第4話

「それで山路くん、何かあったかい? 鑑識に見つかる前に、あたしたちSCB課で取り扱うべき物証は」

「はッ、これです」


 山路が取り出したのは、下水道管で拾ってきたデータファイルだった。防水性も耐火性もある、特殊な素材でコーティングされている。


「さんきゅー」


 受け取った華山は、早速ファイルをディスクプレイヤーにかけ、解析作業に入った。


「あー、やっぱりガードは固いね。あたしの腕でも、あと一、二時間はかかるかな」


 華山には二つの顔がある。

 一つはもちろん、警視庁警備部SCB課の課長。そしてもう一つは、敏腕のデータプロテクター破りだ。

 山路は姿勢を崩さずに、華山に尋ねる。

 

「我々は待機でしょうか?」

「いや、今日はもう大丈夫だよ。代わりの人員もいるし。ま、君たちほど強くはないけどね。それに、昨日の今日で取引が潰されたばかりなんだ。犯人たちが何者であれ、今日はこれ以上仕掛けてこないと思うよ」

「はッ、了解です」


 ぐいっと頷いた山路の横で、じっと『ある場所』に目を凝らしていた霧香が問いを投げた。


「ねえねえハナちゃん」

「なあに、キリちゃん?」

「ハナちゃんはまだ若いのに、どうしてそんなにおっぱい大きいの?」

「ぶふっ!」


 噴き出したのは山路だ。

 確かに山路も、下心はないにせよ気になっていたところだ。だが、こうもバッサリと尋ねられる人材が自分のバディだったとは。


「バッ、馬鹿野郎! 上司にそんな質問をする奴があるか!」

「キリちゃん、知りたい? あたしの胸の秘密」

「うん! 知りたい!」

「課長も調子に乗らないでください! おら、帰るぞ、霧香!」


 霧香の後ろ襟を引っ掴み、引き摺って行く山路。


「ああん、ハナちゃ~ん!」

「キリちゃ~ん! って、そうだそうだ。山路くん」

「……はい」


 先ほどまでの気迫はどこへやら、山路はげっそりした様子を隠そうともせず、華山に向き直った。


「今後の作戦について話し合いたいんだ。今日活躍したのはキリちゃんの方だったようだし、少しあたしに付き合ってくれるかい?」

「分かりました」

「えーっ? 私は仲間外れ?」

「おい霧香、俺はお前より階級が上だから、課長にあてにされてるんだ。お前みたいな若造は、とっとと風呂にでも入ってさっさと寝ろ!」


 そう言った直後、山路はしまった、と思った。

 霧香は水に対してトラウマがある。風呂になど入れるわけがない。ミストシャワーを浴びるくらいが精々だろう。

 それなのに、大量の水を連想させる言葉を使ってしまった。


 自分の軽率さが、山路の足元からじわじわと這い上がってくる。しかし霧香は、そんな言葉に頓着することはなかった。


「はいはい分かりましたよ、下っ端はさっさと帰宅します。あっかんべーだ!」


 いったいいつの時代のガキなんだ。そう思いつつ、霧香が扉を抜けていくのを山路は見守った。


         ※


 ガシュン、といって扉が両側からスライドし、霧香の背中が見えなくなる。扉のそばに取りつけられたインターフォンで霧香が立ち去るのを確認してから、山路は華山に向かって振り返った。


