第13話


         ※


 これで溜息をつくのは、今日だけで何度目になるだろう。

 そんなことを思いながら、華山は警視庁庁舎内を、SCB課の課長室へ向けて歩いていた。

 顎に右手を当て、左手で自分を抱くようにして、唇を動かしながら闊歩する。


「……だから、こっちはこっちで担当するとして……、向こうは……」


 華山は飽くまで後方指揮要員であり、戦闘要員ではない。だからこそ、背後から忍び寄ってきた人物に気づかず、一瞬で拘束されたのも仕方のないことだった。


 警備員の服装をした人物が後方から接近。同時にそのエリアの監視カメラにダミー映像が流され、華山は騒ぎ立てる間も与えられずに首筋に麻酔薬を注射された。

 自分が意識を失ったことさえ、華山本人にも分からなかった。


「こちらシーカー、目標を確保。繰り返す。こちらシーカー――」


         ※


「ハナちゃんが消えた?」


 右腕の修繕を完了した霧香が聞かされたのは、そんな衝撃的事実だった。


「大丈夫なの? ねえ山路さん、ハナちゃんは?」

「彼女のバイタルサインに異常はない。負傷に伴うアラートも確認されていない。随分と丁重に扱われているようだ」


 ほう、と胸に手を当てる霧香。


「で、でもさ、おっさん、だったらどうして華山さんは連れ去られたの?」


 山路の太い腕に縋りつく廻。もうこの時点で泣きそうな顔つきだ。


「人質、だろうな。今は警視庁の急襲部隊が、バイタルサインから逆探知した場所への突入ルートを詮索しているが、やっぱり俺たちの出番になるだろう」

「どういう意味?」

「少数精鋭、ってことだね、山路さん」


 廻の問いかけに、顔を上げながら霧香が答える。山路もぐっと頷き返す。

 ちょうどその時、医務室のインターフォンが鳴った。大股でドアに近づいた山路が受話器を取り、耳に当てる。


「こちら山路」

《伝令! 山路幸雄警部、雨宮霧香警部補、至急警視正執務室へ!》

「了解」


 かちゃり、と受話器を戻して振り返ると、そこには既におどけた調子で右腕を曲げ伸ばししてみせる霧香の姿があった。

 山路はふっ、と微かに笑みを浮かべてから、すぐに背を向けてドアを通過する。もう霧香の右腕は換装されたと判断できたからだ。


 霧香はさっさと立ち上がり、山路に続いてドアを通り抜けようとした。が、思わぬ妨害が入った。廻だ。


「ま、待ってよ霧香! さっきのインターフォンは何? また任務なの?」

「ああ、そうだよ」


 突き放してはいないが愛想がいいとも言えない。そんな口調で霧香は軽く身をよじった。

 しかしながら、次の廻の言葉はそんな霧香のみならず山路をも驚かせるものだった。


「僕も連れて行ってよ!」

「っ!? げほっ、けほ、は、はあ!?」


 盛大にむせる霧香に、再び無言で振り返る山路。


「僕が原因で、おっさんも霧香も戦ってるんだろ? 華山さんが誘拐されたのだって、僕と無関係じゃないんだろ? だったら僕も一緒に――」


 そこまで言いかけて、廻は首を竦めた。山路がのしのしと近づいてきて、廻の頭上に手を翳したからだ。


「ッ!」


 しかし、いつまで経っても拳骨が降ってはこない。恐る恐る廻が目を開けると、山路は廻を殴る代わりに、その手をそっと廻の肩に下ろしていた。

 痛くはない。だがそれゆえに、重さや熱量が伝わってくる。それが山路の掌だった。


「忘れたのか、坊主? ついさっき、お前は殺されかけたんだぞ」

「だ、だって霧香は、敵には僕を殺すつもりはないって……」

「戦場では一体何が起こるのか、予想しきるのは無理なんだ。跳弾や流れ弾でお前が被弾するかもしれない。思わぬトラップに引っ掛かるかもしれない。敵が方針を変えて、やっぱりお前を殺そうとするかもしれない。だから、俺たちはお前を連れてはいけない」

「そ、そんな……。だったらせめて作戦会議だけでも!」


 今度こそ拳骨が廻の頭頂部を直撃した。


「うっ!」


 目の中でお星様が乱舞し、平衡感覚が怪しくなる。一昔前のアニメなら、間違いなく特大のたんこぶが描かれていたことだろう。


「馬鹿だねえ、廻」


 そう声をかけてきたのは、やや眠たげな霧香だった。


「私たちの作戦会議ってのは、そこいらの会社の会議とは違うんだよ? 一言一言が、完全な機密事項なんだ。それにさあ、山路さんをあそこまで怒らせちゃいけないよ」

「あそこまで、って?」

「味方を相手に暴力振るうところまで、ってこと。山路さん、ああ見えて仲間思いなんだ。そんな人をあそこまで怒らせるなんて、一種の才能だよ。涙もろいのも人一倍で――おっと!」


