第7話

 その華山の言葉に、廻は突然立ち上がった。


「勝手に決めるなよ!」

「ん? あたし、何か変なこと言った? ここは警視庁だよ? 君たち要人の安全を図るなら、これ以上の場所はないと思うけど?」

「そうじゃない、勝手に決められたことが嫌だって言いたいんだよ!」


 その言い分に、軽く噴き出したのは山路だ。


「冗談よせよ、坊主。お前さんが記憶喪失らしいってことは分かったが、でも逃げてきたんだろう? 場所は特定できなかったけどな」

「そうだ、そうだよ! 僕は逃げ出してきたのに、また身柄を拘束されるのか? 冗談じゃない!」


 やれやれとかぶりを振って、山路は続けた。


「廻、お前さんがどこからやって来たのかは知らん。だが、あの追っ手たちの所持していた電磁パルスガンを解析すると、どうやら相当規模のでかい組織らしいな。上手いこと自分たちの素性を隠してはいるが」

「だっ、だったら何なんだよ?」


 華山が説明役を代わる。


「君はこの日本という国を相手に立ち回らなきゃならない、ってこと。過去の記憶がないのも怪しさ満点だしね。それに、このポート・トーキョーの治安を守る組織の上層部から、君の身柄を保護するように言われているんだ。あたしたちの権限じゃどうにもならないよ」

「じゃ、じゃあ権限のある奴を呼んでくれよ! 僕は反対するぞ、また身柄を拘束されるなんて!」


 すると、部屋の隅で露骨な舌打ちの音が響いた。霧香だ。先ほどとは雰囲気ががらりと変わり、胸中でしんしんと雪のように、怒りが降り積もっているのが伝わってきた。


「なあ廻、お前、自分を守るためにどれだけの人間が危険に晒されることになるか、考えてみたことはあるか?」

「えっ? そ、それは……」

「私は自分の経験上、そういう犠牲の上で今を生きている。でも、今でも押し潰されそうになる。罪悪感にね」


 霧香は寄りかかっていた壁から背を離し、真っ直ぐに廻の目を見つめた。


「あんたみたいな子供が負うべき重圧じゃない。だから私たちが護衛をするし、そのためには手段を択ばない。警視庁に籠ってろってのは、そういうことさ」

「……」

「あん? どうした、何か言い返すつもりじゃなかったのか?」


 眉を顰める霧香を見据え、廻はこう言った。


「じゃあ霧香、僕はあんたの家に居候する」

「はあ!?」


 この大胆極まりない発言に、流石の山路と華山も絶句した。しかしそんなことを気にも留めずに、廻は言葉を繋ぐ。


「あんたは強い。だから僕を守るのに不自由しないだろ?」

「あら、いいじゃない、キリちゃん」

「ちょっ、課長!」


 反対しようとした山路は、しかし華山の目力で押さえつけられた。


「念のため、キリちゃんの意見も聞いてあげようかしら?」


 小悪魔的な笑みを浮かべ、頬を掌に当てて問いを投げる華山。


「どう?」

「いや、どうもこうも……」


 霧香は後頭部をぐしゃぐしゃ掻きながら、自分の語彙力のなさを呪っていた。

 実際のところ、思ったよりも抵抗感はなかった。お守りだといえば響きは悪いが、護衛任務だと言えば自身の面目も立つ。


 それに、廻を追っていた者たちは彼を生け捕りにするつもりだった。殺傷が目的ではないのだ。ということはつまり、最悪の場合、廻を囮にして敵を殲滅することも可能だということでもある。


 そこまで考え付く頃には、髪をぐしゃぐしゃやっていた手は止まっていた。


「勝負あったみたいだね、キリちゃん?」


 にこっ、と華山がほほ笑む。


「へいへい、分かりましたよ、私が廻くんを匿って護衛します。これでいい? ハナちゃん」

「うん、録音はさせてもらったからね」


 ちゃっかり仕掛けていたレコーダーを切る華山。


「取り敢えず、今日の帰りは山路さんにも護衛をお願いしようかな」

「了解」


 溜め息交じりに復唱する山路。


「よ~し、それじゃあ今度こそ、今日の任務全行程は終了! 皆、気をつけて帰ってねっ! 帰り着くまでが任務だからねっ!」


 いつのアニメのヒロインの真似だ? 

