第5話
常人の脚力からは考えられない圧力を受け、アスファルトが凹む。それも一瞬のことで、アスファルトは砂塵を巻き上げながら粉砕された。
足の裏から足首、膝の順に力を込めて横っ飛びした霧香は、さっと包丁を構えながら襲撃者の方を見遣った。一人が弾倉を交換する間に、きちんともう一人がこちらを狙っている。素人ではないな、と判断。
そう見計らうと同時、霧香は敵二人の間、奥の方で控える三人目を捕捉した。
中肉中背。フードを被っていて性別は分からないが、自分よりは年上だろう。銃器を持っている気配はないが、殺気は鋭い。何をする気だ?
一旦立ち上がり、バックステップで廃ビルの隙間に滑り込む。仕方ない、まずは先鋒の二人を倒さねばなるまい。それから三人目の相手をしなければ、何を仕掛けられるか分からない。
拳銃を取り出しながら、霧香は唇を湿らせた。
仕方ない。『力』を発揮する時が来たようだ。
霧香のふくらはぎが、がしゃり、とズレた。そこから覗いたのは円形のバーニア。それは脚部の芯にあたる骨格に内蔵された小型ジェットエンジンに接続されており、速やかに起動したエンジンは、ボゥッ、と火を噴いて霧香の身体を真上に押し上げた。
「ふっ!」
人間とは思えない速度で、しかも地上を駆けるかのように、霧香はビルの壁面を上っていく。二人の敵が驚きのあまり、馬鹿みたいに口を開くのが見える。
「これでも食ってな」
霧香が放った弾丸は四発。本来なら胸と頭部を狙うのだが、角度的に二発ずつ、口と眉間を狙うことになった。
空を切った九ミリパラベラム弾は、綺麗に口内から小脳を、眉間から前頭葉を破砕し、二人を即死させた。
三人目はその場を動かず、しかし何かを構えるところだった。
「なんてこった!」
対戦車ロケット砲かよ。私を何だと思っているんだ? と、いう怒りはわきに置いといて。
ここであんなものを使用されたら、民間人に被害が出る。敵は方針を切り替えたということか。
「こうなったら……!」
霧香は脚部バーニアの推力を上げて、一気にビルの屋上に躍り出た。そのまま前転するように身体を丸め、屋上の反対側へ。ここならロケット砲を喰らわずに済む。
弾倉を交換し、状況を確認。三人目だけは、頭部をヘルメット状の金属パーツで覆っていた。さて、どうするか。
すっと息を吸った霧香は、屋上から勢いよく跳躍。素直にその場でロケット砲を構えていた三人目に向かい、今度はフルオートで弾丸を叩き込んだ。
弾丸がなくなるのではないか。民間人に当たるのではないか。
不安はあったが杞憂だった。十五発の弾丸は敵の頭部に吸い込まれるように集中し、金属骨格で覆われた頭部を凹ませた。
後は格闘戦で押すしかない。ロケット砲を置くのに手間取った相手の頭部を掴み、頑丈な頭部ではなく喉仏のあたりに膝蹴りをかました。ぐへっ、と間抜けな音が、敵の声帯から発せられる。
頭部を狙えないならば、次に狙うとすれば胸だ。霧香は弾切れを起こした拳銃を投げ捨て、掌で敵の胸部を押し出すように強打した。
たたらを踏んだ敵の足元に蹴りを入れ、すっ転ばせる。敵はその場でカポエイラもどきを放ったが、そこに霧香はいない。悠々と跳躍してそれを飛び越え、不安定に捻じれていた敵の脇腹を思いっきり踏みつけた。
「がはっ!」
足首の感覚からして、きっと肝臓は潰しただろう。肋骨も数本。バーニアをふくらはぎに格納し、敵の胸部に足を載せながら、霧香は余裕を持って弾倉を交換した。
その時、再び脳裏に稲妻が走った。今仕留めた三人よりも陰湿で執念深い、暗雲を伴った鋭い稲妻だった。
「くっ!」
油断した。バーニアをこんなに早く格納すべきではなかった。
自前の筋肉だけでどうにか飛び退る。すると、金属頭の敵の頭部がバッサリと横に、輪切りにされるところだった。
何だ、あの武器は?