 一瞬前まで霧香の頭部があった空間を、山路の手刀が切り裂いた。


「余計なことは言わんでいい! とにかくお呼びがかかってるんだ、行くぞ、霧香!」

「へいへい。おー、怖い怖い」


 わざとらしく自分の肩を抱いた霧香は、それ以上廻を一瞥することもなく医務室を出ていった。


         ※


 霧香と山路はエレベーターで上階へと向かった。霧香からすれば、華山の執務室のあるフロアから上はほぼ未踏の地だ。何も言わずに山路について行くことにする。


 エレベーターを降りて廊下を行く。このあたりの造りはどこの階も同一規格らしい。窓から外を見遣ると、真っ青な空に真っ白な入道雲が立ち昇っている。

 数回瞬きをして瞼の裏の小型ディスプレイを展開すると、時刻は午後二時を回ったところ。最高気温は四十度を軽く上回るらしい。


「ここだ」


 山路の背中にぶつかりかけながら、霧香は足を止める。そこには無骨な金属製のスライドドアがあった。すぐそばにインターフォンが備え付けられている。


「山路幸雄警部、雨宮霧香警部補、只今参りました」

《ご苦労。今ドアを開ける》


 するすると滑らかにドアは展開した。防弾・防爆仕様の二重構造になっている。

 デスクやディスプレイの配置は華山の執務室とほぼ変わらない。違うのは、背後に配された表彰状やメダルの数。

 流石、警視である華山の上官・警視正といったところか。


 ディスプレイが左右にスライドして退けられると、太い葉巻を口にした小柄な男が目に入った。いや、小柄というには語弊がある。腹だ。でっぷりと脂肪がついている。

 ああ、コイツは実戦知らずだな。霧香はすぐに察しをつけた。


「右腕の調子はどうかね、雨宮くん?」

「ええ、お陰様で」

「うんうん。それは何より」

「ところで、ご用件は何です?」


 自分たちは世間話をしに来たわけではない。それを暗に示しながら、山路が一歩前に出た。


「華山警視が誘拐されたことは知っているね?」

「自分と雨宮の二人に、華山警視を救出しろと仰りたいのでしょう?」

「理解が早くて助かるよ、山路くん。やはり、華山くんが国防軍から引き抜いただけのことはあるね」

「それはどうも」


 いつまでだらだら話を続けるんだ。葉巻を灰皿を押しつける警視正を見ながら、霧香は危うく舌打ちするところだった。

 対して山路は、見事に冷静な姿勢を貫いた。


「それでは、携行装備のレベルはいかが致しますか、警視正?」

「山路くん、君はどう思う?」

「敵の勢力が分かりません。ここは通常の制圧任務用のBクラス以上、可能であればAクラスの装備は必要かと」

「ふむ」


 警視正は厚ぼったい顎に手を遣り、灰皿で薄い煙を上げる葉巻を見ている。

 沈黙が訪れ、霧香の忍耐ががりがりと削られていく。

 さっさと出動命令を出せ。敵を制圧するよう命令しろ。


 そう言うべく霧香が口を開きかけた、その時だった。


「許可する」


 警視正が明確な声音で目を上げた。


「作戦目標は、華山凛音警視の救出。妨害勢力は、実力を以て排除せよ。装備品はすぐに用意させる」

「はッ」


 隣でさっと敬礼した山路に合わせ、霧香も慌てて敬礼する。


「それでは、失礼致します」

「失礼します」

「うむ。華山くんの安全は任せたぞ」


         ※


 五分後。警視庁庁舎屋上ヘリポート。

 霧香と山路は、情け容赦のない日光の下に駆け出した。人員輸送ヘリが三機は同時離発着可能な広大なヘリポートの中央に、離陸体勢に入っている小振りなヘリが一機。これが霧香と山路を現場上空へと運ぶ機体だ。


 二人は滑り込むようにヘリに乗り込み、提げていたアタッシュケースを膝の上に載せる。

 入っているのは、今回の作戦に必要な二人の武器だ。


 霧香は、大型のオートマチック拳銃が二丁に閃光音響手榴弾が三つ。

 山路は、大口径の自動小銃が一丁に殺傷用手榴弾が三つ、さらに隔壁突破用の爆薬が一キロ分。

 それに加えて、二人共大振りのコンバットナイフを腰に差している。


 装備を確認しながら、霧香は思う。せめて華山が、鎌使いに託されたデータを解析していてくれたら作戦もやりやすかっただろうな、と。

 まあ、その華山が誘拐されてしまったのだから、嘆いても無駄ではあるのだが。


「霧香、装備の方は?」

「大丈夫」


 山路は頷いてから、パイロットに離陸を要請した。

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