第9話


         ※


 廻が気づいた時、部屋は薄暗かった。しかし空気の感じから、今が朝方だということが察せられる。どうやら霧香の言葉を待っている間に眠ってしまったらしい。


「ん、霧香……?」

「出かけるよ、廻」


 声はベッドの上からではなく、背後から聞こえた。武器ラックのある方だ。

 目を凝らすと、霧香は拳銃の弾倉に弾丸を込めているところだった。


「出かけるって……どこへ?」


 欠伸を噛み殺しながら尋ねると、このあたりを案内するとのこと。


「私の背後一メートルから離れないで。人混みは避けるから」

「どうして出かけるのさ? わざわざ案内するだなんて。僕は霧香と一緒に行動すればそれでいいと思ってたけど」

「そうとばかりも言ってられない。そろそろ拠点を変えるつもりだったんだ。今日、ここに戻ってくるかどうかは分からない」

「でも、ここにある武器を全部運び出すのは難しいんじゃないの?」

「問題ないよ。ハナちゃんが手配してくれるから」

「ふうん……」


 まさか引っ越し業者に任せるわけではあるまいと思っていたが。警視庁SCB課というのはなかなか融通の利く組織らしい。


「じゃ、行こうか。山路さんを待たせてる」


 霧香はホルスターを両肩から吊って、両方に大口径の拳銃を入れた。明らかに昨日より重装備だ。


「昨日、あんたが着てきた服は洗濯して乾かしてある。それを着て。それと、下着の上からは防弾ベストも」


 廻を一瞥することもなく、霧香はそう言った。その背中に鋭いものを感じて、廻は口を噤む。

 霧香がゆっくりとドアを開けると、いかにも夏らしい真っ白な直射日光が差し込んできた。同時に聞こえてきたのは、五分遅刻だぞ、と告げる山路の唸るような声だ。


 さて、問題は自分の衣服(乱雑に置かれている)のそばにある小振りの防弾ベスト。

 実際手に取ってみると、思いの外軽かった。頭部と両腕を穴に通し、ややぼてっとした上半身の上からシャツを着込む。

 ズボンを穿いてスニーカーに足を突っ込むと、廻は目を細めながら外階段へと踏み出した。


「よう」

「うわっ!」


 唐突にドアの反対側から声を掛けられ、廻は跳び上がった。


「って、えっ? あっ? わあっ!」

「おっと」


 階段から転落しかけたところで、後ろ襟をむんずと掴まれる。


「あ、あんた、山路さん?」

「他に誰がいるんだ。お前は記憶喪失なんだぞ、知り合いの男っていったら俺しかいないだろうよ」

「そ、そりゃそうか。って、いつまで掴んでるんだよ! 放せ!」

「へいへい」


 山路は廻を軽く背後に押しやるようにして解放した。外階段を下りながら、やや声を潜めて霧香に語り掛ける。


「にしてもいいのか? 廻に街を案内するって」

「大丈夫っしょ。山路さんだって、近接戦闘装備だし」

「それはそうだ。だが俺が言いたいのは、そもそも廻を危険に晒すようなことをするのに何の意味があるのかってことだよ」

「うーん、そうだねえ」

「考えてなかったのかよ!」


 そのツッコミに対する返答は、しかし山路の胸をぐっと抉るものだった。


「まあ、父さんが守ろうとした人たちの造った街だし、ちょっとくらいは紹介がてら、羽を伸ばしてもいいかなって」

「……そう、か」


 山路からすれば、卑怯だぞ、とでも怒鳴りつけてやりたい気分だった。

 今更、雨宮兼嗣少佐のことを持ち出すのか。彼のことを話題に出されては、俺には何も言えないぞ。

 しかも霧香からすれば、それは無意識で行っていることだ。質が悪いったらありゃしない。


「な、なあ、どうしたんだ?」

「ん? なんでもないよ、廻。さ、行こうよ山路さん」

「分かっている」


 山路はその広い肩で空を切りながら、のしのしと歩みを始めた。


         ※


 霧香が先頭を行き、中央の廻にいろいろと教えている。しんがりは山路が務めた。

 霧香にとって、このポート・トーキョーは全体が自分の家の庭のようなものだった。治安のいいところ、悪いところ、はたまた繁華街から廃棄区画まで、完全に頭に入っている。


 山路はその説明が正しいかどうかを確認しながら、周辺索敵を怠らない。

 仮に先日の鎌使いが狙ってくるとしたら、先頭を歩く霧香の首だろう。


 そんな山路の心配などよそに、廻ははしゃいでいる。あれは何? これは何? と騒がしいことこの上ない。得意げに答えてやっている霧香も霧香だが。


 殺気と驚愕の念が同時に襲ってきたのは、ちょうど繁華街に入ったところだった。

 ドバン、と何かが破裂するような爆音が轟いたのだ。

 爆風と周辺の飛散物――商店の壁面、地面のアスファルト、巻き込まれた人々の四肢や肉片――は、しかし廻には当たらなかった。霧香が盾になったからだ。


「なっ、何だ何だ!?」

「無事か、坊主!」


 山路が駆け寄り、あらゆる方向に素早く視線を巡らせる。


 一方、霧香はこの現象を不審に思う。もし自分たちを爆殺する気なら、もっと爆弾に近づいたタイミングで起爆するはず。だが実際は、目の前にクレーターができただけで、廻も山路も無傷。


