第10話

 霧香は少しずつ後退しながら、ここが何の店で、何が売られているのかを把握する。

 その間にもアイスピックが、そして隙あらば手裏剣が飛んでくる。このままでは、やがて自分は壁に背をつける格好で追い詰められてしまうだろう。どうしたらいい……?


 息を乱すことなく突き出されるアイスピック。霧香は半身を逸らすことでこれを回避。そのまま軽い回転蹴りを放つが、あっさりガードされる。


 だがこの回転蹴りは、更に言えば大袈裟な半身回避は、霧香の計算によるものだった。

 計算といっても勝算までもがあったわけではない。ただ何かを掴み、自分のリーチを伸ばせれば。それだけのことだ。


 回避に必死で、自分が何を掴んだのかはよく分からない。だが、何らかの器のようだ。そう言えばこの店内、ラーメンの匂いがする。そうか、よく山路に連れられてきた行きつけの店じゃないか。


 という状況判断にかかった時間は、ざっと〇・二秒。だったら今、自分の手中にあるのはラーメンの器に違いない。そう判断し、霧香は更に一回転して器を鎌使いに投げつけた。


 まさか霧香の方から何かを投擲されるとは思わなかったのだろう。鎌使いは咄嗟に片腕を掲げ、頭部を守った。ばりん、と陶器の破砕される音と共に、白色と橙色の破片が宙を舞う。

 鎌使いはアイスピックを、目を閉じたまま真正面に投げつけた。が、手応えは鈍い。霧香に回避され、壁に刺さっている。


 近接戦用の特注品を失った鎌使いは、勢いよくバックステップ。時には壁を蹴りながら、急いで霧香から距離を取る。

 ふと目を開くと、二丁目の拳銃を掲げた霧香の姿が前面にあった。


 ダンダンダンダン、と連続する発砲音。鎌使いは腕に装備したプロテクターでガードを試みた。が、銃撃の勢いを殺しきれず、結局半ば転がり落ちるようにしてクレーター中心部に転がり落ち、即座に立ち上がった。


 霧香は慎重に、拳銃を構えながら鎌使いに近づいていく。

 霧香には拳銃という遠距離武器がある。それを知ったうえで、鎌使いは距離を取った。きっと相手も遠距離武器を有しているに違いない。


 霧香がそこまで状況を読んだ、まさに次の瞬間。


「くっ!」


 慌てて拳銃を手離した。目にもとまらぬ速さで振り回されたワイヤー付きの鎌が、霧香の二丁目の拳銃を真っ二つにしたのだ。

 なんとかコンバットナイフを腰元から引き抜く霧香。だが、鎌はもうすぐそこまで迫っている。


 わざと転倒し、これを回避。頭部を狙った軌道だったので上手く回避できたが、次はきっと足だ。

 ヴン、ヴン、と唸りを上げながら、機会を窺う鎌使い。ええい、こうなったら、使えるものは何でも使え。


 霧香は自分から見て右側から迫りくる鎌を無視して、右腕を差し出した。そして展開した。単発式大口径ライフルを。


 鎌使いが、ぎょっと目を瞠るのが気配で分かる。そして、回避する、という選択肢を完全に切り捨てて、霧香は発砲した。

 ドシュン、という発砲音に、ザン、と何かが斬り落とされる音が重なる。

 無論、斬り落とされたのは霧香の右腕だ。だがその直前に射出された三十ミリ爆裂徹甲弾は、見事に鎌使いの腹部を貫通した。


「あ……」


 か細い声が鎌使いの口から漏れる。いや、霧香にはそう聞こえたような気がしただけかもしれない。

 霧香は左手一本でコンバットナイフを引き抜き、ゆっくりとざらついた地面を下りていく。

 普通なら、このままとどめを刺しに行くところだ。が、霧香には思うところがあった。


 同情や憐憫の念かもしれないし、違うかもしれない。だが少なくとも、この鎌使いである少女兵に興味があったのは事実だ。ゆっくり話せるほど油断はできないし、そもそも彼女にそれだけの余命があったとも思えないが。


「よっと」


 器用にバランスを取りながら、浅いクレーターを下りる霧香。少女兵のフードは外れていて、意外なほど整った顔立ちが見て取れた。それも、口や鼻からの出血で台無しだったけれど。


 興味があると言っても、会話もできないのでは仕方がない。はて、何をどうしたらいいものか。

 すると意外なことに、次にアクションを起こしたのは少女兵の方だった。震える手でポケットに手を突っ込み、目線だけで、これを持っていけ、と告げたのだ。


「……分かったよ」


 霧香はもう危険はないと判断し、そっと少女兵の手を取った。そして、彼女のポケットからそっと『あるもの』――小型の携帯端末を取り出した。これが、彼女が霧香に託そうとしたものなのだろう。


