第12話【第三章】

【第三章】


「……どはあっ!」


 状況終了。

 それに伴い、テーブルに両手をついて事の次第を見守っていた華山は、思いっきり大きな溜息をついた。

 今更ながら気づく。自分の呼吸が止まっていたこと、椅子から立ち上がって身を乗り出していたこと、冷房完備のこの部屋にいながら汗だくになっていたことに。

 その汗は、霧香のように闘争心から生じたものではない。純粋な冷や汗だ。


 ここは警視庁本部ビルだが、SCB課の課長室ではない。地下二十階、六十メートル下方まで掘り下げられた、最重要機密エリアの一角だ。そこには大会議室があり、巨大なスクリーンが展開されている。


 今、スクリーンは九等分され、それぞれが別々の映像を映し出していた。どの画面にも、パトランプを付けた黒い装甲バンの姿が見られる。


 そのうちの一つでは、右腕を切断された霧香が応急処置を施されている。

 また別の画面では、地下を走る下水道から廻を引っ張り上げる山路の姿がある。


「どうやら今回は、我々の勝ちだな」


 そんなバリトンボイスを響かせたのは、夏用の制服を着て腕組みをした初老の男性だった。初老といっても、日々鍛錬しているのが分かる程度には筋肉がついている。

 華山を挟んで反対側に座っていた男性はまだ若く、実戦とは無縁に見えた。ビジネススーツを着込み、眼鏡を外して額の汗を拭っている。


 ここには緊急招集をかけられた警視庁の高官たちが集っている。霧香や山路の戦いを見届けるために借り出されているのだ。


 霧香と戦っていたのは、警察庁の特殊作戦群に所属するうちの一人。

 山路と戦っていた連中は、国防軍のレンジャー訓練上がりの狙撃手。

 この戦いに関わった全員が、何らかの形で武人としてのキャリアを積んでいる。


 そして、彼らが引き起こした戦闘行為を鎮圧したのは、警視庁の得体のしれない部署に属する二人――霧香と山路であるわけだ。

 

「これで今回は、幹也廻の身柄は我々のものとなった。ご苦労だったな、華山くん」

「……」


 無言の華山。彼女を無視する格好で、ぞろぞろと出ていく警視庁高官たち。


「人の部下を、わざわざ仲間内で戦わせるなんて……」


 華山はぎゅっと両の拳を握り締めた。

 幼くして両親を亡くした華山にしてみれば、警視庁も警察庁も国防軍も、国民を守る味方であるはずだ。それが互いに戦いを仕掛け、殺し合うなんて。


 勢力争いというやつだろうか? 自分も歳を取れば理解できるようになるのか? しかし、今はまだ十三歳の若き、否、若すぎる指揮官には、どう足掻いても答えられない相談だった。


「それも、『あれ』の再起動に関わるものだと言われれば、ね」


 その呟きがマイクに拾われたかどうか、それは定かではない。


         ※


 右腕の損失。一見すれば、致命傷だと思われるだろう。だが、この程度の負傷でガタガタ言ってはいられない。そんな意識の高さが、霧香を冷静にさせていた。

 事実、斬り口が綺麗だったため、骨格の再装着や筋組織の再生、大口径ライフルの修繕など、霧香の改修作業は速やかに執り行われた。


 その手術室前のソファに並んで腰かけているのが、山路と廻だ。


「な、なあ、おっさん」

「何だ、坊主」

「霧香って、いっつもあんな大怪我するのかよ?」

「おいおい、お前を助けたのは俺だぞ。俺の心配はしてくれねえのか」

「いや、その……感謝はしてるよ」


 ちょっとは素直になったな、と山路は胸中で呟いた。

 それもそうか。ほとんど下水管の中にいたとはいえ、廻もまた死線を潜り抜けたのだ。


「ま、少しは話してやってもいいか」

「話す、って何を?」

「俺と霧香、それに霧香の親父さんのことだ」


 山路は余すところなく、十五年前の自分たちの言動を語って聞かせた。もちろん、霧香の父親が殉職したという事実も含めて。


「モノリス……。遠くに見えてた石板みたいな奴を巡って、そんなことがあったんだね」

「ああ。お陰で俺なんか、ほぼ全身サイボーグみたいなもんだ」

「強くていいじゃんか」

「メリットばかりじゃねえぞ。毎月のメンテナンスにいくらかかると思ってる?」


 それもそうだと、廻はすぐさま納得した。


「それより廻、俺はお前のことが心配だ」

「ぼ、僕?」

「敵は巧みに俺たちの行動パターンを把握していた。そりゃあ、奇襲された経験は一度や二度じゃねえ。俺も霧香も恨みは腐るほど買い込んでるからな。今までは、いずれも素人の所業だった。が、今日の連中は違う」

