第16話
黒淵会――その名前は、霧香も山路も聞いたことがある。ポート・トーキョーの北部一帯で活動している、新興宗教団体だ。
だが宗教団体というのは建前で、行っているのは立派なテロ行為である。それも、モノリス絡みが多い。
電磁ワイヤーの近くに爆発物を設置したり、グランド・テックに破壊工作を試みたり、電磁ワイヤーの監督官を暗殺しようとしたり。
「申し遅れた。私は宮藤琉希という。現在黒淵会を率いているのは私――」
と言い終える前に、霧香は動いていた。さっと身を翻し、タンクの陰から飛び出す。
「あんたの話の続きは署で聞く。その身柄は連行させてもらうからな」
「おおっと、活きのいいお嬢さんだな」
華山と宮藤を守るように、自動小銃を構えた敵が立ちはだかる。
「だが、拳銃はどうした? まだ予備弾倉はあるんだろう?」
どこか優しく、諭すような調子で宮藤が問いかける。
「ここで使うには、あれは派手すぎるんだ、よっと!」
次の瞬間、霧香は大きく右腕を左から右に振りかざした。その指の間には、鎌使いが用いていたのと同様のごく小さな手裏剣が握られている。それが、敵の下顎から喉仏のあたりにかけて連続ヒットし、防衛線は呆気なく破られた。
山路はやっと理解した。ああ、霧香が用意していると言った必殺兵器はこれのことか。
続けて霧香は左腕を大きく振る。すると、霧香と山路を除いた全員がばったりと倒れ込むことになった。
同時に山路は、誰も今の手裏剣攻撃で死亡してはいないことを理解する。霧香が狙ったのは、飽くまでもここにいる敵を行動不能にすることであり、殺すことではない。
事実、手裏剣には軽い神経毒が塗布されており、華山も宮藤も命に別状はなかった。
自動小銃を構えながら、山路はゆっくりと前進する。華山の首筋に手を遣ったが、大丈夫だ。脈はある。
「山路さん、さっきハナちゃんから送られてきたデータ、あるよね?」
「ああ、ここから先に地上に出るためのエレベーターがある。華山課長と宮藤を担いでいくのに問題はないが……」
山路が危惧していたのは、また危険なガスの中を行かねばならないのでは、ということだ。
酸素ボンベの損傷した自分はもとより、霧香は攻撃用の武器としてボンベを使ってしまった。
これではまともに呼吸ができないではないか。
いや、待てよ。
「なるほど、考えたな」
「まあね」
にやりと口角を上げる霧香。山路はどうしてこんな簡単なことに気づかなかったのかと、我ながら呆れてしまった。
「酸素ボンベはまだあるな」
宮藤の姿は、テロ事件およびテロ未遂事件の際、付近の防犯カメラに映っている。つまり、この有毒ガスに満ちた廃棄区画の中と外を行き来するのに、十分な量の酸素や機材が用意されている、ということだ。
「こいつらが気を失っているのはどのくらいの時間だ?」
「ざっと二十分」
「了解。その間に酸素ボンベ一式を見つけ出すぞ」
※
電子ロックを破壊したり、力づくで扉をこじ開けたり、挙句鉄拳で壁をぶち破ったりすること、約十分。
霧香と山路は目的のものを見つけた。広大なフロアの壁に沿って、酸素ボンベがずらりと並んでいる。
酸素をボンベに注入する作業に三分、装備に一分。華山と宮藤に装着させるのにまた一分。
「霧香、俺が二人を背負う。万が一会敵したら、お前が頼りだ」
「了解。あっ、有毒ガスが検知されたみたい」
「じゃあ、山路さんが持ってる通信機材は私が持つよ」
そこから先、二人は酸素を無駄にしないよう、無言でエレベーターに身を任せた。
エレベーターは何事もなく最上階、すなわち地上一階に到着した。
二丁拳銃で前方を警戒しつつ、霧香は進んでいく。華山と宮藤を背負ってもなお余裕のある山路は、難なく霧香について行く。
霧香が足を止めたのは、周囲のビル群がやや低くなった場所だった。
「ここいらでいいかな」
霧香は山路が持っていたアタッシュケースを開き、中から二つの機材を取り出した。
一つ目は、通信用の小型アンテナだ。本庁のSCB課の即応部隊に連絡をつけ、迎えに来てもらう。
二つ目は、通信妨害装置。先ほどヘリが撃墜されたことで、どの程度がミサイルや機関砲の射程なのかは把握できている。そこを迂回して来てもらうように連絡したら、この妨害装置を仕掛け、敵の反撃用の火器を沈黙させる予定だ。
また、モノリスをがんじがらめにしている電磁ワイヤーがこれ以上解除されないよう、地下からの通信を妨害する役目もある。
「また明日来ることになるだろうな」
華山をそっと、宮藤を荒っぽくアスファルトに下ろしながら、山路が言った。
「どこに電磁ワイヤーの解除装置があるのかを知ってるのは、霧香と俺だけだからな。突入時には先鋒を頼まれるだろう」
「ねえ山路さん、私たちの休暇ってどうなってんの?」
不満げな霧香に向かい、山路は肩を竦めるばかり。霧香は露骨に溜息をつくことでこれに対する応えにした。
「ま、公務員の宿命だわな。気にしてもしょうがねえぞ、諦めな」
「あーそーですかー、分かりましたよー、っと」
そう言って霧香が顔を上げ、そっぽを向こうとした時だった。山路の上半身と下半身が、綺麗に分断されたのは。
「……え?」
ぽかんと馬鹿みたいに口を開ける霧香。だが、そんなことをしている場合でないことは骨身にしみて分かっている。
山路は身体のほとんどが機械だ。これで死ぬようなことはあるまい。問題は、何が山路を襲ったのか。
霧香はすぐさま正気に戻り、直感的にしゃがみ込んだ。
すると頭上を、薄くて広い、半透明の板状のものが通過していった。
これって……バリアじゃないか!
いや、山路の身体を二分するほどの攻撃力を有しているのだから、守りに徹した『バリア』という呼称はおかしいかもしれない。
まあ便宜上、バリアと呼び続けるとして、問題はその攻守一体となった汎用性の高さだった。
「畜生が!」
霧香はバク転し、うつ伏せの射撃体勢で銃弾を叩き込んだ。だが、それらはことごとくバリアに弾かれていく。
更に想像を絶する光景が、霧香の視界に飛び込んできた。赤紫色のバリアが二つに分かれ、片方が防御に、もう片方がブーメラン状の飛翔武器になって襲い掛かってきたのだ。
「うおっ!」
霧香の脳裏にあったのは、山路や華山は安全かどうか、それに自分たちを回収しにくるヘリが無事着陸できるかどうかだった。
バリア使いは未だに姿を見せない。遠隔操縦が可能ということか。
バタバタというヘリの回転翼の音が聞こえてくる。マズい。これではまたヘリが撃墜されてしまう。今は自分がバリアを引きつけておかなければ。しかし。
霧香が残弾の尽きた拳銃を投げ捨て、バリアに注視したその時、バリアもまたその気配を消した。いや、バリアの展開者もまた、というべきか。
殺気から解放され、ほうっ、と息をつく霧香。両腕を振ってヘリを誘導し、パイロットと共同で山路、華山、それに宮藤を回収した。
さて、警視庁舎に帰ったら、まずあのいけ好かない警視正に状況報告をせねばなるまい。ここ一、二日での急激な疲れを覚え、霧香はヘリのシートでうたた寝に吸い込まれていった。
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