……」
周囲を憚ることなく、霧香は警視庁庁舎に戻っていた。今はエレベーターで地下に向かっているところだ。重要参考人として、宮藤が収監されている。
霧香はロクな経験もなしに、宮藤の取り調べを行うよう命令されたのだ。
何重にもスライドドアや防火・防爆壁に囲まれた部屋。今更、どれほどの警備態勢が整えられていたとしても、霧香には驚かない自信があった。
まあ、ドアの前にドラゴンやらゴーレムやらが立ち塞がっていたら、流石にドン引きするだろうが。
妄想に浸っていたせいで、最後のスライドドアの前で警備員に声を掛けられたことに気づくまで、しばしの時間を要した。
「雨宮警部補、雨宮霧香警部補!」
「はーい……って、あれ? そうか! 失礼しました~」
しかしながら、警備員は顔色一つ変えずにいろいろな説明に取り掛かった。暴力沙汰は避けるように。録画録音用カメラには触れないように。非常開放用ボタンがどこにあるか。
それらを適当に聞き流し、霧香はスライドドアが開いていくのを、正確にはその先にいる人物に注意を凝らした。
マジックミラーの小窓から見える宮藤琉希は、取り乱した様子が全くなかった。かといってぼんやりしているわけでもなく、何かを考え込んでいるような雰囲気もある。
考え込むといっても、一体何を? 全く以て見当がつかない。これでは霧香の方が先に悟りを開いてしまいそうだ。
がちゃり、と金属質な音が響く。警備員が最後の扉の鍵を開けてくれたのだ。
潜水艦のハッチのような円形の扉を抜けると、ちょうど宮藤と目が合った。
「ご足労願ってすまないね、雨宮霧香警部補」
「いや、仕事だからね。これでも一端の刑事だし」
「そうだな。余計な気遣いだったか」
「そうでもないさ。私は基本、人と話すのは好きな方でね。別に悪い気はしないよ」
そう話す間に、霧香は飾りっ気のないテーブルを挟むように、宮藤の正面に座り込んだ。
「で、本題なんだけどさ。どうして華山課長を誘拐なんかしたの?」
いつの間にか霧香の瞳は、獲物を狙う猛禽類のそれに切り替わっていた。
「もしあんたらの目的がモノリスの再起動、及びそれに伴う破壊活動だとしたら、人質なんて取らずにさっさと電磁ワイヤーを全て切ればよかっただろうに」
「そうはいかない。地球でモノリスの監視に当たっている人々の意見を聞いてみなくてはね」
「……は?」
「おっと、言葉足らずだったな。モノリスは、我々宇宙人が所有する生物兵器だ。この太陽系のそばを航行中、一体が脱走を図り、地球に下り立ってしまった」
「え」
霧香の口からしゃっくりのような音が出る。
「そいつが地球で暴れてた、ってこと?」
「そうだ。奴は強い脳波信号や、生物の体内を走る電気信号をエネルギー源にしている。そういう意味では、この星は格好の餌場だった」
モノリスが脱走して、地球が格好の餌場になった?
宮藤によって何気ないように語られる事実。だがそれが、霧香の怒りに火を点けた。
ダン、とテーブルに両手をつき、前転してそのまま宮藤の首根っこを引っ掴む。そして勢いを殺さずに、反対の壁に彼の背中を押しつけた。
ぐうっ、と呻き声を上げる宮藤。我を忘れた霧香は、まさに宮藤をぶん殴ろうとした。が、その拳が彼の下に届くことはなかった。
「こっ、これは……!」
「放してもらえるかな、雨宮警部補?」
霧香の拳は、見事に食い止められていた。赤紫色のバリアによって。
「お、お前は一体何者なんだ……?」
「さっきも言ったが、君たちの概念に基づいて言えば、ずばり宇宙人だな」
この期に及んで、ようやく霧香は先ほどの宮藤の言葉を呑み込んだ。モノリスは宇宙人が所有する生物兵器だ、と。
「今ここで私を殺してもらっても構わない。我々は母船で一つの意識体として統合されている。宮藤琉希という人物は、今後いくらでも出てくるというわけだ。君たち地球人の身体構造が単純で助かったよ、生産が容易だからね」
霧香の脳裏には、宮藤の言葉はほとんど残らなかった。単純に、重要参考人を殴殺するわけにもいかないという刑事としての意識が働いたのだ。乱暴に宮藤の襟元から手を離し、自分の席に戻る。
「でも、あの鎌使いは何だったの? バリアを使って攻撃してきた連中は? とてもあんたみたいに、きちんと話し合おうって雰囲気じゃなかったけど?」
「こればかりはすまないね。我々も一枚岩ではないんだ」
「意識体として統一されているんじゃなかったのか?」
「我々が母星を離れる際、我々の暴走を止めるために、もう一つの意識体が宇宙船に搭載された。しかし逆に、彼らの方が先走ってしまったんだ」
霧香はじっ、と目を細めた。
「先走った、とは?」
「モノリスがこの星、地球でのエネルギー供給を終えてから、再出発しようという考えがあったんだよ。その上で、君たちが造った兵器、電磁ワイヤーやグランド・テックは大きな脅威だった。だから、破壊工作を行ったんだよ。君たちからすればテロ行為に見えただろうがね」
「それに一番関係が深かったのが、私たちポート・トーキョーの警察組織……?」
「そう。だから君や山路幸雄警部を狙ったんだ」
霧香の脳内で、理解がはかどるような、しかし混沌としてくるような、とにかく不安定な感情が渦巻いた。
モノリスは宇宙人の運んでいた生物兵器であり、それが地球にやって来たのも彼らの手違いで、もしそれがなかったら自分の両親は命を落とさずに済んだかもしれない。
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