「違う、って?」

「プロだったんだよ、あいつらは」


 戦闘中にずっと隠れていた廻には、どれほど霧香や山路が苦戦させられたかを知らない。

 さて、どう言って聞かせればいいものか。


「で、でもさ、相手がプロだったからって、霧香やおっさんよりは弱かったんだろ?」

「勝負は時の運、ってな。俺は戦いに臨むときには、必ずこの言葉を頭の中で唱えている。霧香も似たようなもんだろう。運が良ければ、相手が格上でも勝てる。逆もまた然りだ」

「時の、運……」


 もごもごと口を動かす廻。すると突然山路は立ち上がり、踵を合わせて敬礼した。廻からは、山路の広い背中に隠れて誰がやって来たのか分からない。


 一応自分も立っていた方がいいのか。そう思った廻は、ゆっくりと腰を上げて山路の陰からそっと廊下の向こうを見遣った。

 そこにいたのは、華山だった。やあやあ諸君! なんて軽口を叩いているが、何やら不吉な兆候が見受けられた。


 自分の気のせいか。そう思い込むべく、廻はかぶりを振る。

 顔を上げた時には、華山が軽く山路の胸板を叩くところだった。


「今は堅苦しいこと言わないで。取り敢えず、キリちゃんは無事なのね?」

「ええ、現在予備パーツを右腕部に装着中です。義肢はオーダーメイドですからね、もう少し時間がかかるでしょう」

「んー、やっぱりそうかあ」

「華山課長、何か問題でも?」

「……」

「課長?」

「問題のない日々なんて、あたしたちにあったかい? 今までに一度でも?」

「そ、そりゃあ……」


 交互に沈黙する山路と華山。


「まあ、国防省から自分を警視庁に引き抜いたのが華山課長である、ということは存じておりますが、こんなにも――」

「警察業務が多忙だとは思わなかっただろう? それに、ちょうどキリちゃんに適したバディを探してもいたしね。廻くん、君は山路くんとキリちゃんのことは?」

「へっ? ああ、知ってます。十五年前に、おっさんが霧香の命を救ったんだって」

「その通り」


 華山は腕組みをして、ふわふわと視線を漂わせた。

 その間に、徐々に華山の視線は定まってきた。ちょうど廻とぶつかるように。


「廻くん、やはり君には『真実』を知るには早そうだな」

「し、真実?」

「あたしも今日初めて聞いたよ、こんな話は。だけど、当然守秘義務が課されている。山路くんの前でヒントを口にするだけでも、即刻アウトだ。君たちを盾に使ってこの街を守っている立場からすれば、心苦しいことこの上ないんだけど、ね」

「じゃあ、どうして『真実』なんて言い出したんです? 黙ってればいいんでしょうに」

「覚悟の問題だよ、廻くん」


 僅かに背が高い華山は、軽く腰を折って真正面から廻を見つめた。


「なっ、何なんですか、覚悟、って……」

「今はこれ以上は言えない。そのくらい世知辛い世界であたしたちは生きてるってことさ」


 さも冗談でも言ったかのように、華山は手をひらひらさせた。

 しかし、山路は見抜いていた。その手の動きがハンドサインであること。そして、それが謝罪の意を示していること。


 山路は軽く頷き、今度はゆっくりと敬礼した。


「了解です、華山課長」

「え、まだ話の途中――いてっ!」


 廻の脛を、山路が軽く蹴りつけた。

 山路の意を汲んだ廻も、不器用ながら敬礼をする。華山は短く、しかしきっちりと敬礼してから、まったね~、などと言って廊下の向こうに消えた。


「まったく、変な人だなあ……。おっさんもそう思わない?」


 しかし山路は廻の言葉を無視。再びソファにどっかりと座り込み、思いっきり腕を伸ばしたり、首を回したり、深呼吸を繰り返したりした。今話しかけても上の空だろう。


 だが、廻は考える。山路のストレッチのような行動は、きっと緊張感を相殺するための行動だ。つまり、山路はたった今、何らかのプレッシャーを受けている。それだけ珍しいのだろう、華山が山路にまで情報を開示しない、ということが。


 大人の考えることは分かりづらいな。そう思いつつ、廻は山路のそばに腰かけ、いつの間にかその肩を枕にして眠りに就いてしまった。

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