 何故敵である自分にそんなものを渡そうとしているのか、霧香にはさっぱりだ。が、他人の好意は素直に頂くのが霧香の主義だ。


「あんたの戦い、見事だったよ。ちゃんとブツは預かったからな」


 その言葉の途中で、少女兵は事切れた。左手だけでそっと目を閉じてやる霧香。どこからか、救急車のサイレンが聞こえてくる。


「山路さんと廻は大丈夫かな……」


         ※


「ちょ、ちょっとおっさん! 抱っこしないでくれ! 僕だって走れるよ!」


 そんな廻の言葉に、山路は全く耳を貸そうとはしない。事実、山路が廻を担いで走った方が、ばらばらに走るよりも遥かに速かった。


 そんな山路は、霧香と共有できるセーフハウスに向かっていた。もうだいぶ爆発現場、すなわち霧香の戦場からは遠ざかっている。

 このまま行けば、あと十分以内には到着だ。しかし、それまでの過程に大問題があることを、山路は知っている。


 この先にあるのはポート・トーキョーの廃棄区画だ。鉄骨だけが組まれたビルや廃屋が並び、どこから狙撃されるか分からない。

 山路は視覚を赤外線センサーに切り替え、ぐるりと前方を見回した。


「やっぱりな」

「えっ?」

「セーフハウスの場所がバレちゃいねえようだが、人通りの少ないここで俺たちを襲う準備はできてたらしい」


 言うが早いか、山路は片腕を背中に回した。そこからぬっと現れたのは、大口径の散弾銃だ。

 先手必勝。山路は流れるような動作で、片手で初弾を装填した。


「坊主、耳を塞げ!」


 そう言い終える前に、ズドン、という重い銃声が響く。廻は、どわあ! だか、ひやあ! だか声を上げたが、そんなものに構っていられるほど山路も暇ではない。

 取り敢えず、上方の廃屋窓から狙撃しようとしていた奴は仕留めた。散弾でこれだけの遠距離攻撃を可能にしたのは、一重に山路のカスタマイズ技術による。


 すると全く唐突に、山路は大きく跳躍した。このあたりは地盤整備が甘い。どんっ、と着地すると、何かが跳ね上がった。マンホールの蓋だ。同時に噴出した水が、待ち伏せしていた敵の視界を遮る。


「なっ、何やってんだよ!?」

「ちょいと借りるのさ。背中が無防備ってのは性に合わなくてな」


 びしょ濡れになりながら、廻に答える山路。降ってきた蓋を見もせずに受け止め、バックパックに積んでいた頑丈なロープで背中側に固定した。

 まさにその直後、山路は短い呻き声を上げた。


「お、おっさん!?」

「いや、平気なんだが突然狙撃されたんでな」


 防弾ベストだけでは防げなかっただろう。その場にあるものを使えるだけ使う、そのスタンスは霧香とも共有しているものだ。


「廻、お前はここで待ってろ」

「え? あ、ちょっと! うわぁあ!」


 山路が廻を追いやったのは、マンホールの中だった。確かに安全ではある。衛生的には問題があるかもしれないが、今それは後回しだ。


 山路は素早く振り返り、背後から自分を狙撃した敵を捕捉。一度跳躍し、第二射を躱す。


「おっと……」


 二度目のバックステップを試みたところで、山路の強化された人工の鼻腔が危険を捉えた。爆発物の臭いがする。僅かに振り返ると、足元にワイヤーが張られていた。


「危なかったぜ」


 そう呟きながら、がしゃり、と散弾銃の次弾を装填。ズドン、という発砲音がすると同時に、向かいのビルの角が粉砕される。しかし、手応えが妙だ。


「ああ、あれか」


 落ち着いた声音で呟く山路。敵の狙撃手の前面には、霧香が前回鎌使いと戦った時に使用されたのと同じバリアが展開されていた。半透明の、赤紫色の板。


「せめてサンプルを回収できればな、っと」


 どうやらここにいる狙撃手は二人だけで、後の数人は自動小銃程度の武装しかしていない様子だ。確実に狙撃手を倒すためには、自動小銃を持っている連中をまず片づけなければ。


 そう考える間にも、山路の背中に密着したマンホールには弾丸が殺到していた。


「ったく、うるせえなあ」


 その気だるそうな言い方とは裏腹に、狂暴な猛獣の目を輝かせ、山路は両手に一丁ずつ拳銃を握らせた。

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