 素直にそんな疑問を抱く霧香だったが、すぐに意識を切り替えた。


         ※


 二十分後、霧香のアパート前にて。

 

「では、俺は明日の〇八〇〇に迎えに来る。くれぐれも注意しろよ、霧香」

「分かってるってば、山路さん。ああ、もう入っていいよ、廻。もう鍵開けたから」

「じゃあ、遠慮なく」


 本当に遠慮なく、廻は濡れた衣服のままで水滴をフローリングに落としながら歩み入った。


「無作法な坊主だな。お前の手に負えるか、霧香?」

「大丈夫なんじゃない? 清掃業者を注文して、レシートはハナちゃんに渡すから」

「了解だ。ま、精々仲良くな」


 そう言って、山路は外階段を下りて去っていった。


 霧香は、特に部屋の内装にこだわる性質ではない。というより、インテリアというものに対する概念が希薄だ。必要最低限のものしか置かれていないため、廻にはそれが随分と殺風景なものに思われた。


 腹の虫がきゅるきゅると鳴っている。だが、この部屋には調理設備がない。あるのは冷蔵庫、空きの目立つ棚、やや広めのベッド。それだけだ。

 

「これだけで生活できんの、霧香?」

「まあね。実際私はここで暮らしてるから」


 廻が振り返ると、入り口のそばにもう一つ棚があった。いや、棚というより武器を並べて置くラックだ。

 散弾銃、自動小銃、拳銃二丁、コンバットナイフ三本、それに手榴弾がいくつか。


 霧香が拳銃の弾倉を確認している間に、改めて廻は周囲を見渡した。ようやく照明スイッチがあるのを見つけ、そっと押し込む。

 薄ぼんやりとした照明が点き、輪郭の曖昧な影が霧香と廻の足元から伸びる。だが、霧香は銃器の整備に余念がない。まるでそこに誰もいないかのように。

 代わりに新たに発見できたのは、この十五畳ほどの部屋から隣室に通じるドアが二つ。トイレとバスルームだろうか?


 廻がぼんやりドアの方を見ていると、背後から何かを投げつけられた。それは頭部に被さるようにして、廻の意識をはっきりさせた。


「うわっ!」


 続けて柔らかいものがいくつも背中に衝突する。


「霧香、一体なにを……」

「先にシャワーを浴びな。風邪でも引いて体力が弱ったら、余計な食費やら薬代やら、かかるっしょ?」

「えっと……」

「右のドア」


 霧香の思いがけない気遣いに、廻は驚いて礼を述べる時機を逸してしまった。

 代わりに口から出てきたのは、じゃあ遠慮なく、という当たり障りのない言葉だけだった。


 廻が脱衣所で素っ裸になり、浴室へのドアを開けると、そこには想像もしなかった光景が広がっていた。


「何だ、これ……?」


 自分が記憶喪失だから見覚えがないのか? いや、さっきは、日常生活に支障はないと言われた。ということは自分の記憶ではなく、自分が今見ている光景の方が異常なのだろう。

 

 そこにあったのは、巨大な球体だった。透明な硬質のガラスでできていて、防水加工を為された拳銃が二丁、奥に取りつけてある。


「どうやって使うんだ……?」


 本来なら霧香に尋ねるべきなのだろうが、なにぶん今の自分は全裸だ。わざわざ汚れた衣服を着直して訊きに行くのも面倒だし。


 廻はごくり、と唾を飲み、球体の中に足を踏み入れた。すると、女性のものと思しき合成音声が流れた。


《シャワーの準備が整いました。床面中央に足を合わせてください》

「こ、こうかな……」

《重量を確認。雨宮霧香様ではありません。新たにアカウントを作成しますか?》

「ア、アカウント……?」


 シャワーを浴びるだけで、こうまで手間がかかるのか。

 結局、待ちくたびれた霧香がずかずかと乗り込んできて、廻は洗面器で股間を隠す羽目になった。


         ※


「なあんだ、私は気にしないのに」

「僕が気にするんだよ! だって恥ずかしいじゃないか!」

「青春だねえ」

「は、はあっ!?」


 意味不明な遣り取りの主導権を握られ、混乱する廻。そんな彼を、霧香はベッドに腰かけながら見つめていた。興味津々、というか悪戯心満載だ。

 廻は、今はベッドのそばに置かれた寝袋で横になっている。


 最初は逆だった。霧香が廻に対して、ベッドを使うようにと申し出たのだ。

 だが、提案すると廻は真っ赤になって拒絶した。何故かと尋ねると、頭に血が上っているためか、廻はぶんぶんとかぶりを振って支離滅裂な言葉を並べ立てた。

 異性なのに、とか、よく身体が洗えたか分からないから、とか。

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