 そうか。このクレーターは、私と誰か、きっと鎌使いとの決闘のために展開された闘技場なのだ。

 霧香は敢えて、声をかけてみた。


「おい、鎌野郎! いるんだろ、さっさと出てきたらどうだ!」


 そう言いながら、山路にハンドサインを出す。廻を護衛して最寄りのセーフハウスに向かうようにと。

 山路は微かに戸惑ったが、結局は霧香の案に従うことにしたらしい。霧香への最後のハンドサインは、死ぬな、だった。


 霧香はホルスターから拳銃を抜きながら、口角を上げて了解の意を示した。

 頷き返した山路はしゃがみ込み、廻の方に背を向けた。


「行くぞ廻、一刻も早くここから離れる。負ぶってやるから、振り落とされないようにしっかり掴まれ」

「わ、分かった!」


         ※


 山路と廻が反対方向へ駆け出すのと同時、爆発の黒煙を振り払うように、ヒュンッ、とワイヤー付きの鎌が一振りされた。

 霧香はその軌道から、先日遭遇した敵と同一人物であることを確かめる。


 うなじから汗が滴った。冷や汗ではない。どうやら闘争本能に火がついてしまったらしい。

 しかしながら、焦らず、騒がず。

 霧香はホルスターから一丁目の拳銃を取り出し、両手でしっかり握り込んだ。


「なあ、フードの姉ちゃんよ、私を狙ってきてるってことは、私のことを知ってるんだろう?」


 鎌使いは答えない。


「まあ、それはいいんだ。でも、私はあんたが何者なのかさっぱり分からない。一丁やり合う前に、そっちの素性を明かしてもらえないかな?」


 すると、思いの外幼さを帯びた声で、鎌使いは答えた。


「自分の素性は明かせない。自分が命令されたのは、雨宮霧香警部補、あなたの抹殺。今頃別動隊が、山路幸雄警部と幹也廻の下へ向かっているはず」

「二人を殺すの?」

「幹也廻の身柄は確保する。山路幸雄には射殺許可が出ている」


 なるほど。やはり廻には、自分でも忘れてしまった何らかの価値があるらしい。

 そう思うや否や、鎌使いは膝を曲げ、思いっきり跳躍した。同時に縦一列に小さな手裏剣が発せられた。

 霧香はこれを横転して回避しつつ、唇を噛んでいた。


 なんて速さだ。第二撃は防がなければ。

 霧香は銃口を上げ、鎌使いに向ける。鎌使いはといえば、高速で商店の屋上を駆けていた。猛スピードではあるが、逆に言えばこちらの想像通りの速さだ。


 霧香は拳銃を三連射。しかし、鎌使いは商店の看板やネオンの前で減速し、巧みに盾代わりに使う。自分の軌道が読まれていることを察していたらしい。

 その陰から跳躍してきた鎌使い。彼女はこちらを見もせずに、手元から再び手裏剣を投擲する。

 霧香はわざと突撃した。前転して手裏剣を回避。スタタタッ、と凶器がタイル張りの地面に突き刺さる。


 ふっと、殺気が散漫になるのを感じた。何事だ?

 嫌な危機感が、霧香の心臓にまとわりつく。するとほぼ頭上から影が差し、手裏剣が降ってきた。


 バックステップを試みる。しかし、慌てて再度前転。あのまま後退していたら、手裏剣が頭頂部を直撃していたはずだ。

 サイドステップはどうか? そう思った頃には、霧香を半円状に囲むように手裏剣が放たれていた。逃げ場を奪われたのだ。


「チッ!」


 舌打ちとほぼ同時に、鎌使いがアイスピックを片手に降って来る。霧香は一丁目の拳銃を投げ捨て、白兵戦の体勢に入った。


 鎌使いは、昨晩はワイヤーと鎌を駆使した遠距離攻撃には出ようとしない。代わりに使うのはアイスピックだ。

 斬撃と鋭利な突きを使いこなし、霧香はどんどん追い詰められていく。僅かに頬の皮膚が裂かれ、鮮血が舞う。

 こちらも近接戦闘武器を手にしたい。だが、携帯済みのコンバットナイフを抜かせてくれるほど、敵も甘くはない。


 いつしか霧香と鎌使いは、商店の内部に踏み込んで戦っていた。

 何か武器になるものはないか? 武器として使えるものは……!

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