 そこにあったのは、先ほどまでの、礼儀正しく律儀な刑事の雰囲気ではない。

 より狂暴で闘争本能に満ちた、どちらかといえば非正規組織に組み込まれた傭兵のようなオーラを放っている。


「で? 俺にどうしろってんですか、課長殿?」

「ふふ、山路くんは面白いな。やっぱり君はこのくらい砕けた態度の方がしっくりくるね」

「ええ、俺もそう思います」


 ズボンのポケットに両手を突っ込み、半身に体重をかけながら、不敵な笑みを浮かべる。

 かといって、これは山路が華山を見くびっているというわけではない。むしろ逆だ。

 霧香のお守りという任務から解放されて、檻から解放された猛獣。今は体毛を逆立てているが、調教師の前であることを忘れたわけではない。


「その前に一つ、質問いいっすか?」

「ああ、構わないよ」

「どうして俺なんかを警視庁は拾ったんです? それもSCB課だなんて、極秘の戦闘部隊に組み込んでまで」

「そうだねえ」


 華山はその豊満な胸の上で腕を組みながら、ゆったりと天井を見上げた。


「君は国防陸軍レンジャー部隊の中でも最精鋭だったし、中東での任務中に手違いで戦死認定されていた。これほど美味しい人材を、あたしたちが放っておくとでも?」

「なんだ、予想外だったな。そんな単純な理由だったんすね」

「おいおい、単純だなんて言わないでおくれよ。これでもあたしの前任者は、君の身分詐称に随分苦労したそうだからね」

「ここから先は愚痴ですか? だったら俺も帰ります」


 笑い半分で華山は溜息をついた。


「質問してきたのはそちらだろう? まあいい、作戦概要を説明する。現在から明朝までの任務になるんだが――」


         ※


 自分が体よく追い出されたとも知らず、霧香は帰宅の途に就いていた。終電はとっくに過ぎているし、タクシーを使うにしては身分詐称のための準備をしてきていない。

 地盤強度を上げるため、ここポート・トーキョーには地下鉄は走っていない。


「はあ、歩くっきゃないか」


 そう呟いて、霧香は歩き出した。


「それにしてもSCB……スペシャル・クライム・バスターズってダサすぎにも程があんだろ……」


 埋立地南部の煌々とした灯りを背に、淡々とした足取りで進んでいく。目に入る光景は、二十一世紀初頭に世界各地で見られたというスラム街だ。

 トタン屋根のバラックやら、障害を患って恵みを求める乞食やら、何を煮詰めているのか分からない鍋やら。


 自分たちが警視庁に出頭する間に、どうやら酸性雨は止んだらしい。彼らも雨漏りを心配したり、火起こしに苦労したりしなくて済むだろう。


 すると霧香は、この薄暗い夜道の中ほどで灯りを見つけた。ぼんやりとした暖色系の照明は、警視庁舎やその近辺のネオン街で使われる無機質な光とは違う。

 どこか心が落ち着くような、不思議な優しさに溢れている。


「よっ、おっちゃん!」

「おお、キリちゃんか! また来てくれたんだねえ」


 それは、屋台だった。確かにこのあたりには屋台が数件並んでいるが、霧香の、正確には山路の行きつけはここに決まっている。

 理由は非合法飲料を提供していないからだ、と山路は言う。だが、霧香は気づいていた。この立地からして、スラム街でトラブルがあった際に急行しやすいのだ。

 休憩時間も、サイボーグの刑事は自然と警護係の役割を負わされている。


「で、何にするかね。って、うちは日本酒しか置いてねえんだ」

「大丈夫だよ、私もう二十歳だし」

「へえ! いつの間に」

「先週かな。自分の誕生日なんて祝ってる暇なかったから、記憶が曖昧だけど」

「で、何を飲むんだい?」

「じゃあ……冷やで」


 ずっと山路に付き添っていたからか、霧香の注文の仕方は堂に入っている。


「一杯目はサービスするよ。もし飲めるようだったら、二杯目から料金を貰うけどね」

「りょーかい。あと、もつ煮込みを一つ」

「大きさは?」

「中で」

「あいよ!」


 その時だった。霧香の脳裏に、鋭い稲妻のようなものが走った。


「ねえ、おっちゃん!」

「あぁ?」

「ごめん、ちょっと怪我するかも」


 言うが早いか、霧香はカウンターに手をついて、店主の右頬に回し蹴りを食らわせた。勢いそのままに屋台を引き倒し、その陰でうずくまる。

 その直後、バタタタッ、バタタタッと自動小銃が向こう側で唸りを上げた。

 先ほどの稲妻は、今銃撃を加えてきている何者かの殺気だったのだ。そして今この瞬間も、屋台の台には銃痕が刻まれている。

 この程度の板を貫通できないとすると、どうやら敵の火力はそう強いものではないらしい。民間人に被害が出ないように、との配慮からか。


「おー、いてぇ! キリちゃん、一体何を――」

「おっちゃんはここを動かないで」


 霧香は素早く周囲を見渡し、武器になりそうなものを探す。一応自前の拳銃(オートマチック・十五発装填と予備弾倉が二つ)はあるが、敵を油断させるためにも、自分が丸腰だと思わせた方がいい。


 そこで目に入ったのは、店主が材料を捌くのに使っていた包丁だ。それを拾い上げる間にも、敵は銃撃の間隔を詰めてきている。きっと、二人が自動小銃で自分を威嚇し、出てきたところを三人目が仕留める。こんなところだろう。


 霧香は包丁を右手で逆手持ちにし、すぐに跳びかかれるように膝を曲げた。

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