目に入ったのは、三日月形の鎌だった。刃渡りは三十センチほどで湾曲している。それが何か、いや、誰かを中心に回転している。その人物が、鎌を先端に装備したワイヤーを操っているのだろう。
さっと手元に鎌を格納する四人目の敵。フードを被っているが、体格は随分小さい。子供、それも少女だろうか。
頭部のあたりでぎらん、と赤い光が輝くのを見て、敵が赤外線でこちらの様子を窺っているものと霧香は判断した。
霧香は躊躇わず、先ほど拝借した包丁を投げつけた。敵はその場から動くことなく、かきん、と鎌で包丁を弾く。包丁が真っ二つにされているのを見て、流石の霧香もぞっとした。
霧香はバックステップしながら最後の予備弾倉を拳銃に叩き込んだ。そのまま五連射。
しかし、全弾が腕のプロテクターに弾かれる。精確に急所を狙いすぎたのだろう。
次はこちらの番だと言わんばかりに、鎌が振り回された。
足元を狙うように円を描く鎌。霧香が跳躍すると、まさにその軌道上に何かが飛んできた。針と見紛うような、小さな手裏剣だった。
なんとかそれを真剣白刃取りの要領で受け止める霧香。毒が塗られていなかったのは幸いだ。毒を塗ってしまうことで、その分切れ味が落ちるのを避けたらしい。
霧香はこの謎の敵に対して、潔いという評価を下した。だからこそ、自分も全力を以て相手をするべきだろう。
さっと拳銃を構えると、しかし敵はこちらに背を向けていた。無防備ながらに何をするつもりだ? 霧香はそんな疑念をすぐさま捨て去り、容赦なく三連射を浴びせた。
しかし、掠りもしない。当然だ。敵は霧香にとって予想外の動きを取ったのだから。
廃ビルの電光掲示板に鎌を引っかけ、それを思いっきり引いたのだ。
敵はよほど軽いのだろう、するっ、というワイヤーを巻き取る音がして、一瞬でその姿は十五メートル頭上のビルの屋上にあった。
「チッ!」
これでは、拳銃による殺傷能力は決定的に下がる。正直、使えない。
霧香は拳銃を連射しながら、敵の視界から逃れるべく横向きに駆け出した。
敵は屋上でバク転を一つ。屋台の明かりの反射と視覚能力拡大で、辛うじて見えた。敵が広範囲に、先ほどの手裏剣をばら撒く。
その射角から逃れながら、ようやく霧香はバーニアを展開する隙を得た。
拳銃を投げ捨て、ビルの隙間を三角跳びの要領で上る。コンクリートの壁面にいくつものひび割れを残しつつ、霧香は一瞬で屋上にまで到達した。
最後は思いっきり大ジャンプし、敵の矢を回避する。というより、無駄な手裏剣を投擲させる。
すると、敵は先ほどの鎌を振るってきた。手裏剣が尽きたらしい。
こうなってしまえば、白兵戦能力の高い霧香の方が有利だ。中途半端な角度で振り回された鎌の下に潜り込み、一気に距離を詰める。そのまま敵の腹部に右の拳を打ち込もうとした、その時だった。
ヴン、という音と共に、自分の右拳が何かに触れた。否、防がれた。
この腕の軌道だったら、間違いなく脇腹を強打していたはずだが。
気づいた時には、霧香はカウンター気味に強烈な蹴りを見舞われていた。
「がはっ!」
その僅か頭上を、巻き取られた鎌が通過する。
拳が接触する直前、薄桃色で半透明の何か――バリアとでも言うのだろうか――が展開されたのには気づいていた。
だが、気づいたところで対処方がなければ何の意味もない。
勝負は決した。そうとでも言いたげに、フードの少女は懐からアイスピックのようなナイフを取り出し、霧香に近づいてくる。
こんなわけの分からない奴に殺されるなんて、冗談じゃない。
霧香はそう思ったが、だからといってどうしようもない。ここまでか。
そう思った、まさにその時だった。
横合いから、ぶわっと凄まじい圧力を有する殺気が立ち昇った。直後、ガキィン、という鋭利な音がして、敵は吹っ飛ばされた。数回横転し、衝撃を殺す。
《霧香、無事か!》
「や、山路さん?」
《お前はそこを動くな。一ミリもだ!》
それは無理だろ、と内心ツッコむ霧香だったが、今はそれどころではない。
衝撃は、繰り返し何度も敵を側面から襲ってきた。その度に、敵がバリアを展開するのが見える。
しかしそのバリアも、じりじりと押され、破損していく。
自らの不利を悟ったのか、敵はあろうことか、ビルの反対側に飛び降りた。
「あっ!」
思わず叫んでしまったが、ここよりも遥か上から下りてきた自分がどうこう言える筋合いではない。
《敵さんは撤退したようだ。繰り返すが、無事か、霧香?》
「い、今のって山路さんの狙撃?」
《そうだ》
カチャカチャと金属の擦れる音がする。狙撃銃を格納しているのだろう。
《生憎だが、今回の件でお前にもまた警視庁に出頭してもらうことになった。歩けるだろう?》
「負ぶってってよ」
《馬鹿言え》
その言葉と共に、通信は切れた。
霧香は念のため、屋台の店主から借りた包丁で武装しながら警視庁へと戻った。
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