第15話


         ※


「やっぱり臭いまでは分からないなあ……」

「視界を光学と赤外線、両方で切り替えながら進め。爆薬が仕掛けられているなら、どちらかには引っかかるはずだ」

「了解」


 狭い管の中を、霧香と山路は進んでいる。前衛は霧香、後衛は山路。

 通常であれば、爆発物の探知は鋭敏化された嗅覚で行うものだ。しかし、酸素ボンベを装着した状態ではなかなかそうもいかない。

 霧香は腕時計型の危険ガス探知機に目を落とした。随分高濃度の塩素ガスが、この管の内部に充満している。


 それにしては、自分たちはなかなかのスピードで進んでいるじゃないか。

 そう思う霧香だったが、時間は無尽蔵にあるわけではない。山路の酸素ボンベの損傷が、冷静さを焦げつかせている。


「山路さん、大丈夫?」

「今のところはな。残り六分ちょっとだ」

「六分……」


 すると、すっと山路が息を吸う気配が伝わってきた。


「霧香、もし俺が動けなくなったら、迷わず捨て置け」

「えっ?」

「お前だけでもいいから、華山課長の救出にあたれ」

「バッ……!」


 馬鹿野郎! と言おうとして、しかし霧香は沈黙した。山路の目が真剣そのものだったからだ。

 自分は十五年前、山路に命を救われた。今ここで彼を見殺しにすることはできない。だが、その山路当人が、自分を見捨てろと言っている。

 この複雑な地下構造物の中で、あと六分で清浄な空気のあるところへ到達できるだろうか。


 と、その時だった。装着していたイヤホンに、謎の雑音が入った。トントンと叩くような断続的な響きは、モールス信号か。


「山路さん!」

「ああ、聞こえてる。きっと華山課長からだ。信号に合わせて、この地下研究施設の構造を立体表示してみろ」


 霧香が瞬きを繰り返すと、四度目で立体画像が現れた。瞼の裏にダウンロードしておいた、この施設の構造だ。

 華山からの情報はそれ以外にもあった。トラップが仕掛けられている可能性は低いという。


「どういうことだろ?」

「敵もこの濃塩素下ではまともに行動できないってことだろうな。長年地下に籠っていたせいで、緊急時用の酸素ボンベが使えなくなって閉じ込められているのかもしれん」

「じゃあ、ハナちゃんを誘拐した奴はどうやって……?」

「考えるのは後回しだ。進んでくれ」

「了解」


 それから進むこと、約三分。


「山路さん、苦しくはない? 呼吸が荒いようだけど」

「気にするな。任務に集中しろ」

「りょうか――」


 了解、と言いかけて、霧香はあることに気づいた。管が前方で滑り台のようになっているのだ。ここを下りるようにと、華山はモールス信号で訴えていた。同時に、敵が待ち構えている、とも。


「山路さん、滑り台!」

「よし。先鋒は任せる。俺が先じゃ、図体がデカくてバックアップしてもらえないだろうからな」


 大きく頷いてから霧香はぺたりと尻をつき、勢いよく滑り出した。


         ※


 しばし滑っていると、危険ガス探知機のメーターが一気に左に触れた。塩素が急激に薄まっているのだ。


「山路さん! 大丈夫だ! 窒素濃度も酸素濃度も、呼吸可能域に入った!」

「了解!」


 霧香は勢いよく人工呼吸器を外し、酸素ボンベを抱き込んだ。

 ああ、そうか。きっと華山を誘拐した犯人も、こうして地下の構造物に滑り込んだのだ。

 ただ、自分たちが追って来るのが早かったので、咄嗟に管に流せる有害な気体が塩素だけだった。そんなところだろう。


 足元を見ると、だんだん白い光が近づいてくる。滑り台の出口だ。このまま滑り降りたら、銃撃による大歓迎を受けることだろう。だったら。

 

「ちょっと待って、山路さん!」

「お、おう」


 上方できゅきゅっ、と山路がコンバットブーツを突っ張って停止するのが聞こえた。

 霧香は酸素ボンベを胸元に抱き、勢いよく下方に放り投げる。すると、僅かな銃撃音の後にバン、と盛大な音がした。


 ああ、やっぱりな。霧香は呟いた。

 酸素ボンベの近くでの火器の使用は、当然ながらご法度である。あまりに危険だからだ。高濃度酸素に敵の銃撃で生じた火花が引火したとなれば、その爆炎たるや凄まじい威力を誇るだろう。


 霧香のコンバットブーツも、危うく炎の先端に呑まれるところだった。


「おい、大丈夫なのか、霧香?」

「余裕だって! こうやって二人で来られたんだから、ハナちゃんの救出任務も楽勝だよ!」

「ふむ、だといいが」


 山路が考えていたのは、ごく簡単なこと。

 敵が華山を人質に使うのではないかということだ。どうやらそれに対抗するための必殺兵器を霧香は有しているらしい。だが、詳細は山路も聞かされていない。


 霧香は拳銃二丁を片手に一丁ずつ持ち、滑り台状の配管の最後の曲がり角に差し掛かった。滑り台状といっても、既に斜面角度はほぼ水平。湾曲した曲がり角を折れるような具合で、霧香は突撃を敢行した。


 まず目に入ったのは、白銀の世界だった。

 といっても、雪景色のような風情のあるものではない。床や壁、天井が真っ白に塗られており、その両脇に、銀色に輝くタンクや配管が設置されている、というものだ。

 時折目に入る赤や紫の染みは、酸素ボンベの爆発で肉片にされた敵の名残だろう。華山は無事だったようだ。やはり、敵にとって、ここはまだ切り札の使いどころであるまい。


 素早く腰を折って前進し、さっとタンクの陰に入る。それに続いた山路が、通路反対側の機材の陰へ。

 山路が頷いたのを見て、霧香は再び前進。次の遮蔽物の目星を付ける。


 霧香が四度目の前進を試みた、その時だった。自動小銃の唸りが、このフロア内の空気を震わせた。


「どうやらお出ましのようだな」


 弾薬に余裕のある山路が、短いスパンで応射する。敵の身を退かせることはできたが、仕留めるには及ばない。なかなかのやり手のようだ。

 

 膠着状態はこちらの望むところではない。霧香は敵の動きを察し、飛び出してくるのと同時に自らもまた転がり出た。

 目に入ったのは、全身黒づくめのコンバットスーツ姿の連中。三人が視界に入っているが、総勢何人でお出迎えしてくれるのかは分からない。


 霧香の二丁拳銃が火を噴いた。貫通性の高い弾丸を使用しているため、跳弾の恐れは無視できる。サイドステップでこれを回避しようとした敵を、山路の大口径機関銃が片っ端から狩っていく。

 流石にこの威力の弾丸を浴びせられて、敵も平気ではなかったようだ。最初の三人は見事に頭蓋を破裂させ、慌てて出てきた四人目は肩を抉られて倒れ込んだ。


「動くな!」


 向こうのタンクの陰から声がする。と同時に、三人の人物がゆっくりと通路中央に歩み出てきた。華山と、彼女を両脇から押さえつける二人の敵だ。


 やはり人質として、華山を利用するつもりだったか。

 霧香は分かったつもりでいた。が、いざ捕らえられた華山を見ては、とても平常心ではいられない。


 そんな霧香を、山路が大声で制する。


「焦るな、霧香!」

「だ、だってハナちゃんが!」

「今は相手の要求を聞け!」


 山路としては、こちらが仲違いしているかのように見せかけて敵を油断させるつもりだった。が、実際のところ、霧香は混乱と狼狽の度を深めていく。

 華山を救出するための必殺兵器はどうしてしまったのか。


 すると、四人目の人物がこの場に現れた。山路並みに筋骨隆々とした、背の高い男だ。何も言わずに歩み出てきて、ちょうど通路の突き当りにあるコンソールを操作し始める。立ち振る舞いからして、恐らく首領だろう。


「山路警部、雨宮警部補。この機械が何を操作するものなのか、分かるか?」

「知らんな」


 予想通りの野太い声に、山路がわざと切羽詰まった口調で返す。しかし、今時手動で操作するマシンなど、骨董品もいいところだ。本当に何をする気なんだ?


「二人共、これを見てくれ」


 敵の首領らしき人物が言う。すると、コンソールと穴だらけになった壁面の間に、スクリーンが下りてきた。


「リアルタイム映像だ。信じるか否かは、諸君に任せる」


 そこに映されたのは、電磁ワイヤーでぐるぐる巻きにされたモノリスだった。フルカラーの、極めて画素の高い映像だ。やや揺れているのは、カメラがドローンで操作されているからだろう。


 すると何の躊躇もなく、首領がコンソールのボタンを一つ、押し込んだ。

 次の瞬間、霧香は、そして山路ですら、我が目を疑うことになった。

 十本ある電磁ワイヤーのうち、一本が外されたのだ。


「貴様、何をした!」


 霧香が叫ぶ。銃口は首領の眉間にぴたりと狙いを付けているが、まだ喋らせる必要があると、彼女の本能が叫んでいた。


 そして、首領はこう言った。


「モノリスを敢えて再起動させ、人類に撃滅してもらう。それが我ら『黒淵会』の存在目的だ」

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